別にPerfumeのファンというわけではないのですが、すごく違和感を感じたのです。
これが“個性”を売りにするようなアイドルであれば、もちろんファンはがっかりでしょうが、存在自体に矛盾は生じません。しかしPerfumeの場合、その存在自体を否定してしまうように思うのです。
要するに、Perfumeというのは、凡庸な人間臭さを隠したり、卓抜した“個性”を前面に押し出すことで、生身の人間を神々しいバーチャルな存在にまで高めるという従来のアイドル製造法をコペルニクス的転換し、バーチャルアイドルを生身にしたような存在でした。
その意味でPerfumeというのは、完全にバーチャルなGenki Rocketsとか、極端な例では初音ミクなどと同列な存在です。ただし完全にバーチャルな存在だと感情移入しにくいですし、反対に生身の方が強く出過ぎると、バーチャル性が否定されてしまいます。Perfumeというのは、そこのところを絶妙にクリアし、バーチャルアイドルでありながら生身であることを達成していたのです。
Perfumeに生身の体を与えた彼女たちは、徹底的に没個性です。いや、確かに個性はあるものの、それは子どもの個性のように無垢なレベルで、ひねくれたものである大人の個性ではありません。没個性ですらない没個性で、それは意図して作れるものではなく、そこにこそPerfumeの匠はありました。
しかし、“お泊まり愛激撮”というあまりに下世話なエピソードは、そのバランスを崩すに十分です。この影響はおそらく、ひたすら恋愛沙汰を隠していた昔のアイドルのスキャンダルよりも深刻です。昔のアイドルには、アーティスト性という個性をより前面に押し出すことで神々しさを取り戻すという手もありましたが、彼女たちの場合、個性を前に出すことはできません。そんなことをすれば、その存在の根幹であるバーチャル性が崩れ、凡庸なガールズユニットに堕してしまうからです。
Perfumeの生身の部分に何が起ころうと、中田ヤスタカのセンスのいい音楽は変わりません。しかし、生身のバーチャルアイドルという微妙なバランスを崩したPerfumeは、希少性を失った、誰にでもコピーできる存在でしかなく、コアなファンとともに、そのおもしろさのかなりの部分を失うに違いありません。
Perfumeは、これからの時代のアイドルのおもしろさを見せてくれるとともに、その持続性の難しさ、はかなさを示した例だと思います。