2011年08月26日

捨てられたのはどっちか?

タレントの島田紳助さんが引退したそうですね。そうですね、と書くのは、ぼくは引退会見も見ていなければ、彼の番組も見ていないから(「鑑定団」だけは年に何度か見ています)。ただし彼が今のテレビ界最大の大御所であることは認識しています。

引退の理由は暴力団との交際だそうですが、たかがその程度の理由で、彼ほどの大御所がこれほどまでに電撃的に引退するのはおかしいと、世の人々はいろいろと勘ぐっているようです。何かとんでもない事件に絡んでいて、それで慌ただしく切られたのではないかと。

そうかもしれません。しかしぼくはそう推測する材料を持ちませんし、そのあたりのことに興味もありません。ただひとつ思うのは、所属事務所から詰問されたときに、自分から引退を持ちだしたといういやに潔い話、あれは大げさでもなんでもなく、電撃引退の理由は結局そこに尽きるんじゃないかなということです。

テレビ業界が彼を追放したのではなくて、むしろ彼の方がテレビ業界を値踏みして、見切りをつけたように思えるのです。

昨今のテレビといえば「ゴリ押し」です。テレビを核としたメディアミックスでブームを仕掛ければ、世の中は踊るというビジネスモデルにしがみつくテレビ界を、人々が覚めた目で見始めたことにより生じる現象です。2000年代から現在にかけてのテレビの歩みは、古い世界観に囚われてあいも変わらず世の中を動かそうとするテレビと、人々の意識のズレが拡大してきた歴史といえます。

島田紳助という人は、そんな中でテレビ界の頂点に立ちました。

現代のテレビタレントに要求される第一の条件は、業界内の空気に鋭敏で、ゴリ押しに進んで感化されて協力してくれることです。そういうタレントはいくらでもいます。しかし、島田紳助というタレントはその類ではなく、また自分であれこれプロデュースしつつも、不思議とゴリ押しを責められない人でした。

確かに彼は、情強の人から見ればあきれてしまうような、安くてダサい感動を売ることを得意としてきました。そのせいかネットではたいへんな嫌われ者でした。しかし彼のやり方をゴリ押しと批判する声はあまり聞きません。もちろんぜんぜんないわけではなく、自分の番組内で子飼いのタレントをゴリゴリしていたようですが、それに対する批判は、あれだけ売れていた割にはとても少ないのです。

彼のすごさはそこにあったと思います。

世の中の変化なんてお構いなしに、売り手側の論理で売りたいものを売ろうとするテレビ界にあって、彼は世の中の空気を読む極めて感度の良いアンテナを持ち、客が求める商品を提供しようとしてきたのです。それは決して時代の先端を行くような商品ではありませんでしたが、世の人々はみんながみんなハイセンスな商品を欲しがるわけではありません。

だからこそ人々は彼のやり方にあまりゴリ押しを感じず、またテレビ界と世の中の乖離が刻々と広がるこんな時代だからこそ、彼の存在は一層際立ったのではないでしょうか。

そんな彼が、今回暴力団との関係を問われて、あっさりと引退を決めてしまいました。稀代の嗅覚の持ち主であり、また損得勘定に長けていると噂される彼が。ぼくにはまるで、百発百中の相場師が、持株を全部売却してしまったように見えます。

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2011年08月23日

日本人と「責任」

先日、日本人観光客がナイアガラの滝に転落してしまうといういたましい事故がありました。犠牲となった女性は、いい写真を撮ろうと手すりをまたいで川に落ちてしまったのですが、こういう事故があると、必ず出てくるお決まりの反応があります。

「自己責任だ。警告があるのにそれを無視して危険なことをするようなバカには同情の余地はない」というやつです。

一方で、やはり先日おきた天竜川の川下り船転覆事故のようなことがあると、今度はこんな主張が声高に叫ばれます。「安全に対する意識が低すぎる。ライフジャケットの着用を義務づけるべきだ」

こういう傾向は、とくに日本において強いと感じます。ぼくは日本人論は嫌いですが、こうした反応は決してユニバーサルなものではありません。たとえばナイアガラの滝の一件においては、彼の地で自己責任論を唱えて犠牲者を批判する声はほとんどありませんし、また事件を伝えたカナダのテレビニュースには、2分程度の短いリポートの中に、日本では考えにくい描写が2ヶ所もでてきます。続きを読む

