2009年09月03日

ハイエクを一刀両断

この日本において、もはや議論するまでもなく時代遅れであると証明されている、いわゆる「新自由主義」なるものは、長期にわたる過度な介入主義で疲弊した経済を立て直すべく、1980年代にサッチャーとレーガンという2人の政治家により推し進められた政策です。

2人の政策の下敷きになったのは、オーストリア出身の経済学者、フリードリヒ・ハイエクの思想です。その後ハイエクの思想は、西側諸国の政治家、経済学者、思想家に大きな影響を与え、金融危機を体験したにもかかわらず、遅れた欧米では今も信奉されています。

ポーランドのドナルド・トゥスク首相などは、金融危機について聞かれて、「私の立ち位置はハイエクに近い。人工的に作り出されたバブルは必ずはじける。アメリカはケインズ主義的な規制だらけだ」などと答えています。田舎者はこれだから困ります。こんな発言でも感心して受け入れられてしまうところに、欧米の遅れぶりはよく現れています。

欧米の遅れた人々をそこまで虜にするハイエクという人は、第二次大戦中に書かれた「隷属への道」において、ファシズムを社会主義の一形態として批判したパイオニアで、ケインズ流の介入主義は必然的に腐敗し、やがては個人を抑圧する全体主義に至ると説きました。こうした理論はもちろんすべて誤謬であり、今さら証明するまでもありません。

65年前に発表された「隷属への道」において、ハイエクはこんなことを書きました。

計画経済を実施する目的は、人間をただの手段である状態から解放するためとされるが、個々の人々の嗜好を中央で考慮できるわけなどないのだから、現実には個人はより一層ただの手段におとしめられ、権力により押しつけられる「社会福祉」や「共同体の利益」という抽象概念のために使役させられることになる。

ハイエクは、その著書において、なぜそうなるのかを子細に説明しており、読んでいると思わず納得してしまいそうになります。しかし納得してはいけません。

わが国の次期首相は、世界に波紋を投げかけた論文において、上記のハイエクの説を一刀両断にしています。

冷戦後の日本は、アメリカ発のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄されつづけた。至上の価値であるはずの「自由」、その「自由の経済的形式」であ る資本主義が原理的に追求されていくとき、人間は目的ではなく手段におとしめられ、その尊厳を失う。金融危機後の世界で、われわれはこのことに改めて気が 付いた。道義と節度を喪失した金融資本主義、市場至上主義にいかにして歯止めをかけ、国民経済と国民生活を守っていくか。それが今われわれに突きつけられ ている課題である。

・・・現時点においては、「友愛」は、グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統の中で培われてきた国民経済との調整を目指す理念と言えよう。それは、市場至上主義から国民の生活や安全を守る政策に転換し、共生の経済社会を建設することを意味する。

65年前に書かれたハイエクの言葉の方が、次期首相の主張に対する返答のように見えるかもしれませんが、そんなバカなことなどあるわけはありません。次期首相の言葉は、国連の場で、必ずや世界の人々の目を開かせることになるはずです。

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