2009年06月20日

ロウソクデモの顛末に思う

韓国で、去年4月に放送された狂牛病関連の番組が、デマを意図的に広めたということで裁判になっています。

あのときは、得意のロウソクデモは繰り広げられるわ、ある有名人などは、「米国産牛肉を食べるなら、青酸カリを飲んだ方がまし」とまで発言したりするわで、まるで革命前夜のような騒ぎになりました。

当時は、集団ヒステリーの原因はネットにあるというような報道もなされましたが、ネットの意見を一方向に向けさせる触媒は、やはりマスコミしかなく、ネットはあくまで、マスコミの大衆煽動を増幅するツールにすぎないのです。

あそこまでの騒ぎになるのは、韓国人の激情的な気質と、当時の政治的な背景があればこそだと思いますが、じゃあ日本人はどうかといえば、とても他人事ではなく、ネット上で群れをなして感情論を振り回す人たちに限って、実はマスコミにいいように操られていたりします。

例えば、今や“格差”の広がりを当然のことのように語るようになりましたが、それが妥当な議論なのか、理路整然と語れる人はそれほど多くなく、なぜそう思うのかと問い詰められれば、こう答える人が多いと思います。「だってそうじゃないの?」

そう聞き返してしまう人は、マスコミにコントロールされている可能性が大です。格差論の拡散についていえば、ぼくは、2006年頃にNHKが立て続けに放送した、「フリーター」とか「ワーキングプア」の大特集に負うところが大きいと睨んでいます。そうだとすれば、日本人は、もう3年くらいロウソクデモを続けていることになります。

NHKの当該の番組には、韓国のケースのように捏造はないかもしれません。しかし、捏造がなければ真実かといえばそういうことはなく、テレビ番組などというものは、作り手のさじ加減ひとつで、世の中を何色にも描くことができるのです。

要するに、Aという要素を際立たせたければ、Aという要素を念入りに描き、それ以外の要素をぼかして目立たなくすればオーケーというだけの話で、「格差」とか「BSE」とか「感染症」とか、感情を揺さぶりやすいネタなら効果は絶大です。

ネットでも同じことはできますが、無批判に受け入れる人以上に、「ネットの意見など鵜呑みにできない」と思う人は多いですし、気になれば別の意見を探してみることもできるので、集団ヒステリーを起こすまではなかなかいきません。

しかしテレビだと、「NHKの言うことだから・・・」と受容されてしまい、そして大抵の問題は、問題を提示した時点で、答えはおのずと決まってくるものです。「BSEは危険だ!」と言われたら、確かに安全とは言えません。それを巨大な20世紀の拡声器で訴えれば、「超危険なBSE」+「反米の土壌」+「米に譲歩した政府」=「ロウソクデモ」です。

テレビを見るときは、作っている人間を想像してみなければいけません。テレビ番組を作っているのは、あなたの身の回りにいる人と変わらない生身の人間です。ぼくの知る限り、超人的な叡智の持ち主はいません。

作品を作るときは、好きな異性を思い浮かべて、その人を口説くつもりで作れといいますが、作品を見るときも、あなたの腕をつかんで無理矢理ものを売ろうとするセールスマンを思い浮かべて、その人の作だと想像して見るといいかもしれません。

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