2009年08月30日

近衛文麿と日本を滅ぼした正義

今回の選挙は、民主党の「歴史的」な勝利となるわけですが、よく考えてみれば自民党の一党支配はすでに1993年に打破され、その後の自民党は社会党と組んだり、自由党と組んだり、公明党と組んだりしてようやく政権運営してきたわけで、今回を歴史的と呼ぶのは誇大広告と言わざるを得ません。

ところで真に歴史的と言える93年の政権交代の主役は、日本新党を立ち上げて新党ブームをを起こした細川護煕氏で、彼はかの近衛文麿の孫でした。そして今回、鳩山由紀夫氏は友愛革命によるアメリカ流グローバリズムの見直しと、東アジア共同体の建設を志していますが、戦前の日本において、「英米の経済帝国主義」に支配された「世界の現状を打破せよ」と率先して主張したのは近衛文麿で、「大東亜新秩序」の建設を国策と規定したのは近衛内閣でした。

当時の日本における進歩派で、東亜同文会の会長を務めて孫文らと親交を結ぶなど親中派であり、毛並みのよい理想家で政治家としての資質に欠けたと言われる近衛と、鳩山氏の共通点は驚くほど多く、近衛文麿のいくつかの論文と、先日世界に発信された鳩山氏の主張を見比べると、時空を超えて現れた同一人物によるものかと見紛うほどです。

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なぜ近衛文麿は蘇るのか?

支那事変の引き金を引いた盧溝橋事件(1937年)時の首相であり、事変を泥沼化させ、八紘一宇による大東亜共栄圏の建設を宣言し、日独伊三国同盟を結び、南部仏印に進駐し、対米交渉を行き詰まらせ、戦後はA級戦犯に指定されて自害した近衛は、一見すると軍国主義の塊のような存在です。

しかし、「英米本位の平和主義を排す(1918年)」「世界の現状を打破せよ(1933年)」等の近衛の論文を読むと、彼は軍国主義者などではさらさらありません。当時の時代的制約を考慮すれば、そこに見いだされるのは、自国中心的な偽善を糾弾し、崇高な正義を説く理想主義者です。第一次大戦終結直後に書かれた「英米本位の平和主義を排す」において、近衛は、日本は利己主義を捨てて人類普遍の真の人道主義を追求すべきと訴えます。

要するに英米の平和主義は現状維持を便利とするものの唱える事なかれ主義にして何ら正義人道と関係なきものなるにかかわらず、・・・英米本位の平和主義にかぶれ国際連盟を天来の福音のごとく渇仰するの態度あるは、実に卑屈千万にして正義人道より観て蛇蝎視すべきものなり。・・・来るべき講和会議において国際平和連盟に加入するにあたり少なくとも日本として主張せざるべからざる先決問題は、経済的帝国主義の排斥と黄白人の無差別的待遇これなり。・・・わが国またよろしくみだりにかの英米本位の平和主義に耳を貸すことなく、真実の意味における正義人道の本旨を体してその主張の貫徹につとむところあらんか。正義の勇士として人類史上とこしえにその光栄を謳われん。

まさに正論です。そして近衛は後々まで、アジアの中の日本として英米の偽善を排して正義を追求すべきと主張し、国民はその言葉に酔い、近衛内閣の発足を新たな時代の幕開けとして大歓迎しました。

対米交渉に失敗して政権を追われた近衛は、戦局悪化後は陸軍悪玉論を展開し始め、戦後もそう主張しました。悪いのは陸軍で、自分は軍の暴走を抑えようとした側なのだというわけです。近衛の性格的な弱さを指摘する声もあり、たぶんそれは嘘ではありません。

しかし、近衛の失敗は陸軍の横暴と性格的な弱さだけにあるのかといえば、そんなことはありません。というより、それで済ませてはいけません。日本を滅ぼした最大の原因は、陸軍の利己的な利益追求よりも、むしろ近衛の持ち出した善悪の物差しとナイーブな理想論、そして激動の時代に、そういう人間を指導者の地位につけたことにこそ求められるべきです。

軍隊というのは、弱い者には威張るけれども、強い者には尻尾を巻いて逃げます。情けないほどの現実主義こそ、軍の本来の行動原理です。東条英機は、首相に就任してから対米開戦を渋りましたが、もし陸軍の横暴だけなら、10倍もの国力差のある巨人に噛みついたりしません。それをさせるのは政治、それも理念に走り現実と乖離した政治です。ナチズムやファシズムはそうした理念であり、日本においてそれを提供したのは、近衛でした。

上の命令や、組織の都合のためにすすんで死を選ぶ人はいません。正義と理想のために、人は死をも怖れぬファナティカルな行動をとるのです。正義や理想を足蹴にして現実しか見ない人間は空虚ですが、現実を蔑ろにして正義や理想しか見ない人間は危険です。そういう人間を政治権力の頂点にすえる国は、地獄を見ます。

60数年前の災難を「悪」のみに探ろうとする限り、近衛文麿は蘇り続けます。そして真顔でこんな風に囁きます。「一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている」

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2009年08月29日

ひるむマスコミ。だがもう遅すぎる。

田原総一朗さんが、最近のマスコミの選挙報道をめぐる変な風潮についてこぼしています。

私は日曜の番組の冒頭で、「民主300議席超、と各紙が書いているので、私は少し、麻生さんの応援をしたい。残酷な応援だけどね」としゃべったが、これに対するクレームがすごかった。「田原は自民党の犬か」とまで言われた。

テレビも含めてマスコミは今、守りに入ってきている。問題を起こすのを避ける空気が強くなっている。クレームが来るのを、嫌がっている。

しかも最近は、まともに突っ込むと批判が多くなる。何となくいやな時代だなと感じる。

『民主圧勝、自民激減』報道の裏で置き忘れられたもの

マスコミは議論を避けている、議論をしようとしても世間が許さない・・・「マスコミは今、守りに入ってきている」という意見に首是します。いや、少し前までは喜々としてアグレッシブに麻生首相を叩いていたのですが、特に民主が300議席を超えそうだという調査結果が出たあたりから、一部の確信犯を除いて、目に見えて慎重になってきています。

田原さんは、民主が圧勝しそうな理由をこう述べます。

私は、その理由はわりと単純だろうと思っている。

それは、国民の多くが「このへんで一度、政権交代をさせたほうがいいのではないか、こんなに長く、1955年から一回も野党が政権を握れないのは異常だ」と考えているからだろう。

「そんな国は共産主義にしかない。このへんで政権交代させたほうがいいのではないか」という思いを持ち、そして、「政権交代となるならば、自分自 身が政権を変える一員になりたい、政権交代に参加したい、新しい政権をつくれるチャンスだ」と、国民の多くが考えているからだろう。

一方で、自民党のどこが悪いとか、民主党のどこがいいとか、もっと言えばマニフェストなんかは、もうどうでもよくなってしまった。

「マニフェストなんかは、もうどうでもよくなってしまった」というのはその通りだと思います。民主も自民も、基本としてどっちを向いているのかよくわかりませんし、各党のマニフェストを吟味して投票先を決めている人は、極めて少数なはずです。

要するにもう誰も、政策なんて聞いちゃいません。マスコミがあんまり自民を叩くものだから、自民に対して理屈ではなく生理的な嫌悪感を植えつけられて、かつ「歴史的、歴史的」と連呼するものだから、歴史的なビッグイベントに参加する高揚感で民主にドっと流れたと。こうなると議論もなにもありません。ただワッショイ、ワッショイです。

だからマスコミは慎重になっているのです。

民心に火をつけようと団扇でさんざん煽っていたらうまい具合に火がついて、最初のうちは得意になっていたけれど、やがて火の勢いが予想以上に強くなって制御不能に陥り、焦り始めているといったところでしょうか。

でも一度勢いがついた火がなかなか収まらないように、煽られてのぼせた群衆というのは、集団ヒステリー状態になって、ちょっとやそっとでは正気に戻りません。田原さんの番組に感情的なクレームが多く舞い込むようになったのはそういうことで、猛り狂う火は、火をつけた放火犯さえ飲み込んで、燃えるものがなくなるまで燃え続けます。

こういうことは、マスコミの誕生以来幾度もありました。

日本において本格的に新聞が普及した日露戦争後に早速起きた「日比谷焼き打ち事件」に始まり、そしてもちろん対米戦争もそうです。教科書的には、軍部が新聞を押さえつけて、国民を戦争に導いたとされていますが、当時のジャーナリズムは、マスコミの性に従い、率先して大衆を焚きつけたのです。

