2010年01月03日

なぜお笑いブームは続くのか?

もう5、6年くらい前になりますか、業界人とスッチーを集めた合コンで、脱サラをして駆け出しのお笑い芸人をしているという男に会いました。当時は2000年くらいに始まったお笑いブームが頂点を迎えようとしている頃でしたが、「今駆け出ししているようじゃ遅い。ブームに乗り遅れたな」などと思ったものです。

しかしお笑いブームは去るどころか、その後もお笑い芸人への需要は増え続けています。件の彼は、合コンを盛り上げることすらできないでくのぼうで、顔も名前も忘れてしまいましたが、もしかしたら今や人気芸人の一人として、忙しい日々を過ごしているのかもしれません。

それはともかく、2004年頃に、お笑いブームがここまで続くと予想できた人は多くないと思います。流行というものに敏感な業界人ならなおさらで、当のお笑い芸人たちの中にも、今の状況に半信半疑な人は少なくないはずです。

ではどうしてお笑いブームは続いているのか?その理由としてよく聞くのが、「不況でテレビ局にカネがないので、安いギャラで雇える若手芸人の番組が増えている」というものです。でもこれは理由になっていません。なるほどテレビ局からすればそうかもしれませんが、あらゆる商売というものは、供給側だけの都合で決められません。自動車メーカーが、経営が苦しいからと車の品質を下げたらどうなるのか?客は、努力と工夫で品質をキープするメーカーに流れていきます。テレビ業界というのも、既得権に守られた生ぬるい業界であるとはいえ、一応競争というものはあって、自分の都合だけで番組を作れたりはしないのです。

では需要の方はどうかというと、「どのチャンネルを見てもお笑い芸人が騒いでいるばかりでつまらない」という意見は、それ自体流行遅れになるくらいに、もう何年も前から言われ続けています。視聴者からすれば、ブームは遠に去っているのです。制作側もそれに気づかないほど鈍感ではありません。早く「次」を見つけて他局を出し抜きたいのは山々です。でも見つからないのです。

見つからないのは、決して無能だからではありません。より正確に言えば、見つからないのではなく、「ない」のです。少し遠回りになりますが、どういうことか説明します。

かつてのテレビ界には合い言葉がありました。「視聴者を巻き込め」というやつです。企画会議で必ず聞かされた言葉です。視聴者を、ただ受動的に番組を見る存在にしておかず、積極的な関与者にしろ(そう思わせろ)ということです。視聴者参加はその古典的な手法で、「電波少年」系の企画などは、その進化した姿です。送り手と受け手の間にあるテレビ画面という枠をいかに破壊するかということで、これは要するに、双方向性への希求です。テレビマンの腕の見せ所は、本質的に一方通行なテレビというメディアにおいて、それをどこまで擬似的に実現できるかにあり、テレビの進歩のエネルギーは、そこから生まれていたのです。

しかし、ウェブの登場ですべては変わりました。「視聴者を巻き込め」と、知恵の限りを尽くしてテレビが越えようとしていた壁の向こうに、きょとんとした顔でウェブがいる!そして勝手気ままに振る舞っている!この期に及んで壁を越えようとするのは、滑稽なばかりかテレビの存在意義を低下させるばかりです。そこで00年代中期からさかんにこう叫ばれ始めました。「テレビにしかできないこと」を探せ。

テレビ以上のものになろうとするのを止めて、テレビであることそれ自体の中に価値を見つけようというわけです。しかし、テレビにしかできないことは実はそんなにありません。なるほど局にはコンテンツ制作のノウハウはありますが、そこは何もテレビというメディアに縛られる必要はありません。テレビにしかないものを突き詰めれば、結局のところ過去へのノスタルジーと、華やかな芸能界と、大衆動員力に尽きるのです。

テレビ黄金期の回顧番組、早朝から深夜までタレントの大量起用、そして番宣の大量投下による無理矢理ヒット。3、4年前から各局に共通するトレンドは、テレビにしかできないことを追求した結果です。お笑いブームの異様な長期化の理由もここにあります。若手芸人の大量起用によるバラエティは、ただのブームではなく、テレビにしかできないことを、しかも低予算で実現してくれる、テレビの行き着いた先なのです。

収入低下のテレビ局はタレントの大御所化を歓迎しませんから、消費され尽くして消えていく若手はこれからも後を絶たないはずです。ただ彼らにとって救いなのは、彼らはテレビ局を肥らせるエサとして消えていくのではないということです。彼らはテレビの最後の存在意義であり、一人の若手が消えるたびに、テレビもまた、少しずつ影響力を失っていくのです。

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