2009年09月11日

のりピーのサブプライムな憂鬱の憂鬱

こういう発想はなかったので、読んでいてびっくりしてしまいました。

のりピーのサブプライムな憂鬱ーー覚せい剤を資産経済から考える

伊東乾氏は、クスリへの耽溺をカネまみれの世の中に例え、こう述べます。

現実と無関係な「空想の快楽」への耽溺という意味で、根のない資産経済が暴走した新自由主義=ネオ・コンサバティズムの専横は、アヘンや覚せい剤と同工異曲の破滅を招き得るものでした。

・・・憂き世を忘れるクスリで、らりぱっぱとなってしまい「ぽぽぽぽぽぽぽ」なぞと口走っているのを、笑うことはできないかもしれません。

「新自由主義」と覚せい剤のアナロジーとは驚きました。いや、「行きすぎた新自由主義の金儲け至上主義」なる空虚な常套句が通用する現状では、それも不思議ではないのかもしれません。

しかしながらこういう主張でおかしいのは、いわゆる「新自由主義」というものを是正したあとの姿にあまりに無批判なことです。覚せい剤をやめれば、人は禁断症状ののち自然な姿に戻ります。では「新自由主義」の専横を改めれば、社会は自然な姿に戻るのでしょうか?

戻りません。なぜなら、「新自由主義」と呼ばれる古典的な自由主義は、社会の改造を目指す思想ではなく、人間社会を自然の営みのひとつとしてとらえ、人はなるべく自然に手を加えない方がいいというような、極めてパッシブな考え方だからです。

自由主義的な見地から見れば、今回の金融危機は、本来なら家など持てない人に家を持たせるという不自然と、金融緩和のオーバードースによる人為的なバブル景気という、2つの不自然により生じたことに他なりません。「自由主義の専横」など言いがかりにもほどがあります。

ですから「新自由主義」を取り除くということは、自然の姿を取り戻すどころかその反対で、自然に人の手を入れまくることを意味します。クスリとのアナロジーでいえば、誘惑に負けて再びクスリに手を出すことを意味するのです。

もっともらしい言い訳を見つけて、再びクスリに手を出そうとしているこの国は、「らりぱっぱとなってしまい『ぽぽぽぽぽぽぽ』などと口走っている」のりピーを、確かに笑えません。しかしもっと笑えないのは、長年のクスリ漬けにより、再びクスリを使っても「空想の快楽」に耽溺することはもはやできず、それどころかクスリを買うカネさえないということです。

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2009年09月10日

野犬化するマスコミ

放送業界が赤字に転落しました。資料上確認できる1976年以来初めてということです。

総務省が9日発表した国内放送事業者の2009年3月期収支状況によると、地上波テレビ・ラジオ局計195社全体の純損益は212億1900万円の赤字だった。前年度は620億4200万円の黒字だった。赤字転落は資料上確認できる1976年3月期以来初めて。
195社中、純損益が赤字だったのは半数以上の107社で、前年度の64社から大幅に増えた。
同省は「広告費の減少傾向が続いており、経営に影響を与えている」と分析している。

放送業界、初の赤字転落

低迷の理由は不景気だけではなく、テレビ産業自体の斜陽化にあることは間違いありません。しかしながら、例えば先の選挙においては、テレビをはじめとするマスコミの果たした役割は極めて大きく、そこでは、マスコミの衰退を引き起こした主犯であるネットの力は無力でした。

これは一見矛盾した現象のように見えますが、実はそうではありません。個人も組織も、衰退する存在であればあるほど、自分の存在感を示そうとするのは世の常です。

先頃の選挙では、NHKを含むマスコミの偏向はひどいもので、その様子を外野から眺める海外のマスコミは、たびたびそのことを指摘していましたが、偏向の理由は必ずしもマスコミが民主党のシンパだからではありません。確かにマスコミには左寄りの人が多いですが、そんな理由でここまで偏向するのであれば、とおに日本は赤く染め上げられていたはずです。