真珠湾攻撃の1ヶ月前、衆議院で有名な「国策完遂に関する件」の決議が全会一致でなされました。これは、「国民の用意はできているから、いつまでもだらだら交渉などしていないで、早くアメリカと開戦しろ!」という決議です。

すなわちわが国の現にやっているこの支那事変の完遂途上に横たわっているところの最大の障害物が何であるか(「撃て」と叫ぶ者あり拍手)アメリカを主体とする敵性国家群の横やりから来ているのである(拍手)・・・正義を蹂躙し、好意を無視し、独立を脅威し、さらに正統なる進路を遮断せんとするような態度に対して、これをこのまま受け入れて、侮辱、威嚇に屈して自滅を待つがごときことは、我々の正義感、我々の愛国心が絶対にこれを許さないということを言っておきたいのである(拍手)およそ我々の経験で、話をして分からぬ者がよくある、しかしながら話をして分からない者はなお分からせる方法工夫がある、ひとり分かっておりながらなお分からないと称して理屈をこね回しておるところの者に対してなすべき事はただひとつのみである(「ヒャー」拍手)我々はこれまでたびたび不退転の決意、大いにやる、こういうことを聞かされている、・・・しかしながら決意である間は、牢固であるか、弱乎であるか分からないのである(拍手)決意の牢固たることは、宣伝では決まらない、実行によって決まるものである(拍手)これを私は責任ある当局が深く考える必要があろうと思うのであります。

「国策完遂に関する件」島田俊雄議員の演説

まだ政党政治が行われていたこの頃、選挙で選ばれた国民の代表たる議会が、タカ派の軍人首相である東条英機にこう迫ったのです。まだ交渉を諦めていなかった東条首相は、威勢良くこう迫られて、きまりの悪い答弁をしたのでした。

煽られた国民は、いつの間にか軍部の強硬派さえ追い越していたわけで、こうなると冷静な状況認識も何もありません。この決議の数日後に、有名なハル・ノートを突きつけられた東条内閣には、もはや開戦の道しか残されていませんでした。そして燃え上がる炎はあらゆるものを焼き尽くしたのです。

今の日本にはもう戦争をする力はないでしょうが、焼け野原になる方法は戦争だけではありません。日本の経済がバーストすれば、日本のみならず世界は、昨今の金融恐慌など比較にもならない地獄に突き落とされるのですから。

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2009年08月28日

民主党の問題は民主党だ

民主党党首の鳩山由紀夫氏の論文が部分英訳され、ニューヨークタイムズをはじめとする世界中のメディアにばらまかれました。

日本語原文はこちら。NYTの英語要約版はこちら

倫理と抑制を欠いた市場原理主義と金融資本主義の暴走を止めて市民の生活を守るには「友愛」が必要で、「友愛」の大目標のひとつは東アジア共同体の樹立だ・・・と鳩山氏は持論を展開し、「友愛精神」の生みの親であるクーデンホーフ・カレルギー伯の言葉を引用して締めくくります。

「一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている」

鳩山氏の友愛マニアぶりは、今さら驚くことではありません。「資本主義の暴走」などというレトリックも同様です。・・・国内で語るのであれば。

しかし国外に向けて語るとなれば話は別です。

鳩山の過激な論文をアメリカの新聞に載せ、アメリカのエスタブリッシュメント層に読まれることについて、民主党指導部の誰一人として危惧を抱かなかったことは衝撃的だ。今や鳩山は、彼に共感したかもしれないアメリカ人からも、不信の目で見られることになる。

アメリカの日本通ジャーナリスト、トバイアス・ハリス氏(彼は保守派ではありません)は、自身のブログでこう書いていますが、同感です。こんな青臭い反体制的言説を受け入れる土壌は、正義感に溢れた若者の集うキャンパスを別にすれば、日本を除く他の先進国にはありません。

数年前に行われた国連子供会議で、日本の高校生が、「制服着用の強制に反対!」と主張して、「世界の多くの子供たちは、制服を着たくても着れないのに」と失笑を買ったことを思い出しました。民主党の世情オンチぶりは、それと同じレベルです。

ハリス氏は、「鳩山は民主党最大の弱点だ」と結論しますが、このような主張を海外に流して平気でいるということは、鳩山氏のみならず、民主党全体の感覚を疑わざるをえません。

誰でもピンときますが、国際資本主義=グローバリズムの否定と、アジア主義と、精神主義の合体は、どうみても大東亜共栄圏です。

「友愛」の生みの親であるカレルギー伯は、岡倉天心の「アジア主義」に触発されたと言われていて、翻ってカレルギー伯の思想は日本の大アジア主義者に刺激を与えて大東亜共栄圏構想へと昇華した歴史を見れば、それは正しい見方です。

戦前の場合は、その理念を実現する上での矛盾を、軍事力で解決しようとして亡国の道を辿りました。今度は何で解決するのでしょうか?晩年は池田大作氏に心酔していたカレルギー伯の神秘主義で解決できるとでも考えているのでしょうか?

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2009年08月26日

プロに学ぶジャーナリストの作法

先日毎日新聞に載ったこのオピニオン記事。

■新聞への公的支援論議を−−ジャーナリスト・原寿雄氏
・・・廃刊相次ぐ米国では公権力を監視する力が弱まりかねないという声が広がっている。連邦議会では、新聞の再編を容易にするための独占禁止法の緩和や NPO化による税制上の優遇措置などが論議され始めた。欧州では新聞の公共意識が強い。言論の独占を避け、多様性を重視する観点から、スウェーデンでは弱 小新聞への助成策があり、仏では税制上の優遇に加え新成人への新聞の1年間の無料配布も打ち出した。

民主主義社会ではジャーナリズムが不可欠だ。日本では社会文化政策として新聞ジャーナリズムの公的な支援論議はほとんどされてこなかったが、いまこそ始める時ではないか。再販制度や特殊指定制度は、新聞事業を維持するために、その意義が一層強まった。

欧米の政策を参考にした税制上の優遇や、教育文化政策の一環として、ジャーナリズムの社会的な重要性を学ぶためのカリキュラムを強化したり、義務教育が修了する15歳を機に新聞の1年間無料配布を検討してもいい。年500億円で足りよう。

メディア政策:新政権に望む 「表現・報道の自由」規制、デジタル社会、そして…

徹底したネガティブキャンペーンで自民を屠り、その惨状を見せつけた上でさりげなくこういう記事を示すとは・・・みかじめ料を要求するヤクザの手口そのものです。

しかし、マスメディアに対する公的支援の動きは、そのうち本当に出てきます。なにしろ日本は何事にも守旧的なのに加え、欧米の前例は葵の印籠という国民性です。

しかしこの場合の前例は検討に値するのか?原寿雄氏のあげるフランスのケースについて考えてみると、疑問符だらけです。

フランスと日本の新聞事情は、とにかくまるで違うのです。

まずフランスでは、そもそも新聞は驚くほど普及していません。

読売新聞1000万部、朝日新聞800万部という発行部数に比較するとフランスの 新聞は驚くほど部数が少ない。フランスで最も古い歴史を持つル・フィガロが32万部、ル・モンドは31万部にすぎない。・・・
これだけ部数に違いがあるのは、新聞の配達方法が異なるからだ。日本の新聞は宅配が標準で、朝起きると新聞が自宅に届いている。したがって、定期購読者が多い。フランスでは自分で店まで買いに行かなければならない。定期購読制度もあるが利用者はごくわずか。配達は新聞販売店ではなく郵便局が行うの で、届くのは日中になってしまう。

さらに町で新聞を販売しているのはタバコ店だ。フランスでは今年2月に公共施設での禁煙令が施行され、タバコ店が次々と閉店に追い込まれている。出勤前の忙しい時間にわざわざ離れた場所まで新聞を買いには行けない。

フランス新聞事情:有料新聞は生き延びられるか?

発行部数の少なさに加えて、共産党系の労組に牛耳られた印刷所は割高という事情もあり、フランスの場合、ネットの普及による打撃は、諸外国に比べてけた外れです。

宅配の方法を変えたり、売り方を工夫すればいいのにと思うかもしれませんが、それはできません。なぜならフランスでは第二次大戦直後から新聞を「民主主義の要」と位置づけて様々な方法で保護してきており、郵便局による格安宅配や、売り場の確保は保護策のひとつだからです。

そう、フランスではそもそも最初から手厚い新聞保護策が実施されており、こうした形で国が負担する額は、年間で15億ユーロにものぼるのです!

