2009年05月28日

空気を利用する人々

政治家の加藤紘一氏が、「新自由主義」とか「小泉構造改革」を批判した本を出したそうで、先日テレビで、その顔である竹中平蔵氏と討論していました。

加藤さんほどの、知識人を自認し、知識人としての経歴を持ち、また知識人でなければならない立場の人の主張ですから、さぞかし含蓄のある主張をして竹中氏と渡り合うのかと期待していましたが、暴挙大掲示板の書き込みと同じレベルであきれ果てました。

加藤氏といえば、軍靴の音に敏感で、偏狭なナショナリズムの復活、戦前への回帰に警鐘を鳴らし続けている良心的政治家のひとりです。しかしこういう風景を見ていると、ぼくのような愚鈍な人間には、彼はいつか来た道を、一歩も踏み外さないように律儀にトレースしているようにしかみえません。


第二次大戦を引き起こした主因に、1929年10月に起きたウォール・ストリートの株暴落を契機におきた、世界恐慌があります。教科書などでは、「大恐慌による社会不安により、軍国主義やナチズムが台頭した」というようにサラリと紹介されるだけで、これだけ読むと、「昔の人はバカだな」で終わりです。しかし当時の人たちは決して知的に劣っていたわけではなく、そこには、軍国主義やナチズムに抗えない“空気”があったのです。

じゃあそれがどんな空気だったのかというと、“100年に1度の金融恐慌”に見舞われている現在をより濃密にしたような、そして加藤紘一氏のような人が跳梁跋扈しまくるような、そんな空気だったわけです。


世界恐慌が起きた1929年を、金融恐慌が本格化した去年に置き換えて、その前後に何が起きたか見てみます。

1996年 世界初の共産国家ソ連誕生
2001年 イタリアでファシスト政権誕生
2008年 ウォール街で株大暴落
2010年 満州事変
2011年 米大統領選でルーズベルト勝利→ニューディール政策
      オタワ協定→英連邦のブロック経済化
2012年 ドイツでナチス政権成立

すごい状況です。96年に史上初の共産主義政権が成立すると、続いてイタリアで共産主義から派生したファシスト政権の誕生。富も夢も国家が与える全体主義で、実際にイタリアは生き生きと輝きはじめたように見えます。そして訪れた世界恐慌。各国が混乱に陥る中、ソ連は無傷で、まさに「資本主義(笑)」。それに追い打ちをかけるかのように、自由の国アメリカはニューディールの名の下に自由を捨て、広大な領土を抱える英連邦はガチガチの保護貿易を導入。最後の仕上げはナチスで、国家社会主義でドイツは不況を完全に克服したどころか、力と希望にみなぎりまくり・・・。

こういう空気の中、「資本主義は時代遅れ。自由主義者は売国奴。未来は全体主義にあり!」とただただ叫ぶ、“加藤紘一”が大量発生したことは言うまでもありません。そして日本は、国家統制を刻一刻と強め、ルビコン川を渡るに至ったのです。

今から見れば、すべては幻でした。ソ連はシステム的にとてつもない矛盾を抱えており、ファシズムは空前のバラマキであり、戦争による借金踏み倒しと掠奪を前提とした体制でした。またニューディールはほとんど機能せず、米の本格的景気回復は、戦争による他主要国の経済的壊滅を待たねばなりませんでしたし、英連邦のブロック経済は、持たざる国を戦争へとせき立てただけでした。


後世の人間には少し考えれば推察できるこうした帰結も、その時代の中に生きる人々にはとても難しいことで、時代の空気の呪縛がいかに強いものかは、今、加藤紘一氏のような人が続々現れているのを見れば想像できます。

過去の過ちを繰り返してはならぬというのであれば、こういう状況において空気に流され、あるいは空気を利用して利を得ようとレッテル貼りするようなことをすべきではないと模範を示すべきだと思うのですが、まあ、「日本、中国、朝鮮が団結して米との最終戦争に備えるべし!」という哲学を持ち、満州事変を主導した石原莞爾の親類である加藤紘一氏としては、21世紀版の満州事変を待ち望んでいるのかもしれません。

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2009年05月25日

特殊な時代の終わり

坂本龍一氏がインタビューでこんなことを言っていました。


−−CDが売れない時代。「音楽業界の軸足はライブ(公演)に移っている」と最近の取材に答えていましたが…

坂本 もともと昔は(音楽家は)食えなかったでしょ。

−−昔の音楽家にはパトロンがいましたよね

坂本 20世紀の約100年間が特殊な時代でね。結局、元に戻ったみたいなもんですよ。(音楽家にとって)結局まだ、お金になるのはライブじゃないですか。エジソンが(蓄音機を)発明する前は、音楽は全部ライブ。むしろ、健全な姿に戻っているのかもしれません。

