2008年05月03日

衰退する既存メディア

ABC協会によるアメリカ主要紙の最新発行部数が発表されましたが、3月31日までの半年間で3.5パーセント下落して、1946年以来となる5千万部に落ち込んだそうです。1946年というとベビーブーム前ですから、新聞を読む人の割合は、1946年の半分に減ったことになります。

ニューヨーク・タイムズ 1,077,256 (-3.8%)
ワシントン・ポスト     673,180 (-3.5%)
ロサンゼルス・タイムズ 773,884 (-5.1%)
ボストン・グローブ    350,605 (-8.3%)
→参考(英語)

という具合で、どこもきれいな右肩下がり。このままのペースでいくと、10年後の部数は現在の4分の1程度まで下がり、職員の3割から4割の解雇は免れないという声も聞かれます。

日本の新聞は国家に保護されており、いぜんとして部数の水増しによる広告費搾取も横行しているようなので、アメリカのように危機的状況ではないでしょうが、産業革命時代の手工業者のような立場であることは変わらないはずです。

それはテレビ業界も同じです。新聞の凋落は、ブログ文化が本格化した2003年に加速しましたが、テレビ業界の場合は、ユーチューブがブレークした2006年頃からがらりと空気が変わりました。

斜陽産業の空気というのは、ただの不景気とは違います。90年代のバブル景気崩壊のときは、できない人間をゴミのように排除しようとする一方で、できる人間をヘッドハントするような新陳代謝が見られました。しかし今は、できる人間を煙たがり、できない人間が、さらにできない人間をまわりにおくことで生き残りを図るような、そんな傾向があります。

歴史ものなどを読んでいてもそうですが、崩壊に瀕した組織というものは、どこもそんなものなのかもしれません。

日本のテレビ局は国家に保護されていますし、著作権という城壁もあります。しかしどんなにテレビに甘いアナリストでも、5年後、10年後にテレビにまわる広告費が横ばいだと予想する人はいないでしょう。テレビ業界のパイは小さくなり、醜悪な生存競争が激化していくことになります。

新聞やテレビは、他の産業とは違います。人々の精神に大きな影響力を持つ、いわば20世紀の教会です。そんな組織のすさんだ空気は誰にとっても他人事ではなく、必ずや社会全体に伝染します。その挙句何が起こるのか考えるとぞっとしますが、21世紀はその先にあるに違いありません。

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