2009年09月11日

のりピーのサブプライムな憂鬱の憂鬱

こういう発想はなかったので、読んでいてびっくりしてしまいました。

のりピーのサブプライムな憂鬱ーー覚せい剤を資産経済から考える

伊東乾氏は、クスリへの耽溺をカネまみれの世の中に例え、こう述べます。

現実と無関係な「空想の快楽」への耽溺という意味で、根のない資産経済が暴走した新自由主義=ネオ・コンサバティズムの専横は、アヘンや覚せい剤と同工異曲の破滅を招き得るものでした。

・・・憂き世を忘れるクスリで、らりぱっぱとなってしまい「ぽぽぽぽぽぽぽ」なぞと口走っているのを、笑うことはできないかもしれません。

「新自由主義」と覚せい剤のアナロジーとは驚きました。いや、「行きすぎた新自由主義の金儲け至上主義」なる空虚な常套句が通用する現状では、それも不思議ではないのかもしれません。

しかしながらこういう主張でおかしいのは、いわゆる「新自由主義」というものを是正したあとの姿にあまりに無批判なことです。覚せい剤をやめれば、人は禁断症状ののち自然な姿に戻ります。では「新自由主義」の専横を改めれば、社会は自然な姿に戻るのでしょうか?

戻りません。なぜなら、「新自由主義」と呼ばれる古典的な自由主義は、社会の改造を目指す思想ではなく、人間社会を自然の営みのひとつとしてとらえ、人はなるべく自然に手を加えない方がいいというような、極めてパッシブな考え方だからです。

自由主義的な見地から見れば、今回の金融危機は、本来なら家など持てない人に家を持たせるという不自然と、金融緩和のオーバードースによる人為的なバブル景気という、2つの不自然により生じたことに他なりません。「自由主義の専横」など言いがかりにもほどがあります。

ですから「新自由主義」を取り除くということは、自然の姿を取り戻すどころかその反対で、自然に人の手を入れまくることを意味します。クスリとのアナロジーでいえば、誘惑に負けて再びクスリに手を出すことを意味するのです。

もっともらしい言い訳を見つけて、再びクスリに手を出そうとしているこの国は、「らりぱっぱとなってしまい『ぽぽぽぽぽぽぽ』などと口走っている」のりピーを、確かに笑えません。しかしもっと笑えないのは、長年のクスリ漬けにより、再びクスリを使っても「空想の快楽」に耽溺することはもはやできず、それどころかクスリを買うカネさえないということです。

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