2009年07月03日

毒を食らわば皿まで

東国原さんの政権奪取構想はどうやら頓挫しそうな雰囲気ですが、自民党のなりふり構わぬ人気者擁立作戦を見て、「小泉劇場」を連想する人が多いようです。

しかし、今自民党(とその他もろもろ)のしようとしているイメージ戦略の方向と、小泉劇場のベクトルは、完全に逆を向いています。

どういうことかといえば、今の自民党は、テレビをはじめとするマスコミに作られた人気者の尻を追いかけ、いわばテレビにひきずられていますが、小泉劇場というのは、テレビをひきずっていたということです。

テレビや新聞には、ニュースの作り方が2通りあります。ひとつは、誰もが求める情報を探して提示するやり方。もうひとつは、情報機関としての自らの信用を利用して、「これが今一番大事なニュースだ!」と提示するやり方です。簡単にいえば、金鉱から金を採掘して売る方法と、道ばたの石を高値で売りつける方法があるということです。

マスメディアにまつわるほとんどすべての問題は後者に起因します。そしてこのやり方により、マスメディアは社会を恣意的にコントロールする力を持つのです。

小泉氏は、そうした“情報の格付け”をマスメディアに頼りませんでした。ときには自分自身がゴールドとなり、またときには、小泉氏が尊敬する織田信長のように、変な形の茶器に途方もない価値を与えるなど、とにかく自らゴールドを提示し続けました。

だからこそ、小泉氏は社会のあらゆる層にアピールしたのです。上から提示される価値観を無批判にありがたがる“情弱層”はもちろん、比較的リテラシーの高いネットユーザーは、長い間やりたい放題だったマスメディアを無力化した小泉氏に拍手喝采しました。

しかし今の自民党(とその他もろもろ)は、小泉政権誕生以前に逆戻りしています。彼らは、テレビや新聞が売る石ころをありがたがり、次から次へと高値でつかまされているカモ同然です。「そんなのただの石ころじゃないか!本物の金とはこういうものだ!」と店先でぶちあげた小泉劇場とは雲泥の差です。

そういう小泉氏のパワーを可能にしたのは何か?そこには、緻密なメディア戦略もあったに違いありません。しかしより重要なことは、「そんなのただの石ころじゃないか!・・・」と遙か以前からバカのひとつ覚えのように訴え続けてきたということです。自分の中に軸があるからこそ、マスメディアの営業トークに惑わされることもなく、多くの人々をマスメディアの引力圏から、自分の引力圏へと惹き付けることができたのです。

小泉氏のような芸当を、今の自民党(とその他もろもろ)に求めることはできません。なにしろ彼らは、「格差」をはじめとするマスコミの提示する商品を買うことによって力を得た人たちです。2年前、参院選で大敗した自民の古賀氏は、「構造改革の見直しを求める国民の声だと思う」などと、負けたにもかかわらず得意気な表情で語りましたが、マスコミに与することで力を得るということは、自らの殺生与奪権をマスコミにあずけるのと同義で、都合よく途中で抜けることはできないのです。

民主が勝とうと、自民が持ちこたえようと、次の政権はマスコミ政権になるのは避けられそうもありません。その意味で、「ぼくが行けば自民党は負けない」という東国原氏の自信は誇大妄想とはいえず、むしろ彼こそ、マスコミ政権に相応しい顔といえます。



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