ここ最近、日本では選挙報道以外のニュースを伝える余地はほとんどありませんので、大きく取り上げられることはありませんが、アメリカでは大変な有名人です。
イラク戦争で息子を失ったシーハンさんは、ブッシュ大統領との面会を求めて、今月6日から、テキサス州にあるブッシュ大統領の牧場の脇でキャンプ生活を続けています。これが報道されると、シーハンさんに賛同する市民たちが続々と声を上げ始め、シーハンさんは、一躍イラク反戦運動のシンボル的存在になりました。
評論家の立花隆さんは、日経のコラム「全米にイラク反戦のうねり、キャンプ・ケーシーに注目!」で、次のように述べています。
全米各地に次々に設置された、シーハンさんの抗議運動を支援する、「キャンプ・シーハン」(彼女はブッシュ大統領に徹夜で抗議するために、ブッシュ牧場のすぐ隣の土地にキャンプを張った)、「キャンプ・ケーシー」(ケーシーは死んだ息子の名前。シーハンさんは自分のキャンプにそう名前を付けていた)が、イラク反戦運動の核となって、ここ数日、全米各地で、シーハンさんを支援して、イラク戦争に反対するデモや集会が行われている。それがメディアに大きく取り上げられたので、このままいくと、イラク反戦運動がベトナム反戦運動のように大きく広がり、アメリカの政治に大きな転機をもたらす可能性がある。
かつてニクソン大統領が悲劇的な退陣を強いられた最大の背景は、ベトナム反戦運動の燎原の火のような広がりだったが、ブッシュ大統領も、このままいくと、同じような運命をたどる可能性がある。
イラク戦争をベトナム戦争に例える声は、イラク戦争開戦直後から良く聞かれてきましたが、これまでは、ベトナム戦争の時見られたような、草の根からの反戦運動が盛り上がることはありませんでした。しかし、「息子を失った母親が大統領の家の近くでキャンプを張る」というイメージはシンプルかつ強烈で、反戦気運に火を付けるのに十分です。イラク戦争に反対する人たちが、「いよいよベトナム化」だと、色めき立つ気持ちは良くわかります。
シーハンさんのような「象徴」の存在は、何よりメディアにとっては重要です。
最近ブッシュ大統領の支持率が就任以来最低の40パーセントに下がったのですが、それをテレビで伝えても、あまりニュースになりません。むしろイラク戦争開戦直後に記録的な高支持率を記録して以降、あまりに頻繁に支持率低下が伝えられ過ぎて、むしろ40%でも高いと思えてしまうほどです。
しかしここにシーハンさんのエピソードが加わると、支持率低下のニュースが持つ印象は一変します。亡き息子への想いから平和を訴える母親と、彼女を支持して集まった市民のイメージは、泥沼化するイラク情勢と、急激に支持を失うブッシュ政権を強烈に印象づけます。そもそも大メディアは基本的に左を向いているので、こうしたエピソードにはよだれを垂らして飛びつきます。
シンディ・シーハンさんのキャンプ生活が長く続けば、自衛隊の撤退問題と絡めて、今後日本でも頻繁に取り上げられるようになるはずです。
ところで、上に紹介した立花さんのコラムは、シーハンさんの抗議運動を全米に広めた要因としてインターネットに注目し、イラク戦争反戦運動におけるインターネットの役割について述べます。
アメリカにおけるベトナム反戦運動の高まりは、テレビというメディアが戦場の生の現実を毎日アメリカの家庭の茶の間に送り届けたことによってもたらされたといわれているが、イラク戦争の反対運動の広がりは、おそらく後年、インターネットによってもたらされたといわれるようになるのではないか。
テレビなどのマスコミ情報は、結局大きな動きと平均的な動静しか伝えることができないが、インターネットというメディアは、あくまで個の情報を伝えつづけることができるので(戦場の恐るべき現実、イラク戦争の無意味さを伝える兵士たちの心情的Eメールがどんどん転送されて広がっていく効果も大きい)、それだけ個別情報の届く対象は限られるが、個人個人に対するエモーショナルな働きかけの強さも確保されるので、個のエモーションの集積がパワーとなる個人参加型の社会運動の起爆剤となっていく可能性が大きい。
これからはネットの力が社会の意見形成に影響を持つようになるのは間違いありません。しかしそれは、立花さんが言うように、反戦運動を加速させる方向に作用するとは限りません。
あるアメリカのブログに、次の写真が紹介されていました。「キャンプ・ケーシー」に作られた戦死者の十字架に祈りを捧げるシーハンさんとその支持者たちです。見る者を神妙にさせる写真です。

しかしそのブログでは、この写真の次に、同じシーンをロングショットでとらえた写真を掲載しています。シーハンさんたちを取り囲むカメラは、「シンディ・シーハン現象」の正体を何よりも雄弁に物語っています。

上の2枚の写真を見ていると、パースペクティブという言葉を思い浮かべずにいられません。パースペクティブとは、絵画の遠近法、事物を立体的に描く時に必要とされる技法のことですが、正しい観点という意味にも使われます。なぜかと言えば、奥行きのある風景を描くには、一つの視点ではなく、二つの視点が必要とされるからで、正しい観点を持つには、複数の視点が必要だからです。
かつてぼくたちの見方は、大衆を教え導く使命に燃えた、大メディアというインテリの視点に規定されてきました。しかしこれからは違います。インターネットというメディアは、「結局大きな動きと平均的な動静しか伝えることができない」マスコミ情報に生き生きとした色彩を与えるだけでなく、マスコミ情報を疑い、パースペクティブを持つための「もう一つの眼」を、ぼくたちに与えたのです。




