2005年09月30日

シーハン現象という病

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シンディ・シーハンさん<AP


「平和ママ」ことシンディ・シーハンさんについてどこから話し始めたらいいでしょうか。

反戦運動の象徴としての彼女がその頂点を迎えた、9月24日からワシントンで行われた反戦デモの様子と、彼女を「作った」力についてのお話しからしていきましょう。

ワシントンの反戦デモ行進、10万人規模に

 イラクに駐留する米軍の撤退などを訴えてワシントンで24日に行われたデモ行進は、10万人規模に膨れあがった。ホワイトハウス前で集会をした後、デモ行進が始まると大勢の参加者が繰り出し、一時は身動きがとれないほどだった。

 集会では、イラクで戦死した米兵の母親で、派兵反対の象徴的存在になったシンディ・シーハンさんも登壇。「これ以上1人も死者を出してはいけない」などと呼びかけると、大きな拍手が起きた。

 デモ行進はホワイトハウスのすぐわきを通る形で行われた。参加者数についてロイター通信は主催者の発表として「30万人」と伝えた。イラク派兵を支持する人が道ばたで抗議する姿も散見されたが、大きな混乱はなかった。反戦コンサートも開かれた。

 ブッシュ大統領はこの日、米南部に上陸したハリケーン「リタ」の被災状況を視察するため、コロラドとテキサス両州を訪れており、ホワイトハウスにはいなかった。
<朝日新聞より>



誇張された情報と矮小化された情報

盛り上がる反戦運動と追いつめられるブッシュ政権。日本だろうとアメリカだろうと、大メディアの描くデモのイメージは基本的に変わりません。

しかしメディアの報道には、意図的か無意識的にか、誇張された情報と、矮小化された情報があります。

誇張された情報とは、参加者の数です。

こうしたデモの成否を計る最も大きな要素は参加者の数で、主催者は水増しした数字を発表します。主催者の「インターナショナルANSWER連合」は、上の記事にあるように、参加者30万人と発表しました。

しかし明らかにそれより少なかったようで、どの記事も10万人か、せいぜい15万人という表現にとどまっています。そして各新聞の記事をよく見てみると、参加者の数字の後に「規模」と付けて曖昧にしたり、数字を括弧で囲んで、ワシントンポスト等のソースを示したりしています。

実は警察は公式にデモ参加者の数を発表をしていないので、数字はすべて推計なのです。現地でデモを見た人たちの中からは、10万人はあり得ないという声が上がっています。

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集会の全景をとらえた貴重な空撮写真
集会のメイン会場 ホワイトハウス前のエクリプス広場の様子<Reuters>


確かに、反戦集会をノーカットで中継したケーブルネットワーク、C−SPANの映像を見ると、かなり閑散としています(映像はインターネットで見られます。すべて見ると3時間38分!暇で仕方ない方はどうぞ)。とても10万人の大集会とは思えません。

別にデモの参加者が1万人でも10万人でも、大勢集まったことは事実ですし、メディアというものは何でもかんでも大げさに伝えるということなら構いません。しかしそうではないから問題です。

実は今回の反戦デモにあわせて、それに対抗する保守派のデモが行われ、何人かのブロガーがデモの様子を写した写真を自分のサイトにアップしています。AP通信は、まかりなりにもカウンターデモに関する記事を配信しましたし、反戦デモ参加者との間で、なかなか活発なヤジの飛ばし合いになったようです。

この人たちのことは、冒頭で紹介した記事の中でも紹介されています。「イラク派兵を支持する人が道ばたで抗議する姿も散見された」とある部分です。

大きな組織が動員をかけたわけでもなし、カウンターデモの参加者数など知れたものです。しかし、確認も取れない疑わしい数字を10万人にまでふくらませつつ、一方のグループを「散見された」で済ませたり、無視したりする行為は偏向と呼びます。

朝日新聞の名誉のために言っておけば、これは何も一部の新聞に限ったことではありません。日本もアメリカも、既存のメディアはほとんどこのような伝え方をしています。

日本では、「良心的市民」によるデモは、少数によるものでも大きく報道され、それに反対する声はほとんど紹介されません。事情は、太平洋の向こう側でも同じなのです。


デモ主催者の正体

サヨク勢力とメディアの偏向に関する日米の共通項はこれにとどまりません。

扶桑社の歴史教科書採択で中核派が動員をかけていたように、日本では、ある程度大きなサヨク市民のデモには、必ずその背後に左翼過激派が隠れています。

しかしそれは日本独自の文化ではなく、アメリカも同様です。

今回の反戦デモを主催した「インターナショナルANSWER連合」とは、実はマルクス・レーニン主義を奉じる「労働者世界党(Worer's World Party=WWP)」の別働隊なのです。

WWPは、パレスチナゲリラはもちろん、金正日、カストロ等の独裁者を公然と支持する過激派です。

年に何度もデモを主催し、2003年1月にはワシントンとサンフランシスコでそれぞれ20万人を集めて平和デモを敢行した「ANSWER連合」にとって、数万人の動員などお手の物。むしろ今回30万人を集められなかったことは、反戦運動は衰退している証とすら言えるかもしれません。

右よりの市民運動には「右翼」、「保守派」という言葉を使い、左翼過激派の先導する市民運動を伝える記事には「左」という単語は出てこない。これは、国を問わず、21世紀初頭のマスメディアに共通する傾向です。


MAMA MOONBAT*

そんなメディアに愛され、一躍時の人となったのが、戦死した息子を持ち、ブッシュ大統領の牧場の隣で「大統領と話しがしたい」とキャンプを張った、「平和ママ」ことシンディ・シーハンさんです。

8月上旬にひっそりとキャンプを始めてからおよそ2ヶ月。平凡な戦死兵の母から、反戦デモの主役に上り詰めたその理由は、決して草の根から「燎原の火のように」広がった反戦ムードのせいではありませんでした。

彼女は当初からメディアに注目され、大新聞の記事と、テレビカメラの力で一躍スターダムに上り詰めたのです。

彼女と行動を共にする賛同者たちはせいぜい十数人と言われていますが、彼女のまわりにはそれを遙かに上回る数のカメラマンたちが常に群がり、彼女の価値に目をつけたサヨク著名人たちが群がり、さらにカメラの数は増えと・・・これが、「シンディ・シーハン現象」のからくりです。

当初シーハンさんは心から亡き息子のために行動していた風で、それが一般の人々の同情を誘いました。しかしやがて彼女の発言は一人の平凡な母親の言葉を逸脱し、左翼活動家のアジ演説へと変貌していきました。

そして「ブッシュに会う」という目的は、活動のための口実に変わりました。8月下旬、シーハンさんはこう語りました。

「(ブッシュ大統領が)私に会わなかったことに、とても、とても、とても感謝しています。だってそれにより平和運動に火がついて、盛り上がったんですもの」


一人の可哀想な母親から、極左組織が主催する「反戦デモ」の主役へ。彼女を変えたのはメディアで、彼女はメディアの被害者だという人もいるでしょう。

しかしぼくはそう思いません。確かに同情する立場にあるにせよ、彼女は最初から普通の母親などではなく、ゆがんだ理想を描き、世界をそれに合わせようとするペテン師でした。

大メディアは彼女の実態を見抜く眼力を欠き、暴走する彼女の一挙手一投足を追いかけて怪物を作り出し、最後には自らの偏向ぶりを世間に晒してしまうことになるのです。

さて、8月下旬にテキサス州のキャンプ地を離れ、仲間と三台のバスに分乗して「平和キャラバン」を繰り広げてきたシーハンさんは、9月22日にワシントン入りしました。

このときの様子を、ワシントンポストは、「シーハンと支持者、首都に 降臨」と伝えました。確かにこの時写した次の写真を見ると大勢の支持者に囲まれて、意気揚々とした雰囲気を醸し出しています。

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AP


しかし次の写真を見ると総勢わずか30人ほどで、少し寂しげです。

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Reuters


メディアとサヨクのランデブーは、いよいよクライマックスを迎えることになります。
<つづく>


*MOONBAT=スラングで「サヨク」を意味する言葉。

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2005年09月29日

タイムズ紙の首相インタ

夕方に車でラジオを聞いていたら、英タイムズ紙とのインタビューで小泉首相が年内の靖国参拝を明確にしたというので少し驚きました。

これまで誰に執拗に聞かれても「適切に判断します」とか言ってはぐらかしていたのに、突如として外国のメディアにはっきり言うなんて、何か特別な意図があるのか?それともガイジンには弱いのか?などと考えていたら、やはり違ったようです。

英紙、靖国で表現修正 首相官邸の申し入れ受け

 英紙タイムズは28日付で掲載した小泉純一郎首相のインタビュー記事の靖国神社参拝に関する表現を、電子版で修正した。紙面では「年末までに参拝する意向を明確にした」となっていた部分を「年末までに参拝する印象を与えた」と改めた。

 日本の首相官邸が「事実誤認がある」と同紙東京支局に訂正を申し入れ、これに応じた。官邸関係者によると、首相はこのインタビューで特に普段と違った言い方をしなかった。タイムズ側は当初、申し入れに対し「解釈の問題」と難色を示したが、結局折れたという。

 インタビューは靖国神社参拝に関連して、日中関係も取り上げ、首相は「中国は日本の政治的な影響力の拡大を歓迎していないと思う」と指摘。日本が目指す国連安全保障理事会常任理事国入りに中国が反対している理由についても、首相は「国際社会での日本の影響力を抑えたいからだ」と述べた。(共同)
(09/28 22:24)


確かにタイムズ紙の記事を見たら、元はどうだったかわかりませんが、「年末までに靖国を参拝する印象を与えた」と書いてあります。

In June seven former prime ministers pleaded with Mr Koizumi to reconsider; recently, he has been less explicit about his determination to make a pilgrimage this year. But yesterday he gave the impression that he would visit Yasukuni before the year’s end.


記事の内容自体は、織田信長との対比で改革者としての小泉氏をむしろ格好良く描いているくらいなので、どこかの新聞のようにおかしな政治的意図はないと思います。確かにインタビューを読むと、「行く」と言っているも同然なので、記者の単純な勇み足でしょう。

さて、この記事にはおまけとしてインタビューの全文が紹介されているので、おもしろいところを訳してみようと思います。日本語から英語、それを再び日本語にするわけですから、所々ニュアンスが変わることはご容赦ください。

Q:改革への支持を得たわけですが、あと1年で必要なことをするのは難しいと感じないのですか?

A:これはすべての首相に言えることですが、首相として完遂すべき仕事に終わりはないと思います。しかし私は残りの任期で私がすべきことができると信じています。・・・

Q:もし来年の6月にすべての世論調査で8割の国民があなたの続投を願うことになったとしても、そうした声を無視するのですか?

A:(笑い)世論調査がそんな結果を出すなんてあり得ませんよ。7割とか8割の人が続投を求めるなんて。

Q:再考を促すほどの大多数の支持があったとしたら?

A:その頃には、そんなことを気にする状況にはないと思います。総裁選は9月に行われますから、新しい候補のみなさんは、6月にはすでに選挙戦を始めているわけですからね。

Q:次の首相に女性がなることは想像できますか?

A:近い将来の首相候補としてふさわしい人物は見あたりません。

Q:後継者候補として考えている人は何人いますか?

A:4人か5人ですね。

Q:日本は第二次対戦について謝罪しましたが、海外のある人々は、まだ日本は謝罪していないと見ています。第二次大戦における日本の立場を明確にする、式典のようなものを日本で開く意図はありますか?

