2011年01月07日

テレビの夢見た未来

マスメディアの崩壊を告げる出来事が、年明けから毎日のように起きています。

まずは、「グルーポンおせち事件」。グルーポンを通じて販売されたバードカフェの半額おせちが見掛け倒しだったというこの事件は、某ブログの「告発」により明らかになり、それが2ちゃんねるを始めとするネット空間で大々的に取り上げられ、新聞とテレビがこれを後追いしました。

そして、広島市、秋葉市長のユーチューブによる不出馬宣言。マスコミのインタビューを拒否し、ユーチューブのみを通して市民に語りかけました。



ようやく時代はここまで来ました。あらゆるものがマスコミをあからさまにパッシングし始めたのです。

尖閣ビデオ、ウィキリークスのケーブルゲート、ツイッター不倫暴露事件と、すべてはひとつにつながっています。マスコミという20世紀の遺物が、音を立てて、加速度的に崩壊しているのです。

こういう事態に対して、マスコミは信頼を取り戻す努力をせよ!と叫ぶ人もいるでしょう。でもそれは難しいことです。マスコミが本気で信頼回復しようとするなら、マスコミ以外の何かになるしかないからです。

そう、かつてマスコミは、マスコミ以外の何かになろうとしていました。マスコミの王様テレビは、その影響力が頂点に達した1990年代初頭に、テレビを超える存在になろうと模索していたのです。

その頃のテレビの課題は、テレビというメディアの限界である、「一方通行性」と「1日は24時間しかない」という問題をどう乗り越えるかにありました。ステージと客席の区別を取り払い、視聴者を受身な存在ではなく積極的な参与者とすることでより没入させ、放送時間という物理的な枠を拡大出来れば、テレビの力はより大きくなるはずだからです。そのため当時のテレビは、番組作りにおいては「いかに視聴者を巻き込むか」を主眼におき、営業においてはイベントやグッズ販売、映画制作など、ブラウン管の外へと進出するようになりました。

それは進化しようという意志であり、その意志があればこそテレビは人々を惹きつけ、そこに信頼が生まれていたのです。

そして今、その野望は果たされつつあります。ただしそれはテレビとは呼ばれず、別の名で呼ばれています。インタラクティブでオンデマンドのインターネットこそ、テレビが夢見た、テレビの未来だったのです。

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