2009年12月28日

就職で人生は決まるか?

先週テレビを見ていたら、みのもんたの朝ワイドで、クリスマスにも就活をする女子大生の話を伝えていました。折からの不景気で、とにかく新卒者の就職が決まらず、その女子大生も、100社以上受けてまだ内定をもらっていないのだそうです。

そのVTRの中で、女子大生が発したひとつのセリフが引っかかり続けて仕方ありません。彼女はぽろりとこう言ったのです。

「就職で人生決まっちゃいますから」

ぼくは、新卒者の就職が決まらないことよりも、こういうセリフをテレビで吐いて平気でいて、さらにそれを当然のこととしてスルーしてしまう雰囲気に慄然としました。

かつての日本社会は、今よりもずっと、レールから外れて生きるのが難しい社会でした。しかしそれでも、「就職で人生は決まる」とか「学歴で人生は決まる」などという世の中のあり方は、どこか後ろめたいこと、前時代的なことであるという共通認識はあったと思います。シニシズムからではなく無意識にそれを肯定する人間は、主役を引き立てる憎まれ役であり、同情ではなく揶揄の対象にしかなれないということです。

実際ぼくは、「そんな考えだから100社も落ちるんだ」ととっさに思いました。この厳しいご時世、「就職で人生は決まる」などという考えを共有する会社はたいてい行き詰まり、今伸びている会社は、いかに独立心のある人間を集めて、つなぎ止めて行けるかに苦心しています。そしてそもそも、いろいろと大きく変化している今の時代は、名の知れた企業に就職できたからといって一寸先は闇。人生どころか5年後すら定かではありません。

しかしもちろんVTRでは、そういうニュアンスを込めるために彼女にそう言わせたのではありません。あくまで彼女の置かれた境遇の過酷さと、彼女の一生懸命さを強調するために当該のコメントは使われたのです。VTRを受けたスタジオでも、みものもんたは「若者を雇え!」とただただ企業を叱りつけていました。

若者に「就職で人生は決まる」と言わせる社会情勢は確かにどうかしていますが、あっけらかんと「就職で人生は決まる」などと公衆の面前で口にする方もどうかしています。しかしそれよりも何よりも、そういう考えを当たり前の認識として受け入れるテレビに、視る者を狭窄した世界観に閉じ込めて自由を奪う、奴隷製造器の正体を見た思いがしました。

このままでは日本は封建時代に逆戻りしてしまうかもしれません。

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2009年12月25日

日本とドイツの分かれ道

先日、亀井金融担当相が、「財政危機はフィクションだ」と言い放ち、それに対してある人は賛同し、またある人は「とんでもないことになる!」と警鐘を鳴らしています。

政府債務が対GDP比で200パーセントにも迫る勢いの国は、歴史的に見てもなかなか見あたりません。こう言うと大変な危機なわけですが、それでも「フィクションだ」と言えるわけは、日本政府は借金漬けだけれども、日本という国自体は相変わらず金持ちで、政府の借金のほとんどすべては、国内でまかなわれているからです。

国の借金を家計に例えて、「月収40万円の人が毎月60万円出費しながら5000万円借金しているようなもの」などとよく言われたりしますが、実は借金をしているAさんの親は大金持ちで、さらにAさんにカネを貸しているのも親だったというわけです。

だからAさんは、借金漬けなのに信用が高く、まだまだカネが借りられます。政府は空前の借金漬けなのに、相変わらず国債の信用が高いのはそういうことです。Aさんは当分破産なんてしませんし、日本という国も破綻しません。

この意味で、財政危機は確かにフィクションと言えます。

しかしながら、いくら金持ちの家族間の貸し借りとは言っても、そんなうまい話が永遠に続くわけはありません。Aさんが浪費を続ければ、いつの日か親の資産は底をついてしまいますし、だいたいそうなる前に、あきれた親が強硬手段におよび、縁を切ったりするかもしれないからです。だから、「とんでもないことになる!」と警鐘を鳴らす人は、借金をなくす努力をしろと訴えるのです。

これは必ずしも、無駄遣いを減らして借金返済にあてろということではありません。それも大事ですが、これだけ大きな借金を節約だけで返済するのは非現実的です。だから無駄を切り詰めた上で、「収入を増やす策を講じろ」と言うのです。成長戦略というやつです。

ところが現政権は、ほとんど無駄を減らせないどころか、さらに借金の催促をする始末です。そして何よりも収入を増やす方策を打ち出せずにいます。こうなると方法はひとつしかありません。増税です。しかし日本はポピュリズム全開の民主国家。巨額の政府債務を返済できるような大増税などできるわけはありません。というわけで、大増税はある日突然別の形で姿を現すことになります。ハイパーインフレというやつです。国は破綻しないかもしれませんが、多くの国民の生活は、ほとんど瞬時に破綻してしまいます。

亀井さんのような国家社会主義的考え方をする人は、「日本国が破綻するわけなどないのだから、気にせず借金して財政出動せよ。そうすれば景気が浮揚して税収が上がり、景気が良くなればうまい具合にインフレになり、それにより借金も目減してすべては解決する」と考えます。

