「自分の仕事が片付いたらそれで終わりと思わない!自分の仕事が早く終わったら、まわりを見て同僚の仕事を手伝う!そこを忘れないでください!仕事で大事なのは助け合なんです!」
某公共放送の某番組の忘年会で、管理職についたばかりの友人がそう挨拶すると、場は拍手喝采に包まれました。
彼は何事にも一生懸命で、思いやりに溢れたすばらしい人間です。でもその発言には、そしてそれをすばらしい発言として無批判に受け入れるまわりのスタッフにも、ぼくは気分悪くなりました。
これはあくまで経験に基づく個人的な感想ですが、仕事場で一番気分がいいのは、自分の仕事が片付いて、別の人間の仕事に口出ししているときです。責任から解放されて、いつでも逃げ出していい状況で人にアドバイスするのは、最高の気分です。上から目線でさんざんアドバイスして、成功すれば自分の手柄にもなりますし、失敗すればそいつの責任。遊ぶ時間は削られますが、悪くないトレードオフです。
立場を逆にしてもそうで、仕事をしているとき、その仕事に責任を持たない第三者に口を出されることほど迷惑なことはありません。責任を持たないだけに、評論家のノリであれこれと非現実的な意見をプレゼントしてくれ、そのくせ本当に面倒なことになると、放り出して逃げてしまいます。結局彼らは、仕事が泥沼にはまっているときに本当にして欲しいことーー失敗の責任を分かち合ってくれることはしてくれません。
ですからぼくは、彼の意見にも、またそれを美徳として受け入れる人たちにも納得できませんでした。
日本の仕事環境というのは、このように「責任」という概念を考慮せずに無闇に助け合い精神を賞賛する傾向があるように思います。
「責任」を軽視する世界
映像制作の現場で指揮系統のトップは、映画なら監督(ディレクター)、テレビならプロデューサーかディレクターです。しかし日本では、カメラマンを始めとする技術職はもちろん、下手すると底辺のADまで、ディレクターに意見するのは日常茶飯事です。実績と威厳のあるディレクターには誰も異議を唱えませんが、経験不足で迷いのあるディレクターともなると、誰も言うことを聞いてくれません。
異議を唱えるスタッフたちは、決してわがままなのではありません。まさにともに支え合う助け合い精神の現れで、おかしな判断をしていると思われるディレクターの指示に盲従するのは、職務怠慢だと考えているのです。しかし実際には、その作品の制作に最初から最後まで係わるのはディレクターだけであり、まわりから「もっともな意見」をプレゼントされたディレクターは、より一層方向性を見失って、泥沼に落ちていくことになります。そして当然スタッフたちは、その失敗に対して責任を負うことはありません。
こういう下から上への責任範囲越境行為は、上から下への際限のない要求拡大と同根です。上の人間が下の人間に下した命令に責任を持つなら、あり得ないことだからです。
「責任」を重視する世界
以前アメリカでアメリカ人スタッフと仕事をしたとき、ぼくはそのことを痛感しました。
アメリカの場合、意外かもしれませんが、指揮系統のトップにいる人間の指示には、スタッフは異議を唱えず忠実に従います。もしディレクターが頼りにならない人物で、明らかにおかしな指示をしたとしても、自分の責任範囲を意識して、日本のように安易に口答えしません。
ぼくがクライアントのような立場でロケに帯同しているとき、「ここは絶対にマイクをセットアップしてから撮影すべき」という状況がありました。しかしプロデューサー(アメリカのテレビ界では日本のディレクターにあたる役職はプロデューサーなのです)はそうしようとせずに、「ロール!」と撮影を開始しようとします。こういうとき日本なら、必ず誰かが「マイクなくていいのかよ?」と声をあげます。しかしアメリカ人スタッフたちはそうせずに、ただただぼくの方を見て、「注意してやってくれ」と目で懇願するのです。
結局ぼくは彼らの期待に応え、撮影を止めてマイクをセットアップさせ、おかげでスタッフからは「ナイスガイ」と呼ばれることになったのですが、プロデューサーからは後できつく釘を刺されました。「あれは意図的にマイクをつけなかったんだよ。全体の構成からしてあそこで音声はいらないからね。他のスタッフは全体なんか見ちゃいないんだから、変に彼らの意見に乗らないでくれ」と。
そんな風に上下の立場が明確なアメリカですが、決して一方的に上が偉いわけではありません。同じ現場でこんなことがありました。
ロケの最中に、カメラを動かすレールを敷こうということになりました。それはある種ディレクターの思いつきで、日本ならその妥当性を巡ってひとしきり議論になりかねないのですが、号令一下、機材係は「最高のレールを仕上げてやるぜ!」とばかりにレールの敷設に熱を入れます。
ところがうまく行きません。プロデューサーは、レールをカーブするように敷いて欲しいのに、機材係はカーブ用の特殊なレールを現場に持ってきていなかったのです。プロデューサーは思わず「なんで持ってきてないんだよ」と文句を言いました。するとそれまで黙々と指示に従っていた機材係は、猛然と反論し始めたのです。
「レールを使うかもしれないとは事前に聞いていたが、レールをカーブさせるという話は聞いていない。レールをカーブさせたいなら最初からそう言っておいてもらわないとできない!」
こう言われたプロデューサーは即座に謝り、結局レール作戦はあきらめて撤収を指示しました。すると激昂していた機材係は普通の表情に戻り、折角途中まで敷いたレールを、文句ひとつ言わずにテキパキと片付けたのでした。
現場で一番顔色がいいのは・・・
アメリカのように責任のありかを重視した契約社会がいいとは限らないと思います。しかし、日本のように責任を集団の中に溶かし込むようなやり方は、上から下まで徹底した節度と覚悟を持たないとうまく行かない気がします。
冒頭で紹介した発言をした彼は、その節度と覚悟を持った立派な人間ですが、みんながみんな、彼のようにできた人間ではありません。
少なくても日本の番組制作の現場では、上に行くほどよく飲みよく寝て顔の色つやが良く、下に行くほど死にそうにしています。しかしアメリカの現場では、責任の重さに比例して上の人ほど不眠で仕事をし、一番責任が軽いADは悔しいほどピンピンしていました。