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2011年08月18日

史上最強の宣伝の作法

政治家は不人気な政策を実行しなければならないときもある。しかし不人気な政策というのは入念に準備し、大衆を納得させた上で実行されねばならない。庶民の知性をバカにしてはいけない。不人気な政策の被害を最も受けるのはたいていの場合庶民なのだから、なぜそうしなければいけないのか、庶民にはその理由を知る権利がある。だからあらゆる政策の実行は説得力にかかっている。厳しい真実をむやみに明らかにするのは愚鈍だが、危機というのは政治的、経済的、そして心理的に準備した上で開示されねばならない。プロパガンダの役割はここにある。国民を啓蒙し、政策実行の下慣らしをするのだ。目的を見失うことなく、あらゆるプロセスにおいてサポートする。いわば会話にBGMを提供するようなものである。そうすると、不人気な政策もやがて人気を得るようになり、国民の断固とした支持のもと、政府は難しい決定を実行に移せるようになる。プロパガンダに優れた政府は、大衆の支持を失うことなく、必要な政策を実行できるのだ。

誰の言葉だと思いますか?実はこれ、ナチスドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの言葉です。

ゲッベルスというと、「嘘は100回つけば真実になる」とか「嘘をつくなら大きな嘘をつけ」などという、いかにも悪の化身じみた言葉を残していると信じられています。しかしそれはデマ。プロパガンダ研究家のランドール・バイトワーク氏によれば、こうした言葉はいずれも出典不明で信ぴょう性はないということです。(→False Nazi Quotations

実際にゲッベルスが残した言葉を読んでみればわかるのですが、ゲッベルスの宣伝作法というのは、白を黒と言いくるめたり、大衆に催眠術をかけて操るような、そんな類のものではありません。冒頭にあげた言葉はその象徴で、「大衆の知性を馬鹿にしてはいけない」「嘘をつくな」というのは、党員向けのインストラクションで何度も繰り返される、ゲッベルス流プロパガンダの大きな柱です。

ナチス党という泡沫過激政党を、極めて民度の高い先進国において第一党まで導いた立役者の一人ゲッベルスは、史上最高クラスの宣伝マンといえます。人はそこに魔法の秘技を期待しますが、遺稿ををどう読んでも、見つかるのは正攻法ばかりです。こんな凡庸なきれいごとで、あんなスペクタキュラーに成功できるわけない!と言いたくなります。

しかし、ゲッベルスが大活躍した1920〜30年代という時代背景を考えると、彼のスタンスは凡庸どころかきわめて独創性に富んだものであることがわかります。

欧米における新聞の普及によるマスメディアの誕生は19世紀末のこと。それにともない「マーケティング」という名詞が生まれたのは1905年といわれます。ほどなくして映画、ラジオという感情に訴える新メディアが普及し、マス広告の存在感はいよいよ増していきます。

唐突に情報革命にさらされた人々は、得体のしれないマスメディアの大衆操作力に畏怖し、幻惑されました。好景気にわいた1920年代には、事業の成功は広告次第、広告次第ですべてはうまくいくという広告万能論的な風潮が広がりました。1930年代になると、マスメディアは人の脳髄に直接働きかけて、群集を意のままにコントロールできるという「皮下注射理論(魔法の弾丸理論)」まで提唱、研究され始めました。

マスメディアに触れてまだ日の浅い人たちですから、こういう反応は仕方ないといえば仕方ないのですが、呪文を唱えればどんな女でもついてくるとでもいうような、人へのリスペクトを欠いた態度です。青年宣伝家ゲッベルスは、そんな状況の中登場しました。

政治家だろうと企業だろうと、顔のない愚かな大衆をコントロールしようと躍起になる中、彼は大衆を理解しようと努め、大衆の知性を尊重し、大衆の目を見て真摯に語りかけました。これにショーマンとしての卓越したセンスを加えれば、ついついクラリときた当時のドイツ人たちの気持ちもわかろうというものです。

プロパガンダというと、大衆を騙して意のままに操るというイメージがあります。しかし、マスメディア時代における最高のプロパガンダ成功事例は、騙してはいけないだとか、宣伝の力だけで何でも売り込むことは不可能だとか、基本は口コミだとか、一見するとまるで古風なおやじの教えのような、しかし実は時代の常識を疑うことにより生まれた、アンチ・プロパガンダともいえる姿勢から生まれたのでした。

そんなゲッベルスの宣伝作法は、ナチスのイメージのためか、皮肉にも存命中から皮下注射理論の正しさを証明する実例に数えられ、今にいたるまでその誤解は解かれていません。なるほどナチズムの本質は略奪による自転車操業であり、悪と呼ぶに値するイズムではありますが、その宣伝手法まで悪のフィルターをかけて見るのは単純すぎます。

