イランで大規模な反政府デモが起きたかと思えば、中米のホンジュラスで“クーデター”が起き、そして中国で大量に死者を出す騒乱。群衆が集まり、そこで暴力が振るわれ、そしてその写真や映像がインターネットで飛び交います。
イランの騒乱では、デモ参加者の女性、ネダさんの射殺映像が世界を駆け巡り、改革派はネダを合い言葉に団結を強めました。
デモ参加者は、もちろん政府の仕業だといい、イラン政府は、デモ参加者の仕業だといい、なかには、西側諜報機関のイメージ戦略だなどという人もいます。ネダさんの場合、被弾時にたまたま近くにいて介抱した人がイギリス在住イラン人の医者で、事の始終をBBCとのインタビューで語っており、話の内容からしてバシジ(強硬派民兵)に殺られたのは間違いないと思いますが、それすらできすぎた偶然だといえば、もう何が真実なのかわかりません。どの立場に立つかで、真実はいかようにも解釈できます。
ホンジュラスの“クーデター”(独裁制を目指したセラヤ前大統領の行動を裁判所が憲法違反としているため、軍の行動はクーデターとは呼べないとする意見も多い)では、政権の再奪取を狙うセラヤ前大統領の帰国にあわせてセラヤ派のデモがおき、そこで19歳の青年が射殺されました。
反米左翼を中心とするセラヤ大統領擁護派は、「平和的なデモに対して軍が発砲した。クーデター派の無法ぶりを物語るできごとだ!」などと気勢を上げています。しかし一方反セラヤ派は、デモはほとんどの参加者が報酬を受けてのヤラセで、空港施設を破壊するなど暴力的なものであり、しかも軍はゴム弾しか使用しておらず、遺体に残る銃痕とは合わないと訴えています。
あらゆる抗争は殉教者を求め、一方に殉教者が生まれそうになると、敵対する勢力はその正当性を否定しようと躍起になります。情報戦において、殉教者ほど人々の感情に訴える武器はないからです。
中国のウルムチで起きている騒乱は、上記ふたつの騒乱を遙かに凌駕する大事件です。
当局は、過激派勢力に煽動されたウイグル人グループの犯行とし、海外のジャーナリストはそれを疑い、そしてウイグル人たちは、平和的なデモに先に手を出したのは当局だと訴えています。
しかし殉教者はいまだ生まれていません。多くの死者を出し、その無残な死体の画像はたくさんありますが、殉教者となりうるキャラクターを帯びたものはなく、殉教者を生もうという意志もあまり感じられません。
なぜウルムチで殉教者が生まれないのでしょうか?