自分の存在が脅かされているからこそ、マスコミは一丸となってその存在感を示したのであり、政治姿勢など二の次なのです。

新聞業界は500億円の「みかじめ料」を要求していますが、選挙に大敗した自民党はマスコミ対策の不十分さを悔やみ、圧勝した民主党は、もちろんマスコミ対策に大きな力を注ぐことになります。大企業も同様で、これだけすごいパワーを見せつけられては、変な噂を立てられてはかなわないので、口止め料として広告を出さないわけにはいきません。

実際、苛立つマスコミは、これからどんどん凶暴化していくことは確実で、マスコミとパイプを持たない組織は無慈悲に殲滅され、逆にマスコミと癒着する組織は、必要以上に持ち上げられることになります。

恐ろしい風潮ですが、現状これを止める術はありません。

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2009年09月09日

温室ガス25%減というドッカーン

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エコノミスト誌最新号の表紙によれば、ドッカーンな日本。温室効果ガス25パーセントの削減をぶちあげた鳩山氏ですが、なかなかやるものです。

温暖化論のへんな所を指摘したり、現実的な妥協点を探して渋い削減案を提示したりしても、世界の温暖化マニアたちは納得してくれません。ならばできもしない数字をあげて世界を混乱に陥れ、温暖化ムーブメントを叩きつぶしてしまおうという作戦なわけです。

なにしろ90年比で25パーセント削減(07年比で31パーセント削減)など、できるわけありません。途上国に国富を献上して排出枠を買い付け、そのぶん生活レベルを落とすか、生活レベルを落としたくなければ、企業、住民ともに海外脱出するしかないわけで、そんなことを真剣に考える首相などいるわけはありません。

ドイツの権威ある環境学者、ハンス・シェルンフーバー・ポツダム気候影響研究所(PIK)所長は、先頃シュピーゲル誌とのインタビューでこう発言していました。

2050年までに排出できる炭素ガスの総量は決まっています。過去に排出してきた排出量を考慮すれば、先進国はすでにその割り当てを超えています。・・・先進国は、CO2排出の破産に瀕しているのです。気候変動の取り組みを一層強化しなければ、やがて途上国と将来の世代に割り当てられた分まで使い果たしてしまいます。

Q:先進国は、巨額の金を払わなければならないということですか?

そうです。年間1千億ユーロというところです。・・・先進国は、過去数世紀にわたり富を搾取し、おかげで今貧困にあえぐ途上国に、富の一部を返還することになるわけです。

'Industrialized Nations Are Facing CO2 Insolvency'

これはどう読んでも科学者の言葉ではありません。なんらかのイデオロギーに奉仕し、その手段として科学を持ち出す活動家の言葉です。

鳩山発言は、こんな活動家に対する、怒りのドッカーンなのです。

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2009年09月08日

He is Our Age.

この人の体を張った創作姿勢には頭が下がります。

第66回ベネチア国際映画祭で6日、マイケル・ムーア監督(55)の最新ドキュメンタリー作品「Capitalism: A Love Story(原題)」が上映され、記者会見が開かれた。
ユーモアを織り交ぜつつ資本主義を真っ向から批判した同作品は、「資本主義は悪」であり、民主主義的な新しい何かに取って代わるべきと結論付けている。

M・ムーア監督が資本主義にメス、ベネチアで熱く語る(ロイター)

体重160キロの暴食と怠惰の象徴であり、人々の嫉妬心を刺激して憤怒をかきたてる作品で大金を稼ぎ、色欲に溢れるグラマラスなショービズの世界に浸りきり、ニューヨークシティの高級アパートメントに暮らし、湖畔に豪華な別荘を持つほどに強欲であり、かつて7万5千ドルの講演料で呼ばれたときにはバカにするなと周囲に悪態をついた傲慢な男。

7つの大罪すべてを自ら具現化していながら、罪人たちを徹底して叩くその姿。そこから読み取れるメッセージは明確です。

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彼の本当の作品は、スクリーンに映し出される映像ではありません。それをありがたがり、拍手する人々、それこそ彼の作品なのです。

