その通りだと思います。しょせん検察など、ゴールデンタイムのテレビドラマレベルのチープな正義感をもとに、世直ししているつもりの学級委員の集団に過ぎません。しかしながら、現実にそんな検察の被害に遭った方々はともかく、そういう体験のないぼくなどは、今このタイミングでその正論を訴えることに躊躇せざるをえません。
なぜならば、検察の限りなくチープな正義主義をここまではびこらせた大きな要因は、現与党にあるからです。ほんの数ヶ月前まで、彼らはただただ清廉であることだけを売り文句にし、当時の与党のカネに絡む不祥事と、それにより引き起こされたとされる社会の拝金主義的風潮をことあるごとに追及していました。彼らの正義と検察の正義は同じレベルで、「政治とカネ」という言葉をここまで社会に浸透させたのは他でもない彼らでした。
例えば2002年に、今は仲良しの鈴木宗男氏を検察に告発したのは民主党でしたし、当時の鳩山代表は以下のような態度で悪の根絶を訴えていました。
民主党の鳩山由紀夫代表は、13日の定例会見で、ますます疑惑の深まる鈴木宗男議員に対し、「怒りを込めて早期の議員辞職を求める」と語気強く批判。鈴木 議員が日本の主権を売り渡すような発言をしたり、外務省職員に対する暴行事件を起こしていた問題を指摘し、「こういう議員が国政の中にいることが恥ずかし い」と指弾した。
さらに、自民党の鈴木議員、加藤紘一議員の問題をはじめとする、政治家と金にまつわる事件の多発について、自民党の金集め体質そのものが引き起したもの であり、2人の処分で解決するものではないとし、「こうした問題の頻発する状況を見れば、ザ・自民党の終焉を強く感じる」と語った。
「疑惑の頻発はザ・自民党の終焉」鳩山代表会見
また、ライブドアや村上ファンドをめぐる捜査では、一部から検察の国策捜査を批判する声があがり、その論拠としてたびたび引用されたのが、当時の特捜部長、大鶴基成氏の次のような言葉でした。
額に汗して働いている人々や働こうにもリストラされて職を失っている人たち,法令を遵守して経済活動を行っている企業などが,出し抜かれ,不公正がまかり 通る社会にしてはならないのです。
一見美しい正義の言葉ですが、要は検察の考える正義に合わせて法の解釈を変えるぞと言っているわけです。最悪ですね。しかし当時の民主党はこれを国策捜査として批判するどころか、検察の正義を手放しで賞賛して国民を煽りまくりました。
(小沢代表は)「小泉改革の成果だとうたい上げた諸々のことが、今、色々な不祥事として現れてきている」として、ライブドア問題、村上ファンド問題に加えて、福井日本銀 行総裁の投資問題も取り上げた。そして、「個別の色々な問題以上に、日本人の心の中から、モラル、倫理観、道義観というものが全く無くなってしまっている のではないだろうか」とし、「ただ単に多数の中の不心得者というのではなくて、本当に日本の社会の中枢の仕事、責任を担っている人にまで、これが及んでい る」として、モラルが欠如した日本社会の現状への危機感をあらわにした。
小沢代表、明確な政策打ち出し、日常活動で訴える重要性を強調
どう見ても同類ですね。こういうわけですから、検察VS小沢というのは、要するに正義ヤクザの内部抗争なのです。検察に私怨があるわけでもない一般の国民は、こんな内部抗争に真剣に肩入れしてはいけません。どちらか劣勢の方の肩を持ち、逆になったらサイドを入れ替え、ひたすら戦いを激化させて両者が共倒れするまで見守るのが、正しい楽しみ方なのです。