世の中は騙しのテクニックに溢れており、そうした手法の有効性は否定できませんが、結局最も効果の高い人間かどわかし術は騙さないことであると、ゲッベルスの成功は教えてくれます。

優れたプロパガンダというのは、嘘をつく必要はない。というより嘘をついてはいけない。真実を恐れる理由などないのだ。大衆は真実を受け止められないという見方は誤りだ。彼らにはできる。大事なことは、大衆が理解できるようにプレゼンしてやることだ。嘘で塗り固められたプロパガンダというのは、ニセの大義であることの証明であり、長期的には失敗するのだ。

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2011年08月12日

イギリス暴動に思う

ロンドンという街は元来とても暴動の多いところです。英語版ウィキペディアによれば、80年代以降だけで13件の暴動が起きています。だから今回の暴動も、ただ暴動というだけならそう驚くほどのことはありません。

しかし今回の暴動には、過去の暴動と明確な違いがあります。なぜ起きたのか、どう対処すればいいのか、見当もつかないということです。

過去にロンドンで起きた暴動というのは、いずれの場合もまず政治的なデモに端を発し、それが暴動に発展するというパターンに従うものでした。2010年の学生騒乱、今年3月の歳出削減反対騒乱などはその好例です。そこには明確な政治的アジェンダがあり、人々はその文脈で暴動を語ることができました。

しかし今回の暴動は違います。なるほど発端は、無職で移民の黒人男性(ギャングの一味と言われる)が警察に射殺された事件でした。しかしそれは文字通り発端にすぎず、その後に続いた暴動は一切の政治的メッセージを持ちません。

ある人は、貧困層の不満が爆発したのだと言います。保守党政権が福祉予算を削減したことが背景にあると言います。しかし、流行のストリートファッションに身を包み、携帯ツールを駆使しながら、エレクトリカルショップや高級ブティックでの無料ショッピングに夢中になり、貧しい個人商店を嬉々として破壊するガキどもの姿は、貧困層の反乱というイメージからはあまりに遠すぎます。

またある人は、ずばり甘やかされたガキの馬鹿騒ぎだと言います。ロンドンに根をおろし、間近で暴動に接した人であればあるほど、体感からそのように考えるようです。しかしそれでは「なぜ」に答えることはできません。甘えたバカガキなど先進国名物なのに、今この時期に一体何が彼らをロンドン史上に残る大暴動に駆り立てたのか、ぜんぜんわかりません。

このように今回のロンドン暴動は、どう語ってもうまく説明できません。言い方を変えれば、ぼくたちはこの暴動を語る言葉を持たないのです。そしておそらく問題の核心はここにあります。

今回の騒乱を伝えるイギリスのウェブサイトで、こんな書き込みを見つけました。「アラブで起きれば民主革命で、先進国で起きればならず者の騒乱か」。これはただの皮肉ではなく、事態の本質を突いています。ジャスミン革命で政府庁舎に放火した戦士も、イギリスで放火略奪を働くガキどもも、ネットによって目を開かされ、ネットによってつながって街頭に繰り出し、警官隊と衝突したという点において何一つ変わらないのです。

アラブ諸国の場合、ネットによって開いた目が見たものは、前近代的な独裁権力に縛られる自分たちの姿でした。古い価値体系を破壊しようとする人々の行動は、西側諸国の知識人たちから民主化への一歩と認識され、支援を受けています。しかし西側知識人の認識は誤解で、「アラブの春」が民主化、あるいは反独裁の形をとっているのは、たまたまその国が独裁国家だったからにすぎません。

「アラブの春」と同じ現象が民主国家で起きればどうなるか?それが今回イギリスで起きたことです。ネットによって開いた目は、やはりそこに古い価値体系を見出し、それを破壊したいと望むようになったのです。しかしイギリスのガキどもは、そしてより重要なことに大人たちさえも、不幸にもその衝動を定義付ける言葉を知りませんでした。

ガキどもが無意識のうちに望む変化は何なのか?それは、カビの生えたまま化石化した共産革命の再来でないことはもちろん、民主主義を進化させたものだとか、そんなだいそれたことではことではないはずです。ただ、ネットの普及によりもたらされた新しい価値観と、現実世界の古い価値観の間にある大きな乖離を解消したいという程度のことだと思います。今の社会のあり方は、ネットを体の一部とした人々が作るであろう社会のあり方とは、あまりにズレ過ぎているのです。

