2009年07月25日

単純感動ワールド

深町秋生さんのブログで、TBSのスポーツの取り扱いについて語られています。

映画では野球の魅力がこれっぽっちも描かれなかったけれど、亀田家を取り上げたときもボクシングという競技をまともに描いてはいなかった。野球でもボクシングでも、試合というのは相手の夢を砕くことなのだが、そうした悲劇性を消し、ときにはルールさえ無視して「夢をかなえる自分たち」という不気味な物語をつむぎつづけていた。自分たちが盛り上がるためなら他人や法律などシカトしてもかまわないというカルト宗教みたいな臭いがした。ここで大事なのは「説教する」「みんなで大声をあげる」「勝利に号泣する」なのであって、つまるところ競技はなんだっていいのだ。

TBSの自己実現。(相手を殺して)明日にきらめけ。

格闘技でもスポーツ映画でも、これと決めた主役を中心にしてチープなストーリーを紡ぎ上げ、スポーツはその舞台でしかなく、賞味期限が過ぎたら競技ごとポイ捨てされ、あとに残るのは搾取され尽くされた残骸だけというわけです。

でもこれ、TBSは特別えげつないだけで、どこのテレビ局も同じようなものです。そしてスポーツだけに限らず、テレビは世の中のあらゆる事象をそんな風に料理します。

テレビの表現には2つのキーワードがあります。ひとつめは「誰にでもわかる単純さ」で、時間をかけて説明しないと面白さが伝わらないものはボツで、幾多の流行語のように、そのおもしろさを一言で表現できれば最高。できないものは、余計な要素を削って無理矢理にでもそれに近づけようとします。

ふたつめは「感動」で、特にスポーツドキュメンタリー系の仕事をしていると、上の人は「もっと感動を!」としか言いません。「あまり感動の安売りをすると、本当の感動までチープにしてしまうのでは?」などという考えは青臭いへ理屈でしかなく、チープだろうとなんだろうと感動物語にすることを求められます。

深町氏を嘆かせるTBSは、ある意味愚直なまでにこの2つのキーワードを実践しているだけです。その理由はたぶん、TBSが民放各局の中でも飛び抜けてまじめな優等生揃いだからに違いありません。

テレビとは、単純な感動が大好きで、単純な感動があればそこに引き寄せられるし、自分の意にそぐわない事象は単純な感動に変えてしまう、そんな怪獣なのです。



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