A:そのような式典については考えていません。戦後60年の日本の歩みを見れば、日本が過去について反省し、後悔していることは理解してもらえると信じています。

あなたは中国と韓国との関係について言っているのだ思います。しかしその二カ国とは、すべての分野においてこれまで以上に交流が進んでいるんです。

中国が私の靖国神社参拝に反対するのは、政治的な意図からだと推測します。

Q:内政的な?それとも外交的な理由でしょうか?

A:内政的な理由です。それに加えて、中国は日本が政治的な影響力を拡大することを歓迎していないと私は見ています。例えば彼らは日本の国連常任理事国入りに反対していますが、それは彼らが、国際舞台における日本の影響力を抑えたいからです。

Q:なぜ靖国参拝の意図を明確にしないのですか?

A:中国はすでに私の考えをよく知っています。実際のところ、中国の指導者たちは私の意図を承知していると信じます。しかし一方でもちろん相手の立場のことも考えなくてはなりません。だから私は、これは公にすべきことではないと考えるのです。私たちは常に、他国との関係を考慮しなければなりません。

Q:年末までに靖国に参拝すると見ていいのでしょうか?

A:それについては言わずにおいた方がいいでしょう。そういうことは、中国人もわかるはずです。

Q:日本にナショナリズムの高まりを見る人がいますが、それについては心配していませんか?

A:それは誤解であり正しくありません。今あなたが目にしているのはナショナリズムなどではないんです。日本人は過去についてとても深く反省してきました。日本人は第二次大戦について後悔し、世界のどの国の人々よりも強く、二度と戦争は仕掛けないと決意しています。日本人は何よりも平和を愛しているのです。・・・


こんなに訳してしまって失敗しました。彼の周囲に首相の器を持った女性政治家がいないという認識は初めて聞いた気がしますが、基本的に常日頃口にしていることと変わりません。

それにしても、難しい話しは別にして、今のような時期に、外に向かって日本の立場をはっきりと語れる総理を持てたことは、何はともあれ幸運なことだと思います。

PS:前回予告したシーハンさんのお話しは次回にまわします。シーハンさんは逃げませんので。

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2005年09月27日

ブラックジョーク

日本の選挙における自民圧勝は、諸外国でこれまでになく好意的に受け取られたことは以前お話ししました。しかし中にはおかしな報道もありました。中でも9月7日付のニューヨークタイムズ紙の記事は最たるものでした。

日本の民主主義は東アジアで最も古いが、支配政党は中国と北朝鮮の共産党と同じくらい長く権力を握り続けている。韓国と台湾の若い民主主義はすでに政権交代を経験し、民主主義を支える活力ある市民活動と独立したメディアは、日本よりも進んでいるように見える。


確かに情けない野党しか持てない日本の民主主義は不健全です。それは認めます。しかし、ただそれだけを根拠に中国や北朝鮮と比較するのは常軌を逸しています。

90年代半ば以降、選挙で自民党が勝つたびに、欧米の知日派インテリは、「日本の民主主義は未熟だ」と大上段から見下すのが常でした。しかし、そうした単純な見方を超える評価が聞こえてきた今回、驚くほど薄っぺらでステレオタイプに凝り固まった見解を示したのが、よりによって日本人であるオオニシ・ノリミツ記者だったことは皮肉です。

産経新聞によれば、ニューヨークタイムズは13日にも日本の軍国主義復活を警戒するような社説を載せ、日本の外務省は抗議の投書をしたということです。

アメリカの保守派の間では、ニューヨークタイムズはワシントンポストと並ぶサヨクの牙城と呼ばれています。そのワシントンポストでさえ、今回ばかりは自民党の改革路線を支持する態度を見せ、「あのワシントンポストが保守を応援している!」と、アメリカの保守派の間でちょっとした事件になったほどでした。

柄にもなく改革のスローガンに幻惑されてしまったワシントンポストに比べて、さすがはニューヨークタイムズ。強い信念を感じさせてくれました。


ところで、そんなニューヨークタイムズと最も意見を同じくする国は中国です。

「小泉=ヒトラー説」を最初に唱えたのは、確か亀井静香さんだったと思いますが、欧米ではヒトラーは別次元の極悪人であり、公共の場で安易に政敵をヒトラーに例えて批判するのは、彼を賞賛するのと同じくらいしてはならないこととしてタブー視されています。ですから欧米のメディアでは、そんな煽りをする人は冷笑の対象でしかありませんでした。

しかし中国は違います。中国のメディア情報を反体制的な視点から伝える Danwei は、小泉首相を正面からヒトラーと比較する、「中国経営報」誌の記事を紹介しています。

「ヒトラー現象の再来でないことを願う」というタイトルのこの記事は、次のように述べます。

日本の「9.11」選挙は、1933年1月のドイツの選挙を思い起こさせずにおかない。様々な点で、ふたつの選挙は不気味なほど似ている。

・両者とも敗戦国で起き、国家的な屈辱を晴らして再興する方向に進もうとしている。

・両者とも屈辱的な軍事的敗北に被害者感情を抱き、特に近隣諸国に対して感情的な政策をとろうとしている。

・両者の状況において大きな役割を果たしたのは国民の鬱憤で、これは選挙戦で利用され、理性的な政治を抑圧し、タカ派的政策を推し進めることに貢献している。

・両者ともに改革の旗が振られ、党首の特別な魅力で有権者を引きつけた。その党首は選挙戦を通して優れた役者ぶりを示した。

・両者ともに、与党が絶対多数を得るために議会は解散させられた。

・両者ともに、権力者により大きな力を与え、国軍を復活させるために改憲を望んでいる。

・・・アジアと全世界の人々は、日本の「9.11」選挙が「ヒトラー現象」の再来でないことを願う。それと同時に、両者における多くの共通点を見ると、警戒を抱かざるを得ない。


この記事を書いた人は、ファシズムの再来を恐れているようですが、自分の国を見て何を思うのでしょうか?100歩譲って日本が1933年1月のドイツなら、中国は1939年9月1日未明のドイツです。いちいち反論する気さえ起きません。まさに「おまえが言うなよ!」です。

しかし、あえて善意の固まりになって考えてみれば、実はこの日本脅威論は額面通りに受け取るべきものではなく、遠回しに自国を糾弾するための、ブラックジョークとして書かれているのかもしれません。

ネット規制を強める中国では、インターネットでデモの呼びかけをすることを禁じた新しい法律を導入したそうです。Danwei では、そのニュースを報じた北京の新聞「新京報」を紹介しているのですが、なんとその一面に大きく掲載された写真は、24日にワシントンで行われた反戦デモ!

中国人は、外国人の理解を超えた高度な表現方法を駆使し、ブラックジョークの才能に溢れた人たちなのかもしれません。そうとでも考えなければ、痛々しくて見ていられません。

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2005年09月26日

リベラルとサヨク

前回の「世界一小さな政治クイズ」では、多くの人が「左側」に属したようです。このブログは、右か左かでいえば右だと思うので、ここを訪れるみなさんも大抵その価値観を共有する方々だと思います。しかし結果は、ここを訪れる方のほとんどはリベラル!

ぼく自身正直ここまでとは予想していませんでしたが、よく考えてみれば当然なのかもしれません。

伝統的価値観を政府の力で守り、その一方で自由な経済活動を求めるのか?それとも多様な価値観を容認し、政府による大企業の活動抑制と、弱者保護を求めるのか?

そのどちらかかと問われれば、日本人の大多数は左側に区分されるはずです。また日本にはアメリカのようなリバタニアン的伝統は稀薄ですし、ヨーロッパほど大きな政府を指向する性癖もありません。というわけで、真ん中のちょっとリベラルあたりに多く集まるのは、ごく自然な結果です。

クイズの結果はあくまでアメリカンスタンダードな分類ですし、質問が日本の実情にそぐわない面もややあるかもしれません。しかし、あなたはこういう政治的傾向を持つと提示されて、本人もそこそこ納得するということは、決して的はずれな診断でないことの証だと思います。

では「リベラル」に分類されたみなさんを「ウヨク」扱いする人たちは一体何なんでしょうか?

恐らくそういう人たちがこのクイズをやれば、共産党員は別にして、結果はやはり「リベラル」が多くなるのではと想像します。つまり、彼らと「ウヨク」を分けるのはこのクイズが想定していない別の要因によるものだと思います。

その差は、中国、韓国に対する態度にあると考える方も多いと思いますが、事はそんなにローカルな問題ではありません。

「サヨクはなぜサヨクなのか?」という疑問は、実は日本だけでなく、アメリカの「ウヨク」も共有しています。いわゆるネオコンとレッテルを貼られる人たちをはじめ、ここ数年アメリカで多く見られる、民主党支持から共和党支持に乗り換えた人たちは、よくこう嘆きます。「私はリベラルなのに、今の民主党は私が支持した昔の民主党ではない。今の民主党はおかしな集団に乗っ取られてしまった!」

社会学的、心理学的にその答えを見つけようとする試みは多くの人によってなされているものの、決定的な解釈はまだありません。日本、アメリカ、そしてヨーロッパにも見られる「サヨク」という潮流は一体何なのか?その現象をさまざまな側面から検証しようというのは、このブログの大きなテーマのひとつです。

いずれにしても、「世界一小さな政治クイズ」でリベラルに分類されたみなさんは、もしウヨクと罵られたら、「私はリベラルだ。おかしいのはそっちだ!」と声を大にして堂々と訴えてください。本来のリベラルとは、いわゆる「サヨク」とは全然違う種族なのです。

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2005年09月25日

政治クイズ

今回は、「世界一小さな政治クイズ」を紹介します。

これは、1969年に政治学者のデビッド・ノーラン氏が「左翼ー右翼」の単純な政治的区分けを乗り越えるために考え出したもので、その筋ではとても有名なクイズです。

リバタリアン系シンクタンクが開発、発展させてきたクイズですが、リバタリアン思想を広げるためのものではなく、個々の政治的指向を判定するためのクイズとして、広く信頼されているそうです。

英語が得意な人はこちらのページから直接、英語が苦手な人は以下の日本語訳と照らし合わせながら、軽い気持ちでクイズを楽しんでみてください。




世界一小さな政治クイズ

個人的な問題 (Personal Issues)

そうだと思うならA、そうかもしれないと思うならM、違うと思うならDを選んでください。

*政府は言論、メディア、インターネットを検閲すべきでない。

*軍隊は志願兵制度にすべきだ。徴兵すべきではない。

*成人の合意に基づくセックスに関する法律は作るべきではない。

*成人のドラッグの所持と利用を禁止する法律を廃止すべきだ。

*国民IDカードを作るべきではない。


経済的な問題 (Economic Issues)

そうだと思うならA、そうかもしれないと思うならM、違うと思うならDを選んでください。

*企業の優遇や救済措置をすべきではない。

*国際自由貿易に対する政府の障壁を取り払うべきだ。

*退職後の生活は個人にまかせ、社会保障は民営化すべきだ。

*政府の福祉は民間のチャリティで肩代わりすべきだ。

*税金と政府の支出を5割以上削るべきだ。


答えをマークしたら「Score It!」ボタンを押してください。あなたの政治的位置が表示されます。




Libertarian「リバータリアン派」は・・・

個人と経済の問題について最大限の自由を求めます。彼らはきわめて小さな政府を望み、政府の権限は、個人を暴力や強要から守ることに限定されるべきと考えます。リバータリアンは自己責任を大事にし、政府の官僚システムや税金に反対し、民間のチャリティを促進し、多様なライフスタイルを容認し、自由市場と市民の自由をサポートする傾向があります。


