2011年08月03日

マスメディアと覚醒する脳

インターネットの普及により、ヒトは脳の使い方を変えているという研究結果が出たそうです。

「インターネットによって、ヒトの記憶はどう変わったか?」に関する研究結果 : ライフハッカー[日本版]

この研究がどの程度信ぴょう性があるものかはわかりませんが、そう言われると実感があるので、まあそうなんじゃないかなと思います。興味深い記事を読んでも、データの数字とか、ぜんぜん覚えなくなりましたからね。そのくせふと気づくと頭の中で記事をキーワード化していて、そっちの方はいやにしっかり覚えていたりして。

ところで、環境に合わせて脳の使い方が変化するのだとすると、ヒトが脳の使い方を変えるのは、何も今が初めてのことではないはずです。ネットのような情報革命があるたびに、ヒトは脳の使い方を変えてきたに違いありません。

インターネットに比す大変革といえば、欧米では19世紀後半、日本では日露戦争のときに起きた新聞の普及=マスメディアの誕生です。それまで新聞もラジオもテレビもなく、それで何の不自由も感じていなかった人々が、一斉に同じ情報を共有するようになったわけですから、脳の使い方に変化がないわけはありません。

ネットを手に入れた脳は、ネットでできることはネットにアウトソーシングするようになりました。では、マスメディアを手に入れた脳は、何をアウトソーシングしたのでしょうか?

19世紀の人間を捕獲してこなければ本当のところはわかりません。しかし類推することはできます。新聞をとらなくなり、テレビを見なくなる人が多くなる今、ある意味現代人は19世紀人に“退行”している途上にあるといえるからです。とするとその答えは、現代人のマスメディアに対する見方の変化の中に見つかるはずです。

そう考えて真っ先に浮かぶのは、今巷を騒がせている「ゴリ押し」の問題です。「韓流熱風」に限らず、「国民的アイドルAKB」や、春先の「ゆーちゃんフィーバー」や、かつての「亀田兄弟」など、最近の人々はマスメディアのゴリ押しに極めて敏感になり、ネットでその不満を発散させるようになりました。

それに対してマスメディア寄りに立つ人は言います。「ブームは作られるもの。何をいまさら」

そう、マスメディアはその誕生以来ずっと、世の中のブームを追うというよりも、ブームをファブリケートしてきました。しかしなぜか人々は、ほんの数年前まで、そのことを気にかけてこなかったのです。世間はマスメディアを「軽薄だ、お下劣だ」と執拗に批判し、取材記者の態度を「傲慢だ」とたびたび糾弾してきました。しかし「ゴリ押しだ」という声は皆無に近かったのです。

この「ゴリ押し」感こそ、100年以上前にヒトがマスメディアにアウトソーシングし、今また自分の中に取り戻しつつある脳機能により生じている感覚ではないでしょうか?

マスメディア誕生以前の人々は、なにもそれぞれバラバラにマイブームを満喫していたわけではありません。新聞やテレビがブームを作ってくれなくても、やはりブームはありました。人は社会的な動物ですから、集団として潮流を作るのは人間の本能であり、社会の潮流を読む力はヒトに本源的に備わっているのです。そして、せいぜいクチコミで潮流を作っていた時代の人々の“アンテナ”は、今からすると驚くべき、ほとんど超能力レベルの感度を備えていたに違いありません。

マスメディアが誕生したとき、怠け者の脳はこのアンテナの機能を外部委託することに躊躇しなかったはずです。新聞を開けば社会の潮流が簡単に見て取れるのに、どうしてわざわざアンテナの感度を研ぎ澄ませて空気を読む必要などあるでしょうか。

こうして、圧倒的な情報量と記事のおもしろさにひかれて新聞を手にした人々は、はからずも世の中の潮流を読む力を新聞にあずけました。自分たちの内から自然に沸き上がってくる感覚に鈍感になり、作られたハイプに身を任せることを覚えたのです。

それから100数十年、魔法は解けつつあります。今マスメディアの前にいるのは、10年前の人々と同じではありません。見てくれは同じでも、頭の中はぜんぜん違うのです。

You don't need no crystal ball
Don't fall for a magic wand
We humans got it all, we perform the miracles
-Them Heavy People by Kate Bush

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