2005年04月21日

デア・ウンターガングの楽しみ方1

ヒトラーを人間として描いたドイツ映画

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「ヒトラーを人間として描いた映画をドイツ人が作った」として、去年の秋日本でも少しだけ報道されたドイツ映画 Der Untergang <デア・ウンターガング>。日本でいつ公開されるのだろうと思っていたら、ようやくこの夏に全国公開されるようです。ドイツでは空前の大ヒットで、すでにDVDも発売されているのですが、日本でこれだけ公開が遅れるというのは、現在の日本とドイツの距離を象徴しているようにも思えます。今回は、少し早すぎるかもしれませんが、この映画の楽しみ方を綴っていきます。

タイトルのデア・ウンターガングというのは、ドイツ語で滅亡とか没落という意味で、1945年4月、ソ連軍に包囲されたベルリンの総統防空壕でのヒトラー最後の日々を、史実に基づいてドキュメンタリータッチで描いています。

原作はヒトラー研究家のヨアヒム・フェストの同名著作と、この映画の事実上の主役であるヒトラーの女性秘書、トラウデル・ユンゲの Bis zur letzten Stunde <最後の時まで>(日本語版ではズバリ「私はヒトラーの秘書だった」になっていました)で、ドイツ一のヒトラー研究家であるフェストは、「これこそ本当のヒトラーだ!」と手放しで映画を讃えています。

この映画の最大の価値は、やはり「ドイツ人がナチスを人間として描いた」ということです。ロックバンドKISSのロゴのSSの文字がナチス親衛隊のSSと同じルーン文字だということで検閲されたほどの国、タクシーを止める時右腕を上げるのもはばかられるドイツ連邦で、いかに映画とはいえ大勢のドイツ人がナチス時代のユニフォームに身を包み、「ハイル・マイン・フューラー!」と挨拶する光景はまさに60年ぶり、衝撃的なリアルさです。いかにナチスを追及しようと、ナチス時代の軍服がドイツ人に似合うのはどうしようもない事実です。

そして極めつけはヒトラーの描写です。これまでもヒトラーの登場する映画はたくさんありますが、どれもこれも似ているのはチョビ髭と毛先を垂らした七三分けだけで、ドイツ人を虜にして大戦争を起こすようなカリスマ性はゼロ。魂の抜けた人形か、がんばってもせいぜい物まね止まりでした。

2年ほど前にアメリカで作られたテレビ映画 The Rise of Evil <日本タイトル:ヒットラー>も、若きヒトラーを人間として描いて話題になったのですが、ヒトラーを演じたロバート・カーライルに魅力がなく、ウイーンでホームレスをしている頃はむしろそれでぴったりなのですが、ヒトラーが急速に支持を拡大していくあたりになると、ただやたらと冷たいだけのヒトラーになぜ人々が夢中になるのかさっぱりわかりませんでした。テレビ映画だし、英語圏の作品ではそれが限界なのかもしれません。

一方この「デア・ウンターガング」では、ヒトラーを演じたのは名優ブルーノ・ガンツで、撮影中は誰も寄せ付けず、身も心もヒトラーに成りきって演じたというだけあってすごいです。物まねにすることだけは避けようとしたそうですが、ヒトラーのラジオ演説と比べてもしゃべり方はそっくりです。これはドイツ人も認めています。

ガンツとヒトラーはルックス的には全然似ていないですし、髪がいかにも「ヅラ」なのも少し気になりますが、映画を観ているうちにヒトラーそのものに見えてきます。映画完成後、自分の演技に反省する点はあるかと聞かれたガンツは、「しかめっ面にしすぎた」と言っていましたが、逆に言えば他は満足なわけで、会心の演技だったのでしょう。

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左=本物、右=ガンツヒトラー この写真で見るとうり二つです・・・

映画を楽しむための背景

先にも言ったようにぼくは物語の背景をそれなりに知っています。その上でこの映画を観て、良くできていると思うのですが、背景をまるで知らない人が観たらどう見えるのか、楽しめるものなのかどうかはちょっとわかりません。登場人物も多いですし、それだけで混乱してしまうかもしれません。というわけで、映画をより楽しむための基本情報を以下記していきます。

1945年4月、ドイツは東からソ連、西から英米軍に挟撃されて、もう100パーセント勝ち目はありませんでした。英米軍は旧西ドイツ地域を南部の山岳地帯と北部の海岸線を除いてほぼ制圧。すでに戦略的に価値はないと見られたベルリン攻略はソ連軍にまかされました。

4月中旬に250万人を越える大軍でオーデル川を渡河したソ連軍はあっという間にベルリンを包囲。弾薬も燃料も尽きた正規軍に、年寄りに銃を持たせた「国民突撃隊」とヒトラーユーゲントの寄せ集めでは勝負になりません。

