2009年06月02日

1Q84

村上春樹の新刊、1Q84がすごい売れ行きだそうです。

タイトルと発売日以外露出させないというプロモーションをしたそうで、そう聞くと、どうしても対称的なもうひとつの現象を思い浮かべてしまいます。

それは、首相にまで「公共の電波でやりすぎでは」と言わせるほどの、TBSの自社コンテンツの節操のない宣伝攻勢です。これはなにもTBSに限らず、最近ではどこのテレビ局もしていることなのですが、スポーツでいえばドーピング漬けのアスリートのようなもので、テレビの末期症状を示しています。

思い起こせば、村上春樹が大ブレークしたのは、今回の作品のタイトルにもつながる、1980年代でした。それがどんな時代だったかというと、テレビと新聞を中心としたマスメディア絶頂期で、昔ながらのコミュニティ的情報空間が脆弱化する一方、インターネットの普及はまだ遠い未来で、大衆は、マスメディアが設定する価値観からいよいよ逃れられなくなっていました。

そんな中、村上春樹という作家は、マスメディアを利用するでもなく、飲み込まれるでもなく、反抗するでもなく、ただとにかく距離を置き、またその作品も、マスメディアの文体で語られることを受け入れているようでいて、いざ語ろうとすると語れないような妙な距離感をとりつつ、異様なまでに大ヒットしたのです。

例えばそれは、同時期にブレークして今は政治家のようになっている某ノンフィクション作家の態度と対称的です。「ノンフィクション作家」というマスコミ的なカテゴライズを嫌がり、「オレは作家だ」と息巻く彼は、テレビに出まくることで顔を売る一方、そこで得た知名度に畏怖する人々を軽蔑し、またその作品も、テレビ的な軽薄さを否定するようでいて、実のところテレビ的な重さとインパクトを追求するようなものばかりでした。

これは何も彼に限りません。マスメディア時代の絶頂期に登場した作家たちは、程度の差こそあれみなそうでした。そんな時代にあって、今も昨日のことのように思い出す、本屋に積み重ねられた赤と緑の装丁を施された「ノルウェイの森」の放つ妖しい魅力は、逃げ場のないマスメディア世界にポカンとあいた、脱出口としての魅力だったのだと、今は思います。

1Q84の“隠す”プロモーションは、一部から批判されているように、ややあざとすぎるようにも見えます。しかし、村上春樹のあり方と整合性がとれていますし、テレビというものが、ドーピングに頼らなければならないほどに追い詰められている今だからこそ、彼には物語ることがあるはずで、新作への期待が高まるのは、ものの道理という気がします。

ぼく自身、90年代初頭に出た「ねじまき鳥クロニクル」以降、村上春樹への興味が急速に薄れてしまっていたのですが、彼の最近の作品タイトルをもじるなら、「カフカが到来を告げ、オーウェルが告発し、村上春樹が距離を置いた」時代の終わりに、彼がどんな物語を語るのか、非常に興味があります。天の邪鬼なのでしばらく買うつもりはありませんが。


1Q84

1Q84(1)

  • 作者: 村上春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/05/29
  • メディア: 単行本




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