2009年05月22日

インフル騒動についての私考

昨日、久しぶりに夕方のテレビニュースを見たら、東京で感染した2人の女子高生の空港から自宅までの足取りを、微に入り細に入り追跡報道していました。女子高生が下車した駅からレポートして、「マスクをしている人は2割程度しかいません!」と、人々の“危機感のなさ”に警鐘を鳴らしていました。

一方、日本よりも発症者が多いアメリカやヨーロッパでは、煽りを本業とする大衆紙でさえネタにならないと判断したようで、今や関連記事を探すのに苦労するほどです。

この温度差はどこから来ているのでしょうか?

「日本人は、他国人に比べて潔癖で、安全にこだわる性分だから」などといえば、今回の世界で突出した反応も理解できるような気がしてきます。

しかしそういう説には、たいした説得力はありません。

日本人が特別潔癖で伝染病に対して敏感であるならば、なぜ毎年1万人くらい死んでいる通常のインフルエンザをこれまでさほど気にせずに過ごしてきたのか?そして、毎年3万人あまりの発症者を出して、先進国中突出した結核大国のひとつに数えられて平然としているのか不思議です。

結核は、しばらく前に芸能人が発症してニュースになりましたが、とても恐ろしい伝染病です。昔とは違い不治の病でなくなったとはいえ、一度発症すれば10人に1人くらいの割合で命を奪われ、治療にも長い時間がかかります。また決して感染しにくい伝染病というわけではなく、インフルエンザ同様飛沫感染しますし、健康な保菌者からも感染する危険があり、そして日本には保菌者が何百万人もいて、街中をうろうろしているのです。

でも、たいていの日本人はそんなことを気にせず、デパ地下で試食品を食べ、パン屋でむき出しのパンを買い、回転寿司で流れてきた寿司を食い、ラーメン屋の窮屈なカウンターで見知らぬ他人と並んで麺をすすります。日本人が特別潔癖で伝染病に神経質なのであれば、ありえない習慣です。

また、感染の拡大を防ぐには「人ごみを避ける」のが一番なのはよく知られていて、今回日本人が感染を恐れてマスクの装着に固執するのは、日本が過密で人混みを避けられないからだともいわれていますが、それもおかしな話です。

日本は古来から伝染病のない無垢な国ではなく、結核はもちろん、数々のアウトブレークを何度も経験してきました。にもかかわらず都市への人口集中を見直そうともせず、各国に先駆けてフレックスタイム制を導入するようなこともなく、世界でも特異な満員電車による一斉通勤体制を構築し、それを何十年も放置してきたのです。むしろ伝染病に無神経な態度とさえいえます。

やはりこの国は、今回の件に対しておかしな反応を見せているのです。

その理由として考えられるのは、まず、担当大臣の「水際」をむやみに強調した方針立てです。水際という概念は、内と外、自と他を区別します。この手の伝染病を水際で止めることは、日本の交易レベルを考えれば、それこそ関西で発生したインフルエンザを水際で止めるというくらいに途方もない作業であるはずなのですが、状況をそう規定した上に、「国民が一丸となって協力をすれば、この目に見えない敵であるウィルスとの戦いに必ず勝てると思っていますので、是非オールジャパンで、全員の力を合わせてウィルスと戦いたい」などとナショナリズムに訴えることで、内と外、自と他の区別をより強調しました。

こうした構図の上では、海外に出かけて感染した人間は“非国民”になります。遊びで海外に行き、その後熱が出た人などは、非国民扱いを恐れてあえて当局に申請しない人も多いと想像します。

そしてマスコミ、とくにテレビです。

テレビというのは映像で伝える媒体ですが、実は伝染病を表現する映像は限られています。一目で伝染病を印象づけられる映像は、マスク姿くらいしかありません。だから誰もマスクをつけていなくても、マスク姿の人ばかりを探して収録し、伝えるレポーターもマスクをつけて、映像で語ろうとします。マスコミの中には当然、「こういう見せ方はパニックを煽るばかりでマイナスかもしれない」と感じる人はいますが、そういう疑問は、「マスク姿を見せつけることで大衆にマスク装着をすすめることはいいことのはず」という言い訳の前に思考停止してかき消されます。見ている方は、マスク姿しか印象に残らず心穏やかでありませんが、レポートの最後に、「みなさんくれぐれも冷静に。そして、正確な情報を得ることを心がけてください」とでも付け加えれば、テレビマン的には責任回避完了です。

こうしてマスクは、“安全な内”と“危険な外”を隔てる対インフル戦争の象徴となり、マスクをしない人もまた、非国民候補になります。各企業は、社員に感染者が出た場合の責任回避のために社員にマスクを配布したりしてマスクマンを大量生産し、これをまたテレビが伝えるというパニックの再生産。

巷ではマスク不足が深刻化しているという報道もありますが、こういう形で医療器具が不足したり、感染パニックで医療システムがパンクしたりすれば、インフルエンザ以外の病気に苦しむ人たちの命を危険にさらしかねません。マスク装着は完全に無意味ではなく、感染の広がりをいくらかでも抑える効果があるのに違いありませんが、みんなのためを思うのであれば、健康な人はあえてマスクをしない勇気も必要ではないかと愚考します。

とにかくマスコミというのは、「靖国」だの「南京」だの、一部のアジア諸国がかかわる歴史認識に関してはやたらとナショナリズムを警戒してみせますが、それは所詮ポーズだけで、エクスキューズさえあれば、大衆を惹き付ける偏狭な排外的態度を煽ることに躊躇しません。それは、マスコミの宿命であり本能です。

清潔好きだけれど神経質なまでに潔癖というわけではなく、自文化に対するプライドが高いけれど外の優れたものには寛容というように、何事にもガチガチでない柔軟さが、日本の強さだとぼくは思います。マスコミと、マスコミから生まれた大臣のコラボレーションにより引き起こされた今回の“メディアインフル”を通じて多くの人が免疫をつけ、居心地のいい日本が戻ってくることを切に願います。

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