【話の肖像画】音楽は自由にする(下)音楽家・坂本龍一(57)


「20世紀の約100年間が特殊な時代」。ぼくもそう思います。

坂本氏がどういう経緯でこういう見方に至ったのかしりませんが、ぼくの場合は、マスメディアの中で生きてきた人間として、マスメディアについて考えるうちに、同じ結論に至りました。

かつては、マスメディアは旧メディアであり、インターネットという新しいメディアに飲み込まれるという程度の認識だったのですが、最近は、マスメディアは旧メディアではなく、欠陥メディアであり、人類史の中に登場した鬼子のような存在であり、インターネットの普及により、ようやく正常に戻りつつあるのだと考えるようになりました。

そして、マスメディアの時代とはいつだと考えると、それはまさに20世紀であり(印刷術の進歩により、新聞が大衆に急速に普及したのは19世紀末。ラジオの登場は1920年代で、テレビ放送は1950年代に始まりました)、20世紀を一言で定義しようとすれば、マスメディアの時代というしかないほどに、マスメディアに翻弄された時代だったわけです。

したがって20世紀は、19世紀を受けて21世紀へとつながる時代ではなく、人類史における奇形、まさに特殊な時代と認識すべきなのです。



人類の歴史を俯瞰してみれば、情報の伝達というのは、送り手と受け手の立場が対等なのが基本でした。対話、手紙、サロン、カフェ、同人誌的な情報誌を軸とした意見の交換、観衆と演者がインタラクティブにからむ劇場・・・。そうした情報伝達の進化は、本来ならば送り手と受け手がともに力を拡大するような形でなされなければならないのですが、マスメディアというものは、情報の送り手のみの力を拡大した集権的システムで、従来の情報伝達手段とは似て非なるものです。

いわばこれは、人間社会の神経ともいえる情報メディアの邪進化というべきかもしれません。そしてそれは、社会のあり方をがらりと変えました。19世紀末から20世紀初頭にかけて登場した思想家たちの鳴らした警鐘と、失われた“昨日の世界”へのまなざしは、単に変化への怖れや郷愁では片付けられないレベルで、時代の断絶がどれほどのものだったのかを想像させます。

やがて社会は、マスメディアというシステムの必然的結果である全体主義を生みました。そしてそれが、ナチズムやソビエトの崩壊で終わったことなのかどうかは、この世界の外に出てみなければ、見えないことです。

そう考えると、マスメディア崩壊後の世界は、なかなか輝いて見えます。

マスメディア側からなされるネット批判の要は、「マスメディアという見識フィルターを経ない大衆の意見交換など便所の落書きにすぎず、社会をカオスに導く」というものですが、ぼくでもあなたでもない顔のない「大衆」は、マスメディアの隆盛とともに19世紀末に生まれた、実はマスメディアそのものです。であるなら、マスメディアの消滅とともに、大衆も消滅してしまうのではないでしょうか?(インターネットは“顔のない衆愚の集まり”というようによく指摘されますが、ネットの顔なしが三面記事的なら、マスメディアにより引き起こされた20世紀の顔なしには、より根源的な深刻さがあります)

マスメディアが去った後、再び人々は19世紀以前の人類がそうであったような健全な神経でつながり合い、例えば20世紀前半の思想家オルテガが、大衆社会のもとで失われると指摘したものを取り戻すことができるかもしれません。

大衆は、すべての差異、秀抜さ、個人的なもの、資質に恵まれたこと、選ばれた者をすべて圧殺するのである。みんなと違う人、みんなと同じように考えない人は、排除される危険にさらされている。

大衆の反逆 1930年



そんなバラ色なと思われるかもしれません。でも、マスメディアに染め上げられる前の世界には、そうしたものが存在していたのです。

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2009年05月22日

インフル騒動についての私考

昨日、久しぶりに夕方のテレビニュースを見たら、東京で感染した2人の女子高生の空港から自宅までの足取りを、微に入り細に入り追跡報道していました。女子高生が下車した駅からレポートして、「マスクをしている人は2割程度しかいません!」と、人々の“危機感のなさ”に警鐘を鳴らしていました。

一方、日本よりも発症者が多いアメリカやヨーロッパでは、煽りを本業とする大衆紙でさえネタにならないと判断したようで、今や関連記事を探すのに苦労するほどです。

この温度差はどこから来ているのでしょうか?