一方、警鐘派の人は、「日本国は破綻しないかもしれないが、政府主導のバラマキ政策では経済は成長せずに借金を増やして危機を拡大するだけだ。それでデフレは終息するかもしれないが、今度はインフレを制御できずにハイパーインフレになりかねない」と考えます。

どちらが正しいかは、結局のところ神のみぞ知るです。例え亀井さんの訴える方向に進んで失敗したとしても、警鐘派の方がもっと大きな失敗をするかもしれないし、その反対もしかりです。どこからが成功でどこからが失敗なのか境界線がはっきりせず、どんな結果になろうとも、互いに自説の正しさを説き続けるに違いありません。

しかし今回はそれが見極められるかもしれません。亀井さんの考える方向に舵を取りつつある日本に対して、日本とよく似た状況にあるドイツでは、後者の道をとろうとしているからです。

日本ほどではないものの、やはり巨額な財政赤字に悩むドイツは、徹底した小さな政府派のドイツ自民党の政権入りを受けて、赤字国債の発行を切り詰めた上で、あえて減税をして民間の活力に賭けようとしています。同じ問題を抱えるよく似た2つの国が、同じ時期に正反対の道をとろうとしているわけで、これはとても興味深い比較実験になると思います。他人事ではないので、そう悠長にしてはいられませんが。

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2009年12月22日

坂の上の雲を追わない「坂の上の雲」

海外に出ていた間に放送が始まっていたNHKのドラマ「坂の上の雲」の1話から3話までを先週まとめて見て、日曜日に第4話を見ました。

この手の、周辺国の現代史に係わるドラマを見るときは、どうしても制作側の変な配慮を警戒して身構えて見てしまうぼくですが、第3話までは、いくつか鼻につく場面はあるにせよ、さすがに膨大な制作費をかけているだけあり、明治の世界に引き込まれました。例えば主役である秋山真之の上京前の腕白ぶりは、彼の型破りなキャラクターを表現するためとはいえ、人間描写としてはあまりに安易な、朝のテレビ小説風の健全なステレオタイプの集積でした。しかし、テレビドラマに安易なステレオタイプ以上のものを求めるのは酷なことですし、逆に言えば、そんな当たり前のことを欠点と感じさせてしまうほどに、このドラマは秀逸なのだと言えると思います。

実際ぼくはこのドラマを見ながら、NHKを見直し始めてさえいました。第4話を見るまでは。

第4話は日清戦争を描いていました。そしてこの回を見ていてどうしようもなく印象的なのが、まず中国大陸に進駐した日本軍の横暴ぶりです。許してくれと懇願する老人を蹴り飛ばして物資を徴発するなどして民衆に恨まれ、それに異議を挟む従軍記者の正岡子規に対して「記者は軍の言うことだけを書いていればいいのだ!」と恫喝するステレオタイプなバカ軍人・・・。やはり来たかという感じです。

原作を忠実に映像化しようとすれば、戦争賛美になりかねない作品ですから、何らかの形で戦争の悲惨さを挟み込んで、無垢な視聴者の極右化を防止する配慮をしなければならないのはわかります。しかしだからこそ、この作品の最大の腕の見せ所はそこの所の料理法にあるはずです。それをこのように安直かつ軽薄かつ凡庸な形で処理されてしまうと、豪華な配役やセットばかりにカネをかけて、肝心な所に知恵を絞れないNHKは、やはりクリエイターである前に役人集団だと言わざるを得ません。

似たような場面は他にもありました。従軍記者に選ばれて喜ぶ正岡子規に対して、子規の母が床の間の漢詩を指し、これまで多くを学んできた中国と戦争していることを指摘して心を痛めるのです。原作にはない、いかにも現代的なこういう感傷は、日本が中国より格上か、せめて対等の、ある程度余裕のある時に初めてしっくりくるもので、落ちぶれたとはいえまだまだ大国に数えられていた当時の清との紛争に際し、日本敗戦の可能性も十二分にある状況下では、端的に不自然です。「戦争は良くない。日中友好万歳」ということなのでしょうが、蛇足感はぬぐえませんでした。

さて、問題が以上の2点だけであり、そういう余計な要素を持ちつつも、余計な要素を余計な要素としてドラマの軸がぶれておらず、夢中で坂を駆け上がってゆく明治日本の雰囲気が出ていればいいのですが、残念ながらそうではありませんでした。主役の秋山真之は、初陣で部下を死なせたことに衝撃を受けて、悩むのです。まるでガンダムのアムロのように。「おれは軍人に向いていないかもしれない」と、番組の大半を費やしてくよくよと悩み、同僚の広瀬大尉から東郷さんにまで、胸の内を吐露して相談しまくるのです。