この頃ドイツの首脳は、映画の中でもゲッベルスが言っているように、英米とソ連の仲間割れに最後の可能性をかけていました。時間を稼げば英米はソ連の脅威に目覚め、ドイツを味方につけてソ連を攻撃し始めるはずだと夢想していたのです。後の歴史を見ればその読みは正しいのですが、当時の英米にとって未だスターリンは頼りになる「アンクル・ジョー」であり、ナチスは悪魔以外の何ものでもなかったのですからあり得ない話しです。映画の中に、ヒトラーが一人薄暗い部屋で机の上にかけられた肖像画を見つめているシーンがでてきますが、肖像画の主はフリードリヒ大王です。フリードリヒ大王は18世紀に起きた7年戦争で、フランス、ロシア、オーストリアに包囲される絶体絶命の状況下でも降伏せず、フランスの突然の戦線離脱とロシア女帝の死という幸運に恵まれて最後に勝利を手にした伝説的人物です。ヒトラーは大王の運命に自分を重ね合わせ、最後まで奇跡を信じていたのです。

当時のドイツ人にとって、ソ連軍はとにかく恐怖の対象でした。もともとドイツから絶滅戦争を仕掛けて、敗退するまでの間ソ連の民衆に暴虐の限りを尽くしていたのですから、復讐に燃えるソ連兵は略奪、レイプのし放題でした。ベルリンでのレイプ被害者は10万人と言われています。だからドイツ東部の住民たちはとにかく西へと逃げました。映画の終盤で、総統防空壕で生き残った人たちがベルリン脱出を計りますが、これは残されたドイツの支配地に逃れるというよりは、英米軍の占領地で投降したいという思いからです。ソ連軍に投降することは、死よりもつらい試練を意味していました。ちなみに、ヒトラー死亡後のドイツ首脳は、いかに多くの兵員を英米軍側に投降させるかということに全力をあげました。

さて、こうした全体像とは別に、この映画には事情を知らないと良く意味がわからないエピソードが随所に散りばめられています。まずヒトラーの左手です。ヒトラーが後ろで組んだ左手が、いつもプルプルと震えているのですが、これは1944年7月に起きた暗殺未遂事件の後遺症です。作戦会議中にヒトラーのすぐ脇で爆弾が爆発して死者も出たのですが、奇跡的にヒトラーは軽傷で済みました。この幸運は、ヒトラーに自分の天命をさらに確信させたとも言われています。しかしこの事件でヒトラーの左手は痙攣するようになり、威厳を保つために、いつも右手で震えを抑えるようになりました。ちなみに、事件後の粛正で、それまでは軍人としてのプライドから時にナチスに反抗的だった国防軍は、完全にナチス体制に組み入れられました。

また、この映画には食事シーンが何度も出てきますが、ヒトラーはマッシュポテトばかり食べています。これは何も食糧難でそれしかなかったのではなく、ヒトラーがベジタリアンだったからです。1931年に事実上の愛人だった姪のゲリ・ラウバルが拳銃自殺して以来肉を食べなくなった言われています。肉だけでなく酒も飲まない禁欲家でした。しかし大食漢で死の直前まで食欲は衰えず、さらに甘党だったので、最後にはかなり肥満だったようです。この映画の中でも良く食べています。自殺前の寂しい「最後の晩餐」でも食事をきれいに平らげてしまう所は、無神経な人間というよりも、人間の悲しい性に妙なリアリティを感じさせます。

そしてヒトラーと切り離せないのがタバコのエピソードです。彼は徹底したタバコ嫌いで、自分のまわりでも吸わせませんでした。当時、というか30年くらい前までは、タバコが健康に悪いという認識はまったくなく、女も男もきついタバコをばんばん吸っていました。 映画の登場人物たちもみんな喫煙者ですが、喫煙をとがめられたり、隠れて吸うシーンが何度もでてきます。副官のギュンシェがくわえタバコで書類を焼却処分している時に、知らないうちに背後に来ていたヒトラーに気づいて狼狽するところや、ヒトラーが自殺した後、みんなが一斉にタバコに火をつけるところなどは、タバコ絡みで面白いシーンです。ヒトラーは食事の後に長話する習慣があったので、その間タバコが吸えない側近たちはつらい思いをしたようです。当時どれほど禁煙が珍しいことだったかは、当時医学の最先端を走っていたドイツの医者、それもヒトラー付きの医者が、「タバコは口内の殺菌作用があるので体にいい」と主張してヒトラーのタバコ嫌いに異議を唱えたことからもわかります。それでもヒトラーは、タバコは体に悪いと頑として譲りませんでした。しかしあれほどの独裁者でありながら、タバコを禁ずることまではできなかったようです。
(つづく)

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