国の過剰な保護により業界は弱体化し、今さら規制緩和をして営業努力をさせようにも、業界気質としてすでに役所化しており、また既得権を奪われることになる郵便局とキオスクも、それを許すはずはありません。

今年1月に発表された新聞保護策は、3年間で6億ユーロの予算を組んで新成人に1年間新聞をただで宅配するというものですが、新聞購読の習慣を普及させることで、各方面を怒らせずに新聞業界に体力をつけさせ、国の負担を少しでも減らしたいという思惑もあるのです。

このように役所化しているフランスの新聞業界と政界の癒着は半端ではありません。

仏主要紙と政財界との結びつきも古く、固い。ル・モンドは戦後、ドゴール将軍(後の大統領)の肝いりで設立された。 同紙を発行するラヴィ・ルモンド社の株式の2割近くは、欧州航空宇宙大手EADS社を傘下に置くラガルデール社が保有する。 最古の全国紙フィガロは1958年の第5共和制発足以来、一貫してドゴール主義政党に寄り添い、今もサルコジ政権に近い。 経営は、与党・民衆運動連合(UMP)上院議員で、軍需大手ダッソー社の総帥であるセルジュ・ダッソー氏が握る。 左派系紙リベラシオンもユダヤ系財閥ロスチャイルド家の手にある。

主要新聞社を保有する企業や資産家の多くは「編集には関与しない」(ダッソー氏)と強調する。だが、カトリック系紙 ラ・クロワの毎年の世論調査で、「新聞は信用できない」と答える人が50%前後に達しており、逆に「新聞報道を信頼できる」 とする回答が80%以上(本紙世論調査)を占める日本とは、対照的な構図も浮き彫りになっている。

仏の主要紙を国が救済、政財界との密着背景

こうした事情は、まるで旧ソ連か毛沢東時代の中国かと見紛うような写真加工を2度暴露されたパリマッチ誌の姿勢から窺い知れます。

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お腹のたるみを修正


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背後の人物を消し損ねて3本脚に


サルコジ大統領は、「テレビ大統領」と言われるほどに報道のされ方に神経を使う政治家で、マスコミ界の有力者に多くの友人を持ち、業界の人事にもたびたび介入してきました。今回の大胆な新聞保護政策は、「民主主義のために新聞は守られなくてはならない」という美名の下、友人たちの懐を暖め、メディア支配をより強めようという手段でもあるのです・・・。

このように、原寿雄氏があげたフランスの例は、日本とはまるで違うフランスの特殊事情と、怪しい意図により生まれたもので、日本の参考になどまるでなりません。そういうことを隠して、自分に都合の良い点だけさらりと伝えて世論を喚起するとは、さすがプロのジャーナリストは違います。

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2009年08月25日

勝利に酔いしれるマスコミ

4年前の「郵政選挙」と、今回の「拷問選挙」は、同じようにムード選挙の側面を強く持ちますが、ムードはムードでもまるで異質なムードです。

前回の選挙は、まさに小泉純一郎というカリスマ政治家により作り出されたムードでした。主役と演出は小泉さんで、彼は自分の言葉と行動で人々を酔わせました。

そのときマスコミはどうしたか?マスコミも荷担して煽動したと感じている人は多いと思いますが、総体としてのマスコミは小泉さんを大嫌いでした。マスコミからすれば、小泉さんなど所詮マスコミの力で持ち上げてみたピエロにすぎません。にもかかわらずマスコミの進言に耳を貸そうとせず、内政も外交も、マスコミに根強い左派的価値観を足蹴にし、配下の安倍さんにマスコミ攻撃をさせた男など、サポートするわけはありません。マスコミの内部にいて、「史上最低の総理だ」という罵りを多く聞いたのは、森、小泉、安倍、そして麻生の4人でいい勝負です。

小泉政権の政策を頭で評価して応援していたマスコミ人は、ごく一部にすぎません。その他大勢は、今麻生さんに対してそうしているように、彼を叩き潰そうとしたのです。でも、ダメでした。叩けば叩くほど、叩いた方が醜悪に見えてしまうのです。小泉さんのカリスマと言われる所以です。それどころか、ただ小泉さんについて報道しただけで、彼の個性はどうしようもなく際立ち、見る者にその存在感を印象づけてしまいます。応援など金輪際したくないのに、何をしても宣伝することになってしまうのです。

やがてマスコミは反抗する気力を失い、郵政選挙直後の小泉チルドレン報道などは、見ていて痛々しいほどのおもねりようでした。それはマスコミの敗北宣言で、総体としてのマスコミがあそこまで意志を失い無力化されたのは、少なくてもぼくの知る80年代以降、初めてのことだと思います。

一方今、300議席を超える地滑り的大勝利をしそうな民主党には、小泉さんに比するキャラはいません。鳩山兄?管?岡田?小沢さんは、民主党合流以降マスコミにさんざん持ち上げられてきましたが、鋭いコメントをするわけでもなく、印象的なパフォーマンスをするわけでもなく、基本的に愛されるキャラではありません。党全体としての印象も、若さを前面に押し出すわけでもなく、女性候補を売りにするわけでもなく、タレント候補攻勢をかけるわけでもなく、イメージは中途半端に分散しています。

では政策で勝負しているかといえば、そういうわけでもありません。その政策は、直感に訴えかける輝きもなければ、新しい時代を予感させる新鮮さもなければ、地味ながら味わい深いというわけでもなく、改革路線を踏襲する政策と、かび臭い社会主義的政策と、水と油のような政策のごった煮で、芯のないポピュリズムの最たるものです。ついでに「マニフェスト」もころころ変えて、自ら提案したマニフェスト選挙を骨抜きにする始末です。

民主党という商品は、ほとんど何一つ、消費者を夢中にさせて旋風を巻き起こすような要素を持ちません。本来ならこれは、政権奪取を狙う野党としては致命的な欠陥です。にもかかわらず、郵政選挙なみの、あるいはそれ以上の地滑り的勝利をしかねないというのは異常事態です。そしてそれを可能にしたのは、マスコミの力です。

徹底したネガティブキャンペーンで安倍政権をつぶし、麻生政権に対する生理的嫌悪感を植え付け、「歴史的」をあおり・・・、新聞の一面には連日大きな「政権交代」の隠し文字が躍り、テレビでは、「政権交代」のサブリミナル放送が行われているようなものです。

選挙というものがムードに左右されるのは仕方のないことで、古くはマドンナ旋風が吹き荒れたり、新党ブームに沸いたり、むしろムードに流されない選挙はありませんでした。小泉旋風もムードで、今回もムードです。

しかし特にムード性の強い前回と今回の選挙におけるマスコミの役割は180度違います。4年前の郵政選挙では、マスコミは意志を持たない拡声器にすぎませんでした。しかし今回はマスコミの意志こそすべてであり、個々の政治家や政党など、その駒にすぎません。

今回の選挙の勝者は民主党ではありません。マスコミです。

昨日紹介した朝日新聞の天声人語は、「久しぶりに、いや初めて『歴史』に関与している感慨を覚える」と書いていましたが、恐らくこれは誇張ではなく本音です。今マスコミは、高揚感に浸っているのです。4年前の雪辱を果たし、自らのペンとカメラで民心を操り、うだつの上がらない政党に大勝利をもたらした自らの力に酔いしれているのです。

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2009年08月24日

「歴史的選挙」に浮かれる人たち

今回の選挙が「歴史的」であるためには、民主党が勝たなければなりません。自民党が政権を守れば、歴史的でもなんでもありません。

自民・公明連立政権の継続か、民主党を中心とした野党による政権交代か。日本の民主主義にとって歴史的な選択の幕が開く。・・・規制緩和などの政策が家計にもたらした痛みは想像以上だった。・・・バラマキとの批判もある。無原則な財政支出に結びつくのでは問題だ。だが行き過ぎた「市場原理主義」を問い直そうとする動きが政策論争として本格化し始めた。そう前向きにとらえることもできるだろう。 ・・・「 小さな政府」論では将来への不安解消に対処できない。・・・
北海道新聞 8月18日社説 歴史的な選択の幕が開く


30日は仕事なので、一足先に選挙権を使ってきた。区役所の出張所にできたばかりの投票所には絶え間なく人が訪れ、暦が1週繰り上がったかのようだ。昨日の朝日川柳の一句が浮かんだ。〈待ちきれず期日前投票に行く私〉・・・報道に身を置く者にも、この戦後史の山場は勝負時である。久しぶりに、いや初めて「歴史」に関与している感慨を覚える。コラム書きではなく、一人の有権者として。
朝日新聞 天声人語8月24日