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2009年09月07日

理想主義の代償

「わが闘争」のマンガ版が売れているようです。

売れる「わが闘争」漫画版 苦言も「歴史資料」の声も(朝日)

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今あの本を読んでなにが面白いのかわかりませんが、ただあの本を読んで、ヒトラーの中に正義を見つけて勘違いしてしまう人がでてしまわないかと少し心配です。

いや、彼は正しいのです。とんでもなく正義の人です。はっきり言って100年に1人のレベルです。彼ほど国家と国民に無私の奉公を誓い、それを実践した政治家はそうはいません。しかしそれでも彼は世界に大厄災をもたらしたわけで、ヒトラーに学ぶべきことはそこにあるのです。

先入観を持たずに見れば、ヒトラーの主張は、正義と正論に溢れています。ユダヤ人差別はおかしいですが(第一次大戦後のハイパーインフレーションの中、ユダヤ系金融資本家ばかりが私腹を肥やした時代背景を考えれば、それすらある程度仕方ない部分もある)、それさえ除けば、彼の主張は今でも十分に通用します。要するに彼は、今の言葉に翻訳すれば、こう主張していたわけです。

「社会の伝統と安定した暮らしを破壊し、マネーゲーマーばかりを肥え太らせる冷酷なグローバル資本主義と決別し、文化と伝統を大切にする、公平で血の通った社会を実現しよう!」

当時のドイツの民衆は決して洗脳されていたわけではなく、そういう彼の理想に共感し、彼に希望を託したのです。そして彼は理想に向けてぶれることなく邁進し、ある時期確かに、ユートピアの実現を人々に実感させたのです。アメリカが長引く不況に苦しむのを尻目に、失業者は消え、底辺の労働者の暮らしは目に見えて良くなりました。

しかし、強引な理想の推進は現実との間に摩擦を起こしていました。その摩擦の現れこそが、強制収容所であり、破産寸前の国庫であり、戦争だったわけです。

彼は血に飢えた極悪人ではありません。正義の人です。しかし彼の訴えた正義と、彼のもたらした厄災は、同じコインの裏表なのです。

ところで、ヒトラーが正義を志すようになった動機に、もうひとりの正義の人がいます。アメリカの大統領、ウッドロー・ウィルソンです。理想主義者として知られるウィルソンは、第一次大戦末期に、正義と人道に基づいた平和な戦後体制を提案する「14カ条の平和原則」を発表したのですが、ヒトラーは後々までウィルソンを憎んでいました。

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なぜ憎んでいたかというと、第一次大戦時のドイツは、寛大で公正な戦後処理を訴える14カ条を信じて降伏し、完ぺきなまでに裏切られたからです。ヒトラーは、日本の真珠湾攻撃後になされた対米宣戦の演説でも、アメリカの悪の象徴として、ルーズベルトとならんでウィルソンをあげました。

ウィルソンの名は、歴史に類を見ない低劣な裏切りの代名詞として語り継がれるだろう。その結果、敗戦国はもとより、戦勝国も大きな被害を受けた。あの約束破りこそ、ベルサイユ条約をもたらし、国々を分裂させ、文化を破壊し、そして経済を崩壊させた原因である。今日我々は、ウィルソンの背後にいた金融家たちの存在を知っている。彼らはこの無能な学者を操り、自らの懐を肥やすためにアメリカを参戦に導いた。かつてドイツ人はこの男を信じ、その信義の代償として、政治と経済の混乱を被ったのである。

対米開戦を告げる議会演説(1941年12月11日)

ウィルソンの14カ条に対しては、日本にも特別な思いを抱いている人がいました。近衛文麿です。近衛は、ヒトラーが負傷兵として入院していた頃に、ウィルソンの理想主義を手放しに賞賛する風潮に釘を刺し、真の正義の実現を訴える論文をしたためました。

わが国またよろしくみだりにかの英米本位の平和主義に耳を貸すことなく、真実の意味における正義人道の本旨を体してその主張の貫徹につとむところあらんか。正義の勇士として人類史上とこしえにその光栄を謳われん。

英米本位の平和主義を排す(1918年11月)