Centrist「中間主義派」は・・・

経済や個人の振る舞いに対する政府のコントロールに関して、中間的な立場に立ちます。問題により、政府の介入を支持することもあれば、個人の選択の自由を支持することもあります。中間主義者は、常に開かれた心を持つことにプライドを持ち、「政治的過激派」に反対し、問題に対して、彼らの表現によるところの「現実的な」解決方法を強調します。


Right (Conservative)「右派(保守派)」は・・・

経済的自由を好む一方で、しばしば「伝統的な価値観」を壊そうとする個人の振る舞いを規制する法律を支持する傾向があります。彼らはビジネスにおける政府の行き過ぎた介入には反対しますが、道徳や家族の価値を守るための政府の活動には賛成します。保守派は通常強い軍隊を支持し、官僚主義と高い税金に反対し、自由市場経済を好み、強力な法の執行を支持します。


Left (Liberal)「左派(リベラル派)」は・・・

通常個人的なことに関しては選択の自由を好みますが、経済的なことについては政府の強固なコントロールを支持する傾向があります。通常彼らは恵まれない人々を助けるために政府の出資による「セーフティ・ネット」を支持し、ビジネスを厳格に規制することを好みます。リベラルは環境保護法制を好み、市民の自由と表現の自由を大切にし、平等の促進と多様なライフスタイルを守るための政府の活動を支持する傾向があります。


Statist (Big Government)「統制主義派(大きな政府派)」は・・・

経済と個人の振る舞いについて、政府が大きな力を及ぼすことを求めます。彼らはしばしば、経済的自由と個人の自由は、今日における現実的な選択肢かということに疑いを持っています。統制主義者は自由市場経済を信用せず、高い税金と中央による計画経済を支持し、多様なライフスタイルに反対し、市民の自由の大事さを疑う傾向を持っています。




ちなみにぼくは、何度か答えを変えて試してみましたが、リバタリアンか中間派で、どちらかというと真ん中よりやや左に位置する場所に赤い点がつく傾向がありました。

みなさんはどうでしょうか?


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2005年09月22日

赤黒黄緑

ドイツの混迷は相変わらず脱出口が見えません。日本の全共闘世代にあたる「68年世代」の星、元過激派で知られるフィッシャー外相が、緑の党の代表から退くそうで、現状におけるおそらく最善の連立、「ジャマイカ連立」が成立する可能性が少しだけ高くなったのかなとも思います。

(ドイツの政党は色で表現されていて、社会主義系=赤、保守系=黒、自民=黄、緑の党=緑です。現在の社民、緑の党連立政権は「赤・緑連立」で、もし保守、自民、緑の党の連立が成立すると、ジャマイカ国旗と同じ「黒・黄・緑」になるので、ジャマイカ連立と呼ばれています。)

しかし、ドイツの自民党は大企業と裕福な個人事業主の利益を代表する政党で、緑の党はそれに対抗するために生まれたような政党ですから、あくまで現状における最善策なだけで、本来ならあり得ないガタガタな連立です。もし社民党がどうしても政権にしがみつこうとしてマルクス主義者たちと組み、「赤・赤・緑」連立が出来たら、本当にドイツは自分で自分の死刑判決書にサインするようなものです。

どの政党も過半数を取れずに、大連立しては政権崩壊を繰り返したナチス登場前夜の状況に、なんだかよく似てきました。周辺国からは、「このままだと再びナチスが登場しかねない。ドイツに注意しろ!」と早くも警鐘を鳴らす人まで現れる始末です。万が一ヒトラーが再降臨しても今のドイツに欧州を蹂躙する力はないでしょうが、確かにこんな状況が数年続けば人心もすさみ、何が起きてもおかしくありません。

こういう状況を招いてしまった最大の責任者は、それこそ過去反省に余念がなかった68年世代なわけで、一体彼らは過去から何を学んできたのでしょうか?独裁者が現れても仕方がない状況を作っておいて、独裁者が現れた暁には他人事のように国民を責めるのでしょうか?・・・


ところで今回のドイツの選挙については、主にイギリスやアメリカの識者の間で、例え保守連合が勝ったとしても大改革は期待できないといわれていました。その理由は、ドイツには本当の意味で「小さな政府」を指向する政治風土がないからです。

アングロサクソン圏の保守は、伝統を重んじるとともに、個人の自由を尊重して政府の介入をなるべく小さくするという、リバータリアニズム的傾向を持っています。しかしドイツの保守にその傾向は稀薄です。最もリバータリアン的なのは自民党ですが、特定支持層の利益を代表し過ぎていて、大政党になる資質はありません。

ヨーロッパ大陸の国々というのは、ドイツにしてもフランスにしても、どうしたわけか大きな政府による国家統制を好む習性があります。ぼくなどからすれば、本気でナチス的なものを葬りたいのであれば、まずそうした、バカでかい政府を作って個人の自由を規制しまくる態度を改めるべきだと思うのですが、なぜかそこには手をつけません。右翼の台頭を防ぐためにはこれ、差別を防ぐにはこれと、対症療法的に法律を制定して政府の権限を大きくし、個人の自由を縛る方向に動いていきます。

ちなみに、リバータリアニズムという用語は日本ではあまり一般的ではありませんが、ウィキペディアによればこういう思想です。

リバタリアニズム(Libertarianism)とは、他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきで、国家の介入は最小限にすべきだという政治思想である。サッチャー、レーガン後、アメリカを中心に民主主義国家の経営理念のひとつとして根強い支持を持つ。
個人の自由を尊重する立場としては、元来はリベラリズムという言葉があるが、福祉国家的な意味で使われるようになってきたことから、そのように変容した用語と区別し古典的な意味での自由主義を現わす言葉として、リバタリアニズムという用語が使われるようになった。
経済面では、政府の規制を極力避け、民間による経済活動の自由を拡大するためにも規制緩和が必要であるとする。

ここでは政治思想と特定していますが、何も複雑な政治思想体系ではありません(中には思想を体系化している人もいますが、何しろ「個人」を重んじる思想なので、人それぞれでばらばらです)。要するに「他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきで、国家の介入は最小限にすべき」という信条を、現実とどこまで折り合いをつけて実践するかという、ただそれだけの単純な考え方です。

左翼政党の党首であるのに福祉をバンバン切り捨てて新自由主義を追求するイギリスのブレア首相や、「官から民へ」のかけ声で保守政治家を色分けしようとしている小泉首相のような政治家の台頭で、いよいよ右か左かという政治的区分は通用しなくなってきていると思います。・・・


今回はドイツのお話しからリバータニアンの話しへと、なんだかまとまりのない文章になってしまいました(今日は少し忙しいもので申し訳ありません)。リバータリアンについてここまでお話ししたので、次回はリバータリアンを含む新しい政治的区分の提案と、自分がそのどこに含まれるのかを判定する簡単なクイズを紹介します。

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2005年09月21日

公正中立な番組

NHKが受信料不払いの人に訴訟も辞さないと正式に発表しました。支払い拒否だけで130万件ということですが、実際にはそれ以上いることは確実で、NHKは真剣に困り始めていると思います。

訴えてまで受信料を取ろうとするNHKは、その存在意義を国民に示す必要があります。「何人からの圧力や働きかけにも左右されることなく、放送の自主自立を貫く」という今回発表されたNHKの姿勢が、実際の番組にどう反映されていくのか、興味深いところです。


偏向のない番組

そんな中、昨日の「クローズアップ現代」で、「歴史教科書はこうして採択された」という、扶桑社の歴史教科書を採択した東京杉並区の教科書採択の現場を取材した番組を放送しました。番組の内容を簡単にまとめるとこうなります(記憶に頼っているので所々あいまいです)・・・。

反対派、賛成派入り乱れて大きな注目を浴びた杉並区の教科書採択。教科書採択協議の傍聴には多くの人が詰めかけた。他の教科書は大きな問題もなく採択が決定されていったが、歴史教科書の段になると、採択を決める5人の教育委員の意見が割れ、採択は持ち越された。

実は以前の教科書採択は、各学校の教師たちが各教科書を採点し、教育委員は事実上その採点に従って採択を決めていた。しかし現在は、教師たちは各教科書の報告書を作成するだけで、教育委員はそれを参考にしつつ、あくまで独自の判断で採択を決めることになっている。石原東京都知事は、教育委員が独自の判断を発揮するよう強く求めていた。

杉並区の場合、数学や国語の教科書は教師たちの評価が高い教科書が採択されたが、歴史の教科書は、評価が最下位だった扶桑社のものが採択された。こうした状況に、「現場の教師の意見が反映されない」と批判する声もある。

2回目の採択協議では、前回同様意見が割れた。しかし、前回判断を保留した教育長が「私は戦争はなくならないと思う。そういう厳しい現実の中でどう平和を築いていくのかを考えさせるのは扶桑社の教科書だ」と扶桑社の教科書を推して、多数決で採択は決定した・・・。


番組の中では、扶桑社の教科書を支持する教育委員と反対する教育委員の意見はもちろん、教科書採択の方法の是非を巡っても左右両論が紹介されていました。偏向のないいい番組でした・・・と言いたいところですが、この番組には大きな問題があります。


ぼかされた対立軸

扶桑社の教科書採択を巡る左右の対立ではなく、あくまで教科書採択の問題に焦点を絞ったこの番組の核になるのは、扶桑社の教科書を選ぶにあたり、「現場の教師の意見と教育委員の意見が正反対になった」という部分です。教育委員に独自の判断を求める現行の教科書採択制度の問題は、この出来事に集約されます。

しかし、なぜ意見が正反対になったのか、その理由についてこの番組は掘り下げようとはしません。番組の終盤、今後の採択制度はどうあるべきかについて識者が語る部分で、「日教組と文部省が対立しあう不幸な歴史があったので、現状はベストではないがベターだ」というような意見が紹介されるのですが、意見対立の理由を臭わせるのは唯一そこだけです。そしてそれすら直接この問題に対してなされた答えではなく、しかも4人の意見のうちの一つに過ぎません。

この問題に詳しい人なら、抜けている情報を頭の中で補完しながら見るので、それほど違和感は感じません。しかし、教科書採択問題にあまり詳しくない人が見れば、なぜ教師たちの意見と正反対の結果になったのか、さっぱりわかりません。

「どこからともなくちょっとおかしな扶桑社の教科書がわいてきて、それを応援するちょっと危ない人たちがいて、時々こういうおかしなことになってしまう。かといって教師たちの判断だけにまかせるのも問題があるようだ。まあ扶桑社の採択率はとても低くて、例外的なことみたいだし、これも仕方ないのかな」という程度の感想しか持てません。

いくら「扶桑社歴史教科書問題」の全体ではなく、教科書採択制度の問題だけに焦点を絞るのだとしても、「なぜ意見は正反対になったのか」というその理由を掘り下げないのは極めて不十分です。それは例えば、ある厳重に警備された街を取材する時、過剰警備により生じる不便な生活ばかりを紹介して、その街がテロリストの攻撃予告を受けていることを伝えないようなものです。

現行の教科書採択制度が採用されたのも、そしてそもそも扶桑社の歴史教科書が生まれたのも、それ以前の教育界に問題があったからです。「自虐史観」に支配された既存の教科書に対して、別の見方を提示しようというのが扶桑社の歴史教科書の態度で、そこを見なければ、この問題の核心は全く見えてきません。

しかしこの番組では、扶桑社の教科書が現れざる得なかった肝心要の背景を、分厚いオブラートにくるんでいます。区役所に詰めかけた左翼活動家たちの様子も、彼らのかける強烈なプレッシャーも、その異常性を見せずに穏健に描かれています。ぼくはこの番組を通じて、教育委員にプレッシャーをかけていたのはむしろ扶桑社応援側だという印象を受けました。