ここに至り、ドラマの主題自体が揺らぎます。ドラマはもはや明治の群像ではなく、そこに見えるのはただ明治という舞台を借り物にしただけの現代日本であり、現代日本人です。大陸で悪行に精を出す日本軍も、日中衝突に心を痛める正岡親子も、とってつけた余計な場面ではなく、「明治を舞台とした現代日本」という主題に合流するのです。

おかげで、日清戦争後の雰囲気はまるでお通やです。そこにあるのは、前だけを見て歩いていられた若者の国ではなく、一歩踏み出すたびに誰かを踏みつけ、置いてけぼりにし、そしてそのことを意識してスティグマを刻まれてゆく老人の国です。

「坂の上の雲」という原作を、明治日本のプロパガンダとせずに映像化するのは、極めて難しいことです。その難しさを最も安易な方法で回避しようとし、そうすることで原作のエッセンスを台無しにしたこの作品は、クリエーターの作品ではなく、役人に統率された技術屋の技の品評会と見るべきものです。

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2009年12月17日

ふたつの日本

ハチャメチャな民主党政権が誕生して、ハチャメチャであるものをハチャメチャであると指摘することに虚脱感を感じてブログを休止して早3ヶ月あまり。ぼくは一昨日香港から帰ってきました。香港に行っていたのに深い理由はありません。日本にいる限りは避けられない日本という空間の精神的閉塞感から一時でも自由になりたいという、ただその程度の思いからでした。

そんな動機で初めて訪れた香港でしたが、結果から言えば、良くも悪しくも、日本の呪縛から逃れることはできませんでした。

何しろ香港という所は、徹底的に日本に汚染されています。人気のカジュアルウェアはユニクロとMUJI(無印良品)で、街のいたる所で見かける香港最大の菓子チェーンは妙な日本語の店名で日本風のお菓子を売る「優の良品」で、街で一際長い行列を作っているレストランは回転寿司とうどん屋で、マクドナルドの一番プッシュは「Ebi Burger」で、化粧品から健康グッズまで一番の売りは「日本で高評価」で、スーパーの食料品を見れば「日式」の嵐。日本から逃れて生活する術はありません。

とは言うものの、香港人には、東南アジアの一部や、或いは欧米のジャパノフィル(日本狂い)に見られるような、日本を過度に美化するような卑屈な態度は感じられません。彼らを魅了しているのは、幻想の中の日本ではなく、あくまで等身大の日本であり、ただとにかく日本の製品や文化をいいと感じるから、日本食をおいしいと思うから素直にそれを評価し、生活の中に受け入れているという風なのです。

逆説的になりますが、だからこそぼくは、いわば日本から逃避したい気持で香港を訪れた今回、皮肉にも以前したどの旅よりも強烈に、日本という巨大な存在に打ちのめされてしまいました。軍事力や圧倒的な経済格差で現地の人々を隷属させるわけではなく、ごく自然に等身大の姿で香港の人々を惹き付け、彼らの生活の中に刻々と根を伸ばしている日本という存在は、とてつもないモンスターです。

そんなモンスターである日本と、日本にいる時に感じた「沈みゆく日本」は、どうにも整合性がとれません。しかし「沈みゆく日本」もまた、決して幻想ではありません。

歴史的な日本の夜明けであり、東アジアの連帯を訴えて海外での評価も高いはずの鳩山政権の動向は、香港ではほとんど伝えられることはなく、唯一そこそこの大きさで伝えられた経済刺激策の発表は、ブルームバーグの香港支局で散々に叩かれていました。いわく、「民主党政権の経済政策はかけ声倒れで歴代政権と変わらぬ思い切りを欠いた対症療法に過ぎず、すでに日本はポイント・オブ・ノーリターンを越えた」・・・。

思うに、香港に根を下ろしている日本的なものは、どれもこれも「下賤」なものばかりです。ユニクロにしろ袋詰めの菓子にしろ、エリートには何の関係もなく、高尚な意図の下にはむしろ有害とすら言える庶民的で悪趣味なシロモノであり、回転寿司やうどんは言うまでもなく庶民のものです。香港の道路を埋め尽くす日本車にしても、日本で最初に自動車製造に目をつけたのは市井のメカオタクとベンチャー企業家であり、エリート役人は冷淡でしたし、ここ数年日本文化の牽引役を務めているアニメやカワイイファッションも、最近でこそ変に公的なお墨付きを得ていますが、昨日までは下の下という扱いでした。

今、香港に限らず世界を惹き付けているモンスターな「日本」のほとんどは、エリート的、或いは官的な感覚とは無関係なところで雑草のように生まれた庶民文化ばかりなのです。

一方、官的な力が強く働いている分野はどうかといえば、こちらは一様にダメダメです。規制のためにガラパゴス化してしまったと言われる携帯電話分野におけるプレゼンスはゼロに等しく、経済政策は世界に反面教師を提供するばかり。そして日本エスタブリッシュメント層の権化たる現首相に至っては、彼から学歴と生まれを取ったら何も残りません。

日本には2つあるのです。モンスターな日本と、その背中に乗り、操縦士をきどる虚弱体質の日本の。

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