時代はどうやら生半可ではない「変革」を促しているようです。政権選択の衆院総選挙へ、あと一週。私たちは歴史的な場面に立ち会おうとしています。・・・伝えられる自民の劣勢は、はたして一時的な民心離反や長期政権への飽きによるものでしょうか。そうではなく自民政治を支えた保守風土の「地殻変動」だとする見方も少なくありません。・・・「日の丸」が民主の党旗へ切り張りされたと麻生首相が声を張り上げても、聴衆の反応がいまひとつなのは、そういうことです。・・・この総選挙をきっかけに、おカミに弱いとされてきた、伝統的な国民性を自ら変える。そして、無責任行政と決別する。そんな歴史的体験を、ぜひ、みんなで共有したいものです。
中日新聞 8月23日社説「歴史的体験を共に 週のはじめに考える」


それにしても、このハシャギようはなんでしょうか?いくら社説とは言っても、党派性むき出しにしすぎです。こういう人たちが作った紙面、番組を、われわれは日々そこに客観性があるものとして読み、聞き、吸収してきたのです。新聞をとらず、テレビもほとんど見ないぼくには、自民と民主の区別もつかないのですが。

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2009年08月22日

拷問選挙と世界と日本

民主党の菅代表代行はこの日、小泉氏の側近だった中川秀直・元自民党幹事長のおひざ元、広島県 東広島市に乗り込み、「資本主義の暴走を許す小泉改革路線は大きな間違いだった」と声を張り上げた。

小泉さん「よほどのことない限り政権交代」

自民と民主、どちらもゴミなら、少なくてもごっそり人員刷新される民主の方がましなのかもしれません。でもこういう発言を聞くと、とてもじゃないけれど投票用紙に民主とは書けません。もうこれは拷問です。

おりからの金融危機で、世界中が市場経済の見直しに進んでいるように思っている人は多いようです。しかしもう何度も同じことを書いていますが、「資本主義の暴走」などと叫んでいるのは、先進国中日本だけです。

アメリカでは、ブッシュ憎しでオバマを当選させはしましたが、誰も市場経済の見直しなど求めておらず、オバマ政権の打ち出す社会主義的な政策は、国民の反発を呼ぶばかりです。

イギリスでは、金融危機の勃発に際し、与党の労働党が先祖返りして社民主義的な政策を取ろうとして大きく支持を落とし、次の選挙では、公共支出の大幅削減を訴える保守党が圧勝する勢いです。

そしてドイツ。現在は、保守連合と社民党の大連立ですが、「資本主義の失敗」を訴える社民党は大きく支持を落とし、9月下旬に行われる選挙では、野党に転落すると見られています。

保守連合メルケル首相のスローガンは「成長による雇用創出」。「首相に相応しいのは誰か?」を問う最新の世論調査では、社民党の首相候補に対して、1977年の調査開始以来最大となる、23パーセントの大差をつけています。(Merkel enteilt Steinmeier

メルケル首相は、選挙後に自民党と連立を組むことを目指しているのですが、ドイツ自民党というのは、押しも押されぬ自由主義政党。減税と税制の簡素化、そして公共支出の大幅削減を訴える自民党は、ここ数ヶ月で大きく支持率を伸ばし、今や社民党に迫る勢いです。

このように、サブプライムローン問題に端を発する金融危機は、その被害をもろに被った欧米において、「資本主義の暴走」などという議論にぜんぜん結びついていません。それどころか、元来社民主義的傾向の強い欧州においては、社民勢力が減退し、むしろ“資本家の手先”である自由主義勢力を元気づかせてさえいるのです。

それはなぜなのか?考えるに、例えばドイツでは、こちらの「金融危機の原因はどこにある?」というシンクタンクのレポート(Wo liegt der Ursprung der Finanzkrise?)にあるように、金融危機の大きな原因は「アメリカで、政府の働きかけにより信用の低い個人に積極的に住宅ローンの貸し付けが行われてバブルを引き起こしたこと」であるという健全な議論が当初から行われていたこと。また、それに喜々として投資して真っ先に損害を出したのが公的基金だったことで、「資本主義の暴走」というデマゴギーにつけいる隙がなかったことがあると思います。

一方日本では、新聞各紙やNHKをはじめとするテレビは、金融危機の発生原因として「行きすぎたマネーゲーム」を強調するばかりで、市場を歪めた政府の介入をほとんど伝えませんでした。そして直接の被害を受けることもなかったので、その実例を肌で感じることもなく、「資本主義の暴走」などという、よく考えてみると何だかよく分からないかけ声の跋扈を許してしまったのです。

確かに時代は変わり目にあります。ヨーロッパでも既成政党に対する幻滅は広がっており、新しい政党が次々と生まれ、今回のドイツの選挙には、実に27もの政党が名乗りを上げています。しかしそうした政党の多くは、極端な例では「パイレート党」のように、既成の制度を見直してより大きな自由を目指す方向を向いており、「資本主義の暴走」などという昭和のデマゴギーを振り回して「歴史的選挙」などとホクホクしているのは、日本だけです。

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2009年08月21日

自動車の国日本

9月下旬の投票日に向けて、選挙戦に入っているドイツですが、緑の党幹部の発言が物議を醸しています。

どんな発言をしたのかというと、議員でありながら、「日本車を買いましょう」と、日本車の宣伝をしたのです。

キューナストは日本車に夢中(独語)

発言をしたレナーテ・キューナスト元消費者保護・栄養・農業大臣は、実は2年前にもプリウスの購買を呼びかけて批判されたそうなので、あるいはトヨタの回し者かもしれません。しかしキューナストさんからすれば、「ドイツの自動車メーカーが環境対策に取り組まないので、緑の党としては、そう言うしかない」ということのようです。

そこで今回、キューナストさんが日本車を薦める根拠とした、ドイツ交通クラブ(VCD)の環境に優しい車ランキングを見てみて驚きました。実に1位から6位までを日本車が独占しています。

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しかもキューナストさんによれば、「ドイツ車は7位にランクインしているが、それとてツーシーターのスマートだ」ということで、ドイツの自動車産業に警鐘を鳴らしたくなる気持もわかります。

温暖化議論のいかがわしさは別にして、これからの自動車で最も大事なのは燃費です。いろいろとダメダメなこの国ですが、ハイブリッド技術の先行で、ついにあの技術立国ドイツの自動車産業を脅かすところまで来た日本の自動車産業は、素直にすごいと思います。

思い返せば大戦末期、米軍が立案した九州侵攻作戦、「オリンピック作戦」で、上陸予定地点の海岸につけられたコードネームをご存じでしょうか?

「ビューイック」「キャデラック」「シボレー」「クライスラー」「フォード」「ポンティアック」「ロールスロイス」「メルセデス」「パッカード」・・・、上陸予定地点35箇所につけられたのは、すべて自動車の名前でした。

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この国は、自動車の国になることを運命づけられていたのかもしれません。

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2009年08月20日

大麻規制の起源

カリフォルニア州で、大麻を合法化しようという機運が高まっています。

カリフォルニア財政危機で高まるマリファナ合法化論争

また今月17日のワシントンポストには、犯罪学の立場から、「ドラッグを合法化すべき時だ」というコラムが載りました。

ドラッグ・ユーザーは一般的に攻撃的ではない。ほとんどの者は、ただハイになりたいだけだ。問題なのは、治安を乱し、ライバルグループと抗争する密売組織だ。違法売買は、カネとメンツをかけた抗争に銃で始末をつける環境を生んでいるのだ。

・・・対麻薬戦争を現場で経験してきた我々からすれば、戦争を終結するのは正しいことだ。それは我々すべて、特に納税者を益することになる。ドラッグの合法化を求めるのは経済的な理由からではないが、その恩恵は計りしれない。7月に行われたオークランドの住民投票は、4対1の圧倒的多数で、ドラッグに対する課税を承認した。ハーバードの経済学者ジェフリー・ミロンは、麻薬戦争を終結することにより年間440億ドルの節税になる一方、課税により330億ドルの税収を生むと試算している。

対麻薬戦争を止めれば、アメリカの物騒な界隈は立ち直るチャンスを得られる。労働者は安心してポーチで憩い、不良少年たちは犯罪者を仰ぎ見ることを止め、満杯の刑務所は本当の犯罪者を収監でき、そして何より、これ以上の警官の死を食い止められるだろう。

It's Time to Legalize Drugs

ここでいうドラッグは、大麻から抽出されるマリファナのことです。アメリカはもう40年も、麻薬戦争と称してドラッグ撲滅に力を入れていますが、マリファナの愛好家は2000万人にのぼるなど、効果は一向にあがりません。「もう無駄なことはやめて、現実を見よう」というわけです。

