2009年07月28日

オバマの問題解決能力に対する疑問

自分の家の鍵を忘れ、鍵を開けようとしていた黒人の教授を逮捕し、手錠をかけた白人の警察官を『愚かな行動をした』stupidと発言し、白人から猛反発を受けたオバマ大統領。


はてなあたりでかなり人気を呼んでいる記事の書き出しです。

こんな書き方をしたら、そりゃオバマ大統領スゲーということになります。stupid を stupid と呼べない病んだアメリカ社会。でもぐっと自分を抑えて、stupid な白人警官を被害者の黒人教授とともにホワイトハウスに招いて、「3人でビールを飲みながら語ろうよ!」とやったオバマ大統領はカッコいいな、とそうなります。

でも、この出来事はそんな1960年代か70年代風なわかりやすい差別物語ではありません。いろいろなことが二重三重にねじれて、それこそものごとを白か黒かで判別できなくなった、いかにも現代的な出来事なのです。

この問題の本質は、上に引用した短い文の中に、3箇所も「黒人」と「白人」という言葉がでてくるところにあります。

実際に起きたことは、警官が何人だろうと、教授が何人だろうと関係ないことでした。なのにそれが人種問題になってしまったということが問題なのです。

オバマ大統領の知り合いでもあるゲーツ教授は、通報を受けて現場に現れた警官に対していきなり「オレが黒人だから疑うのか!」と激昂し、警官を路上に連れ出して「どんな親に育てられたんだこの差別野郎!オレを誰だと思ってるんだ!」などと延々と騒ぎ続けました。

こうした現場の状況に加え、手錠をかけた警官は、racial profiling (人種偏見による誤認捜査)防止の講師であり、現場にいた警官は彼のほかにヒスパニック系と黒人の3人でした。黒人大統領の治めるアメリカの、黒人知事の治めるマサチューセッツ州の、黒人市長の治めるケンブリッジ市で、黒人教授を巡って起きたこの事件は、クラシックな人種問題にはまるで当てはまらないのです。

それなのにオバマ大統領は、事情をよく把握していないうちから事件を「人種差別」の色眼鏡で見、警官の行動を「愚か」と定義して、何てことはないボヤにガソリンを注いでしまいました。

「ホワイトハウスでビール」というのは、とにかく迅速に対応したという点では悪くないのかもしれません。しかし、それが失策をプラスに変えるほどのファインプレーかというと、大いに疑問です。

この事件を語るとき、冒頭にあげたような書き出しをするような人から見れば大ファインプレー以外のなにものでもないはずです。事件の渦中にいるゲーツ教授も、「この事件はアメリカの人種問題の歴史において根源的な教訓になるかもしれない。ケンブリッジ市警には、私とともにその方向に向けて協力してくれることを心から願う」と大いに満足して招待を受けました。

しかしそうではない人から見れば(この問題については、ゲーツ氏を愚か者と見る、そうでない人が党派を超えてとても多いのですが)、厚顔無恥な問題のすり替えに過ぎません。

なにしろオバマ大統領は、「ホワイトハウスでビール」について語った会見で、警官を「愚か」と呼んだことについて言葉の選び間違いを認めたものの、発言自体を過ちと認めることもなければ、全米に向けて「愚か」とつるし上げた警官や、その延長で差別主義者と非難されている最初に通報した住民(彼女は通報時に人種に関する発言はしていませんでした)に対して謝罪もしていないのです(謝罪をすればゲーツ氏らのシンパから反発をくらうことになります)。

自分の不用意な発言でボヤを大火災に変え、問題はそこにあるにもかかわらずボヤの方に焦点を移し、ミスを犯したことを認めずになんとなく謝ったように錯覚させるその巧妙な話術はたしかに見事です。

こうしたやり方でもしオバマ大統領が失策をプラスに変えることに成功できたならば(そうはならないと思いますが)、そこから学べる教訓は、今の世の中では、愚直にミスを認めて謝ることは何の得にもならず、ルックスとイメージを磨いてまわりを見方につけ、巧みな話術で問題をすり替えた者勝ちということになるのではないでしょうか。

ぼくはオバマ大統領の会見よりも、渦中にいる警官のいかにもプロらしい冷静実直なインタビュー受け答えに感銘を受けました。英語が分かる人はぜひ見てみてください。


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