近衛は、ウィルソンの人道主義を高く評価していましたが、その反面、英米ばかりに都合の良い不十分さを感じていました。結局近衛の危惧していた通り、日本の求める自由貿易や人種差別撤廃の願いは聞き入れられず、期待を裏切られた日本は、近衛の主張する真の正義の実現を夢見るようになります。

ウィルソンという人は決して、金融資本家の手先でも、厚顔な偽善者でもありません。彼ほど熱心に正義人道に基づく政治を追求し、それを声高に訴えた政治指導者は、それ以前にはいませんでした。そしてウィルソンの正義は、世界を虜にしました。ただ彼の理想はあまりに実現性に乏しく、美しい理想は、厳しい現実の前にことごとく潰えたのです。

ぼくはここに、20世紀の悲劇の種を見ます。正義という病の種です。

19世紀までの世界は、ビスマルクに代表されるように、政治といえばレアルポリティークでした。リンカーンの奴隷解放宣言は正義のためというよりも政治的判断からなされたものであり、日本の明治維新も現実主義に貫かれていました。政治家というのは、国をうまく舵取りしてなんぼのもんであり、無能な理想家などただの穀潰しでした。

しかしウィルソンという人は、実現性度外視でただただ高い理想を掲げることにより世界を酔わせ、評価されたのです。会社経営者の質が、経営能力よりも道徳性で評価されるようなもので、これは大変な価値転換です。そしてウィルソンに触発された世界は、政治における正義を、重要視するようになりました。

近衛文麿は、ウィルソンの理想を疑いの目で見ていましたが、それは実現不可能な理想だからではなく、真の正義ではないという理由からでした。ヒトラーがウィルソンを非難する理由も同じで、正義の不在を責めています。とんだ正義合戦です。互いが互いに正義を期待し、正義の純度を競い、正義でないものは罪人として唾棄する。そこでは、かつてのステーツマンに求められていた、かけひきの妙や妥協の出る幕はありません。そしてそうしたサイクルを始めたのは、正義の人ウィルソンでした。

結局正義合戦は力によるアメリカの勝利で終わり、その後の冷戦下では、東西陣営はたがいに正義を主張していたものの、その内部では正義合戦は起こりえず、また冷戦終結後しばらくは、勝利者であるアメリカの正義を疑う余地はなく、その下でかけひきと妥協のステーツマンシップが復活していました。しかしアメリカの力が衰えてきてからは、再び正義合戦が頭をもたげ始めています。

言葉ばかり美しいオバマの「チェンジ」、誇らしげに正義を旗印にする「白い鳩」、近衛ばりの正義を熱く語る「黒い鳩」、いずれの場合も、実務家としての能力は二の次で、理想家としての姿をアピールし、世間もそれを不思議に思いません。

現代はまだ、ウィルソンに始まる正義時代の延長線上にあります。今起きているのは果たして正義時代の終結前に勢いを増した炎なのか、それとも本格的な正義時代の復活の兆しなのか、後者でないことを願います。

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2009年09月05日

「市場原理主義」という極左の呪文

今月4日、鳩山次期首相は、世界経済フォーラムの会合に出席して、保護主義を批判し、「グローバリゼーションの影の部分を制御して光の部分をいかに伸ばすかが重要だ」と語りました。先頃海外から寄せられた批判に対する牽制です。

日本では、「グローバル化の光の部分伸ばす(毎日)」「保護主義をけん制(時事)」「規制と市場のバランス必要(読売)」などの見出しで伝えられましたが、海外での報道は、規制強化の必要性について語った部分にスポットをあてていて、ウォールストリート・ジャーナルなどは極めて辛辣に切り捨てています。

日本の次期首相は、金融市場に対する規制の強化を示した。・・・「市場にまかせればみな幸せになれるというナイーブな考えがあった。しかしその見方は問題だと気がついた」と鳩山代表は語った。・・・鳩山は、アメリカで保護主義の兆候があるとし、経済の停滞期における保護主義に警鐘を鳴らした。・・・鳩山は、彼の言うところの「市場原理主義」の行きすぎにより金融市場は荒れたと述べる。・・・選挙中の民主党は、日本の農業を傷つけるようなことは絶対にしないとする一方、他国の農業保護政策が貿易協定の締結を阻害したと述べていた。・・・