しかし残念ながらまだ、ネットを体の一部とした人々が暮らす社会への変革は、概念として確立されていません。だからフラストレーションばかりがたまり、ただただこのおかしな社会を破壊したいという衝動ばかりがつのり、ときにこうして爆発することになります。

21世紀のキリストだかマルクスだかが、向かうべき道をわかりやすい言葉として提示するまで、イギリスの暴動のようなことは、アメリカでも日本でも起きるはずです。今回の暴動を糧にぼくたちがすべきことは、古い言葉であれこれ解釈して古いやり方で社会をいじることではなく、とにかく新しい言葉を見つけることに尽きるのです。

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2011年08月08日

因縁にあふれた反フジテレビ騒動

高岡蒼甫さんの韓流押し批判に端を発した騒動は、ついにフジテレビ前での示威行動にまで進展しました。参加者は500人とも2500人とも言われていますが、デモの素人たちがバタバタの状態で準備したことを考慮すると、いずれにしても驚くべき動員力です。これをネトウヨのから騒ぎと馬鹿にすると、フジテレビのみならず日本のマスメディアは大怪我することになります。本番は21日だそうで、あるいは万単位の人を集める大イベントに発展するかもしれません。

さて、別に嫌韓な人でなくても、たいていの日本人ならピンとくる高岡さんの韓流ゴリ押し批判ですが、海外ではそうでもないようです。高岡さんの解雇を伝えたいくつかの英語のサイトで最も多く見かける反応は、「嫌なら見なければいいのに」です。なぜそういう反応になるかというと、アメリカやヨーロッパでは、日本に比べて多チャンネル化が進んでいるからです。

アメリカでは、ベトナム戦争の頃には3大ネットワークが世論を振り回していましたが、80年代にケーブルテレビが急速に普及して多チャンネル化が進み、各放送局の影響力は相対的に低くなっています。またヨーロッパ各国では、90年代になるまで、テレビといえば事実上国営放送のみ。だからそもそも人々にテレビ番組を鵜呑みにする習慣はなく、そこから一気に衛星放送による多チャンネル化へと移行しました。

それに対して日本は、関東地方だとNHK+有力民放4局+テレ東という、多すぎず少なすぎずの絶妙な地上波ラインナップ。さらにそれぞれの民放は、これまた世界に冠たる発行部数を誇る大新聞社(読売、朝日の発行部数はダントツで世界1、2位)と系列を作っているわけですから、その影響力たるや海外の人々の想像を絶するものがあるわけです。

こういう奇矯なマスメディア構造を把握していないと、日本人の韓流ゴリ押しへの怒りは理解できません。そして、実のところ韓流批判などというのはきっかけにすぎず、テレビ局への怒りは、テレビと新聞を頂点とする日本の社会体制への不満なのだということも理解できません。普通の国では、社会への不満は政府に向けられますが、この特殊な国では、怒りの矛先はテレビ局と新聞社に向けられるのです。

ところで、日本でマスメディア時代が本格的に幕を開けたのは日露戦争のときでした。それまでは、役人と一部の知識人が読むものにすぎなかった新聞は、日本中の家庭からもれなく出征したという総力戦において、出征兵士の行方を知る手段として、庶民にも普及したのです。そして新聞をむさぼり読んだ人々が何をしたかというと、デモをして暴れました。新聞各紙の威勢のいい主張にあおられた人々は、生ぬるい講和条約に怒り、「条約を破棄してロシアに攻め込め!」と駄々をこねたのです。世に言う日比谷焼打事件です。

このとき真っ先に襲われたのは、新聞社でした。強硬派の朝日新聞等にあおられた3万人の暴徒は、講和賛成派の国民新聞社に押しかけて火を放ったのです。国運を賭した大戦争に際して新聞社襲撃に始まった日本のマスメディア時代が、未曾有の大災害に苦しむさなかにテレビ局への示威行動で終わりのときを迎えようとしてるのは、時代を一周させるためにはそうあらねばならない宿命というか、何やら因縁めいたものを感じさせます。

因縁といえば、もうひとつおもしろいことがあります。マスメディア時代の幕を開けた日露戦争において、最も株価を上げた会社は、軍に綿布を納入する鐘紡でした。株価は10倍にもなり、鈴木久五郎という伝説のウルトラ成金を生んだことは、日露戦争にまつわる有名なこぼれ話のひとつです。

