2009年08月10日

This is what news is

酒井法子が失踪したときに毎日新聞が使った写真と、逮捕したときに使った写真が、いかにもの印象操作なので、それに憤慨している人がいます。



状況に合わせて恣意的に写真を差し替えています。しかしこれを印象操作と呼んで糾弾するなら、あらゆるニュースを糾弾しなければなりません。ニュースというものは、印象操作の積み重ねだからです。

テレビで貧困国の取材に行けば、のんきに暮らしている人々を無視して貧困にあえぐ可哀想な人々の映像ばかりを撮り、紛争地帯の取材に行けば、結構普通に暮らしている人々を無視して破壊の跡と被害者ばかりを撮り、伝染病の取材に行けば、普通にしている人たちは無視しして防護服を着た検査官とマスクをつけた人々ばかりを撮り、人気店の取材に行けば、客が殺到しているように見えるシーンばかりを撮る・・・。

これは何も映像や写真の取り扱いだけに限りません。映像の編集、文章の組み立て、言葉の選び方、そしてそもそもどのネタを大ニュース扱いにしてどのネタをボツにするかの判断こそ、最大の印象操作です。

毎日新聞のノリP報道における写真の使い方は、それを鮮やかに語る、メディアリテラシーの絶好の教材といえます。しかしこれは、憤慨することではありません。

というより、憤慨してもいいけれど、それはこのように印象操作された情報を「客観的でフェア」な情報として無批判に嚥下する世の風潮、またはそうした風潮を作り出す仕組みに対してなされるべきであり、報道機関の態度を糾弾したところで、タマネギの皮をむくようなもので、どこにもたどり着かないのです。

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