2009年07月09日

電波少年はなぜタレントを殺したのか

90年代に一世を風靡した日テレのバラエティ、「電波少年」。

この番組に相方を奪われてキャリアを台無しにされたという2人のお笑い芸人の対談がサイゾーに出ていますが("相方を連れ去られた者"同士が語る『電波少年』とは何だったのか)、たしかに電波少年はタレント殺しでした。

今からすれば考えられないような高視聴率で、起用された若手タレントは一夜にしてスターになるのですが、どうしたわけか人気は長続きせず、たいていの場合1年と持たずに消えていきました。

普通タレントというのは、人気番組に出ると一気に知名度があがって、その知名度をテコにして活躍の場を広げていくというパターンが多いですが、電波少年の場合は、番組で得た知名度が次につながらなかったのです。

企画偏重でタレントは道具に過ぎなかったからとか、番組の個性が強すぎたからとか、駆け出しの若手ばかりで力不足だったとか、いろいろ理由は考えられますが、実力もないのに企画にのって個性の強い番組に出て人気が出て、そのままなんとなくテレビの世界の住人になったようなタレントはたくさんいるのですから、そうした表層的な理由だけで説明はつきません。

起用される若手タレントが揃いも揃って一発屋で終わったのは、電波少年というテレビ番組の異質性に理由があるのです。

あれは普通のテレビ番組ではありませんでした。

テレビというのは「世の中を映す鏡」などと呼ばれたりしますが、本来は基本的に受動的なもので、作る者と見る者双方に「世の中において価値のあるものをテレビは映す」という共通の了解がありました。

しかし電波少年という番組は、そうした伝統的なあり方をひっくり返し、世の中の方を「テレビを映す鏡」にしようとしたのです。意識的にテレビの権威を利用して道ばたの石ころを高く売りつけ、それをありがたがる人々を笑いつつ、テレビの力で世の中をどこまで振り回せるか探るような、そんな番組だったのです。

これは、絶頂期を迎えていたテレビの権威を利用した傲慢な態度です。しかし見方を変えれば、権威者として君臨するテレビの風刺ともいえ、またマンネリから抜け出してテレビ文化の進化を模索する試みでもありました。

電波少年が常識破りのアポなし取材を売りにしていた頃、NHKで仕事していたぼくは、現場好きでたびたびその辺をうろうろしていたNHKの幹部の一人から、「電波少年を見ろ。あれはすごい」と大まじめにいわれて驚いた記憶があります。初期の頃の電波少年というのは、経験豊富なNHKマンの心を揺さぶるほどに、衝撃的な番組だったのです。

そういうわけですから、出演者の立場も、従来のテレビ番組とは大きく違います。従来のテレビ番組における出演者には、世の中で賞賛されるべき個性または技術が求められ、そこまで達していない者はそう見えるように脚色していました(例えば女性ニュースキャスター。ほとんどの場合彼女たちは中身のないニュース読みにすぎませんが、用意された原稿と神妙な振る舞いで、"出来る女”に仕立てます)。

しかし電波少年における出演者は、世の中において価値ある存在である必要はありません。むしろダメダメな人間であるほど、くだらない企画であるほど、世の中を振り回したときに面白さは倍加するのです。

ですから、番組の視聴率を背景にして売れたとしても、他のテレビ番組に波及していきません。電波少年色に染まったタレントは、出演者になにがしかの者であることを求める旧来の番組では、単純に場違いなのです。別の言い方をすれば、電波少年でスターになった若手タレントこそ、腕いっぱいに石ころをかかえて陶酔する、電波少年に振り回されたバカの最たるものなのです。

そんなタレント泣かせの電波少年も、90年代の終わり頃から急速に勢いが衰え、最後はまるで居場所を失ったかのようにして消えていきました。

電波少年という番組には、テレビの絶頂期に、テレビの権威を利用しつつそんなテレビを風刺するという性格がありましたが、テレビを批判するのにより適したメディアが広く普及し、自己風刺の意義を失えば、残るのは権威を笠に着て好き放題する醜い姿だけです。消えるのは当然といえます。

今テレビに求められるのは、「世の中を映す鏡」としての古くからの役割を忠実に守ることです。それは制作者にとって刺激に乏しく、地味な作業の積み重ねで、あまりお金にもならないのですが、それ以外にテレビに存在意義はありません。

しかしなぜか最近のテレビを見ていると、そこかしこに、世の中をテレビを映す鏡にしよういう意志を感じてしかたありません。電波少年は滅びましたが、電波少年的やり方は、風刺精神と先鋭さという毒を抜かれた上でテレビ界に浸透し、いまやテレビ界全体が電波少年と化しているように見えます。

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