「日本人は、他国人に比べて潔癖で、安全にこだわる性分だから」などといえば、今回の世界で突出した反応も理解できるような気がしてきます。

しかしそういう説には、たいした説得力はありません。

日本人が特別潔癖で伝染病に対して敏感であるならば、なぜ毎年1万人くらい死んでいる通常のインフルエンザをこれまでさほど気にせずに過ごしてきたのか?そして、毎年3万人あまりの発症者を出して、先進国中突出した結核大国のひとつに数えられて平然としているのか不思議です。

結核は、しばらく前に芸能人が発症してニュースになりましたが、とても恐ろしい伝染病です。昔とは違い不治の病でなくなったとはいえ、一度発症すれば10人に1人くらいの割合で命を奪われ、治療にも長い時間がかかります。また決して感染しにくい伝染病というわけではなく、インフルエンザ同様飛沫感染しますし、健康な保菌者からも感染する危険があり、そして日本には保菌者が何百万人もいて、街中をうろうろしているのです。

でも、たいていの日本人はそんなことを気にせず、デパ地下で試食品を食べ、パン屋でむき出しのパンを買い、回転寿司で流れてきた寿司を食い、ラーメン屋の窮屈なカウンターで見知らぬ他人と並んで麺をすすります。日本人が特別潔癖で伝染病に神経質なのであれば、ありえない習慣です。

また、感染の拡大を防ぐには「人ごみを避ける」のが一番なのはよく知られていて、今回日本人が感染を恐れてマスクの装着に固執するのは、日本が過密で人混みを避けられないからだともいわれていますが、それもおかしな話です。

日本は古来から伝染病のない無垢な国ではなく、結核はもちろん、数々のアウトブレークを何度も経験してきました。にもかかわらず都市への人口集中を見直そうともせず、各国に先駆けてフレックスタイム制を導入するようなこともなく、世界でも特異な満員電車による一斉通勤体制を構築し、それを何十年も放置してきたのです。むしろ伝染病に無神経な態度とさえいえます。

やはりこの国は、今回の件に対しておかしな反応を見せているのです。

その理由として考えられるのは、まず、担当大臣の「水際」をむやみに強調した方針立てです。水際という概念は、内と外、自と他を区別します。この手の伝染病を水際で止めることは、日本の交易レベルを考えれば、それこそ関西で発生したインフルエンザを水際で止めるというくらいに途方もない作業であるはずなのですが、状況をそう規定した上に、「国民が一丸となって協力をすれば、この目に見えない敵であるウィルスとの戦いに必ず勝てると思っていますので、是非オールジャパンで、全員の力を合わせてウィルスと戦いたい」などとナショナリズムに訴えることで、内と外、自と他の区別をより強調しました。

こうした構図の上では、海外に出かけて感染した人間は“非国民”になります。遊びで海外に行き、その後熱が出た人などは、非国民扱いを恐れてあえて当局に申請しない人も多いと想像します。

そしてマスコミ、とくにテレビです。

テレビというのは映像で伝える媒体ですが、実は伝染病を表現する映像は限られています。一目で伝染病を印象づけられる映像は、マスク姿くらいしかありません。だから誰もマスクをつけていなくても、マスク姿の人ばかりを探して収録し、伝えるレポーターもマスクをつけて、映像で語ろうとします。マスコミの中には当然、「こういう見せ方はパニックを煽るばかりでマイナスかもしれない」と感じる人はいますが、そういう疑問は、「マスク姿を見せつけることで大衆にマスク装着をすすめることはいいことのはず」という言い訳の前に思考停止してかき消されます。見ている方は、マスク姿しか印象に残らず心穏やかでありませんが、レポートの最後に、「みなさんくれぐれも冷静に。そして、正確な情報を得ることを心がけてください」とでも付け加えれば、テレビマン的には責任回避完了です。

こうしてマスクは、“安全な内”と“危険な外”を隔てる対インフル戦争の象徴となり、マスクをしない人もまた、非国民候補になります。各企業は、社員に感染者が出た場合の責任回避のために社員にマスクを配布したりしてマスクマンを大量生産し、これをまたテレビが伝えるというパニックの再生産。

巷ではマスク不足が深刻化しているという報道もありますが、こういう形で医療器具が不足したり、感染パニックで医療システムがパンクしたりすれば、インフルエンザ以外の病気に苦しむ人たちの命を危険にさらしかねません。マスク装着は完全に無意味ではなく、感染の広がりをいくらかでも抑える効果があるのに違いありませんが、みんなのためを思うのであれば、健康な人はあえてマスクをしない勇気も必要ではないかと愚考します。

とにかくマスコミというのは、「靖国」だの「南京」だの、一部のアジア諸国がかかわる歴史認識に関してはやたらとナショナリズムを警戒してみせますが、それは所詮ポーズだけで、エクスキューズさえあれば、大衆を惹き付ける偏狭な排外的態度を煽ることに躊躇しません。それは、マスコミの宿命であり本能です。

