ところで真に歴史的と言える93年の政権交代の主役は、日本新党を立ち上げて新党ブームをを起こした細川護煕氏で、彼はかの近衛文麿の孫でした。そして今回、鳩山由紀夫氏は友愛革命によるアメリカ流グローバリズムの見直しと、東アジア共同体の建設を志していますが、戦前の日本において、「英米の経済帝国主義」に支配された「世界の現状を打破せよ」と率先して主張したのは近衛文麿で、「大東亜新秩序」の建設を国策と規定したのは近衛内閣でした。
当時の日本における進歩派で、東亜同文会の会長を務めて孫文らと親交を結ぶなど親中派であり、毛並みのよい理想家で政治家としての資質に欠けたと言われる近衛と、鳩山氏の共通点は驚くほど多く、近衛文麿のいくつかの論文と、先日世界に発信された鳩山氏の主張を見比べると、時空を超えて現れた同一人物によるものかと見紛うほどです。
なぜ近衛文麿は蘇るのか?
支那事変の引き金を引いた盧溝橋事件(1937年)時の首相であり、事変を泥沼化させ、八紘一宇による大東亜共栄圏の建設を宣言し、日独伊三国同盟を結び、南部仏印に進駐し、対米交渉を行き詰まらせ、戦後はA級戦犯に指定されて自害した近衛は、一見すると軍国主義の塊のような存在です。
しかし、「英米本位の平和主義を排す(1918年)」「世界の現状を打破せよ(1933年)」等の近衛の論文を読むと、彼は軍国主義者などではさらさらありません。当時の時代的制約を考慮すれば、そこに見いだされるのは、自国中心的な偽善を糾弾し、崇高な正義を説く理想主義者です。第一次大戦終結直後に書かれた「英米本位の平和主義を排す」において、近衛は、日本は利己主義を捨てて人類普遍の真の人道主義を追求すべきと訴えます。
要するに英米の平和主義は現状維持を便利とするものの唱える事なかれ主義にして何ら正義人道と関係なきものなるにかかわらず、・・・英米本位の平和主義にかぶれ国際連盟を天来の福音のごとく渇仰するの態度あるは、実に卑屈千万にして正義人道より観て蛇蝎視すべきものなり。・・・来るべき講和会議において国際平和連盟に加入するにあたり少なくとも日本として主張せざるべからざる先決問題は、経済的帝国主義の排斥と黄白人の無差別的待遇これなり。・・・わが国またよろしくみだりにかの英米本位の平和主義に耳を貸すことなく、真実の意味における正義人道の本旨を体してその主張の貫徹につとむところあらんか。正義の勇士として人類史上とこしえにその光栄を謳われん。
まさに正論です。そして近衛は後々まで、アジアの中の日本として英米の偽善を排して正義を追求すべきと主張し、国民はその言葉に酔い、近衛内閣の発足を新たな時代の幕開けとして大歓迎しました。
対米交渉に失敗して政権を追われた近衛は、戦局悪化後は陸軍悪玉論を展開し始め、戦後もそう主張しました。悪いのは陸軍で、自分は軍の暴走を抑えようとした側なのだというわけです。近衛の性格的な弱さを指摘する声もあり、たぶんそれは嘘ではありません。
しかし、近衛の失敗は陸軍の横暴と性格的な弱さだけにあるのかといえば、そんなことはありません。というより、それで済ませてはいけません。日本を滅ぼした最大の原因は、陸軍の利己的な利益追求よりも、むしろ近衛の持ち出した善悪の物差しとナイーブな理想論、そして激動の時代に、そういう人間を指導者の地位につけたことにこそ求められるべきです。
軍隊というのは、弱い者には威張るけれども、強い者には尻尾を巻いて逃げます。情けないほどの現実主義こそ、軍の本来の行動原理です。東条英機は、首相に就任してから対米開戦を渋りましたが、もし陸軍の横暴だけなら、10倍もの国力差のある巨人に噛みついたりしません。それをさせるのは政治、それも理念に走り現実と乖離した政治です。ナチズムやファシズムはそうした理念であり、日本においてそれを提供したのは、近衛でした。
上の命令や、組織の都合のためにすすんで死を選ぶ人はいません。正義と理想のために、人は死をも怖れぬファナティカルな行動をとるのです。正義や理想を足蹴にして現実しか見ない人間は空虚ですが、現実を蔑ろにして正義や理想しか見ない人間は危険です。そういう人間を政治権力の頂点にすえる国は、地獄を見ます。
60数年前の災難を「悪」のみに探ろうとする限り、近衛文麿は蘇り続けます。そして真顔でこんな風に囁きます。「一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている」