2008年05月08日

パンダとピンポン

日本には国交正常化直後の 72 年 10 月に蘭蘭(ランラン)と康康(カンカン)が来日以来、北朝鮮(5 頭)に次ぐ(!)累計 4 頭のパンダを中国から受け入れているが、贈呈を受けた 70-80 年代に比べて最近の日中関係はスムーズではない。パンダに代わって、最近の日中友好大使は、すっかり卓球の福原愛ちゃんとなった感もあるが、できれば複雑な両岸・および日中関係はパンダや愛ちゃんは巻き込まずに改善していきたいものだ。


引用したのは、三井住友銀行「SMBC China Monthly」2005年9月号の一節です。それから2年半、筆者の思いもむなしく、日中関係はパンダや愛ちゃんを思い切り巻き込みました。

それにしても、今の時代にパンダ外交やピンポン外交だなんて、日本もなめられたものです。もしこれがアメリカやヨーロッパなら、少なくても各マスコミはここぞとばかりに皮肉の腕を競うことでしょう。

70年代の米中ピンポン外交の主役となった2人の卓球選手は、1人はその後政治に翻弄されて社会的地位を失い、1人は精神を病んで亡くなりました。政治は機を見てあらゆるものを利用しようとしますが、利用された側を待つのは、悲惨な末路ばかりです。

パンダやピンポンがこれみよがしに持ち出される状況を喜ばしいことのように受けとるのは、21世紀に生きる正常なセンスの持ち主がとるべき態度ではありません。ここは、悲しんだり、噴出したりするところです。

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ところでぼくは幼い頃に、上野動物園にランランとカンカンを見にいった記憶があります。ブームの絶頂で、寒い時期でしたから、72年から73年にかけての冬のことだと思います。パンダ舎の前で立ち止まることは許されず、通り過ぎる30秒ほどの間に、父に持ち上げられてなんとかこの目でパンダを見ようとしましたが、結局透明な仕切り板と、人々の頭しか見えませんでした。以来30年以上上野動物園に行ったことはありません。

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