この番組は、偏向しているかしていないかと言えば確かにそれほど偏向した作りではありません。しかしそれと同時に、そこを描けば必ずどちらかから糾弾されることになる問題の核心を、きれいにスルーしています。


公正中立という虚妄

とにかくこの番組は、左右の人たちを刺激しないように、非常に気を遣っていることを随所に感じさせました。左右から穏健な主張を選んで紹介し、担当した社会部の記者が読み上げるコメントは、痛々しいほどに公正中立を意識したものでした。

しかし、公正中立というものが、問題の核心をぼかすことによってしかもたらされないのであれば、それに何の意味があるのでしょうか。これでは、人間と人間が互いに正義を信じて対立する問題について、何一つ有益な報道をすることができません。

NHKの報道は、民放のようにワイドショー的でなく、偏向度も小さいので悪くないと評価する人がいます。しかしぼくはそう思いません。ワイドショー報道は問題ですが、それとは全く別の次元で、核心をぼかして「公正中立」を装う報道など、存在価値はありません。

マスメディアで仕事をしていると、取材をした当人がよく「あれさあ、本当はこうなんだよ」と、放送できなかった問題の裏側を酒の席などで語ることがあります。当然ながらそういう話しはとても面白く、そうしたエピソードひとつで、放送された番組の何倍もの真実をかいま見ることが出来ます。

公正中立であることに拘り過ぎれば、そうしたオモテに出せない事実はどんどん増え、真実を人々に伝えるという報道の本義から離れていくことになります。

受信料支払い拒否の嵐の中で、NHKはこれからそうした傾向を強めていくことでしょう。そしてそれは、ワイドショー報道の弊害よりもよほど深刻な、ジャーナリズムの死をもたらします。


毒にも薬にもならない番組

突き詰めて言えば、公正中立な報道などあり得ません。公正中立に見える報道は、うまく公正中立を装っているだけに過ぎません。

今回の「クローズアップ現代」のように問題の核心をぼかせば、公正中立を装うのは簡単になります。その反対に、ある問題に深く切り込もうとすればするほど、作り手の偏向が入ってくることは避けられません。

極論であることを承知で言いますが、ぼくは報道の未来は、作り手の旗色を明らかにした上で、問題に深く切り込む方向にしかないと思います。

カメラを通して見た視点だけでなく、「問題を見つめるカメラと取材者」とという視点を視聴者に提示できれば、そこから視聴者は自分なりの解釈を組み立てることができます。

もちろんそのためには、視聴者のメディアリテラシーが前提になりますし、ぼくの両親のように、テレビや新聞の言うことを無条件に信じてしまう人たちが多くいる限り、とても危険なことです。

しかし長い目で見れば、やがては国民の大多数がメディアリテラシーを身につけた世の中になることは明らかで、公正中立を装う似非ジャーナリズムに未来はないと思います。

NHKの進む方向が昨夜の「クローズアップ現代」であるなら、そんな毒にも薬にもならない番組を作るために国民の金を吸い上げるシステムは、日本の報道文化の発展のためにも、早々に退場すべきだと思います。

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2005年09月20日

選挙結果に見るドイツと日本

立候補者の死去により、10月2日に行われるドレスデン選挙区の選挙結果次第では、社民、保守連合ともに225議席で並ぶことになるかもしれないドイツの連邦議会選挙。当初は圧倒的に有利と言われた保守連合はなぜ急降下したのか?理由はいろいろ考えられます。

よく指摘されているのはメルケルさんの頼りなさです。党首討論では、レーガン米元大統領のセリフをそのまま盗用してバレる始末で、弁舌に長けたシュレーダー首相に差をつけられました。選挙戦略の失敗も取りざたされています。

日本の自民圧勝の勝因がいくらでも思いつくように、メルケルさんの敗因はいくらでもあげられます。

しかし、ぼくにはそれらを細かく検証する知識はありませんし、それよりも、あまりに見事過ぎる身動きの取れない議席配分に目を奪われます。これは何かを示唆しているとしか思えません。

以前このブログでメルケルさんを初めて紹介した時、「彼女はサッチャーに比べるとカリスマ性に欠ける」と書いたことに対して、英国在住の方から、「文部大臣しか経験のないサッチャーがこれほど強い総理になるとは当初誰も想像していなかったに違いない。そういう意味でドイツの候補もそういう可能性はあるし、サッチャーも鉄の宰相にならなかった可能性もある」と指摘されて、なるほどと思いました。信頼に欠ける女性首相を信任し、カリスマ宰相に仕立てたのは、英国病と呼ばれた停滞に苦しんでいた当時のイギリス社会であり、イギリスの国民に他なりません。

日本では、今や小泉首相がカリスマ政治家の名を欲しいままにしていますが、古い映像を見ると、彼は昔から少しも変わっていません。そして10年ほど前までは、その性格ゆえに首相になる器ではないと言われていました。ところが、いわば時代に見いだされる形で急速に頭角を現し、人々を熱狂させるオーラを身につけるに至りました。彼もやはり、最初からカリスマだったわけではありません。彼にカリスマを与えたのは、日本のおかれた状況であり、日本人です。

ではメルケルさんはどうか?東独出身で、東西ドイツ統一と前後してコール前首相に見いだされ、したたかに保守連合の頂点まで上り詰めてきた彼女は無能な政治家ではありません。メルケルさんには「ドイツ版鉄の女」になれる素質は十分にあったと思います(まだその可能性は完全に消えてはいませんが)。しかし彼女は失墜しました。それは、サッチャー、小泉と同じ言い方をすれば、ドイツ国民が彼女を頼りない女性としか見ようとしなかったから、強い指導者を求めなかったからだと言えます。

同じように構造的問題を抱えた危機的状態で、なぜ日本は小泉のような強い指導者を作り出し、ドイツは作ろうとしなかったのか?

日本は中華文化圏の脅威を受けており、ドイツは対外的に脅威を受けていないからというのは、説得力のある説明です。しかし、民主党の岡田前代表は中国を脅威と見ていませんでしたし、そういう日本人はたくさんいます。言われてみれば、黙って付き従っていれば恐らく攻め滅ぼしに来ることはないだろうし、富を生みそうな中国大陸を必ずしも脅威と感じる必要はありません。

構造改革にしてもそうです。別に世界第二位の経済大国でなくても、のんびりと人間らしくスローライフを楽しめれば、別にいいではありませんか。

しかし、この時期に小泉のような強い政治家を作り出した日本という文明圏は、きっとそれが嫌なのです。金と名誉だけが人生じゃないぞと諭す老人の声に耳を貸さず、つまらないプライドに拘る若者のバイタリティを、いまだに持っているのです。日本は世界一の長寿国ですが、それとは裏腹に、意外にも文明としてはまだまだ若い、血気盛んな年頃なのかもしれません。

一方ドイツは、周囲に脅威を持たないのは絶対的に平和だからではなくて、脅威を感じないからだと考えることもできます。ヨーロッパ文明は本当に黄昏を迎えており、今さら老体にむち打つつもりなどないのかもしれません。

ドイツ国民がそれで幸せなら構いません。スローライフをエンジョイして、いつもニコニコ満ち足りているのなら、他人がとやかく言うことではありません。しかしどうもぼくには、文明としてのドイツは激しく苛ついているように思えてならないのです。

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2005年09月19日

さよならドイツ

18日に行われたドイツの連邦選挙は、日本の選挙と対称的な結果になりそうです。現在開票が進んでいますが、各政党の得票率はだいたい次のようになっています。

保守連合 約35% (前回比−3%)
自民党  約10% (前回比+3%)
ーーーーーーーーー
社民党  約34% (前回比−4%)
緑の党  約8%  (横ばい)
ーーーーーーーーー
左翼系  約9%  (前回比+5%)

ドイツでは、各政党の得票率に従って議会の議席が割り振られますから、保守連合と自民党を合わせた保守陣営の議席数は約45%で、過半数に届きません。一方社民党と緑の党の連立与党は合わせて42%に過ぎず、マルクス主義を戴く左翼たちとの協力はまさかないでしょうから、こちらも過半数に遠く及びません。

保守連合と社民党の大連立は今のところ双方否定しており、保守連合と緑の党の連立は現実的ではありません。保守系の自民党は社民と連立する可能性はありますが、自民党と緑の党の政策は対立しています。

要するに、こんな割れ方あるのかと感心するほどに、ものの見事に割れました。

選挙直前まで保守連合の支持率は4割を超え、社民党の支持率は2割台に喘いでいました。なぜここまで保守連合が落ち込み、社民党が盛り返したのかにはいろいろな要因があります。

まず保守連合が明確な指針を示せなかったということです。ドイツの保守連合は、日本の自民党のようにドラスティックな改革を叫んではいませんし、叫べません。伝統的に大きな政府が大好きなドイツでは、保守連合の中にも福祉国家堅持派が多くいて、日本の民主党のように、あやふやで頼りないイメージを払拭できませんでした。

一方社民党のシュレーダー政権は、7年間の施政の間に失業率は記録的に上昇し、経済活力はみるみる失われ、かつ改革は進められず、戦後ドイツ史上最悪の政権と言われています。しかし、保守政権になれば弱者が苦しむことになると訴えるとともに、大メディアを味方につけたお得意の反米プロパガンダで、「良きドイツ人」のハートをキャッチすることに成功しました。アメリカのハリケーン災害も、「貧富の差が拡大して、大きくて強い政府の保護がなければああいうことになる」というわけで、人々の不安を煽ることに貢献しました。

しかし要するに、ドイツの政治家も国民も、痛みを伴う改革を迫られている現実に目をつぶり、現状を維持することを選択したのです。どんな連立が組まれるにしろ、新たな政権は思い切った政策など推進できず、そこにあるのは停滞です。今のような時代の変わり目にあって、停滞とは落ちていくことに他なりません。

改革に行き詰まり、同じような状況で選挙になった日本とドイツは、正反対の道を選択しました。日本の選挙では、自民に投票した人たちも「自民がこんなに勝つとは思わなかった」と驚きました。ドイツの選挙では、有利と見られていた保守連合以外に投票した人たちは「保守がこんなに負けるとは思わなかった」と慌てているでしょう。

さよならドイチュラント、さよならヨーロッパ!