大麻の合法化を求める人たちの中には、こうした現実的な犯罪抑止や、経済的な観点からではなく、そもそも大麻を違法にしておくのはおかしいと考える人たちもいます。アメリカで大麻の栽培が違法とされたのは1937年で、その背景は極めていかがわしいからです。

大麻を追放して合成繊維を普及させたいオイル業界と政界の癒着、仕事を増やして組織を拡大したい麻薬取り締まり局の役所的動機、マリファナを常用していたメキシコ系移民への差別意識、撤廃された禁酒法に代わる道徳的なスケープゴート・・・、アメリカで政府の力が急激に増大したニューディール政策下、医学的な理由よりも、政治的な事情で決められたその背景を知れば知るほど、大麻を悪とする見方は、お上により植え付けられた幻想だとわかります。

だから日本も大麻の合法化に取り組めと言いたいわけではありません。マリファナをアルコールと同列と考えるならば、アルコールは飲まずに済めばそれに越したことはありません。今の日本人のほとんどはマリファナをのまずにいても別段息苦しさを感じないのですから、なにもわざわざ奨励するようなことをする必要はないと思います。今後アメリカがどうしようと、それに追随する必要はなく、日本社会の動向を見て決めればいいことです。

しかし、なぜ日本で大麻が規制され、悪魔視されるようになったのか、その起源だけは心に留めておくべきだと思います。

日本で大麻取締法が制定されたのは、1948年(昭和23年)のことでした。戦前の日本では、大麻は重要な農産物のひとつで、それこそ稲作と同じように、文化と深く結びついた存在でした。ですから当時の議会では、規制にあたり農産物としての大麻をどうするのか、さかんに議論されました。

○政府委員(久下勝次君) 私共も御指摘の点は心配をしないでもないのでございます。実は從前は、我が國においても大麻は殆んど自由に栽培されておつたのでありますが、併しながら終戰後関係方面の意向もありまして、実は時大麻はその栽培を禁止すべきであるというところまで來たのでありますが、いろいろ事情をお話をいたしまして、大麻の栽培が漸く認められた。こういうようなことに相成つております。併しながらそのためには大麻か ら麻藥が取られ、そうして一般に使用されるというようなことを絶対に防ぐような措置を講ずべきであるというようなこともありますので、さような意味からこ の法律案もできております。その意味におきましては絶対に不自由がないとは申せませんと思いますが、行政を運営する上におきましては、さような点をできる だけ排除して、できるだけ農民の生産意欲を向上するように努めております。
昭和23年6月28日 参院本会議


この答弁における「関係方面の意向」とはどこの意向のことなのか?言うまでもありませんが、あえて別の議事録から引用します。

○島村軍次君 尚二、三伺いたい。先程の桑苗の問題、御囘答なかつたから……。
 それから私の縣だけではないと思いますが、「大麻の栽培禁止の問題」、これは直接の關係はない、GHQとの關係はありますが、これに對する經過なり、今後の見通しを一つ、重要な輸出農産物になる關係がありますので、この席で御發表を願いたいと思います。
昭和22年8月23日 農林委員会

というように、大麻の栽培規制は、GHQ(米進駐軍)からの指令だったわけです。アメリカ人は、彼らの価値観を移植するために、また米兵が日本で大麻に“汚染”されないように、アメリカ同様の大麻規制を、オキュパイド・ジャパンに強要したわけです。

以来60年、日本人は、法律を押しつけた当のアメリカ人など問題にならぬほどに、教条的に大麻を悪魔視するようになりました。大麻に対する見方は、いかに日本人の無意識の中に、今もアメリカが神として君臨しているかを示す現象のひとつなのです。

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2009年08月19日

激しく右傾化するアメリカ

作者はなぜ匿名なのか?その理由は恐らく、ポスターが人種差別的なイメージだからだろう。

Obama as The Joker: Racial Fear's Ugly Face ワシントンポスト

このポスターが受ける理由は、人種差別意識に尽きる。

Obama 'Joker' Poster: It's All About Race LAデイリー

このポスターは、違法コピーしたフォトショップで子供が作った作品かもしれないし、中年男がメッセージを広めるために作ったのかもしれない。後者だとすればとても興味深い。なぜならグラフィティやゲリラポスターは、左派の専売特許だからだ。

フェイリーは言う。「人々の注意を引き、メッセージを伝えるというストリートアートの有用性に、ようやく右翼も気がついたのかもしれないね」

Shepard Fairey has 'doubts' about intelligence of Obama Joker artist
 LAタイムズ

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オバマ大統領をバットマンのジョーカーに模したポスターが登場したとき、アメリカのジャーナリズムはこんな調子で警鐘を鳴らしました。

そして昨日、オバマをジョーカーに模した、知性の劣る差別主義者の顔が割れました。犯人は、シカゴ在住でパレスチナ系の20歳の学生でした。

犯人のフィラス・アルカティーブは、すぐに名乗りでなかった理由をこう述べます。

大統領に対して批判的であることを公に知られるのに不安があった。特にシカゴという土地柄は「ものすごくリベラルだから」と彼は言う。

「オバマが当選したあと、まわりはまるでキリストの再来のように見ていた」とアルカティーブ。「ぼくの見方では、彼は見かけだけだ」

Obama Joker artist unmasked: A fellow Chicagoan LAタイムズ紙

イスラエル贔屓だったブッシュ前大統領はもちろん大嫌いで、共和党支持でも民主党支持でもなく、大統領選は棄権したというアルカティーブ。そんな彼が、低俗で恐ろしいイメージ作りに手を染めるとは・・・。アメリカの右傾化、人種差別の影は、こんなところにまで及んでいるのです。

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2009年08月18日

アメリカが揺れている理由

医療保険改革を巡って、なぜアメリカが揺れているのか?

その理由について説明するコラムを見つけましたが、これは誤解を誘います。

米国(の一部)が医療保険改革に反対なのは「クレージー」だからか――ニュースな英語

長いコラムをひと言でまとめれば、「アメリカの保守派は非理性的で陰謀論に染まりやすいのだ」ということです。

しかしこれでは、「保守派はバカだな」で終わりです。民主党の無謬性に立脚した、一方的すぎる見方です。

実際に起きたことはあれこれ分析するまでもありません。reddit(redditは中道左派的なユーザーが多いです)で見つけた明快なコメントを借りれば・・・

民主党は完ぺきにドジった。最悪のプレゼン。メッセージは複雑で、まとまりがなく、おかげで国民に要点は伝わらず、もちろん細かいことなんてまるで伝わらない。印象として残るのは、企業に対する公的支援と同じで、とにかく借金して大量のカネをつぎ込み、余計なお役所仕事を増やし、その結果コバンザメたちがもうかるということだけだ。


重要な政治課題に対してこれでは、失敗するのは当たり前です。民主党は、オバマ人気に頼って準備不足で電撃戦を仕掛けてコケたのです。

ところが民主党はそこでリグループしようとせずに、さらに傷を広げてしまいました。「法案が反対されるのは、反対者がバカだからだ!」と考えて、それを態度に表してしまったのです。

大物議員たちは、反対者を「ナチスだ」「非国民(アンアメリカン)だ」「アストロターファーだ*」と呼び、民主党贔屓のインテリたちは、人種問題やら文化論を持ち出したりして反対者の愚を指摘しました。

冒頭で紹介したコラムの筆者は、そうした民主党シンパの考え方を踏襲しているのですが、外国人ジャーナリストの表面的な日本批判と同じで、こんな上から目線で実験動物でも見るような分析をされた保守派からすれば、それこそ怒髪天を突くです。

「なにその自分を棚に上げた独善的なエリート意識?」ということで、保守派はますます態度を硬化させ、もともとのオバマ支持者たちも鞍替え続出で、おかげで支持率はフリーフォール状態です。

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医療保険改革を巡って露わになった民主党のエリート意識に対する疑念は、この問題にとどまらず、長く尾を引きそうです。

*Astroturfer=アメリカでは、人工芝のことを、初の人工芝球場であるアストロドームにちなんで、アストロターフと呼びます。草の根運動のことはグラス・ルーツと呼び、これは「天然芝の根」を意味しますが、アストロターファーはこれにかけたスラングで、人口の草の根運動=動員されたデモを意味します。語感としては、「プロ市民」に近いかもしれません。なお、反対派をアストロターファー呼ばわりした民主党側は、タウン・ミーティングに自派のアストロターファーを動員していたことが明らかになっています。

