硫化水素の製造を誘引する書き込みは「有害情報」、警察庁が削除要請へ
08年5月1日 Internet Watch
まるで放火犯が、「燃えるものがあるからいけないのだ!」と主張して、無罪放免になるような事態です。確かに可燃物があちこちに転がっているのは安全上好ましいことではありませんが、一番いけないのは放火犯です。その犯人が無罪放免されるどころか罪を犯した意識さえなく、逆に「ネットは危険だ!」と訴えて告発する側にまわっているのですから空いた口がふさがりません。
以前のエントリーでも少し触れましたが、いわゆるネットの危険というものは、ほとんどの場合実はマスメディアが潜在的に持つ危険性がネットの登場により表面化しているにすぎません。
今回の硫化水素騒動の場合、マスメディアが「硫化水素発生の情報をネットで見て自殺した」と伝えれば、少なく見積もっても数百万人がネットで検索して硫化水素の発生方法を知り、さらにそれを口コミで伝播していくことになります。マスメディアが発生方法を隠しても、事実上発生方法をばらまいているのと同じことです。
マスメディアの群集心理に火をつける力は昔からありましたが、ネットの登場により、その危険性が瞬時に、よりはっきりとした形で姿を現すようにようになったのです。
しかしここでひとつの疑問が頭をもたげます。マスメディアが自らの危険性を自覚して自己検閲しなければいけないのだとしたら、情報媒体の体をなさないではないか?という疑問です。
そう、それでは情報媒体として失格です。しかしそれは、自己検閲するしないには関係ありません。そもそもマスメディアの発する情報は、そのあまりに過剰な露出により、発信する情報の質や真贋に関係なく、もはやただの情報とは違う、別のものなのです。
その自覚を持たないマスメディアは、社会を混乱させ人を殺します。今回の硫化水素騒動も、これで幕引きにはならないはずです。嫌な予想ですが、たぶんそのうち、大勢の人が命を落とすことになります。そして社会的なヒステリーの中、強力なネット規制が実施されるのです。
でも犯人はネットではありません。むしろ、個々の情報発信者が過剰な露出を持ち得ないネットという環境は、マスメディアといういびつで危険な20世紀的システムへの解毒剤であるはずです。真犯人は、マスメディアというシステムであり、その凶暴な姿を、ぼくたちは目の当たりにしようとしているのです。