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2005年09月18日

女王の教室に拍手

昨夜は「女王の教室」の最終回を見ました。ぼくはあまりテレビドラマは見ないのですが、このドラマは第3回目くらいから見始めて、回を追う事にハマってしまい、昨夜の最終回は何日も前から楽しみで、色々な予定を切り上げてリアルタイムで見ました。

ぼくがこのドラマを気に入った理由は、ぼく自身きれい事が大嫌いなので、基本的に主役の阿久津先生の言葉に共感することと、ポリティカル・コレクトネスに反するあのようなキャラクターを「善」として描くことはテレビのタブーに触れるだけに、どのようにストーリーを展開してどう落とすのか、興味津々だったからです。ドラマのストーリーと並んで、このようなドラマを放送するという現象自体を、この先どうなるのかと楽しんでいたという感じです。

前回第10話の放送での阿久津先生と生徒の対話には、一緒に見ていたカミさんともども感心しました。大人が答えにくい質問をして先生を困らせようとした生徒たちに対する返答は、特別なことを言っているわけではないのですが、あのような正論がテレビで語られることは滅多にありません。ここに書き起こそうと思いましたが、文字にすると当たり前のこと過ぎて何の魅力もないのでやめておきます。テレビから発せられて初めて意味を持つセリフなのかもしれません。興味のある方は、番組ホームページのフラッシュでご覧下さい。

最終回は、生徒たちが阿久津先生の信者のようになってしまい、先生の言葉もやや上滑りして、前回ほどの魅力はありませんでした。しかしこれまでのすべてを台無しにするほどではなく、ラストシーンはそこそこ泣かせました。阿久津先生を演じた天海祐希も、いくら何でもこれだけ体温を感じさせない役では損をするなと思っていたら、最後にはいい印象だけ残りました。

とにかくこれだけ議論を呼ぶ内容で、それにも関わらずよく考えてみると登場人物に一人も悪者がいないというのは、後味爽やかです。

こういうドラマを放送した経緯には、何より話題作りがあったことは確かでしょうし、ストーリー展開も図式的過ぎて辟易する面もありました。しかしそれにしても、ああいう当たり前のことをテレビで語らせるのはものすごく勇気のいることであり、それにゴーサインを出した日テレに拍手を贈ります。

ところで話しは変わりますが、やはりぼくのお気に入りで、「女王の教室」とは逆に登場人物が全員悪人のドラマがあります。それは、アメリカで去年から今年の春にかけて放送された、Desperate Housewives です。日本では、「デスパレートな妻たち」というタイトルで、ようやく今月下旬からNHKBS2で放送されるようです。

郊外で暮らす中年主婦たちが主役のドラマなのですが、アメリカだけでなく、少し遅れて放送されたヨーロッパでも爆発的な人気を呼びました。思い返せば、アメリカ人たちがこのドラマをどう見ているか知りたくてグーグルで検索したのが、数々のアメリカの政治ブログに巡り会い、ぼくもブログを始めようと思い立ったきっかけでした。政治的な内容のドラマではないのに、面白いものです。

かなりクセのある作りなので、賛否は別れると思いますが、興味を持たれた方はぜひご覧下さい。単なる主婦ドラマではありません。ただ、あれほどよくできた大ヒットドラマをなぜNHKは地上波で放送しないのか、激しく疑問です。

ああそれにしても、来週から土曜日の楽しみが一つ減りました。

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2005年09月16日

斜陽ビジネス

テレビ業界の仲間と話していて景気のいい話を聞いたことはここ2、3年ありません。テレビ業界といえば、12、3年前まではウハウハで、その後はもちろん苦しい時代になりましたが、それでも冬には冬に強い動物がいるように、上り調子のヤツがいたものです。

ところが最近は本当にそういう人を見ません。ニュース、情報系番組というぼくの活動範囲に限ったことかもしれませんが、耳にはいるのは内向きで気が滅入る話ばかりです。

以前は弱肉強食の世界で、少しでも油断すれば抜かれるという緊張感に溢れていたものです。しかし今は向上心を失って現状にしがみつき、プライドだけ高くなってムダに歳を重ねていく者に溢れています。上はしっかり詰まっているので、30歳代半ばにでもなれば、担当する番組はどんどんレベルダウンしていき、技術はあるのに、いい歳をして駆け出しでもできるCS放送の仕事をするのはザラなことです。

とにかくこの業界には夢が感じられません。ほんの数年前までは、いくら景気が悪くても、腕とセンスが良ければビッグになれると信じられる何かがあったのですが、今は感じられません。景気とかそんな問題ではなく、この業界自体がしぼんでいく感覚があります。

去年の暮れに作られたという、メディアの未来を予測するこのムービーは、テレビ局は没落し、ニューヨークタイムズは高齢者向けの小規模紙媒体に転落し、グーグルとアマゾンが合体してできる、「GOOGLEZON」が新しいメディアの頂点に立つと言いますが、まんざら間違っていないのではと感じます。映像的にはショボく、8分ほどの字幕をただひたすら読むだけのものですが、興味がある方は一度見てみてください。

ところで先日、フジテレビのやらせについて書きましたが、「めざましテレビ」の内実を良く知るディレクターに会って話したところ、案の定フジテレビへの不信感を募らせていました。

失恋していない女性を失恋したことにして、架空の元恋人に電話をかけさせたというのは確かにやり過ぎだけれど、発表されたそれ以外の事例がやらせと言われたら仕事にならないと、彼はあきれていました。

「あの行動の裏には、番組が好調な今のうちに、発覚すれば世間の怒りを買うことになるかもしれない問題をあえて公表し、世間に『自浄能力』を見せつけて他局に差をつけようという意図をはっきり感じる。それと同時に、少ないギャラでこき使っている外部プロダクションに対しては『今苦しい時だから』と一層無理が言えるようになる。ずるいやり方だ。」

前回述べたように、フジテレビが公表したやらせが大問題であるのなら、クビにされたディレクターよりも、その上司たちをクビにしなければいけません。そして徹底的に調査して、同じような取材を行ったディレクターを根こそぎクビにするのが筋です。

そんな大げさなと思うかもしれませんが、とても簡単なことで、全員クビにすればいいのです。ちなみに、主にフジテレビで仕事をしているボクの友人は、やらせの事例として発表されたような過剰演出(失恋の話しを除く)を当然のこととして何度もしているといいますし、ぼくを含めて情報系番組の取材ディレクターに、あの程度の演出をしたことのないディレクターはいません。していないというディレクターこそ大嘘つきです。

これもまた、テレビ局の力が落ちている現れかもしれません。少しずつ小さくなっていくパイを姑息なやり方で奪い合い、少しずつ夢と魅力を失い、一つの時代は終わるのでしょうか。テレビ番組を徹夜で作りながら、ふと思いました。

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2005年09月15日

床屋談義

自民党があまりに勝ちすぎたために、小泉首相に慎重さを求める声が多く聞かれます。しかしぼくは、ひねくれ者だからかもしれませんが、そういうことは言いたくありません。そもそも首相が慎重であるのは当然で、指導者に求められる資質は、慎重かつ大胆であることです。巨大な自民党に慎重なだけの党首など、かつての古き良き自民党と何も変わりません。

とは言うものの、ぼくも自民がここまで勝つとは予想していませんでした。ぼくが期待したのは、自民が党内の反対派を追い出すことで政党として純化し、敗れた民主党が分裂して統一した理念を持った政党へと脱皮し、健全な政党政治を行う枠組みが作られることでした。しかし民主党がこれだけ負けると、分裂したくても分裂できません。

そこでぼくは、(ここからはぼくの無責任な願望になります。自分のブログなんだからいいですよね!)強大な権力を得た小泉さんが、遠慮することなく権力を駆使することで、政界再編を促してくれることを期待します。彼が火を付けた政治改革を一過性のものにしないために、古い自民党を最終的に破壊することで、野党を再建して欲しいのです・・・。

今回の選挙はとても盛り上がりましたが、困った問題もありました。例えば保守の人たちからは、「民主党は大嫌いだけど、西村眞悟さんのような右派は勝たせたい」だとか、「自民に投票したいけれど、造反組でも憂国の士には落選して欲しくない」等の声がよく聞かれました。自民だろうと民主だろうと、共産と社民以外は、政党と所属議員の考え方が大きく捻れています。

これは由々しき問題で、膨れあがった自民党が大きな図体を維持しようとすれば、こうした傾向は4年間のうちにどんどん進んでいくことになります。巨大な党を維持したければ、必然的に何でも屋にならざるを得ず、党内党をかかえて派閥政治を繰り広げることになります。そうなれば有権者の参加する余地はなくなりますし、日本の政治は一気に十数年前に逆戻りしかねません。

また、弱体野党が寄り合い所帯という有様では、強大な与党に対して当然わき起こるだろう批判の受け皿がありません。こうした空気も、自民党の何でも屋化に拍車をかけますし、出口を失った批判の声は、マスコミの煽りに乗って、不健全な反対勢力の形成につながりかねません。

こうした問題を回避するのに最も効果的な方法は、自民を小さくして野党を強くすることです。自民党には、小さな政府に反対する人、民主党顔負けのリベラル派はまだたくさんいます。独裁者コイズミの面目躍如で、郵政民営化のような踏み絵を再び用意して4、50人放逐しても、今の自民党なら政権運営に問題はないはずです。

それだけの浪人が出れば、小さくなりすぎて分裂したくても分裂できない民主党の中から、合流しようとする人たちが大勢出てくるはずです。何しろ民主党は、寄り合い所帯で失敗したことに懲りているはずですから、まさかその際数合わせのために、党内の「ハンマーと鎌」分子は連れてこないでしょう。

さて、こうして健全なリベラル野党の屋台骨が作られれば、政界再編は大きく完成に近づきます。しかしここまできたらもう一つ、「愛国的で大きな政府」を目指す中政党の成立を望みたいところです。

公明党が存在する以上、純粋な形での二大政党制は日本にできません。二つの巨大政党に挟まれた公明党は常にキャスティングボートを握り、政権に参加することになります。これは健全とはいえませんし、国民の選択肢を狭くしてしまいます。だからこそ、選挙制度を変えてでも、公明党と釣り合いを取る中政党が必要です。

自民(小さな政府、保守)と新民主(大きな政府、リベラル)が政権を巡って争い、公明(小さな政府、変なリベラル)と愛国的新党(大きな政府、強い保守)がケースバイケースで組み手を変えて政権参加するようになれば、互いに歯止めを掛け合いつつ、かなり広汎な国民の意見を吸収することができるはずです。ゲームとしての選挙の魅力はあがり、投票率がアップすれば、自然と公明の勢力も小さくなります・・・。

とにかくこれからどんなに良い政治をしようと、大きすぎる自民党は常に批判の矢面に立つことになります。1年後に小泉さんが辞めるのであればなおさらで、その後首相になる人は国民の信任を得ていないのですから、猛烈な逆風を受けることになります。そして新首相がどんなにがんばったところで、次の選挙では確実に4、50議席減らします。しかも野党である民主党は、頭を誰にすげ替えようと、結局は寄り合い所帯のまま次の選挙に突入して勢力を伸ばすことになります。

これでは何も変わりません。日本にとって致命的な政治的停滞です。健全な日本の政治のために、独裁者となった小泉さんには、勇退する前にぜひ、野党改革に取り組んでもらうことを切に望みます。

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2005年09月13日

世界が見た自民圧勝

海外のメディアは日本の選挙結果をどう伝えたか、それは大メディアが存分に報道していると思いますので、ここではガイジンたちがブログスフィアでどう言っているか、かいつまんでお伝えしようと思います。

(郵政民営化で市場に流れた資金は)市場の力に任せられ、生産的なビジネスに投資されて、高齢化社会の問題に対処するための資金調達に貢献することになる。極めて才能に溢れて創造的な日本の人々は、これまで彼らのポテンシャルを抑制してきた規制の壁にしばられなくなる。とてもいいニュースだ。

郵政民営化法案は骨抜きになっているという報道もこれから聞くことになるだろう。もっともだ。しかしそれは本質を見誤っている。日本人はようやく、金権政治と公共投資はもう通用しないということを悟ったのだ。ある意味、日本のレーガンがやっと登場したのだ。バンザイ!


