2014年10月03日

聖人とコブラ

韓国で行われているアジア大会で、インドの女子ボクシングの選手が韓国有利のイカサマ判定に抗議して、表彰式で自分の銅メダルを韓国選手の首にかけるという事件がおきました。インドのSarita Devi選手はその際「あなたと韓国人にはこれがふさわしい」と言ったそうで、彼女の夫も「韓国のやり方は非文明的だ」と激怒していました。

Youtubeにアップされた関連動画は短期間のうちに大量のアクセスを集め、インド人はもちろん、タイ人や台湾人などアジア各国人の韓国バッシングの場と化していました。インド人もタイ人もネトウヨというわけです。

ところで、Sarita Deviさんの毅然とした意思表示を見ていて、インドの寓話を思い出したので紹介します。

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むかしむかし、インドのベンガル地方のある村でのおはなし。

森に住むどう猛なコブラは、牛飼いや牛をたびたび襲い、村人を苦しめていました。そんなある日、村を訪れた聖人は、村人の嘆きを聞いて森に行きました。

お経を唱えてコブラを呼び出した聖人は、コブラと話をしました。聖人の徳に心打たれたコブラは反省し、二度と咬まないと誓いを立てました。

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コブラはもう咬まないと聖人から聞いた村人は、恐る恐る森に行きました。するとコブラは穏やかな様子で村人を襲う気配はありません。コブラに石を投げてみましたが、それでもコブラは抵抗しません。やがて子供たちはコブラをつかんで引きずり回したあげく、振り回して地面に叩きつけ、コブラに大怪我を負わせてしまいました。

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しばらくして再び村を訪れた聖人は、コブラは姿を消したと村人から聞いて森に行き、コブラを呼びました。巣穴に隠れていたコブラは聖人の前に姿を見せると、聖人の教えのおかげで心穏やかに暮らしていると感謝しました。

しかし痩せて傷だらけのコブラを見た聖人は、どうしたのかと問い詰めました。怒るという感情を克服し、子供たちに悪意を持たないコブラは、しぶしぶ虐待されたことを明かし、こう言いました。「子供たちは無知なのです。私の変化を知らないだけなのですよ」

これを聞いた聖人は声を荒らげて言いました。「このばか者め!私はおまえに咬むなと言ったが、威嚇するなとは言っていない。なぜシューっと声を出して追い払わなかったのだ?」

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これは19世紀のインドの神秘家、ラーマクリシュナの残した寓話と言われています。微妙に違うバージョンもあるので、或いはもっと古くからある昔話なのかもしれませんが、インドではよく知られた寓話です。

いずれにしてもこのお話の教訓は、怒りに身をまかせて感情的に振る舞うのは良くないけれども、それは何をされても黙っているのとは違うということです。不当な仕打ちに対して毅然とした態度を示さなければ、殺されてしまうかもしれないし、相手は無知なままだし、自分の精神も壊れてしまいます。

hiss(シューっと威嚇すること) と bite (咬みつく)は違うことであり、慎まねばならないのはあくまで bite。hiss を忘れると、むしろ社会の調和は壊れてしまうのです。

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2014年09月14日

朝日新聞と日本の異常な新聞観

朝日新聞の慰安婦と吉田調書をめぐる虚報問題は、特に慰安婦に関しては以前から定説化していたこともあり、報道内容の間違い自体に驚きはありませんが、虚報を認めた後の朝日新聞の態度は衝撃的です。

朝日新聞を始めとしたマスメディアに追及されて辛酸を嘗めた数々の企業や個人、そしてその過程で生まれた不祥事対策の専門家たちは、朝日新聞社のあまりの体たらく、その幼稚ぶりに、にわかに信じられない思いを抱いているに違いありません。

マスメディアの堕落は何も日本だけには限らないものの、これほどの無責任は他の先進国では見られません。日本のマスメディアの鏡であることを自認してきた朝日新聞のクズっぶりは、日本のマスメディアの特異な歪みと後進性の現れに他なりません。

では日本と他国のマスメディアの違いはどこにあるのでしょうか?その違いは、朝日新聞の常套句である「戦争責任」との向き合い方、「戦争と新聞の関係」の捉え方の違いに如実に現れています。

敗戦後、朝日新聞を始めとする日本の新聞各社は大いに反省しました。朝日新聞の場合、1945年8月23日に「自らを罪するの弁」とする社説を掲載しました。そこにはこんな風に書いてあります。

個人としての吾人は 必ずしも全部が優柔不断であつたとは信ぜられない。しかし組織の一部にあることを思ふ時、この組織を守り通す必要を余りに強く感じたが故に,十分に本心を吐露するに至らなかつた場合もないではない。…その結果として今日の重大責任を招来しなかつたかどうか。

