ウルムチという、東トルキスタン(新疆)最大の都市は、中共の手に落ちた1949年にはウイグル人の街で、漢人の住民は1割もいませんでした。しかし今は漢人が7割を超え、ウイグル人はマイノリティにすぎず、ウイグル人の土地に浮かぶ漢人の拠点のような存在です。当局は、民族問題を噴出させないために治安維持と公共投資に特別な力を注ぎ、ウルムチは安全な街として知られていました。
そこで起きた、天安門事件以来という大騒乱。中国当局は、海外に拠点をおくウイグル人組織の手引きによるものとしていますが、街の人口比で1割程度にすぎない少数派のウイグル人が計画的に暴力デモを起こすなど自殺行為でしかないのですから、中国当局の主張は白々しく聞こえます。
中国における民族軋轢といえば、これまでは、「弾圧する中国当局と、異民族の反抗」という図式にあてはまるものでした。去年のチベット騒乱はそうでした。しかし今回の事件は、違う気がします。でなければ、中国の異民族支配のモデル都市ともいえるウルムチで、こんなことは起きなかったように思います。
今回の事件は、6月下旬におきた、広東省における漢人とウイグル人の衝突を契機にしておきました。
この衝突は、おもちゃ工場で働く漢人女性を、ウイグル人の上司がレイプし、にもかかわらずウイグル人の容疑者が当局から無罪放免されたというデマにより起きました。義憤に駆られた漢人グループがウイグル人グループを襲い、一説には10数名のウイグル人が命を落としたといわれます。
この事件で特徴的なのは、ウイグル人を襲撃した漢人たちの犠牲者意識です。
去年のチベット騒乱のとき、愛国心に燃える中国人たちは、「中国は多民族国家だ。チベット人はめぐまれている」とさかんに訴えたものですが、たしかに中国当局は、マイノリティを懐柔するために、さまざまな少数民族優遇措置を実行しています。広東省の事件は、そうした措置を逆差別としておもしろく思わない、「ウイグル人は優遇されている」という疑念を持つ漢人たちにより起こされたのです。
これは、「多数派民族による冷酷な中央権力VS少数民族」という古くさい図式ではなく、日本やアメリカやヨーロッパでみられるのと基本的に同じ、ねじれた民族軋轢です。
これまで治安が守られていたウルムチでも、同じ力学が働いているはずです。当局からすればアメとムチでコントロールできていたはずのウイグル人は、当局の意図しないところで自律的に生まれた漢人たちの犠牲者意識と排斥行動により、当局の予想を超える鬱憤をため込んでいたに違いありません。
だとすれば、これは中国当局にとってただならぬ新展開です。なぜならそれは、中国という国が先進国病にかかり始めた兆候であり、民族問題が中央政府の手綱を離れてしまったということであり、そしてその解決策は、まだどの国も見つけていないからです。
今日になりウルムチからは、バットやスコップで武装した漢人たちのデモが起こり、ウイグル人の店を破壊しながらモスクに向かっているという情報が入ってきました。武装警官は、かつてのように少数民族の方を向けばいいのではなく、少数民族と漢人に挟み撃ちにされているのです。