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2009年08月16日

凄すぎる「ネットワーク」

「ネットワーク」という映画を見ました。1976年公開ですから、もう33年前も前の映画です。しかしあらゆる点で一切色あせておらず、とてつもない刺激を受けました。

番組降板を通告され、私生活でもうまくいかないニュースキャスターのハワード・ビレットは正気を失い、本番中に「来週の本番中に自殺する!」と発言してしまいます。するとこれが話題を呼び、視聴率は大幅アップ。テレビ局の経営陣は、精神のバランスを崩して預言者のように世の中を告発するハワードを前面に立てた番組構成に変えて、視聴率はうなぎ登り・・・

とあらすじを書くと、視聴率に振り回されるテレビに対するありふれた風刺映画と思われるかもしれません。しかしそうではありません。

この映画の傑作シーンのひとつ、ハワード・ビレットが「さあみんな椅子から立ち上がり、窓を開けて叫ぶんだ!『わたしはカンカンに怒ってる!もうたくさんだ!』」と煽動すると、街中に叫び声がこだまするシーンや、次のようなビレットのテレビ批判は、その部分だけ独立したミニ作品としても成立するほどに、的を射ています。

テレビは幻想なんだ。真実なんてどこにもない!でも君たちは一日中テレビを見てる。歳も人種も宗教も関係なく、頭の中はテレビで一杯だ。だから我々の作る幻を信じてしまう。テレビこそ現実で日常を非現実と感じるようになる。君たちはテレビの言いなりだ!テレビの言う通りの服を着て、テレビの言う通りに食事し、テレビの言う通りに子育てして、テレビの言う通りに考える。これは集団の狂気だ。君たちは狂人だ!いいかい、君たちこそ現実なんだ。我々は幻なんだ!


「私は怒っている!もうたくさんだ!」


しかし、この映画の良さは、そういう風刺の鋭さにとどまりません。この映画の時代を超越した魅力は、テレビそれ自体を根底から否定しているところにあります。

テレビ批判というのは、それこそテレビの放送開始とともになされてきました。しかしそうした批判のほとんどは、低俗な番組内容とか、視聴率重視の姿勢とか、やらせとか偏向とか、そういうことに向けられてきました。悪いところを改善していけば、良いテレビになるという前提での批判です。

しかしこの映画は、そうしたテレビ批判の本道から外れて、テレビそのものを否定します。それは、この映画の主役である、報道局長のマックス・シューマッカーの態度に現れています。

シューマッカーは、かのウォルター・クロンカイトらとともにテレビの黎明期から活躍してきた一流のテレビジャーナリストという設定です。彼は、視聴率重視でセンセーショナリズムに走る経営陣にその座を追われてしまうのですが、「テレビ報道の本来あるべき姿」を説いたり、追求したりしません。経営陣の方針を仕方のないこととして受け入れ、テレビ自体に背を向けるのです。

不倫相手であり、テレビの象徴である編成局長のダイアナ・クリステンセンとの別れの際、シューマッカーはこう言います。

君の中にはもう共に暮らせる要素は何もない。君はハワードの言うヒューマノイドだ。これ以上君といれば、わたしは壊されてしまう。ハワード・ビールのように。君とテレビの触れたものすべてのように。君はテレビそのものだ。痛みに無関心で、喜びに無感覚だ。人生のすべてはありふれた凡庸に堕してしまう。君には戦争も殺人も死も、ビール瓶と同じだ。日々の生活は堕落したコメディだ。時間と空間の感覚さえ、瞬間とリプレーの積み重ねと化してしまう。君は狂気だよ。危険な狂気だ。君の触れるものすべて、君と共に死ぬんだ。


なぜこんなに刺激的な映画を今日まで見ずに来たのかと、自問せずにいられません。いや、たぶんぼくはこの映画をすでに以前どこかで見ていて、見過ごしていたのです。10年前のぼくなら、この映画を、荒唐無稽な話として受け流していたに違いありません。

映画の中にはたびたび、「6千万人の視聴者」という言葉が出てくるのですが、数百から数千万人レベルの人が同じ番組を見るというテレビ文化の崩壊が現実味を帯び、テレビのない世界を想像できる今だからこそ、テレビという毒を根底から否定するこの映画にシンパシーを感じ、改めて発見したのだと思います。

それにしても、テレビに代わるオータナティブもなく、いよいよこれからテレビの絶頂期を迎えようとしていた時代に、テレビの未来を見通し(ハワード・ビールのニュースショーはまさに現代のニュースのカリカチュアですが、70年代のテレビ報道はまだまだお堅い世界でした)、よくぞここまでテレビを客観視できたものだと、脚本のパディ・チャエフスキーと監督のシドニー・ルメットには感服します。

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2009年08月14日

異なる戦後・終戦直後のアメリカは日独をどう見ていたか?

第二次大戦終結後、米軍は、かつての主敵であるドイツと日本に大規模な占領軍を駐屯させる必要に迫られました。占領軍の任務は、戦時のそれとはまるで違います。そこで米軍は、任務につく兵士たちにむけて、占領軍兵士としての心構えを説くオリエーテーションフィルムを作りました。

ドイツ占領軍に向けては、「Your Job in Germany」、日本占領軍に向けては、「Our Job in Japan」。いずれの作品も、ドクター・スース脚本、フランク・キャプラ監督のコンビで、1946年初頭に作られました。

戦争終結後のフィルムですから、戦時中のプロパガンダフィルムと違い、敵に対する憎悪を無闇にかき立てる必要はありません。またその一方で、旧敵に対して配慮したり、偏見を隠す必要もありません。そういうわけで、この2本のフィルムには、ドイツ人と日本人に対する、当時のアメリカの本音が色濃く表れているといえます。

さてまず「Your Job in Germany」の方ですが、この作品は、占領軍の兵士のみならず、一般にも公開されて好評を博しました。そしてその内容は本当に苛烈です。今でこそ、悪いのはナチスで、その他大勢のドイツ人に罪はないとされていますが、このフィルムは、問題はナチスだけでなく、ドイツ人そのものだとしています。



君たちの任務は、未来の戦争を防ぐことだ。今ドイツは無害に見える。ヒトラーは去り、鉤十字は去り、ナチのプロパガンダは止み、強制収容所は開放され、そこには廃墟と美しい風景が広がる。しかし惑わされてはいけない。君たちは敵国にいるのだ。君たちは観光客ではなく、ドイツの歴史と相対しているのだ。その歴史は、1人のフューラーにより書かれたものではなく、総体としてのドイツ人により書かれたものだ。

フィルムはこう始まり、ナチスの征服戦争を、ビスマルク時代、第一次大戦時代のドイツとの延長線上に描きます。そして、戦間期のドイツ人は、平和的に振るまい周囲を油断させるが、ほとぼり冷めると正体を現して、世界征服を企むといいます。だから結論はーー

すべてのドイツ人はトラブルの種だ。従ってあらゆるドイツ人と友好を結んではいけない。ドイツ人は我々の友人ではない。女、子供を問わず気を許してはならない。公の場はもちろん、プライベートでも気を許してはならない。家を訪ねたりして、信用してはいけない。いかに友好的でも、いかに反省しているように見えても、いかにナチスの崩壊を歓迎しているように見えても、彼らの握手の求めに応じてはならない。それは握ってはならない手なのだ。


その後冷戦の勃発によりアメリカは占領政策を変更しますが、アメリカ人のドイツ人に対する不信と憎悪、偏見は、これほどまでに大きかったのです。

では一方の「Our Job in Japan」はどうなのか?

黄色人種の日本人に対して、偏見の限りをこれでもかとばかりにぶつけるかと思いきや、そうではありません。

この平和が維持されるかどうかは、7000万人の日本人の取り扱い次第だ。占領軍として日本人をどう扱うべきか?占領軍として、元兵士たちの父、兄弟、母、親類、そして軍服を脱いだ元兵士たちをどう扱うべきか?指導者の命令に盲目的に従うよう教育され、文明人なら目を覆うような野蛮を働いた彼らをどう扱うべきか?彼らを操る軍人たちは消え、日本人はまたトラブルを起こすかもしれないし、正気になるかもしれない。我々は、彼らを正気に戻すことにした。そしてその仕事は、日本人の脳から始まる。我々の問題は、日本人の脳なのだ。


こう始まる「Our Job in Japan」は、「日本人の洗脳を解き、再教育する」ことをひたすら訴えます。

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7000万人の脳に正しい考えを注入せよ

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軍人により注入された選民意識を破壊せよ

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友好的に振る舞い、アメリカ思想の魅力を伝えよう



これはこれで大問題で、その弊害は今でも残りますが、作品中に無垢な子供たちのカットを何度も挿入するなど、昨日まで殺し合いをしていた相手に対する態度としては驚くほど寛容です。実際マッカーサー将軍は、あまりに寛容すぎるということで、このフィルムを兵士に見せませんでした。

ドイツ人に対する、「我々の任務は再教育することではない。良いドイツ人も悪いドイツ人もなく、もう絶対にトラブルを起こさないと確実にわかるまで、彼らを認めてはならない」という態度と、日本人に対する、「おかしな思想を抱く日本人には厳しく、良き思想を抱く日本人には優しく。友好的に振る舞うことで、日本人を良き方向に導かなければならない」という態度。同じように殺し合いをした相手に対する態度の違いはどこから来たのか、興味深いことです。

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2009年08月13日

オバマジョリティ?

