「ニュースを知ったファンの人たちが、マイケルの無事を祈っているんでしょうかね?」と、現場にいるレポーターに司会者が尋ねると、レポーターはこんな風に答えていました。
「みなさんiPhoneとか持っているので、写真を撮ったりメールしたりしています」
かつては、ニュースを作るのはプロのジャーナリストの専売特許でした。しかしネットと高機能携帯ツールの普及で、人類総アマチュアジャーナリスト化しつつあります。
イランの反体制デモと政府の弾圧は、従来のマスメディアではなく、名もないアマチュアジャーナリストたちの手により、ネットを通じて世界中に広がりました。日本でも、去年の秋葉原無差別殺人のような事件が起きると、一般ピープルが携帯カメラ片手に取材にいそしみ、不道徳だと非難されたりします。
こうした現象は新しいツールなくして起きえなかったことですから、人類史における新しい現象のように見えます。
しかしよく考えてみれば、はるか昔から20世紀を迎えるまで、人類はずっとそうしてきたのです。

19世紀までの人々は、見知らぬ土地のことを、探検家や旅行者というアマチュアジャーナリストからの報告で知り、大きな事件を手紙と口で伝え合いました。そこには、伝える人と受ける人という区別はありませんでした。
ですから今起きていることは決して新しい現象とはいえません。昔のあり方に回帰しているだけで、むしろプロのジャーナリストなどという存在こそ、歴史上特異な存在といえます。
マスコミは、今もこれからも、ネット時代の弊害と歪みを告発し続けるでしょう。しかし歪んでいるのは、マスメディアと、マスメディアにより作られた20世紀文化の方なのです。