2010年12月22日

ブランド主義社会とネットの匿名性

少し前に、日本の官房長官が自衛隊を暴力装置呼ばわりして巷を騒がせたことがありました。

そのとき、ああ日本らしいなと思ったのは、「あれは社会学者のマックス・ヴェーバーの言葉だから何の問題もないのだ」と指摘する人たちがでてきて、かなりの人たちがそれに納得していたということです。

どこの国でも、責任ある立場の人による問題発言騒動はあります。しかし、「マックス・ヴェーバー使用の学術用語だからオッケー」などという擁護は、例えばアメリカではまずありえません。もしそんな擁護をしようものなら、「ヴェーバー?そんなやつ知らないよ」「その人が使った言葉?だからどうしたの?」「学術用語?そんなもん論文書くときに使えよ」などとますます反感を煽るだけです。

ところが日本ではなぜか説得力を持ちます。発言そのものの内容よりも、誰がその発言をしたかの方に重きがおかれる社会、ブランドがモノを言う権威的な社会だからです。

ネットにおいて、欧米は実名主義で、日本は匿名主義だと言われます。たしかにその傾向はあります。日本人は個が弱いからだ、卑怯だからだなどと言う人もいます。しかしそれはどうなのかと思います。

これまでブランドで会話をしてきた日本人にとって、言葉、画像、映像の内容だけで交流しあえる匿名ネットの世界は、肩書きも年齢も性別も関係なくコミュニケーションできる初めての場です。

日本においては、実名を出す出さないは単なる勇気とかの問題ではありません。実名を出したとたんにコミュニケーションのあり方が本質的に変化してしまうのです。

日本より権威性の薄いアメリカでは、実名を出して語ることと、匿名で語ることの間にさほど大きな差はありません。いずれにしても内容重視だからです。例えばあちらでは、いかに高名な学者であろうと、誰にでもわかるように話せなければ、話を聞いてもらえません。だから彼らの著書は(学術論文は別にして)、驚くほど専門用語は少なく、平易な文章で書かれています。

ところが日本でありがたがられる知識人というのは、平易な言葉で難しいことを語れる人ではありません。専門用語や最新カタカナ語を駆使して、平易なことを難しく語れる人のことを指します。ブランド会話の名人ということです。実名を出すということは、そういう世界に戻ることを意味しているのです。

匿名ネットは害悪だから、規制してやめさせてしまえとまで言う人もいますが、それは、ネットの世界を「古い世界」の流儀に強引に合わせろということに他なりません。匿名主義を氾濫させている主犯は、あいかわらずブランド主義のはびこるその他の世界の方であり、変えなくてはならないのはそちらの方なのです。

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