清潔好きだけれど神経質なまでに潔癖というわけではなく、自文化に対するプライドが高いけれど外の優れたものには寛容というように、何事にもガチガチでない柔軟さが、日本の強さだとぼくは思います。マスコミと、マスコミから生まれた大臣のコラボレーションにより引き起こされた今回の“メディアインフル”を通じて多くの人が免疫をつけ、居心地のいい日本が戻ってくることを切に願います。

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2009年05月21日

Safety Dance

高校生の頃夢中で聴いた曲。今の日本のバックグラウンドミュージックにぴったりです。



踊れ踊れ安全ダンス。
踊らないやつは友だちじゃない。

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2009年05月01日

水際作戦

1943年の初夏、第二次大戦で敗退を続けるイタリアの独裁者ムッソリーニは、「連合軍のイタリア上陸は水際で食い止められるだろう!」と豪語しました。しかしその演説が発表されたときには、すでに連合軍はイタリアの本土であるシチリア島を進撃中で、ムッソリーニの面目は丸つぶれになりました。「水際の演説」で知られる有名なエピソードです。

最近、豚インフルエンザに関連して、「水際作戦」という言葉をよく耳にします。ウイルスの拡大を、日本国内に入る前に水際で止めようというわけです。空港では、メキシコからの便に対して厳重な検疫対策が取られているようです。

なるほど、伝染病の拡大を抑えるには、水際作戦に勝るものはないように見えます。上陸されてしまえばある程度の被害は避けられないし、根絶するのは困難になります。ならば敵が脆弱なうちに叩くというわけで、それが一番簡単かつ確実であるように思えます。しかしながら、伝染病も、戦争も、水際作戦ほど簡単そうでいてうまくいかないものはありません。

「水際の演説」と同様に、「上陸してきたら大西洋にたたき落とす!」と自信を見せていたドイツも、ノルマンディで大軍に上陸を許すなど、戦争で水際作戦が成功したのは、それこそ遙か昔の元寇くらいなような気がします。しかも神風の助けを借りて。

というように、滅多に成功しない水際作戦ですが、戦争における水際作戦でなにより特徴的なのは、上陸を許してしまうととてももろいということです。イタリアもドイツも、水際作戦に失敗したあとは、1年ともたずに白旗をあげています。敵を水際で止めるためには、長大な海岸線に大軍を貼り付けておかねばならず、そのため一度上陸を許してしまうと、敵の侵攻を食い止めるだけの予備兵力が不足し、いいようにやられてしまうのです。

もちろん、成功すればそれに越したことはない水際作戦のために海岸線に大軍を並べ、かついざというときのために十分な予備兵力も後方に温存しておければいいのですが、どんなに強大な国家でも、そこまでの余裕はありません。限られた予算、資源、マンパワーの中から優先順位をつけてやりくりせねばならず、だからこそ、「あっちを立てればこっちが立たず」で、水際作戦を優先して失敗してしまうともろいのです。

今回のインフルエンザ騒動で、政府はとてもよく仕事をしているように見えます。WHOによれば、「水際で止めることは不可能」だそうですが、それでも水際で止めるために大がかりな検疫体制をとり、かつ、上陸を許した後の対策も整えているようです。

どこかの国のニュースでは、サーモグラフィーによる発熱検査は何の意味もないということですし、たまたま見たロシアのニュースなどでは、「そもそもインフルエンザで毎年1万人以上死んでいるので、今回の件で大騒ぎするのは解せない。ワクチンの特許を持つアメリカの製薬会社の影を疑う声もある」などというひねた伝え方すらしていましたが、それでも、万が一に備えて出来る限りの手を打つのは立派な態度に違いありません。

第二次大戦で硫黄島の防衛を任された栗林中将は、米軍の上陸を水際で食い止めるのは不可能だと判断し、陣地を内陸に移して1日でも長く敵を釘付けにすることを目指し、その目標を果たしました。輝かしい勝利とはとても呼べませんが、限られたリソースに優先順位をつけて運用し、できるかぎりの効果を生んだ好例です。

栗林中将は名将といわれますが、彼と反対の態度を取る指揮官を愚将、あるいは凡将といいます。たぶん彼らは、中将と同じ立場におかれた場合、水際作戦を捨てきれず、こんな風に言うはずです。

「内陸の陣地に下がるのは勝利を捨てるのと同義。ほんのわずかでも可能性がある限り、水際での撃退に賭けるべき」。

絶望的な戦いに挑み、最後はバンザイ突撃で玉砕したりして、それもまた勇気ある立派な態度といえるのかもしれませんが、それだけです。

指揮官として究極の判断を強いられ、それを実行した栗林中将などに比べると、新型インフルエンザという敵の来襲に備える今の日本政府の指揮官たちは、水際作戦で敵の上陸をくじくことに全力を投入しつつ、かつ上陸を許した場合にも万全の体制で備えられるほどに無尽蔵のリソースを有する超裕福な超人集団なのかもしれません。

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