戦争を起こした主犯は軍部と政治家であり、新聞は保身のためにやむなくそれに加担したと悔いているわけです。上司の犯罪行為に協力させられた部下の弁解そのものですが、朝日新聞の論法は通り、多くの日本人は新聞と戦争の関係を今もそう見ています。

しかし、戦争と新聞の関係をそんな風に見る先進国は他にはありません。新聞はそんなに弱い存在ではないからです。今はともかく、20世紀初頭の頃の新聞は強大な権力を有していました。

1898年の米西戦争を起こした主犯は「イエロー・ジャーナリズム」です。新聞があらゆる階層に急激に浸透したこの時期、ピューリッツァーとハーストという2人の新聞王は、読者の獲得競争を展開する上で扇情的な記事を連日掲載しました。おかげで読者はキューバにおけるスペインの圧政に対してマスヒステリアに陥り、政府を動かしたのです。

1914年に勃発した第一次世界大戦で有名なのは、イギリス人の集団ヒステリーぶりです。ドイツ人を劣等人種視してあらゆるドイツ風なものを排斥し、果ては犬のダックスフントまで迫害しました。こうした異常行動を引き起こしたのは、やはり新聞でした。

軍部や政府のプロパガンダのせいではありません。当時はまだマスメディアのパワーについて未解明で、政治家に新聞を通じて大衆をコントロールしようという着想はありませんでした。それどころか、当時のイギリス首相ロイド・ジョージは新聞を過大評価して新聞にコントロールされる始末で、イギリスの新聞王ノースクリフ卿は堂々とこう述べていました。

神は人に読む力を与えた。おかげで私は人々の脳髄を事実で満たし、そのあと誰を愛すべきか、誰を憎むべきか、何を考えるか指示できる。…私は政治家にはならない。なぜなら独立した新聞こそ将来の政府の形だからだ。

ノースクリフ卿は、新聞は第4の権力どころか、政府をも上回る権力を持つと豪語しているわけです。第一次世界大戦は新聞の持つ強大な権力をを浮き彫りにし、この体験を元にプロパガンダとPRという概念が生まれ、研究され、発展していくことになります。

日本では、日露戦争を機に新聞は急速に普及し、その後英米と似た状況になりました。検閲はありましたが、原始的な検閲でコントロールできるほど新聞の力はヤワではありません。1918年の米騒動や1923年の関東大震災における外国人襲撃、さらには1920年代の反軍ムードから軍国ムードへの急旋回などに、米西戦争時のアメリカ人、第一次大戦時のイギリス人と同様のマスヒステリアを嗅ぎとれます。

しかし日本では、英米におけるように、その原因を新聞を始めとするマスメディアに求める動きは起こりませんでした。「軍部に怯えて仕方なく従った」という朝日新聞の弁解は、日本を遅れた国と見ていたアメリカ人の偏見と、新聞を利用して占領統治を進めようとしたGHQの思惑に合致し、新聞そのものに潜在的に備わる危険性は見逃されてしまったのです。

英米の新聞観が、「新聞とは本源的に強大で危険なものである」という所からスタートし、だからこそ「政府にコントロールさせてはならない」であるのに対し、日本の新聞観は最初の大前提をスルーし、教条的に「新聞を政府にコントロールさせてはならない」という所から始まります。

これでは、「政府の圧力を受けない独立した新聞は善なのだ」というおめでたい結論をへて、先進国の中では突出した日本人のマスメディアに対する無邪気な信仰、自らの利益やイデオロギーのために大衆を踊らせて恥じないマスコミ人の傲慢につながるのは必然です。朝日新聞の常軌を逸した倨傲と無責任は、その成れの果てなのです。

朝日新聞の「腐乱」は、左翼や朝日新聞だけの問題ではありません。朝日新聞を廃刊に追い込んだ所で、新聞を始めとするマスメディアは正しい姿には戻りません。なぜならマスメディアは本源的に劇薬であり、どう対策しようと毒性と凶器性を排除できないからです。

マスメディアの毒を若干でも和らげる唯一の方法は、情報の送り手と受け手の双方がマスメディアの毒性を意識し、身構える習慣をつけることに尽きます。今回の件を通じて、100年前に確立したマスメディアの第一原則━━マスメディアの最大の目的は正しい情報を送り届けることではなく、より多くの読者/視聴者を獲得して社会に君臨することにあり、その過程でマスヒステリアを作り出してしまうという認識が、朝日新聞という巨人の崩壊を通じて、遅ればせながら日本にも根付くことを願います。

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2014年08月18日

ヘイト・プロパガンダ

第一次大戦のドキュメンタリー全26本をアップしました。全26本の再生リストはこちらです。

ザ・グレート・ウォー 〜第一次世界大戦(1〜26)