もしひねくれた外人やジャーナリストが、日本では出る杭は叩かれると言ったら、これからは即座に違うと言える。ミスター小泉はとんでもなく飛び出した杭だ。しかし叩いたのは彼だったのだ。
JAPANDIT


驚くべきことは、今日世界の舞台で最もカリスマ的で、多くの面で進歩的な政治家が日本人だということだ。日本はこれまで、とても退屈で主張のない首相を生むことで知られていたのに。これも時代の変化の一例だといえる。


べた褒めですね。といっても、上で紹介したのはすべて保守系のブログですから、賞賛するのは当然です。日本が経済大国として活力を取り戻し、世界の舞台でアメリカをサポートしてくれることを彼らは望んでいます。相応の軍事力を持ち、中国の脅しに一歩も譲らず、汚職まみれの国連に一撃を食らわせることを期待しています。

同盟強化という政治的なことに加えて、アメリカの保守というのは自由経済を信奉していますから、小さな政府を訴える小泉政権に驚異的な支持を与えた日本人に感心している面も見逃せません。

さて、英語の保守系ブログだけでは一面的過ぎるので、政治的にアメリカと距離を置いている、ドイツからの情報も紹介しましょう。といいたいところですが、ドイツでは次の日曜日に連邦議会選挙が行われますから、ブログスフィアは日本どころではありません。ただあちこちBBSを廻っていたら、次のようなコメントを見つけました。

日本人に敬礼!

日本が復活してきたのも当然だな。
本当はドイツでこういう状況が必要なのに。
でもどうやら、ハンマーと鎌が来そうだよ。

このブログを以前から読んでいる方ならご存じなはずですが、ドイツの状況は極めて日本に似ています。大きな政府、福祉国家を追求してきたドイツは、失業率の記録的な上昇と活力の低下に苦しめられ、小さな政府への転換を迫られています。

社民政権のシュレーダー首相は、福祉の削減に取り組んできましたが、社民党の政権基盤は労組です。党内から足を引っ張られて改革は中途半端になり、身動きが取れなくなって解散、選挙に打って出ました。

解散当初は保守陣営が圧倒的な支持を得て、政権交代は必至と見られていたのですが、ここに来て保守陣営が支持を落として、予測は難しくなってきました。自民圧勝で日本買いになったのと時を同じくして、ドイツ売りが始まっています。「ハンマーと鎌」が政権に入ってくる可能性が、現実として排除できなくなったのです。

さて、そんな日本どころではないドイツですが、似た状況にある両国の、似た状況で起きた選挙ということで、日本をドイツの写し鏡として見る論評がいくつか出ています。ブログではなく、「きちんとしたメディア」から一つ紹介しましょう。

90年代の混迷から少しずつ抜け出した日本の経済状況について、2年前にイギリスのエコノミスト誌は、「日本再浮上」と題した特集を組んだ。今度は日本の政治が浮上した。小泉は、何十年もの間市場を規制してきた鈍重な政治マシーンに新たな一撃を食らわせた。突如として日本ではすべてがかみ合った。経済は成長し、給料は上がり、失業率は下がり、政権は再び力を得た。改革を政治的に進めることが可能になり、過半数の日本人はそれを支持している。小泉はどうやってこれを成し遂げたのか?選挙に疲れたゲルハルト・シュレーダーは問うてみるべきだろう。


ドイツあたりから、こんな風に日本を羨むような声が聞こえてくるのは本当に久しぶりです。しかもこれまでそれは経済分野に限られ、日本の政治を賞賛するような声は皆無でした。大げさかもしれませんが、戦後初めてのことかもしれません。ヨーロッパ人にとって日本は常に政治後進国で、学ぶ所など一つもなかったのです。

伝統的に、政権交代に踏み切れない日本を「民主国家として未成熟」などと評してしたり顔をしていたヨーロッパのインテリたちですが、今回はそんな声は端に追いやられています。「小泉、メルケル、シュレーダー」と題したディ・ツァイト紙のコラムは、次の言葉で締めくくります。

保守政権による奇跡が起きない限り、ドイツは大きく前進できないだろう。そして賢明な人たちは日本に人を送り、聞くだろう。「世界はあなたたちをとっくに見放していたのに、どうやって立ち直ったんですか?」


「アジア諸国」の論調を除く世界の声を聞く限り、日本の国民は懸命な判断をしたといえそうです。

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2005年09月12日

愚者の落日

296議席とは驚きました。ぼくは直前に発表されたメディアの自民圧勝予測が、逆に揺り戻しに働くかと思いましたが、そんなことはありませんでした。ぼくとしたことが、メディアの力を買いかぶっていたのかもしれません・・・。

かろうじて当選した田中真紀子さんは、「メディアの怖さを感じた」とインタビューに答えていました。小泉自民に追い風となったワイドショー的報道にやられたということだと思います。

しかし、メディアにやられたという田中さんの認識は正しいのでしょうか?衆院解散直前、メディアには、解散になれば小泉政権は終わりだという空気が漂っていました。解散直後、岡田さんはこみ上げる喜びが止まらないといった様子で、今となっては冗談にもなりませんが、政権交代を本気で叫んでいました。なぜ野党はここまで劇的に空気を読み違えたのでしょうか?

小泉さんと、野党の「メディアの寵児」たちの最も大きな違いは、メディアへの向き合い方です。小泉さんは、新聞もテレビも話半分にしか信用していないようです。メディアの力を利用することはあっても、メディアに迎合しようとはしません。メディアがどれだけ「解散は自殺行為だ」と叫んでも解散を断行し、「今回の選挙は郵政だけではない」と訴えても、最後までぶれずに郵政一本で押し切りました。

ところが野党の人気者たちは、明らかにメディアの論調により情勢分析をして、メディア受けするパフォーマンスを狙っていました。だから岡田さんは解散直後に政権交代の可能性を直感し、田中真紀子さんは相変わらずの小泉叩きに奔走したのです。田中康夫さんの「チーム・ニッポン!」など、メディアに媚びた醜悪の極致です。

野党の人たちは、最初から最後までメディアを相手に選挙戦をして惨敗したのです。

1972年、当時の佐藤栄作首相は、退陣会見で新聞記者は偏向的だから信用しないと言い、新聞記者の退席した会見場で、テレビカメラだけに向かって会見をしました。それは、テレビを軸とするメディア時代の幕開けを告げる象徴的な出来事でした。それ以降、政治家は自立して考え行動するのではなく、新聞とテレビの論調を参考にして国民の意思をくみ取り、新聞記者とテレビカメラを通して国民に語りかける、メディアの操り人形になっていきました。

去年1月に書かれたJANJANのこの記事では、佐藤栄作首相のエピソードと小泉さんの態度を比べて、こう述べています。

小泉首相が全く分かっていないのは、自分がメディアの力で首相になったと言うこと。メディアを最大限上手に使ってこそ政権が維持できていること。メディア(国民)を敵に回すと只の国会議員の一人でしかないこと。自分はすでに物を正しく見る力がなくなってしまっていると言うことだ。


しかし小泉さんは生き残り、就任以来最も強固に権力基盤を固めました。1972年の出来事から30年あまりたち、メディア=国民である時代は終焉を迎えたのです。

昨夜TBSの開票速報を見ていたら、自民圧勝を伝える中、画面の上に視聴者のメール、ファックスによる意見をテロップで流していました。しかし奇妙なことに、それらの意見は、まるで自民が負けたかのように批判的なものが大半でした。これほど多くの人が批判的であるなら、一体誰が自民に投票したのか?これもまた、メディアと国民が乖離し始めていることの証です。

「メディアの怖さを感じた」という田中真紀子さんの言葉に、もし「メディアに振り回されて騙された怖さ」という意図が込められているなら、大した女性です。しかし彼女にそこまでのセンスを期待できるとは思えません。野党の人たちが、小泉のパフォーマンスに敗れたと考えている限り、彼らの再生はありません。民主党など、ますます混迷を深めて、早晩社民党並みの弱小政党に成り下がってしまうでしょう。愚かなことです。

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2005年09月11日

選挙徒然

今回の選挙は自民の圧勝などと予想されていますが、実際にどうなるかは、結果が出るまでわからないと思います。ただはっきりしていることは、日本という船は荒れた海に囲まれていて、どこが勝とうとこの国の国民を、決してバラ色の未来には連れていってくれないということです。

そしてもうひとつ、今回の選挙戦を通してわかったことは、非常に残念なことですが、「日本は一人前の民主国家ではない」という西洋インテリの使い古された言葉は、ある意味本当だったということです。

ぼくが言いたいのは、いわゆるワイドショー選挙のことではありません。テレビでワイドショー的におもしろ可笑しく選挙戦を伝えるのは確かに高尚なこととはいえません。でも、それは決して民主主義に反することではありません。民主主義とは必然的に衆愚政治という側面を持っていて、それは誇るべきことではないかもしれませんが、民主主義の一部であり、根絶することはできませんし、すべきでもありません。

それよりも問題は、インテリ評論家たちの態度です。今回の選挙は、衆院解散とともに小泉自民が風をつかみ、ワイドショー的報道の力を借りて一気に支持を広げました。その反動からか、その後はその現象を批判することがインテリのファッションのようになりました。

そこでやたらと良く聞かれたのは、「小泉支持者は催眠術にかけられている」とか「国民は洗脳されている」とかいうセリフです。

アメリカに財産をむしり取られるとか、小泉は独裁者だとかいう批判は、大げさで一面的ではあるものの、ある意味間違っていませんし、民主国家における舌戦としてありだと思います。しかしこれはいただけません。

自分と考えの違う人を、そうやって貶めるのはどこの国でも見られますが、それは誰にも相手にされないゴロツキの使うセリフであって、世間からインテリとして認められている評論家やジャーナリストや学者が使う言葉ではありません。なぜならそれは、民主主義というゲームを降りたという捨てゼリフに他ならないからです。

先に言ったように、民主主義とは衆愚政治の別名です。そんなことは遠の昔から批判されていて、それに代わるものとして共産主義や国家社会主義が生まれ、大失敗したのです。民主主義とは、このどうしようもない衆愚政治を受け入れて、少しでもよくしていこうと議論していくことです。

それなのに、こともあろうに言論で食べているインテリたちが、「洗脳」だとか「催眠」などという言葉を使って国民の動向を批判するなど、彼らは民主主義の何たるかを分かっていないと告白しているも同然ですし、そういう輩をありがたがるマスコミ、国民がいるこの国は、成熟した民主国家とはいえません。


さて、話は変わりますが、このブログを読んでいる人なら、ぼくがどこに投票するかは自明だと思います。それは当初から決めていましたが、実はゆらいだ時期もあります。小泉氏は救世主ではありません。

しかし、ある党首討論での1シーンを見て、気持ちは固まりました。それは政策についてのことではなく、とてもつまらないシーンです。

討論の司会者が、郵政改革法案の冊子を手にして、小泉さんに「これは全部読みましたか?」と聞いたのです。1000ページを超える、年鑑のように分厚い冊子です。郵政改革を旗印にして選挙に挑んだ党首としてどう答えるか?その時ぼくは、自分を彼に置き換えていました。そして迷いました。数字と法律用語ばかり羅列した冊子をすべて読み通すわけはありませんし、読んだところで無意味です。しかし彼は、まさにその問題を争点にして選挙戦を戦っています。一体どう答えるべきか?

