2009年06月27日

総ジャーナリスト化は自然の摂理

マイケル・ジャクソンが亡くなった朝、ニュースを伝えるワイドショーでは、ひたすら搬送された病院の前に群がる人々を空撮で映し出していました。

「ニュースを知ったファンの人たちが、マイケルの無事を祈っているんでしょうかね?」と、現場にいるレポーターに司会者が尋ねると、レポーターはこんな風に答えていました。

「みなさんiPhoneとか持っているので、写真を撮ったりメールしたりしています」

かつては、ニュースを作るのはプロのジャーナリストの専売特許でした。しかしネットと高機能携帯ツールの普及で、人類総アマチュアジャーナリスト化しつつあります。

イランの反体制デモと政府の弾圧は、従来のマスメディアではなく、名もないアマチュアジャーナリストたちの手により、ネットを通じて世界中に広がりました。日本でも、去年の秋葉原無差別殺人のような事件が起きると、一般ピープルが携帯カメラ片手に取材にいそしみ、不道徳だと非難されたりします。

こうした現象は新しいツールなくして起きえなかったことですから、人類史における新しい現象のように見えます。

しかしよく考えてみれば、はるか昔から20世紀を迎えるまで、人類はずっとそうしてきたのです。

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19世紀までの人々は、見知らぬ土地のことを、探検家や旅行者というアマチュアジャーナリストからの報告で知り、大きな事件を手紙と口で伝え合いました。そこには、伝える人と受ける人という区別はありませんでした。

ですから今起きていることは決して新しい現象とはいえません。昔のあり方に回帰しているだけで、むしろプロのジャーナリストなどという存在こそ、歴史上特異な存在といえます。

マスコミは、今もこれからも、ネット時代の弊害と歪みを告発し続けるでしょう。しかし歪んでいるのは、マスメディアと、マスメディアにより作られた20世紀文化の方なのです。

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