Hatoyama Outlines Need for Regulation

自由経済を至上のものとするWSJからすれば、もうあきれて言葉も出ないという感じです。鳩山論文もそうですが、鳩山氏の論法には、互いに矛盾することを平気で並列して玉虫色に語るという極めて日本的な悪い癖があるので、シビアな目には支離滅裂にしか映りません。自国の農業は徹底的に保護するけれど、他国の農業保護は許さないというのでは、自己主張する日本どころかただの自己中で、説得力ゼロです。

また、これはWSJに限らず、リベラル派のニューヨークタイムズもワシントンポストもそうなのですが、鳩山氏の述べる「市場原理主義」という言葉に、決まってクォテーションマークをつけていることに注視すべきです。これは極左の語彙なので、極めて異様に聞こえるから、わざわざ括弧をつけるのです。こういう言葉を使う限り、鳩山氏への世界の不安は払拭されません。

試しにグーグルで、"market fundamentalism"という言葉を検索してみてください。それから「市場原理主義」という言葉を検索してみてください。ヒットするページ数の違いに驚くはずです。国際語の英語に対して、実に6倍のヒット数で、しかもヒットした英語ページのうちには鳩山氏の言葉を伝えた記事も多く含まれ、さらには英語を使用した日本語ページもたくさん含まれているのです!

この差こそ、日本の言論空間がいかに極左のレトリックに取り込まれているかを示すバロメーターなのです。

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2009年09月04日

海外でネタにされまくる次期首相

個人的には、むしろ微笑ましい話だと思います。

妻が金星旅行しようと、前世で日本人のトム・クルーズに出会おうと、「ほー、それは良かったね」と話を聞いてあげられる夫は、包容力に溢れる男です。だいたい妻がどんな人間であろうと、そのことで夫の能力まで疑われるというのは、おかしな話です。

しかしながら世間というのはそういう所で、子供が変だと親も白い目で見られ、配偶者が変だと夫婦共々変だと見られ、しばしばキャリアさえ脅かされます。つまらない風潮ですが、それが現実です。世界のどこでも。

鳩山次期首相の夫人、幸(みゆき)さんのぶっとびぶりが、世界各国で報じられています。それはもう、ありとあらゆる国々のマスコミで大々的に取り上げられ、読者の反応もすごいです。

妻の方が「宇宙人」? 各国メディア、鳩山夫人を紹介

友愛論文もなかなか大きく伝えられましたが、遠い外国の新首相の言葉など、しょせんほとんどの人にとってはどうでもいいことで、反響は一部に限られていました。しかし、宇宙人にさらわれたとか、前世でトム・クルーズに会ったとか語るファーストレディの話は見出しをつけやすく、誰しもの興味を引きます。

ドイツのビルト紙では、「日本のファーストレディ鳩山幸:宇宙人に金星にさらわれた」という見出しでこの話を伝え、ウェブサイトには、今現在で100に迫る次のようなコメントが寄せられています。

これはひどいイメージダウンだ。日本は大変だな。

今日の日経が下がってる理由がわかったよ。

そのまま金星にいた方が良かったかもね!

彼女を地球に返却するとは、宇宙人の趣味は確かだな。

クスリは怖いな。

日本に比べるとドイツはまだ恵まれてるな。

信じられない!この女性を公共の場に出すなんて。

日本の先進技術は宇宙人に授けられていたわけか。

半世紀ぶりに政権交代したら基地外が首相だなんてむごいな。

閣僚候補には精神鑑定を義務づけるべきだ!