広島市が、核廃絶を訴えたオバマ大統領を応援するという意味で、「オバマジョリティ」という標語をアピールしています。Obama と Majority(多数派)をかけてオバマ支持を意味する造語ということで、Tシャツやらテーマソングやらを作ってプッシュしているようですが、ひどい気まずさを感じるのはぼくだけではないと思います。

「♪ハー 本当に 核なき平和をね 
全力尽くして 世界のために
力満ちたる 約束の 次はアクション
Yes,you can
応援してるよ 世界から
みんながあなたのサポーター
オー オー オーバマ
オーバーマジョリティー
シャン シャン シャンときて マジョリティー」

「オバマジョリティ音頭」RCCニュースより

幸いあちらの掲示板などを見ると、「オバマジョリティ音頭」はまだ世界に知られておらず、またほとんどの人は「オバマジョリティ」という用語をスルーして議論しているので胸をなで下ろしました。しかしスルーされているということは、「オバマジョリティ」を前面に立ててのPRが失敗しているということを意味していて、それはそれで問題です。

オバマ氏の当選から就任までは、小浜市のバカ騒ぎを笑えないほどに、確かに世界中がブームに沸いていました。あの頃アメリカメディアは、オバマ当選の喜びのために、「オバマベビーブーム」になりそうだとまで予想していたものです(結局ベビーブームは起きませんでした)。たぶん広島の秋葉市長は、今もその頃の余韻に浸り続けていて、広島のメッセージを世界にアピールするチャンスだと考えているのかもしれません。

しかしここ2ヶ月ほどで、事情は大きく変わりました。

アメリカでは、オバマ氏の支持率は歴代大統領に比べても目を見張るペースで急降下し、今では不支持率の方が支持率を上回っています。外交は弱腰、内政は国内の亀裂を深めるばかりで、オバマ氏のカリスマは急速に色あせ、Yes, we can! という標語は過去のものになりつつあり、The One とか The Great Unifier とかいう称号は、もはや皮肉としてしか使われません。今やオバマ氏は誰からも愛されるアイドルではないのです。

小浜市の悪のりはまだギリギリで微笑ましさを残していましたが、広島の悪のりは完全にタイミングを外している分たちが悪く、しかも被爆という厳粛な問題に絡んでいるだけに、笑い飛ばすわけにもいきません。

前述した通り、「オバマジョリティ」に対する日本以外での反応はほとんどないのですが、あちらのブログや掲示板でなされた数少ない反応をいくつかあげておきます。

オバマの政治姿勢には賛成できないが、広島の思いはわかる。

なんとも難解な言葉だ。

核廃絶には大賛成。でも核廃絶を訴えた政治指導者はオバマだけか?

オバマと何の関係があるんだ?オバマは式典に出なかったし、「ヒロシマジョリティ」にすべき。

ところで、「オバマジョリティ」というのは秋葉市長の造語と喧伝されていますが、決して市長のオリジナルではありません。2008年の初め頃、「ポピュリスタ」と名乗る活動家が、オバマ派の下院候補者を支援するために、オバマジョリティという運動をウェブ上で展開したことがあります。「オバマ大統領のために多数派議会を!」というわけで、オバマジョリティという語感からは、普通こういうことを連想します。世知辛い政治状況の中、オバマジョリティを訴える広島市の姿は、奇妙にしか映りません。

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2009年08月11日

Why So Serious?

今月初め、ロサンゼルスにオバマ大統領をバットマンに出てくるジョーカーに模して批判するポスターが出現し、結構な騒ぎになりました。

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警察の要人は、「大統領を悪魔や社会主義者と表現するのは、政治的なパロディを超えている」とポスターの制作者を批判し、識者の多くは「悪意に満ちており、危険だ」と憂慮しています。

こう言われると、「確かに」と頷いてしまう人も多いと思いますが、次の画像を見ると、おかしなことに気づくはずです。
続きを読む

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受け手の数により変質する情報

渋滞学という学問があります。車が渋滞するメカニズムを研究し、どうしたら渋滞を解消できるのか探る学問です。

それによれば、例えば渋滞中の車に一斉に、ナビゲーションシステムによりリアルタイムで混雑状況を知らせて抜け道を案内しても、渋滞箇所が広がるばかりでぜんぜん渋滞は緩和されません。情報の送信を全体の3割程度に制限しないと、抜け道情報は抜け道情報として機能せず、渋滞緩和に役立たないのだそうです。

こうした問題は災害時における避難経路の伝達においても見られますが、情報というものの本質を突いていると思います。いかに正しい情報でも、あまりに多くの人々に行き渡り過ぎると、間違った情報、有害な情報に変質してしまうのです。

マスメディアというものが本源的にはらむ問題も、こうした、受け手のボリュームにより変質するという、情報の特性に関係しているように思います。

マスコミというのは、何だかんだ言っても、他にはないコネクションを持ち、情報を引き寄せる引力を持ち、情報を選択、料理する高い技術と経験を持ちます。本来なら、素人の集まる掲示板やつぶやき、ブログなどに負けるはずはありません。しかし実際には、むしろそうした素人発の情報の方に、知的渋滞を抜け出す道を教えられることが多々あります。

そうなる理由は、あまりに大きすぎる露出度が、価値のある情報を有害な情報へと変えてしまうからです。それを肌で知るマスコミは、通常渋滞情報をズバリ知らせません。時折節度を失い、渋滞情報をそのまま流せば(それは客観的でフェアな情報を流すということではありません。ほとんどの情報はバイアスから逃れられず、また真実はある程度のバイアスを通してしか見えてきません)、時に社会を無用に混乱させ、時に偏向と叩かれることになります。

要するにマスコミは、そのあまりに多すぎる受け手のために、どう転んでも役に立つ情報を発信できないというジレンマに陥っているのです。ですから、質において大きく劣る素人論者たちの群れに、しばしばいなされてしまうのです。

人は、比喩としての渋滞から逃れ、抜け道を見つけるために情報を求めます。しかしマスメディアは抜け道を教えてくれず、新たな渋滞へと誘うことしかしてくれません。そしてそれはマスメディアの能力の問題ではなく、マスメディアというシステムそれ自体の問題なのです。

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2009年08月10日

This is what news is

酒井法子が失踪したときに毎日新聞が使った写真と、逮捕したときに使った写真が、いかにもの印象操作なので、それに憤慨している人がいます。



状況に合わせて恣意的に写真を差し替えています。しかしこれを印象操作と呼んで糾弾するなら、あらゆるニュースを糾弾しなければなりません。ニュースというものは、印象操作の積み重ねだからです。

テレビで貧困国の取材に行けば、のんきに暮らしている人々を無視して貧困にあえぐ可哀想な人々の映像ばかりを撮り、紛争地帯の取材に行けば、結構普通に暮らしている人々を無視して破壊の跡と被害者ばかりを撮り、伝染病の取材に行けば、普通にしている人たちは無視しして防護服を着た検査官とマスクをつけた人々ばかりを撮り、人気店の取材に行けば、客が殺到しているように見えるシーンばかりを撮る・・・。

これは何も映像や写真の取り扱いだけに限りません。映像の編集、文章の組み立て、言葉の選び方、そしてそもそもどのネタを大ニュース扱いにしてどのネタをボツにするかの判断こそ、最大の印象操作です。

毎日新聞のノリP報道における写真の使い方は、それを鮮やかに語る、メディアリテラシーの絶好の教材といえます。しかしこれは、憤慨することではありません。

というより、憤慨してもいいけれど、それはこのように印象操作された情報を「客観的でフェア」な情報として無批判に嚥下する世の風潮、またはそうした風潮を作り出す仕組みに対してなされるべきであり、報道機関の態度を糾弾したところで、タマネギの皮をむくようなもので、どこにもたどり着かないのです。