さて、第一次大戦というものを眺めてつくづく思うのは、マスメディアの力です。1914年の欧州の人々は庶民に至るまで新聞や雑誌を読み、新聞や雑誌を通して世界を見ていました。第一次大戦というのは、そういう状況下で行われた初の大戦争でした。

そんな戦争で人々の戦意を掻き立てる最大のエネルギーは、敵への憎悪=ヘイトでした。この傾向は特にイギリスで強く、新聞や加工写真、漫画などを使い、「妊婦の腹を割くドイツ兵」「赤ん坊を銃剣で串刺しにするドイツ兵」「占領地で子どもたちの腕を切断するドイツ軍」「死体からロウソクを作るドイツ」というようなヘイトをまき散らし、ドイツとドイツ人に対する憎悪を煽りました。

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報道に踊らされた大衆は「ドイツの血は汚れている!」と叫び、ドイツ系の人々の公職追放を求め、ドイツ風の名を持つ商店を略奪し、ダックスフントに石を投げて飼い主をスパイ認定しました。

第一次大戦は、マスメディアが驚くべき大衆操作能力を発揮した最初の機会で、政治におけるプロパガンダと、ビジネスにおけるパブリック・リレーションズはここに源流を持ちます。

第一次大戦時のようなあからさまな「ヘイト・プロパガンダ」は、先進国ではもう行われていません。ある意味ホロコーストよりも荒唐無稽なこうした描写は、史上初だからこそ効果を発揮したのであり、各国の人々は終戦後すぐに正気を取り戻し、宣伝による憎悪の拡散に身構えるようになりました。

大衆は時代とともに宣伝に対して耐性をつけ、宣伝もそれに合わせて進化したのです。先進国では第一次大戦時のような原始的なプロパガンダと劇的な効果は存在しえません。

しかし一部の国では未だに第一次大戦時そのままのヘイト・プロパガンダが行われています。後進性のバロメーターと言えるかもしれません。

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"Diaoyu Island: The Truth" なるドキュメンタリー映画のワンシーンより

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2014年08月04日

第一次世界大戦

ちょうど100年前の1914年の8月4日、イギリスはドイツに宣戦布告し、第一次世界大戦は真の大戦となりました。

日本人はあまり第一次大戦について詳しくありません。イギリスと同盟していた日本は連合国側に立ちドイツに宣戦布告しましたが、欧州に派遣したのは海軍だけで、あとは青島攻略とミクロネシアを占領した程度で、事実上大戦を体感せずに済ませたのだから仕方ありません。

しかし第一次世界大戦はあらゆる意味において大きな意義を持つ大戦争で、この戦争を境に世界は大きく変貌しました。第二次大戦など所詮20年間の休戦期間を挟んだ第一次大戦の継続戦争に過ぎないと言われますが、まさにその通りで、その社会的意義は比較にもなりません。

日本人はこの戦争を体験せずにいたばかりに時代を読み誤り、1920年代に右往左往した挙句外交的に孤立し、亡国の道を辿りました。第一次大戦にこそ、20世紀前半の日本の迷走の根源はあるのに、当時も、そして今もそれを自覚していません。

第一次大戦はとても奇妙な戦争です。何しろ原因がわかりません。教科書を読めば、「オーストリアの皇太子暗殺で…」とか「イギリスとドイツの植民地政策の対立で…」とか「複雑な同盟関係により…」とか書いてありますが、どれも的外れです。1600万人の犠牲者を出した大戦争なのに、戦争当事国の国民ですら何のための戦争なのかよくわからず、ただ無性に相手が憎くて殺しあうような戦争でした。100年後の今も、これという決定的な理由は定まっていません。

ただあの戦争がもたらしたものははっきりしています。戦争を境に19世紀的社会体制と価値観が崩壊し、20世紀が始まったのです。社会も経済も政治のあり方も、そして人々の世界観も、第一次大戦を境にガラッと変わりました。今の社会常識の多くが、第一次大戦にその根源を持つのです。

そう考えるとあの戦争は、因果関係が逆なのではないかと思えてきます。戦争が起きたから世の中が変わったのではなく、世の中が変わったから戦争が起きたということです。

開戦を迎えた時の各国国民の異様な陶酔ぶりや、皇帝たちから将軍まで、権力者の誰一人として事態を制御できずに翻弄され続けた様子を見ていると、水面下で生じていた変化が蓄積し、あるきっかけで爆発し、プレートがずれてドンと揺れる大地震のように一気に爆発したように思えてなりません。