Aliens haben mich zur Venus entführt

どこの国のサイトを見ても、反応はこんな感じです。次期ファーストレディによるとんでも発言を、人権的配慮で釈放された異常性欲者による殺人事件と並べて、病んだ世の中を嘆くコラムもありました。ただの笑い話ですませてくれてはいないのです。

アメリカの大統領選では、オバマという政治家を解剖する上で、ミシェル夫人の過去発言が真剣に議論されたものですが、ファーストレディの言動に重きを置く欧米において、この件がもたらしたダメージはバカにできません。

ぼくは鳩山氏の政治姿勢をまるで信用していません。しかしこの件に関しては、妻の言動に注意を怠った危機管理の甘さを批判する気はありません。

政治家の能力はつまらないゴシップではなく、仕事の結果によって計られるべきだ。少しくらい妻がへんてこな方が人生楽しくていいじゃないか!と、政治家として切れ者ぶりを発揮することで、世界に示して欲しいと思うのです。

しかしながら次期首相にそれを期待するのは無茶というもので、むしろ逆になる可能性は極めて高く、そうなれば結局、へんな妻にはへんな夫、へんな首相にはへんな国民と、ケチな世の中の風潮を補強してしまうことになるわけで、それはとても残念なことです。

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2009年09月03日

ハイエクを一刀両断

この日本において、もはや議論するまでもなく時代遅れであると証明されている、いわゆる「新自由主義」なるものは、長期にわたる過度な介入主義で疲弊した経済を立て直すべく、1980年代にサッチャーとレーガンという2人の政治家により推し進められた政策です。

2人の政策の下敷きになったのは、オーストリア出身の経済学者、フリードリヒ・ハイエクの思想です。その後ハイエクの思想は、西側諸国の政治家、経済学者、思想家に大きな影響を与え、金融危機を体験したにもかかわらず、遅れた欧米では今も信奉されています。

ポーランドのドナルド・トゥスク首相などは、金融危機について聞かれて、「私の立ち位置はハイエクに近い。人工的に作り出されたバブルは必ずはじける。アメリカはケインズ主義的な規制だらけだ」などと答えています。田舎者はこれだから困ります。こんな発言でも感心して受け入れられてしまうところに、欧米の遅れぶりはよく現れています。

欧米の遅れた人々をそこまで虜にするハイエクという人は、第二次大戦中に書かれた「隷属への道」において、ファシズムを社会主義の一形態として批判したパイオニアで、ケインズ流の介入主義は必然的に腐敗し、やがては個人を抑圧する全体主義に至ると説きました。こうした理論はもちろんすべて誤謬であり、今さら証明するまでもありません。

65年前に発表された「隷属への道」において、ハイエクはこんなことを書きました。

計画経済を実施する目的は、人間をただの手段である状態から解放するためとされるが、個々の人々の嗜好を中央で考慮できるわけなどないのだから、現実には個人はより一層ただの手段におとしめられ、権力により押しつけられる「社会福祉」や「共同体の利益」という抽象概念のために使役させられることになる。

ハイエクは、その著書において、なぜそうなるのかを子細に説明しており、読んでいると思わず納得してしまいそうになります。しかし納得してはいけません。

わが国の次期首相は、世界に波紋を投げかけた論文において、上記のハイエクの説を一刀両断にしています。

冷戦後の日本は、アメリカ発のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄されつづけた。至上の価値であるはずの「自由」、その「自由の経済的形式」であ る資本主義が原理的に追求されていくとき、人間は目的ではなく手段におとしめられ、その尊厳を失う。金融危機後の世界で、われわれはこのことに改めて気が 付いた。道義と節度を喪失した金融資本主義、市場至上主義にいかにして歯止めをかけ、国民経済と国民生活を守っていくか。それが今われわれに突きつけられ ている課題である。

・・・現時点においては、「友愛」は、グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統の中で培われてきた国民経済との調整を目指す理念と言えよう。それは、市場至上主義から国民の生活や安全を守る政策に転換し、共生の経済社会を建設することを意味する。

65年前に書かれたハイエクの言葉の方が、次期首相の主張に対する返答のように見えるかもしれませんが、そんなバカなことなどあるわけはありません。次期首相の言葉は、国連の場で、必ずや世界の人々の目を開かせることになるはずです。