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2009年08月08日

Great Wall of Old Media

先日、“世界のメディア王”ことルパート・マードック氏が、傘下メディアのウェブページを1年以内にすべて有料化すると語りました。

ウォールストリートジャーナル、ニューヨークポスト、タイムズ、ザ・サン、ニュース・オブ・ザ・ワールド等々、名だたるメディアの一斉有料化は、なかなかのインパクトを持ちます。

「質の高いジャーナリズムは安くない」「コンテンツをただで配るのは、報道機関のとも食いだ」「この試みは成功し、他のメディアも続くと思う」ということで、早速この秋から一部のサイトで課金を始めるようです。

しかしマードック氏の成功を待つまでもなく、各社はすでにウェブシーンとの間に壁を作る方向に足並みを揃えつつあります。

マードック氏の発表の翌日には、ボストン・グローブ紙がウェブサイトの有料化を宣言。また過去に2度記事を有料化し、いずれも失敗して無料に戻していたニューヨーク・タイムズは、3度目の記事有料化を検討中。AP通信に至っては、5単語以上の記事無断引用には、1語あたり2ドル50セントを請求することを検討しています。

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こうしたメディアの巨人たちの姿勢は、一般のネットユーザーのみならず、多くの識者からも批判されています。いわく、「APの姿勢はフェアユースに反する」「課金制は読者を減らして広告料の低下を招くだけだ」「マスメディアの自殺行為だ」等々。

しかし、ネットの発展という観点から見れば、こうした動きはむしろ大いに歓迎すべきことかもしれません。

何しろ今のネットは、情報屋として本来ならその中核を担わなくてはならない既存マスコミがいやいや引きずられている状況で、下手に影響力があるためにネットの進歩を阻害しているように見えます。

APのリンク制限の動きに対しては、すかさずロイターの社長が声を上げ、「うちの記事はいくらでも引用、リンクしてもらって結構」と述べていますが、巨人たちが課金制という壁の向こうに隠れた後のウェブシーンにはビジネスチャンスが広がります。そして積極的なニューカマーたちの先導により、21世紀の情報空間の構築と成熟が加速するに違いありません。

一方クラシックメディアの側からしても、それで少しでも収入が上がり、「質の高いジャーナリズム」の維持につながり、そしてそれにお金を払う客に、値段に見合うだけの利益をもたらすのであれば、大変結構なことです。

ただ問題は、現在のマスコミが強大な権力を持つ理由は、そこにはないということです。

マスコミのパワーの源は、大衆を興奮させて道ばたの石ころを高く売りつける煽動装置としての役割にこそあり、壁の向こうに隠れることでその力を失えば、いくら良質な情報を発信したところで、所詮かつてのように儲かるはずはないのです。

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2009年08月07日

Kiss them goodbye

iphone を手にしてから、待つことが苦痛でなくなりました。stanza という無料の読書ソフトを入れて、無料電子図書館のプロジェクト・グーテンベルクから古典をいくつかダウンロードしておいて、暇になると読みます。文庫本を持ち歩いてもいいのですが、かさばるし高いし、それに iphone の場合、その気になれば何百冊もの本を持ち歩けるわけで、単に読書というよりも、大きな書店で立ち読みしている感覚というか、知に囲まれて守られている感じで、なんだかとても落ち着きます。

そんなわけで先日、stanza で何とはなしにドストエフスキーの「大審問官」を読みました。言わずと知れた「カラマーゾフの兄弟」の中の作中作で、この長大な作品のエッセンスはこのパートにあるなどと言われています。

「大審問官」を読むのは20年ぶりくらいで、当時はたぶん、哲学的な感想を持ったのだと思います。しかし今読むと、ぜんぜん哲学的ではなく、むしろ風刺、それも今の世のマスメディアのあり方に対する風刺にも読めて、すんなり楽しめました。

「大審問官」というのは、「カラマーゾフの兄弟」の登場人物である無政府主義者のイワンが、純朴なキリスト教徒である弟のアリョーシャに話して聞かせる自作の寓話で、舞台は、魔女裁判絶頂期のスペインです。そこに唐突にキリストが復活するのですが、異端審問所の審問官はキリストを逮捕して、キリストの過ちを滔々と責め立てます。

審問官によれば、ジーザスはあまりに人間を過大評価していて、人間にはとても背負いきれない「自由」を要求して人間を苦しめ、世の中をハチャメチャにしてしまいました。一方審問官たちは、「自由」という過大な重しに苦しむ人間たちを哀れに思い、人間を愛するからこそその負担を一身に引き受け、弱い人間たちを幸せにしているといいます。

自由の重荷を解かれた人々は歓喜にふるえ、審問官たちに感謝するとともに怖れ、「やがて彼らは我々のわずかな怒りにもビビるようになり、知性は衰え、女子供のように涙もろくなる。だが我々の教えにより、悲しみは歓喜の歌に変わる。そう、我々は民を奴隷のように働かせる!しかしその代わりに彼らは子供のように無垢で、笑いと喜びに溢れた人生を送れるのだ」

とんでもない奴です。兄の話を聞いた無垢なアリョーシャも、異端審問官を悪意に満ちた権力の亡者と呼び、そんな考えを持つのは反キリスト者だと言います。するとイワンは大笑いし、「どうしてそう決めつけられる?彼らは誰よりもキリストの教えに忠実であろうとし、神に近づこうとして必死に努力したんだぜ?」と逆に問い返します。そう、審問官は、善を追求した果てに、善の塊として悪に到達していたのでした。

ドストエフスキーがこの作品を書いたのは19世紀の終わりで、社会を導く宗教の権威がいよいよ傾きつつある時期でした。新聞やテレビのマスメディアは、20世紀の教会のようなものですから、今この作品に妙な同時代性を感じるのは当然かもしれません。

プロジェクト・グーテンベルクには、残念ながら日本語訳の「カラマーゾフの兄弟」はなく、日本語で読むには文庫版しかありません。かつての日本語訳は、悪文の代表のように言われて読むのに苦行を強いられたものですが、最近出た訳書は読みやすいそうです。いずれにしても全部を読むといやに長いので、「大審問官」の部分だけでも読んでみてはいかがでしょうか?
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)亀山 郁夫

おすすめ平均
stars村上春樹にも通じる普遍的な問い
stars非常に読みやすい新訳
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stars海外文学などに親しみのない人たちへ

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ジーザスを火あぶりにするつもりの審問官。審問官の糾弾に対してきょとんとして何も答えないジーザス。2人のその後はどうなるのか?結末はここでは書きませんが、結構意味深です。

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2009年08月06日

世界を動かすのは結局セックスである。

クリントン元大統領が北朝鮮に飛び、2人の米人女性記者を連れて帰りました。裏取引について危惧する声もありますが、アメリカのテレビ局は基本的に感動物語として伝えており、感動に水を差すコメントをしにくい状況にあります。

しかしよく考えてみると、2人は別に拉致されたわけではありません。かのゴアさん経営のテレビ局の取材中に北朝鮮の法に触れ、それで逮捕されたのです。日本とは違う不可解な法に触れて外国で逮捕され、禁固刑に服している日本人はたくさんいますが、それと同じようなものです。彼女たちは、「12年間の労働矯正」に服しても文句を言えない立場にあったのです。

しかし今回、アメリカは元大統領という超大物を派遣し、北朝鮮の温情で特別に連れ帰ることを許してもらいました。国民を守る国の仕事としては立派ですが、外国で刑に服す国民全員のためにここまでのことはできないですし、感動してもいいけれど、それで塗り尽くされてしまうというのはやはりおかしいと思います。

こういう状況になるのは、2人のイメージのせいです。

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上は2人が逮捕されたときに世界に配布された写真ですが、左のユナ・リーさんがしなを作っていて、いやにセクシーです。実際のユナさんはこんな風ではありませんが、一番アピールする写真を選んだのだと思います。右側のローラ・リンさんは典型的な美人には見えないかもしれませんが、ローラさんのお姉さんはルーシー・リューに似た(アメリカ人から見た)美人キャスターとして有名で、ローラさんのイメージは、お姉さんにダブるのです。

そういうわけで、2人のイメージは「か弱いカワイコちゃん」なのです。もし2人が冴えない2人のオッサンだったら、救出劇に対する批判の声はもっと大きかったでしょうし、そもそも元大統領を派遣してまで救おうとしなかったに違いありません。

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