大衆の一部と化して顔と名前を失った人々が、大衆のための社会を求めた。或いは歯車と化した人々が歯車社会を求めたのです。

それはともかく、第一次大戦で生まれた社会は今も続いています。そしてあの時と同じように、水面下でそれは大きく変わりつつあります。しかし一方で社会の表層は盤石に見え、いくら嘆こうとリアルは何も変わらないという感じもします。ここも、19世紀的社会が永続すると錯覚し、ある者は安穏とし、ある者は幻滅していた100年前と同じです。

第一次大戦を機に始まった20世紀という歪な時代は必ず終わりが来ます。恐らくそれは、第一次大戦なみの大激震とともに一気に崩れます。それは必ずしも戦争という形をとらないかもしれませんが、その時は近いのです。

だからこそ、20世紀の終わりに20世紀の始まりを再確認しておくのは大事なことだと思います。特に日本の場合は、すぐ近くに文字通り100年前を生きている国々まであるのですから。

古いBBCのドキュメンタリーに字幕をつけたので、今日からアップしていきます。全26回と長いですが、お好きな方はどうぞ。













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2013年02月18日

メリットの有無と戦争

伝統芸能レベルの左翼クリシェを書き散らす沖縄新報が、中国脅威論を批判していました。

自衛隊も持ち出して緊張状態が続く尖閣問題を意識させれば、日米同盟強化もオスプレイ配備も納得してもらえるという算段だろうが、あまりにも作戦の想定が安直で非現実的ではないか。

国際社会への影響の大きさやその後の維持管理コストなどを考えると、中国が尖閣諸島を「奪う」メリットがあるとは思えない。従って「奪還」のためのオスプレイが役立つこともないだろう。

オスプレイ宣撫 離島防衛に絡める安直さ

沖縄新報の主張を真面目に受け止める人は今や少数だと思いますが、中国が武力行使するメリットはないとする論理には説得力があるように思えます。中共嫌いの人も、尖閣防衛の強化を訴える人も、心の底では中国が開戦に踏み切るはずはないと感じており、対中警戒はあくまで中国の横暴を牽制するためのポーズ程度に考えている人は多いはずです。

中国のメリットのなさで最大のものは、経済的な理由です。グローバル経済と密接に結びついている中国は、もし武力行使すれば、敵に与える以上の経済的打撃を受けかねない、いや確実に受けます。そんな非合理な自滅行動をとるとは、常識的に考えられません。国家間の経済的相互依存関係が高いグローバリゼーションの時代に、主要国間の戦争はありえないように思えます。

しかしそれは誤謬です。経済のグローバリゼーション化は現代の専売特許ではありませんし、むしろ史上最大の戦争は、グローバリゼーションの時代に起きました。それは第一次世界大戦です。

第一次大戦前の世界、19世紀末から20世紀初頭における、特に先進国間の経済は緊密な相互依存関係にありました。1913年の日本のGDPにおける輸出の割合(輸出依存度)は12.5%で今日よりも高く、日米欧を合わせた輸出依存度は11.7%でした。資本も国境を飛び越えました。当時の外国投資の3分の1は直接投資で、1913年の世界の総生産の9%は対外直接投資によるものと推測されています。

当然関税は低く、世界経済をリードしていたイギリスは関税ゼロで、関税自主権のない日本は1900年代までやはりゼロでした。当時世界に冠たる保護貿易国のアメリカを除けば、世界の主要国は軒並み10%程度の低関税で、輸送手段と冷凍技術の進歩により、世界の食料品価格は年々平準化していました。

100年前の世界は、データ的にはほとんどあらゆる面において1990年代の世界に比すグローバリゼーションを成し遂げていたのです。

しかも、こうした国境のない世界ぶりはビジネス界に限りませんでした。日本の農民はハワイや南北アメリカに盛んに移民し、腕に覚えのある者は中国大陸で運試ししました。ヨーロッパ人も同様で、ある者はアメリカに、またある者は世界の果ての植民地に新天地を求めて移住しました。

また隣国と国境を接するヨーロッパ諸国の場合、地域の経済は国境に縛られていませんでした。たとえばドイツ帝国の場合、東部地域はその他のドイツ地域よりもロシアと、西部地域はフランスと、南部地域はオーストリアとより経済的に結びついていました。

このように第一次大戦前の世界は、人、物、資本が国境などお構いなしに移動するグローバリゼーション時代であり、主要国間での戦争に勝者がいないのは誰の目にも明らかでした。しかし当時の人々は、オーストリアのセルビア懲罰という些細な紛争を契機にして何のメリットもない戦争に突入し、案の定ヨーロッパは没落したのです。

歴史を見る限り、グローバリゼーションによる経済の緊密化は戦争を抑止しません。戦争は「国際社会への影響の大きさやその後の維持管理コストなど」おかまいなしに起きるのです。

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