ところが彼は即座にこう返答したのです。「全部なんて読むわけないじゃないですか!」

小泉さんにまかせようと思う人と、ダメだと思う人の違いは、結局はこの返答への見方で別れるような気がします。ぼくは前者です。もしそこで彼が言いよどんだり、「もちろんです」と答えていたら、考えを変えていたかもしれません。

さて、衆愚の一員として、投票に行ってきます。

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2005年09月10日

不気味なCM

夜暗い部屋でテレビをつけたら、不気味な映像が流れてきました。オータナティブ系の呪文のような音楽をバックに、「幸せ」とか「不幸」とか「怨念」だとか、大きなテロップが出ては消えます。

最後に「民主党」という文字が出てきて、ああ選挙のCMかとホッとしました。新興宗教のサブリミナルビデオかと勘違いするような、何とも薄気味悪いコマーシャルです。

民主党CF「みんなを幸せにしたい」編

出てくるテロップが多すぎて、1、2回見ただけではとてもメッセージを追えないのですが、民主党のサイトで何度かCMを見直したら、要するに「自分だけ幸せになろうなんて良くありません。そんなことではいつかしっぺ返しを食います。お互いに助け合ってみんなで幸せになりましょう」という、親が幼児に言い聞かせるような、あきれるほど健全なメッセージでした。

だからメッセージ自体は気味悪くも何ともありません(そんなことを大人に向けて訴えるのは別の意味で気味悪いですが)。しかしあのCMを見ていると、柱となるメッセージの脱力するほどの健全さと、無意識に訴えかけようとするサブリミナル的な演出が不気味なほどミスマッチで、とても不安で落ち着かない気持ちになるのです。

始めて見たときは、何か隠れた意図があるのかと、しばらく考え込んでしまいました。「みんなが幸せになればいい」と「そんな幸せは長く続かない」という二つのメッセージが妙に印象に残ったので、CM制作の受注を受けた会社が、八方美人的な民主党を茶化しているのかとすら勘ぐってしまいました。

あの呪文のようなBGMに何か意図が隠されているのかと耳を澄ませて聴いてみたら、どうやら次のようなことを唱えています。

I just care who you are. I don't care who I am. Just give it to me, give it to me. Just give it to me, give it to me...

大事なのはあなたがどんな人かってこと。わたしのことなんてどうでもいい。とにかくちょうだい、ちょうだい。とにかくちょうだい、ちょうだい・・・


まさかこれが隠れたメッセージなのでしょうか?ぼくは民主党を応援していませんが、こき下ろしたいわけではありません。選挙CMなんてどの党だろうと知れたものです。しかし、このCMは下手すぎます。下手すぎて他人事ながら苛々します。折角岡田さんが愚直なイメージでじりじり盛り返しているのに、なぜヤングに媚びようとして着慣れない服を着て格好を付けようとするのか。

寂しい町はずれに岡田さんが立ち、「民主党に力を貸して下さい!民主党は絶対やります。自民党じゃだめなんです。この国を良くできるのは民主党だけなんです。お願いします。私を信じて下さい!」とひたすら叫ぶ姿を見せる方が、ずっとシンプルで同情を誘い、かつ経費節減になります。

明日投票に行ったらフッと意識が遠くなって、気付いた時には投票を終えているという仕掛けだったらあっぱれですが。

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2005年09月09日

ヤラセの境界線

フジテレビの「めざましテレビ」でやらせがあったということです。

[フジテレビ]「めざまし調査隊」でやらせ演出

報道を読む限り、担当の外部ディレクターは確かにやり過ぎだと思います。ここまで大胆なケースはそうはありません。ただそれは程度の問題で、どこまでは許されて、どこから「過剰演出」なのかはとても難しい問題です。同業者のぼくとしては、厳しく処断された「外部ディレクター」の運命は、他人事ではありません。

ぼくがテレビ業界に入った10何年か前は、すでに「業界人」は傲慢だとあちこちから叩かれていました。ぼく自身、そういう社会のムードを共有しつつテレビ業界に入ったので、特に駆け出しの頃は、何よりもまず視聴者に誠実であろう、そうすれば視聴者はこちらを向いてくれるという、視聴者信仰に近いものを抱いていました。

ところがこれがうまく行かないのです。特に問題なのが、その頃急激に増え始めた視聴者参加型の番組を作るときです。最初の頃は、視聴者を信頼しさえすれば良い物はできるとナイーブに考えていたのですが、当然ながら一般の人たちはこちらの意図する通りに動いてくれません。かといって彼らのイニシアチブに任せれば、退屈なだけで感動のかの字もありません。

そうやって何度も視聴者に裏切られてわかったことは、本当に視聴者に誠実であろうとするなら、視聴者参加の番組など作ってはいけないということです。面白い物ができたとしてもそれはたまたまに過ぎず、どんなに入念に仕込みをしても失敗と隣り合わせで計算など立ちません。徹底して演出する覚悟がなければ、面白い視聴者参加モノを定期的に作り続けることなどできないのです。

だから、今回問題になったコーナーのように、視聴者参加で毎週おもしろいエピソードを作ろうと企画した時点で、すでにやらせへの種を蒔きまくっているのです。もしこれが大問題であるのなら、本来ならクビにされた外部ディレクターと一緒に、その上司もクビにされなければいけません。いや、上司たちの方がずっと罪が重いのです。

もし視聴者参加で毎週面白いエピソードを作れという上司の注文にこたえ、なおかつ演出を抑えて徹底して視聴者に誠実であろうとするなら、担当ディレクターは確実に過労で倒れます。寝ないで取材をしても、1週間に1本どころか、1ヶ月に1本でも確実に作れるとは限りません。無能の烙印を押されてクビになるか、無理をして倒れるか、これは、無言のうちにヤラセをしろと命令しているも同然です。

ここ数年アメリカでは、リアリティTVと呼ばれる、筋書きのないドキュメントバラエティが大人気です。「サバイバー」や「アメリカンアイドル」など、日本でいえば「あいのり」のような番組のことです。ところがこのリアリティTVに、作家組合がかみついています。

アメリカのエンターテイメント業界では、フリーで働く業界人たちの権利が組合によって守られているのですが、その作家組合が、リアリティTVの現場で働く脚本家たちに正当なギャラと労働環境の改善を要求して、組合発足以来の大キャンペーンを展開しているのです。

「筋書きのないドラマ」が脚本家を雇っているというのはおかしな話しですが、これは現実に行われていることです。各番組とも3人から7人の作家を別の肩書きで雇い(リアリティTVに脚本家はいてはいけないのです!)、組合が定める賃金より安く、過酷な労働条件で働かせているといいます。作家組合のサイトには、実際にリアリティTVで働いている作家たちの証言が載せられています。

しかし彼らの証言を読むと、妙なことに気がつきます。しっかりとした台本を作って撮影するという、バリバリのやらせを告発する証言もあるのですが、ほとんどの作家はそういうことを告発しているわけではありません。

たいして面白くないエピソードを、別の映像とインタビューの音声を無理矢理継ぎ足して面白く仕上げただとか、仕込みをする段階で作家としてのスキルを使っているだとか、密着ドキュメンタリーなどでごく普通に行われていること(外部ディレクターの立場からいえば、やらさられていること)を取り上げて、それは作家の仕事だと訴えているのです。これはもう、テレビのドキュメンタリーはすべて作り物だと言っているに等しいことです。

ドラマとリアリティTVの違いは、「登場人物」を演じるのが役者ではないということだけだ。(役者志願のものがたくさんいるが、それはまた別の話だ。)
ー 脚本家デビッド・ルーペルさん


今回クビにされた外部ディレクターのような大それたやらせをする図太さは、良くも悪しくもぼくにはありません。しかし、アメリカの作家たちの告発を読んでいてわかったことは、ぼくはディレクターというよりも、作家だったということです。

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2005年09月08日

現実主義者の至言

昨日のエントリーでは、中国の台頭に関するシンガポールのリー・クワンユー氏のインタビューを、100年前に勃興して、まわりを巻き込んで滅んだ国の歴史と合わせて紹介しました。

中国の危険を訴える人は、共産党独裁政権の人権抑圧と、沿岸部と内陸部の驚くべき経済格差を指摘します。一方で中国に親しみを感じる人は、沿岸部の繁栄と活力に溢れた民衆を見て、心配はいらないと訴えます。しかし、世界のパワーバランスを変えるほどに劇的に成長し、無批判に自信を深める若い国は、友好か敵視かという問題ではなく、どちらにしても危険であることに変わりはありません。

さて、リー・クワンユー氏といえば、シンガポールの「独裁者」です。リー氏は、シンガポールの政治体制について次のように述べています

シュピーゲル:あなたは西側の民主主義とは距離をとり続けてきました。アジアの将来は権威主義的統治にあると考えていますか?

リー:民主主義に反対しているわけではありません。イギリス人は、シンガポールを去る直前になるまで民主主義を授けてくれませんでした。しかし、彼らのやり方ではうまく統治できないので、シンガポールの民衆に合わせてシステムを変えたのです。他民族社会では、人は経済的利益や社会的利益を目安にして投票しません。民族と宗教を目安に投票するのです。もしここで民主主義を実践すれば、マレー人はイスラム教徒に投票し、インド人はインド人に投票し、中国人は中国人に投票することになります。議会は常に混乱し、多数派の中国人に妨害されて、問題を解決することはできません。だから私は、それを変える方法を見つけたのです。

シュピーゲル:それで、シンガポールを事実上の一党独裁国家にしたわけですね。シンガポールはリー家の家族企業だと批判されています。あなたの息子は首相で、あなたの義理の娘は強力な開発機構を率いています。

リー:そしてもう一人の息子はシンガポールテレコムのCEOで、娘は神経医学学会の会長です。シンガポールは人口400万人のとても小さな社会です。私たちは能力主義を実践しているのです。もしリー家が血統主義を始めたら、このシステムは崩壊します。もし私が首相でなかったら、私の息子は数年前に首相になっていたかもしれないのです。無能な肉親を要職につけるのは私の意思に反します。それはシンガポールと私の遺産への災難です。そんなことは許されません。


リー氏の発言の端々からわかるのは、彼は徹底した現実主義者だということです。リー氏のやり方は他の国に適用できませんし、ある意味リー氏は政治家とさえ呼べません。しかし、シンガポールという都市国家を早い時期から経済的繁栄に導いたリーダーとしての能力は確かです。そしてその眼力は、はっとするような示唆に富んでいます。

構造改革に苦しむヨーロッパの状況ついて質問された次の箇所を、ドイツを日本に置き換えて読んでみてください。

シュピーゲル:西ヨーロッパの社会は、グローバリゼーションの圧倒的な力の前に崩壊する可能性があると思いますか?

リー:いいえ。しかし10年間は非常に苦しむでしょう。そして最後に労働者たちは、好むと好まざるに関わらず気がつくでしょう。戦後に築き上げた居心地の良いヨーロッパは終わりを迎えたのだと。

シュピーゲル:どういうことですか?

リー:労働者が企業の役員と協力して、全員が幸せになるという社会は、次のような前提に基づいています。「私は一所懸命働いて、ドイツに富をもたらしている。だから国は私の面倒を見てくれ。私は毎年1ヶ月間バーデンバーデンで休む権利がある。」こういう古いシステムは、20億から30億人の人々がレースに加わったことで、一瞬にして崩壊したのです。10億人の中国人と、10億人のインド人と、5億人の東欧人と旧ソビエトの人々が加わったことで。

シュピーゲル:どうやって乗り切ればいいんですか?

リー:コール前首相はその問題に取り組み、途中まで改革したところでストップせざるを得ませんでした。シュレーダー現首相は改革を進めようとして、行き詰まって選挙に打って出ました。次はメルケルさんが改革を進めようとするでしょうが、周囲から袋だたきにされるはずです。しかしいずれにしても、そうやって少しずつ構造改革を進めていくことになるでしょう。

シュピーゲル:遅すぎると思いますか?

