その年も髪を切る時期がやってきました。指名された若い床屋は、泣き叫ぶ母親に別れを告げて、覚悟を決めて宮殿に参じました。床屋は、王様と二人だけの部屋で、頭から布を解いた王様の髪を刈りはじめました。そして耳のところまで刈りすすめたとき、床屋は恐ろしいものを見てしまいました。若い床屋は、どうして床屋が生きて帰れないのか、その理由を悟りました。
とそのとき、宮廷のドアがガタンと開きました。そこには、衛兵に抱えられた床屋の母親の姿がありました。母親は、息子を救いたい一心で城にのりこんできたのです。「王様、どうか息子をお助けください。親一人子一人の身で、一人息子をなくしたら、わたしは生きていけません。どうしてもというのであれば、息子のかわりに私の命をお召しください」
衛兵に殺せと指示を出しかけていた王様は、それを聞いて考えました。「若い床屋だけならともかく、このみじめな母親まで殺してしまったら、怒った領民は何をするかわからぬ。ここは慈悲深いところを見せておくのが得策かもしれぬ」
王様は床屋に言いました。「よろしい。母親をつれて家に帰るがよい。ただし、おまえがここで見たことは絶対に他人に口外してはならぬ。もし約束を破れば、わかるな」
床屋は王様に感謝し、母親とともに家に帰りました。
それからしばらく、床屋の親子は命があることに感謝しつつ幸せに暮らしました。また王様も上機嫌でした。床屋を許した翌日、鏡を見ると、ロバの耳がすこし小さくなっていたのです。善い行いをすれば、神様が罰を軽くしてくれる。そのことに気づいた王様は、それまで毎週のように実施していた公開処刑をやめ、領民に施しをするようになりました。ロバの耳はすこしづつ小さくなっていきました。
しかしそんな日々は長くは続きませんでした。若い床屋はふさぎ込みがちになり、やがて寝こんでしまったのです。様子を見に来た町の長老に、床屋はいいました。「苦しいのです。頭の中に他人に言えぬ秘密があって、口から出ようとするのです。この秘密を出してしまわないと、正気でいられないのです」
長老は言いました。「ならば町外れの森に行けばよい。森をずっと進んでいくと、開けた場所がある。そこに穴を掘って穴の中にすべて吐き出せばよい。おまえにはまだ教えていなかったが、心が落ち着かない町の人は、みなそうしているのだよ。どうしたわけか、最近そういう者が増えて困っているのだがね」
話を聞いた床屋は、一目散に町外れに行き、森の中を進んで行きました。すると開けた場所に、たくさんの穴があいていました。ひとつの穴に頭を入れてみると、中にはこんな声がこだましていました。「町の徴税人はワイロをとっている」別の穴に頭を入れると、今度は「長老は酒屋の女将と浮気をしている」とこだましていました。
ひとしきりいろいろな穴の声を聞いた床屋は、意を決すると新しく穴を掘り、力のかぎり叫びました。「王様の耳はロバの耳!」そう叫ぶやいなや床屋の頭はスウッと軽くなりました。足取りも軽く、床屋は町に帰りました。
それからしばらくしたある日、森に頭を軽くしに行っていた屋根葺き屋が町に帰ってきて言いました。「ある穴に首をつっこんだら『王様の耳はロバの耳』って聞こえてきたんだが、あれは本当なのかね?」
家具職人が言いました。「そういえば王様はいつも頭に布を巻いてるな。信ぴょう性ありだな」
パン屋が言いました。「オレもそう思う。だが誰が王様の耳を見たのかね?」
皮なめし屋が言いました。「床屋が臭いな。あいつこのあいだ城に王様の髪を切りに行っただろ。王様の髪を切りに行った床屋はいつも帰って来ないのに、あいつは帰ってきた。てことは、王様と約束したんじゃないだろうか。誰にも話さないとね」
それまで黙って話を聞いていた長老が言いました。「間違いない。あいつは他人に言えない秘密があると言っておった。しかしまさかそれが王様との約束とは思わなんだ。約束を破るだけでも人として許されざる行為だが、王様との約束を破るとあれば一大事だ。この町の住人として、放ってはおけぬ」
長老たちは床屋に押しかけました。口をつぐむ床屋を縛り上げると、「白状しろ!」「みんなに詫びろ!」と叫びながら石を投げつけました。ほどなく床屋は絶命しました。長老たちは、泣き叫ぶ母親に言いました。「彼を許すことは、町のみんなを苦しめることになるのだ。あなたが今泣いているのも、あの男の不徳がゆえ。どこまでも親不孝者よ」
続いて長老たちは城に向かい、王様に面会を求めました。一行を柔和な笑顔で迎えた王様に、長老は言いました。「王様、床屋のやつめがあなた様との約束を破り、王様の耳がロバの耳であると言いふらしておったことはお耳に入っているでしょうか?」
それを聞いたとたん王様の表情は青ざめ、激しい怒りに身を震わせはじめました。「あんな男を信じたわしが愚かだった。親子ともども八つ裂きにしてくれる!」と王様は思いました。しかし王様は懸命に冷静を装い言いました。「もちろんとっくに知っておる。で、おまえたちはなにしにここに来たのだ?」
長老は言いました。「さすがは王様、お耳が早い。信用を裏切られた王様のお気持ちは、われわれにもよくわかります。しかしご安心ください。慈悲深い王様の手を、人間として最低の義務さえ守れない下劣な者の血で汚す必要はもうありません。われわれ民衆の問題は、われわれ自身で解決いたしました。そのことをご報告にまいったのです」
それを聞いた王様は、しばらく考えてから問いました。「おまえたちは、余の耳をどう思う?」
長老は答えました。「王様の耳はロバの耳。それがどうしたと言うのでしょうか。むしろ大きくて長い耳は、君主としての美徳ではありますまいか」
王様はニヤリと笑うとこう言いました。「お前たちは何か勘違いしているようだが、余はあの男とは何の約束もしておらぬ。余の耳はロバの耳などではないからだ。にもかかわらずおまえたちは、余の耳をロバの耳だと言う。これは許されざる王への侮辱である」
翌日、長老をはじめとする一行は八つ裂きにされました。久しぶりの処刑を見ようと、処刑場はたいへんな人出でした。森の穴は町民により埋められ、以降、不吉な森に近づく者はありませんでした。