2009年09月01日

祭りの後

先日の選挙は、予想通り民主党が圧勝したわけですが、選挙前の声同様、選挙後の声も人それぞれで、まあ本当に民主党というのは、見る人によってぜんぜん違う顔を持つ党だなと改めて思います。

古典的な左翼の人たちは、民主党内の自由主義勢力と保守勢力に目をつぶり、市民派政党としての民主党の勝利を喜び、社会正義の実現を期待しています。

自民党内の改革派を売国奴と呼ぶ国家社会主義的右翼の人たちは、民主党の左翼臭と自由主義臭に目をつぶり、古典的左翼同様に民主党の反米、反資本主義的姿勢に共感を示しています。

では自由主義的な改革を求める人たちはどうかというと、鳩山次期首相の掲げる「アジア主義」や「資本主義の見直し」等のアナクロな主張に目をつぶり、民主党の中の自由主義勢力に期待をかけています。

彼らが民主党に見る顔はどれも幻想ではありません。民主党はそれらの側面をすべて内包する何でも屋です。そしてそれはまさに自民党そのもので、ただ今回の選挙において、人々は自民の嫌な部分だけを見て、民主のいい部分だけを見ようとしたのです。

民主党のスローガンは「政権交代」でしたが、今回起きたことは、それ以上でもそれ以下でもありません。オバマ氏の訴えた「チェンジ」は、自由な社会から公平な社会へいう意味でのチェンジでしたが、日本で起きたのは、中身のないチェンジです。

政党政治というのは、理念と政策を異にする集団がそれぞれ違う政党として独立して初めて成立します。でなければ有権者は政治参加できません。自民党という統治機構は、さまざまな政治理念をすべて内包する何でも屋で、本来なら選挙で争われるべき政策転換は、党内党たる派閥間の取引で行われてきました。改革路線からのV字ターンも、そんな党内政権交代のノリで行われたのでした。

そして今回政権につく民主党は、自民党同様の、いや旧社会党勢力を含んでいることからすれば、それ以上の何でも屋です。左右のステーティストも自由主義者も、ここから先は、外野から文句を言うことしかできず、すべては民主党内の力学で決まることになります。

これは明らかな後退です。政党の名前は自民から民主に変わりましたが、そうすることで、真に求められていた、自民を追い込むことにより実現されると思われていた、選挙による国民の政治参加の道は遠のいてしまったのです。

自民党の河野太郎氏は、大きな政府を目指すことになるだろう民主党への対抗軸として、小さな政府を目指す自由主義政党としての自民党の再出発を提言しており、それは民主政権瓦解後の政界再編を期待する多くの人たちの願いと被りますが、ぼくは悲観しています。

巨大な寄り合い所帯となることで自民党に対抗し、巨大な寄り合い所帯として政権についた民主党に対抗するのに一番現実的な方法は、なるべく大きな勢力を維持したまま、空手形を発行しすぎた民主の自壊を待つことだからです。下手に自民だけ割れたりして、民主が割れなければ、民主政権の長期化を助けるだけです。

今回の選挙により、自民党をスケープゴートとすることで、より大きな枠組みとしての日本の政治構造は温存されたわけで、とりもなおさずそれは、政党を理念や政策で評価しにくい構造であり、愚民と政治の間にクッションを置く構造であり、それで利益を得るのは、国民と政治の間を取り仕切るブローカー勢力なわけです。

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