あちこちでとても高い評価を受けている話題作です。でもひとことで言うと、この映画は日本人には敷居が高すぎます。
この映画をフルに楽しむには、アメリカの名門大学のあり方を知らないと、なかなかピンと来ないと思います。また当然ながら、普段からネットに親しんでいる人でないとお話になりません。このふたつの要素だけでも、ほとんどの日本人を疎外するに十分ですが、もうひとつ重大な問題があります。
それは、主役のザッカーバーグ君をはじめとする登場人物が一様に早口で、なおかつ病的によく喋るということです。あの早口に耳でついていける日本人は、全人口の0.1パーセントに満たないでしょうから、たいていの人は字幕を読むことになりますが、そうすると字幕を読むのに精一杯で、映像を楽しむのは辛いと思います。話題作だからと軽い気持ちで観ると、ザッカーバーグ君の早口が炸裂する開始5分で根を上げることになると警告しておきます。
さてしかし、そういう大きなハードルを、想像力と「よく分からんけどまいっか」という諦めでカバーして見ていくと、この映画は評判通りなかなか面白い映画です。評判のいい映画というのはたいてい複眼的で、観る人それぞれに違う楽しみどころがあるものですから、これはあくまでぼくだけの感想にすぎませんが、こんなにストレートにスカっとする映画は久しぶりに見たという気がします。
スカっとする映画というのは、基本的にアンチ現実であり、アンチ現実ということは、アンチ・マネーです。この映画は徹底的にアンチ・マネーで、アンチ現実が現実を打倒するという内容です。
登場人物は、フェイスブックの創業者であるマーク・ザッカーバーグにしても、ナップスターで名を馳せたショーン・パーカーにしても、半分壊れたやつばかりです。成功したからいいものの、成功しなけりゃ社会不適合者扱いされることまちがいなしです。そんな中で唯一まともなのは、ザッカーバーグ君のただひとりの親友であり、フェイスブックの共同創業者であるエドゥアルド・サヴェリンです。そんなサヴェリン君がクレージーなやつらに翻弄され、捨てられていく様子が、物語の大きな縦軸を構成しています。
このサヴェリン君、映画の中ではそのまともさゆえに浮いていて、凡人の悲しさを漂わせ、観るものの同情を誘うのですが、実のところ彼は決して凡人ではありません。ハーバードで経営学を学ぶエリートです。現実の世の中では、彼のような人間がマーケティングやマネタイズの方法を模索し、浮世離れした発想をコントロールすることにより、世の中を動かしていくわけです。ところがこの映画には、そういう王道のビジネスに居場所はありません。
フェイスブックが順調にユーザー数を伸ばしていく中、サヴェリン君は資金調達に奔走し、事業として利益をあげるために広告を載せようと提案します。するとザッカーバーグ君は嫌だと言いいます。なぜかというと、「クールじゃないから」。ロックな空気を漂わせまくるショーン・パーカーも同じ意見で、「広告を載せるなんて、パーティの最中に『パーティは11時まで』と言うようなもんだ」と一蹴します。
ただただクールなものを追い求めて成功するお伽話は昔からありました。アーティストやアウトローはその代表格です。ところが彼らは、ほとんど例外なく現実の餌食となります。純粋なアーティストは、彼らの才能と名声にむらがるマネーにスポイルされ、アウトローは政治権力に押しつぶされます。最後に残るのは現実の世界で、アンチ現実は一瞬の輝きを残して消える運命にあるのです。
しかしこの映画ではそうではありません。サヴェリン君に象徴される現実はお行儀よくて弱く、クレージーなやつらをスポイルするどころか、徹底的にスポイルされ続けます。マネーの世界はアンチ・マネーに屈し、現実はアンチ現実に飲み込まれていきます。最後までアクセルを踏み続けて勝ち続けるボニーとクライドです。
「なんで日本からはグーグルもアップルもフェイスブックも生まれないんだ」などと嘆く人がいますが、そういうセリフを口にするのは、たいていサヴェリン君のようにビジネス畑の人で、すでに評価されている事業について、後出しで意見しているにすぎません。本当に型破りなビジネスは、サヴェリン君には理解できないし、サヴェリン君を奈落に突き落とすのです。この映画は現実のフェイスブックの実態をそのまま伝えているわけではありませんが、この映画に描かれる壊れたやつらを全的に抱擁できなければ、そういうセリフを口にする資格はないと思います。
ところで、アンチ現実が美しく思えるのは、それがはかないもので、最後に敗れることを運命づけられているからです。勝ち続けるやつは美しくありません。ザッカーバーグ君も、プログラミングの才能を除けば、悪人にすらなりきれない凡庸ぶりで、ぜんぜん美しくありません。しかしラストに、勝ち続けるザッカーバーグ君に対する皮肉めいたシーンがあり、彼は一番大事なものを手に入れていないことが示されます。おかげでザッカーバーグ君は悲壮感を帯び、観るものに好感を与えて物語は終わるのでした。