リー:遅いから苦しいのです。理性的な労働者であればわかるはずです。よし、これは避けようのないことだから、必要なことはサッと済ませてしまおうと。保養地で1ヶ月休むかわりに1週間で我慢して、同じ賃金でより多く働き、東欧人と競争し、新しいテクノロジーを開発し、研究開発によりお金をかけ、中国人とインド人の先を行けばいいのです。


政治家には口に出しにくい、ヨーロッパと日本が直面している問題の本質を、ずばり言い当てていると思います。

中国がこのまま成長するとすれば、ただ政治的に距離を置こうとしても、経済的に脱皮しなければ、圧倒的なパワーの前にいずれ屈することになります。逆に中国市場に目がくらんで中国にすり寄っても、あぐらをかいたまま楽に富を増やそうとすれば、やがて中国人に富を吸い取られてしまいます。郵政自由化をすると350兆円はアメリカに取られると言う人がいますが、自由化して努力しなければ、アメリカ人だろうと中国人だろうと、より多く働き、ハングリーな人たちに取られてしまうのは物の道理です。

国の庇護で今ある生活を守り、少しずつ国力をすり減らして10年後にやむを得ず厳しい現実に屈するのか、それとも余力がある今のうちに改革を済ませて、知力と体力を振り絞って働き、自分たちの力で積極的に富を増やそうとするのか、旧先進国の将来は、今にかかっています。

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2005年09月07日

100年前のドイツと今

シンガポールのリー・クワンユー上級相が、中国の台頭についてドイツ、シュピーゲル誌のインタビューに答えています。

今徐々に起きていることは、中国とインドを合わせて世界のGDPの40%を占めていた、19世紀初頭か18世紀末の世界バランスへの回帰です。この2カ国がグローバル化した世界貿易に組み込まれれば、世界のGDPにおけるかつての割合まで戻っていきます。

・・・中国の台頭を恐れるのは愚かなことです。それは起きることなのです。・・・もし中国が1949年に共産化せずに、国民党がアメリカと協力していたら、アジアの大国は日本でも韓国でも香港でもシンガポールでもなく、中国だったでしょう。アジアの発展が辺境から起きたのは、中国が門戸を閉ざしていたからなのです。

中国とアメリカの覇権争いについては、こう述べます。

彼らはライバルですが、必ずしも敵同士ではありません。中国は、周辺国が友好的であるようにエネルギーと時間を費やしてきました。ですからロシアと和解しましたし、インドとも和解しました。中国はインドと自由貿易協定を結び、お互いに学んでいくことになります。南シナ海の油田については、フィリピン、ベトナムとの争いを避け、共同開発と利益分配に合意しました。インドネシアとは、相互貿易と技術交換のために戦略的合意を結びました。

・・・中国はアメリカの同盟国に包囲されていることを十分意識しています。しかし彼らはうまくそれに対抗しています。現在韓国は中国に最も多くの留学生を送っています。韓国人は中国に未来を見ているのです。ですから、明確にアメリカ側に立っているのは日本だけです。他の国々は、中国に対して中立か友好的です。


リー氏は、北京、デリー枢軸によるアジアの未来を必然的なものとして見ています。そして、そこで指導的な地位に立つ中国という国家を、手放しではないものの、極めて楽観的に見ています。

楽観的といえば、以前このブログで紹介したシンガポールの思想家、キショール・マブバニ氏のコラムも、中国を中心としたアジアの将来に極めて楽観的でした。

アジアの台頭を決定的にしたのは、同時に起きた中国とインドの成功だ。両国の政治的指向は全く違う。インドは民主国家で、中国は共産党の支配を堅持している。しかし、自由経済原理の受け入れにおいて、同じ経済的土台を共有している。今日の中国とインドは、特に若い世代において、文化的自信において連帯している。両国の若い世代は、ここ数世紀で最も楽観的だ。彼らがその社会と世界にもたらす活力とパワーは、誰にも止められない。


上海の摩天楼に、活気溢れる人々。中国の急発展は、見る者を幻惑します。外国人にここまで言わせる漲る自信と楽観的な空気は、バブル時代の日本にもありませんでした。しかし、中国のように急発展した例は、近代以降の歴史において初めてのことではありません。

現在の中国の状況に極めて良く似たケース、それは、100年前のドイツです。

19世紀後半に、幾多の屈辱を乗り越えてようやく国民国家として統一した頃のドイツ人は、自らを Herzvolk Europas =「ヨーロッパの中心の民」と称して、ヨーロッパ大陸の主役となる気運に溢れていました。

ドイツの経済発展はすさまじく、1870年代にはイギリスの4分の1に過ぎなかった鉄の生産量は、1914年にはイギリス、フランス、ロシアを合わせた量にまで増加。石炭の消費量は、1861年から1913年にかけてイギリスで2.5倍の上昇に留まったのに比べて、同時期のドイツでは実に13.5倍も上昇しました。各種工業製品の製造に必要な硫酸の生産量は、1900年にはイギリスの半分だったのに、1913年にはイギリスの1.5倍に急伸。1913年における電化製品の生産量はイギリスの2倍、フランスの10倍で、電化製品の輸出額はアメリカの3倍と、ほんの2、30年のうちに、後進国からヨーロッパ最大の工業国に急成長しました。

当時のドイツは、こうした世界の工場としての役割だけでなく、科学分野において次々と新技術を生み出していたことからして、現在の中国をも凌駕するインパクトを持っていたと言えます。

当時のドイツと中国の相似点は、経済発展だけではなく、政治状況にも見いだせます。

19世紀後半のドイツは、鉄血宰相ビスマルクの下、体制に批判的な勢力を厳しく取り締まりました。そして外交では、周辺諸国と巧みな条約を結び、大国との戦争を避けて国力を充実させることを優先しました。

ではそんなドイツはその後どうなったのか?ご存じのように、平和的に発展して「ヨーロッパの中心の民」として世界に覇を唱えることはありませんでした。

その後のドイツとヨーロッパの運命を決することになる、1914年の夏に勃発した第一次世界大戦は、世界制覇の野心を抱いた政治指導者の火遊びではありません。第二次大戦を超える悲惨さで、ヨーロッパ人の世界観を一変させたといわれる大戦争を引き起こした最大の要因は、楽観的で自信に溢れたドイツ民衆のムードでした。

(開戦の)35年後、ドイツ歴史学の重鎮、フリードリッヒ・マイネッケは、あの8月のムードを思い出して体を震わせ、その後に続く災難にもかかわらず、あの日々は恐らく人生で最も美しい日々だったと告白した。


先に紹介したリー・クワンユー氏は、第二次大戦のドイツと日本の失敗に学んでいる中国の指導者たちは、少なくても今後4、50年間はアメリカと事を構えようとはしないと断言します。しかし、ただひとつ不安要素があると言います。

次の世代がこの方針をとり続けるかはわかりません。15年か20年後、彼らはすでに筋力は十分だと感じるかもしれません。指導者の気持ちは計算できますが、民衆のムードは別の話しです。すでに共産主義の理念は民衆を束ねる力として存在せず、愛国心と国粋主義が跋扈しています。反日デモを見ればそれは明らかです。


中国と100年前のドイツの比較は、もちろん良く似ているというだけのことで、それ以上の意味はありません。しかし、時代を変えた大戦争は、世界征服を企む国家指導者の野心や屈折した情念ではなく、楽観的で自信に溢れ、物質的に満ち足りた民衆により引き起こされたことを、忘れるべきではありません。

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熱狂する志願兵 ー 1914年夏

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2005年09月05日

中国主席訪米延期の背景

ハリケーン、カトリーナの影響で、今日から行われる予定だった、中国の胡錦涛国家主席のアメリカ訪問は延期されました。朝日新聞は、このニュースを以下のように伝えています。

米中首脳会談を延期、国連総会期間中に 米側が復旧優先


 ブッシュ米大統領と中国の胡錦涛(フー・チンタオ)国家主席は3日朝(日本時間3日夜)電話で協議し、5日から8日までの日程で予定していた胡主席の米国訪問を延期することで合意した。米南部で大型ハリケーンによる甚大な被害が出ており、ブッシュ大統領は被災地への救援を最優先する必要があると判断した。胡主席は国連総会演説のため今月中旬にニューヨークを訪れる予定で、両首脳はその場で会談することに合意した。

 ホワイトハウスや中国外務省の発表によると、ブッシュ大統領は胡主席に対し、適切な時期に米国を改めて訪問するように要請。米中両国が協調関係を築くよう努めることで一致した。ホワイトハウス高官は国連総会にあわせた会談について「やや長めになるだろう」と話し、首脳会談の延期に配慮したものになると指摘した。

 中国はハリケーン被害に対して500万ドルの支援を決めており、ブッシュ大統領は謝意を表明した。胡主席は「中国国民は米国国民とともにいる」などと述べた。

 7日に予定された首脳会談を延期したブッシュ大統領は5日に被災地のルイジアナ州やミシシッピ州を訪問する予定だ。救助や支援活動の遅れが目立ち、ブッシュ大統領に対する批判が強まっている。

 対中貿易赤字の増加などで議会を中心に中国に対する見方が厳しさを増していることもあり、米側はこの時期に米中首脳会談を開くのは適切ではないと判断した模様だ。


今ブッシュがハリケーンで手一杯なのは確かです。しかし、訪米に乗り気な胡錦涛に対して、トラブル続出のブッシュが頭を下げて延期をお願いしたかのようなこの記事は、真実を伝えているのでしょうか?

「対中貿易赤字の増加などで議会を中心に中国に対する見方が厳しさを増して」いて、今首脳会談をしても実質的な成果が期待できないのは、何も昨日今日言われ始めたことではありません。しかもボールは中国側にあり、解決策を示せないことでより痛手を被るのは中国の方です。

それでも中国が胡錦涛の訪米を進めてきたのは、ただただ象徴的な意味合いからです。中国にはアメリカの敵になる意図はないとアメリカ人にアピールし、超大国との友好ムードを醸し出すことで国内外に向けて中国の威信を高める。それが中国の意図でした。

そんな中国が、胡錦涛の訪米にあたって最も強くアメリカに求めていたこと。それは、実に中国らしい話しですが、大国の指導者に相応しい手厚い待遇でした。VOAのまとめ記事によれば、中国側は、国賓待遇を求めて何ヶ月もの間アメリカ側と折衝してきたといいます。

しかし、まさにこの点において、アメリカは譲歩しませんでした。日本ではほとんど報道されていませんが、8月下旬にアメリカは、胡錦涛の訪米は「公式訪問」= STATE VISIT ではないと宣言したのです。国賓歓迎の儀礼である21発の礼砲と赤絨毯こそ用意するものの、あくまで公式訪問ではなく、晩餐会は行われません。

当初アメリカは9月下旬に小泉首相の公式訪問を招請しており、結局これは日本側が選挙絡みで断ったのですが、中国の主席を「非公式」に受け入れた直後に日本の首相を国賓として招き、アメリカ政府の立場を明確にするという意図があったと思われます。

馬鹿げた話しですが、外交とはこういうものです。特に中国のように権威主義的な国家にとってはメンツこそ最も重要であることを、アメリカは良く知っているようです。胡錦涛訪米に向けた中国の新聞が、「アメリカ、カナダおよびメキシコを公式訪問し・・・」と偽りの情報を流し続けていたのは、中国のジレンマを良く表しています。

関係が悪化する中で、最高指導者に国賓待遇すら与えようとしない国にのこのこ出かけていくなど、まるで怒られに行くようで、中華帝国のメンツ丸つぶれです。訪米を延期するいい口実を見つけられて、中国はホッとしているはずです。

それにしても、このニュースに関して、アメリカ側から訪問延期をお願いしたかのような伝え方をしているのは、世界広しといえども朝日新聞くらいなものです。両国の首脳は、電話会談を通して訪問延期に合意したに過ぎません。なぜこんな所でさりげなく中国のメンツを立てようのするのか、そんなことをして何になるのか、真意を測りかねます。

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