アメリカには、金融日記さんのように平易な語り口で経済を語る本やサイトがたくさんあります。高名な経済学者によるものもたくさんあり、経済学のイロハを知らなくても理解できるように書かれています。難しい概念を駆使して高度な研究をするのは大事なことですが、経済学の場合、それが現実に反映されなければ何の意味もありません。民主主義においてそれを決めるのは選挙民なのですから、誰にでも分かる言葉で語り、選挙民を啓蒙することも、学者の大事な仕事なのです。
しかし日本では、アメリカほど、学者が普通の人の目線まで降りてきて、言葉を尽くして普通の人にわかるように話すという態度に巡り会うことはありません。日本の知識人は、難しい専門用語を駆使するなどして知識人であることを示すことにより、理解させるのではなく、盲目的な信用を獲得しようとする傾向が強く、世間もそれを求めているように見えます。
例えばそれは、例外的に非日本的でとてもわかりやすい金融日記さんの文章にも現れています(というより、演出として効果的に取り入れられています)。
金融日記さんは、「レントシーキング」という言葉を強調しています。規制や補助金を連発すると、企業は消費者ではなく政治家と役人の方を向いて商売をするようになるというこの概念は、大きな政府の弊害を語るときに欠かせない概念で、アメリカの経済啓蒙書には必ず出てきます。経済については洋書からしか学んだことのないぼくも、この概念についてはもちろん承知していました。しかしその概念と、「レントシーキング」という呼称は、正直このエントリーを読むまで、頭の中で一致しませんでした。
How はわかっていたけれど、What は知らなかったのです。
というのも、アメリカの経済啓蒙書の多くは、レントシーキングという用語をあまり強調しないのです。ページを費やしてレントシーキングについて説明していても、レントシーキングという言葉を全く使わないことはザラ。使う場合も軽く触れる程度で印象に残らないのです。
恐らくその理由は、レントシーキングという言葉が、一般人には馴染みの薄い専門用語であり、またその現象を理解する上であまり助けにならない空虚な記号に過ぎないからだと思います。
Rent Seeking という言葉を理解するためには、まず Rent という経済学の概念を理解しなければなりませんが、これ自体が結構わかりにくい概念です。そしてそれを正しく理解していたとしても、Rent Seeking と言われたところで、やはりその意味は明確にはなりません。こちらの経済用語解説のページ(英語)では、レントシーキングという表現は曖昧なので、Privilege Seeking (特殊権益追求)と呼ぶべきと書いていますが、その程度の言葉なのです。
大事なのは、What ではなく How を伝えること。曖昧な専門用語の濫用は、読者を突き放して混乱させるだけ、というわけです。
しかし日本の場合は違います。How を平易に語ることを重視する金融日記さんのようなサイトでも、レントシーキングのような、衒学的な What を提示することを要求されるのが、この国の風土です。そして案の定、はてなブックマークを見ると、揃いも揃って、レントシーキングという言葉に食いついていました。そういえば、NHKで放送していた「出社が楽しい経済学」という番組も、「経済学をわかりやすく解説すること」ではなく「経済学の専門用語をわかりやすく解説すること」を軸にしていました。
How よりも What を重視する社会は、権威的な社会です。何事に対しても、What is it? ではなく、How does it work? の態度で臨むことこそ、この国の権威的な風土を壊すカギだと思います。