2008年05月22日

「キレイごと」

有識者やマスコミ関係者で構成するNPO「地球を考える会」が福田首相と会い、「地球愛」を訴えたといいます。

地球を考える会首相に温暖化対策提言
イザ 08年5月21日


このはなしを聞いてなぜか思い浮かんだのは、31年前の日航機ハイジャック事件です。獄中の仲間の釈放と、身代金の支払いを要求した過激派グループに、福田首相の父である当時の福田赳夫首相は、「人ひとりの命は地球よりも重い」と述べて屈服したのでした。

当時小学生だったぼくは、その後ことあるごとに学校の先生に、「一人の命は地球よりも重い」という言葉のすばらしさを説かれました。子供ながらに(誰か大人にそう吹き込まれただけかもしれませんが)、「そんなわけない。そんなのキレイごとだ」と思った記憶があります。

しかしながら今、「一人の命は地球よりも重い」などと言えば、それは人間の傲慢だと考える人はいても、「キレイごと」と受け取る人は少ないのではないかと思います。

今も当時も人命の尊さはあまり変わりませんが、尊さを現すために、他の動物とか地球と比べて上だというのは、今では良識に反する認識のように聞こえます。環境意識の高まりで、それこそ「地球愛」というような言葉が「キレイごと」の地位に昇格したために、「一人の命は地球よりも重い」という言葉は「キレイごと」になりえなくなったわけです。

福田父が首相のとき口にした「キレイごと」は、息子が首相になる30年後の「キレイごと」に否定されてしまったということです。

「キレイごと」というのはどの時代にもあり、何が「キレイごと」であるかは時代とともに移り変わります。しかし、例えそれが相反する内容であっても、「キレイごと」を口にする人たちは同じです。



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