そのカネボウは、いまや花王の子会社。花王は今回フジテレビのスポンサー代表として不買運動のターゲットにされている会社です。思いもかけないことから役者勢揃いというわけで、時代が変わるときというのは、こんなものかもしれません。

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2011年08月03日

マスメディアと覚醒する脳

インターネットの普及により、ヒトは脳の使い方を変えているという研究結果が出たそうです。

「インターネットによって、ヒトの記憶はどう変わったか?」に関する研究結果 : ライフハッカー[日本版]

この研究がどの程度信ぴょう性があるものかはわかりませんが、そう言われると実感があるので、まあそうなんじゃないかなと思います。興味深い記事を読んでも、データの数字とか、ぜんぜん覚えなくなりましたからね。そのくせふと気づくと頭の中で記事をキーワード化していて、そっちの方はいやにしっかり覚えていたりして。

ところで、環境に合わせて脳の使い方が変化するのだとすると、ヒトが脳の使い方を変えるのは、何も今が初めてのことではないはずです。ネットのような情報革命があるたびに、ヒトは脳の使い方を変えてきたに違いありません。

インターネットに比す大変革といえば、欧米では19世紀後半、日本では日露戦争のときに起きた新聞の普及=マスメディアの誕生です。それまで新聞もラジオもテレビもなく、それで何の不自由も感じていなかった人々が、一斉に同じ情報を共有するようになったわけですから、脳の使い方に変化がないわけはありません。

ネットを手に入れた脳は、ネットでできることはネットにアウトソーシングするようになりました。では、マスメディアを手に入れた脳は、何をアウトソーシングしたのでしょうか?

19世紀の人間を捕獲してこなければ本当のところはわかりません。しかし類推することはできます。新聞をとらなくなり、テレビを見なくなる人が多くなる今、ある意味現代人は19世紀人に“退行”している途上にあるといえるからです。とするとその答えは、現代人のマスメディアに対する見方の変化の中に見つかるはずです。

そう考えて真っ先に浮かぶのは、今巷を騒がせている「ゴリ押し」の問題です。「韓流熱風」に限らず、「国民的アイドルAKB」や、春先の「ゆーちゃんフィーバー」や、かつての「亀田兄弟」など、最近の人々はマスメディアのゴリ押しに極めて敏感になり、ネットでその不満を発散させるようになりました。

それに対してマスメディア寄りに立つ人は言います。「ブームは作られるもの。何をいまさら」

そう、マスメディアはその誕生以来ずっと、世の中のブームを追うというよりも、ブームをファブリケートしてきました。しかしなぜか人々は、ほんの数年前まで、そのことを気にかけてこなかったのです。世間はマスメディアを「軽薄だ、お下劣だ」と執拗に批判し、取材記者の態度を「傲慢だ」とたびたび糾弾してきました。しかし「ゴリ押しだ」という声は皆無に近かったのです。

この「ゴリ押し」感こそ、100年以上前にヒトがマスメディアにアウトソーシングし、今また自分の中に取り戻しつつある脳機能により生じている感覚ではないでしょうか?

マスメディア誕生以前の人々は、なにもそれぞれバラバラにマイブームを満喫していたわけではありません。新聞やテレビがブームを作ってくれなくても、やはりブームはありました。人は社会的な動物ですから、集団として潮流を作るのは人間の本能であり、社会の潮流を読む力はヒトに本源的に備わっているのです。そして、せいぜいクチコミで潮流を作っていた時代の人々の“アンテナ”は、今からすると驚くべき、ほとんど超能力レベルの感度を備えていたに違いありません。

マスメディアが誕生したとき、怠け者の脳はこのアンテナの機能を外部委託することに躊躇しなかったはずです。新聞を開けば社会の潮流が簡単に見て取れるのに、どうしてわざわざアンテナの感度を研ぎ澄ませて空気を読む必要などあるでしょうか。

こうして、圧倒的な情報量と記事のおもしろさにひかれて新聞を手にした人々は、はからずも世の中の潮流を読む力を新聞にあずけました。自分たちの内から自然に沸き上がってくる感覚に鈍感になり、作られたハイプに身を任せることを覚えたのです。

それから100数十年、魔法は解けつつあります。今マスメディアの前にいるのは、10年前の人々と同じではありません。見てくれは同じでも、頭の中はぜんぜん違うのです。

You don't need no crystal ball
Don't fall for a magic wand
We humans got it all, we perform the miracles
-Them Heavy People by Kate Bush

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