英語での授業を始めた理由は、「国際的に活躍できる人材を育成するため」といういかにもの理由の他に、もうひとつ切実な理由がありました。それは、
「科学や数学はマレーシアが起源ではない。専門用語はマレー語になく、英語から移植するしかない。それなら最初から英語で学ぶほうがよい」
マレーシア、英語での理数科授業廃止へ 理解できず学力低下
ということです。
これは日本人には理解しにくいことなのですが、ほとんどの発展途上国は同じ状況で、要するに英語(或いはフランス語など)を駆使できないと、科学を学べないのです。
今年の春にカンボジアとベトナムを訪れ、プノンペンからホーチミン・シティまでバスで移動したとき、隣に座るカンボジア人起業家とあれこれ世間話をして暇を潰しました。
3台の携帯ガジェットを持ち歩き、移動中も頻繁にチャットしていた彼は、とにかくテクノロジー好きで、「なんで日本の電機メーカーの携帯は見ないの?」などと日本人には耳の痛い質問をしてきます。
彼はケーブルテレビでBBCとかCNNを日頃から見ているそうで、小渕首相以降の日本の首相を全部言えるほどに日本の事情にも通じているのですが、「日本の首相が英語喋ってるの見たことないんだけど、日本の首相は英語できないの?」というところから英語の話になりました。
そこで彼が心底不思議そうに聞いてきたのが、「日本人は英語を使えないのにどうやって科学を学んでるの?」でした。
クメール語には科学の基礎的語彙がなく、旧宗主国のフランス語か英語を使えないと科学を学ぶことは不可能で、そういう彼からすると、英語ベタなのに先進技術に長けた日本は謎なのです。
それを可能にしたのは、言うまでもなく150年前の先人たちのおかげです。ありとあらゆる西欧産概念を漢字に置き換え、日本語で科学を語れる環境を作ったのです。
もし彼らの努力がなければ、長く西欧に支配された多くの国々同様、日本は一部のインテリと学のない大衆とに知的分断され、後の発展はあり得なかったはずです。
その弊害で、日本人は外国語オンチになりました。エリートでも外国語オンチ、外国語オンチでもエリートになれるという国は、世界を見回してもごく少数です。しかしそれで得られた利益と比べれば、すばらしいトレードオフです。
外国語オンチは、優れた独自の文化を持つことの勲章なのです。
そんな先人たちの努力により培われた英語オンチを解消しようと、2年後から小学校で英語が必修化されます。しかしそのせいで英語学習にリソースを割かれる学校システムのことを考えると、こちらの方はあまりうまいトレードオフではないと思います。
マレーシアのようにドラスティックな教育改革ではないので、あらゆる科目で目に見えて学力が落ちるということはないでしょうが、例えわずかでも英語にリソースを割いた分、その他の部分での学力低下は不可避です。
一方言語というのは、必要性と真の積極性があれば誰にでも習得できるものであり、逆に言えば、必要性と積極性を欠いては、何百時間費やそうと時間の無駄です。
ほとんどの日本人は、マレーシアやカンボジアのような元植民地の人たちと比べてもケタ外れに英語を必要としないのですから、結局英語はほとんどうまくならず、その分ますますバカになるだけのような気がします。