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2009年09月02日

鳩山論文に象徴される世界と日本のズレ

世界に配信されて論議を呼んでいる鳩山次期首相の「友愛東亜論文」をめぐり、鳩山氏側は「寄稿したわけではない」「中身を歪められた」「グローバリゼーションの負の部分だけを申し上げるつもりはなかった」などと反論しています。

しかし細かい経緯はともかく、あの論文は鳩山氏により書かれたものであり、日本専門化のT・ハリス氏の主張するように、NYT掲載バージョンは決してその内容を歪めてはいません。

オリジナル論文の内容は翻訳により歪められていない。むしろオリジナルよりも優れている。オリジナル版は、「安直な反グローバリズムと、友愛の神秘思想と、感傷的な保守主義のごちゃ混ぜ」で、とても不安させる内容だ。だいたいオリジナル版において、鳩山はグローバリズムのプラス面について一顧だにしていない。オリジナル版は、翻訳要約版をだらだらと長く、読みにくくしたようなシロモノで、資本主義において人間は目的ではなく手段であるとか、資本主義は価値や伝統や共同体を破壊したなどという主張に1ページ近く費やされている。グローバリズムに対する唯一「優しい」言葉は、それを不可避としている点くらいで、だからこそそれに対抗するために日本はアジア諸国と協調し、補助金により地方を強化しなければならないと続けられる。
Hatoyama shifts the blame

友愛のいかがわしさは言うまでもないとして、もともと左翼的な資本主義批判に聞く耳を持たない人の立場からすれば、ハリス氏の批判には文句のつけようもありません。

しかし考えてみれば、鳩山論文のような主張は、金融危機勃発後はもちろん、それ以前から、日本のジャーナリズムにおいて当たり前のようになされてきました。NHKを筆頭に、規制緩和による格差の拡大を声高に訴え、マネーゲームの悪をあげつらい、改革路線は時代遅れだ、資本主義は曲がり角にあるのだと唱え続けてきたのです。

選挙公示日の社説で北海道新聞は、「規制緩和などの政策が家計にもたらした痛みは想像以上だった。・・・バラマキとの批判もある。無原則な財政支出に結びつくのでは問題だ。だが行き過ぎた「市場原理主義」を問い直そうとする動きが政策論争として本格化し始めた。そう前向きにとらえることもできるだろう」と書きましたが、表現の強弱はあれ、こうしたメッセージは、過去2、3年の日本の通底音でした。

だからこそ民主党の管代表代行は「資本主義の暴走を許す小泉改革路線は大きな間違いだった」と選挙戦で声を張り上げたのであり、次期首相はその文脈で、むしろ穏やかに己の信念を吐露したに過ぎません。

日本のマスコミは、鳩山論文の問題点を鳩山氏の「反米路線」に置いていますが、問題をそこに矮小化すると、より大きな問題を見誤ります。

アメリカ、いやアメリカだけではなく世界の識者たちは、鳩山氏の反米路線の基礎となる「いうまでもなく、今回の世界経済危機は、冷戦終焉後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされたものである」とか、「冷戦後の今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を破壊し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程といっても過言ではないだろう」とかいう言葉に、非常な違和感を感じているのです。

だいたい「市場原理主義」などという語彙は、欧米では極左の間でしか使われません。言葉の使い方から世界観まで、非常に安直な左翼ポピュリストそのもので、日本のような先進大国の次期首相の口から出てくる言葉とはとても思えないのです。

金融危機の衝撃を直接あびた欧州では、その直後に「資本主義の見直し」を訴える声も確かにあがりました。しかし各国政府は市場経済を見直すのではなく、あくまで市場経済を立て直すために市場に介入し、人々は左翼のデマゴギーに耳を貸さずにそうした姿勢を支持し、結局左翼勢力は軒並み衰退しています。

アメリカでは、確かにオバマ政権はエリート主義的ではありますが、しかし誰も市場経済の見直しなど求めておらず、そのことは、今回鳩山論文に憂慮を表明したニューヨークタイムズやワシントンポストはオバマサポーターのリベラル紙だということからもわかります。

