2009年06月04日

We are Icarus anyways.

エールフランス機の墜落というニュースを聞き、結局人というのは物事を100%制御することはできないのだな、などと感慨を持ちながらウェブを巡っていたら、しばらくするとやはりという感じで、24年前の日航機墜落事故関連のページを見ている自分がいました。

ウェブ上のあちこちで聴けるJAL123便のボイスレコーダーは、何度聞いても怖く、そして泣けます。

しかしこの事故で最も恐ろしいのは、個人的に、墜落してしまった後のことだと思っています。墜落直後に米軍が墜落地点を特定し、横田基地からヘリを派遣して海兵隊をスタンバイしていたのに、日本政府は米軍の申し出を拒否し、おかげで現場入りしたのは、墜落から12時間以上経過した後でした。4人の生存者の1人、落合由美さんの証言によれば、墜落後しばらくはまだたくさんの人たちが生きていたということですので、本当に残酷な話です。

日本のマスコミも、しばらく前までは時折スキャンダラスにそのことを取り上げていましたが、やがて興味を失い、今では事故調査委員会の不誠実な態度を責めるくらいで、あとはとにかく「事故の記憶を風化させてはいけない」の大合唱と、涙、涙。

本当に人の命を尊ぶ国柄ならば、救えたかもしれない人々を見殺しにしてしまったこのエピソードは、その裏にどんなやむを得ない事情があったにせよ、痛恨のきわみとして語り継がれておかしくないはずです。海外では、米軍の申し出を拒否した政府の態度は、この事故をめぐる“人為的ミス”のひとつとして必ず取り上げられるのですが、米軍の災害対策の迅速さを讃えることになりかねないこのエピソードは、政府、官僚からマスコミまで共通の、“触れられたくない傷”なのかもしれません。

そう考えると、記念日に必ず組まれるテレビの特集などで絞り出される涙が、なんだかとても白々しく、この国の欺瞞体質の象徴にも思えてきて、暗澹とした気持になります。


ところでテレビ業界においてこの事件は、それまで報道に絶対的な自信を持っていたNHKと、「民放のNHK」ことTBSが、フジテレビに出し抜かれた(生存者の救出場面の生中継に唯一成功した)という意味で、“過信は禁物”の教訓として語り継がれています。その衝撃は災害報道レースを加熱させ、1991年の雲仙普賢岳噴火における、なりふり構わぬ過剰取材へとつながり、マスコミ不信の先駆けとなったのは、皮肉な話です。

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