要するに、今回の鳩山論文騒動から汲み取るべきことは、日本という空間では普通に聞こえる意見は、一歩日本の外に出ると左翼のアジテーションにしか聞こえないということです。日本のテレビ、新聞、雑誌で仕入れた情報をもとにして海外で昨今の経済状況について語ると、筋金入りの共産主義者かと疑われてしまいかねないのです。

日本とその他の世界に空気のズレがあること自体はおかしなことではありません。しかし問題は、ほとんどの人はそこにズレがあることを認識していないということです。これは洗脳の手法のひとつです。日本の真の敵は、そのズレを隠し、ズレを促進した「意志」にこそあるのです。

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2009年09月01日

祭りの後

先日の選挙は、予想通り民主党が圧勝したわけですが、選挙前の声同様、選挙後の声も人それぞれで、まあ本当に民主党というのは、見る人によってぜんぜん違う顔を持つ党だなと改めて思います。

古典的な左翼の人たちは、民主党内の自由主義勢力と保守勢力に目をつぶり、市民派政党としての民主党の勝利を喜び、社会正義の実現を期待しています。

自民党内の改革派を売国奴と呼ぶ国家社会主義的右翼の人たちは、民主党の左翼臭と自由主義臭に目をつぶり、古典的左翼同様に民主党の反米、反資本主義的姿勢に共感を示しています。

では自由主義的な改革を求める人たちはどうかというと、鳩山次期首相の掲げる「アジア主義」や「資本主義の見直し」等のアナクロな主張に目をつぶり、民主党の中の自由主義勢力に期待をかけています。

彼らが民主党に見る顔はどれも幻想ではありません。民主党はそれらの側面をすべて内包する何でも屋です。そしてそれはまさに自民党そのもので、ただ今回の選挙において、人々は自民の嫌な部分だけを見て、民主のいい部分だけを見ようとしたのです。

民主党のスローガンは「政権交代」でしたが、今回起きたことは、それ以上でもそれ以下でもありません。オバマ氏の訴えた「チェンジ」は、自由な社会から公平な社会へいう意味でのチェンジでしたが、日本で起きたのは、中身のないチェンジです。

政党政治というのは、理念と政策を異にする集団がそれぞれ違う政党として独立して初めて成立します。でなければ有権者は政治参加できません。自民党という統治機構は、さまざまな政治理念をすべて内包する何でも屋で、本来なら選挙で争われるべき政策転換は、党内党たる派閥間の取引で行われてきました。改革路線からのV字ターンも、そんな党内政権交代のノリで行われたのでした。

そして今回政権につく民主党は、自民党同様の、いや旧社会党勢力を含んでいることからすれば、それ以上の何でも屋です。左右のステーティストも自由主義者も、ここから先は、外野から文句を言うことしかできず、すべては民主党内の力学で決まることになります。

これは明らかな後退です。政党の名前は自民から民主に変わりましたが、そうすることで、真に求められていた、自民を追い込むことにより実現されると思われていた、選挙による国民の政治参加の道は遠のいてしまったのです。

自民党の河野太郎氏は、大きな政府を目指すことになるだろう民主党への対抗軸として、小さな政府を目指す自由主義政党としての自民党の再出発を提言しており、それは民主政権瓦解後の政界再編を期待する多くの人たちの願いと被りますが、ぼくは悲観しています。

巨大な寄り合い所帯となることで自民党に対抗し、巨大な寄り合い所帯として政権についた民主党に対抗するのに一番現実的な方法は、なるべく大きな勢力を維持したまま、空手形を発行しすぎた民主の自壊を待つことだからです。下手に自民だけ割れたりして、民主が割れなければ、民主政権の長期化を助けるだけです。

今回の選挙により、自民党をスケープゴートとすることで、より大きな枠組みとしての日本の政治構造は温存されたわけで、とりもなおさずそれは、政党を理念や政策で評価しにくい構造であり、愚民と政治の間にクッションを置く構造であり、それで利益を得るのは、国民と政治の間を取り仕切るブローカー勢力なわけです。

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