2011年08月12日

イギリス暴動に思う

ロンドンという街は元来とても暴動の多いところです。英語版ウィキペディアによれば、80年代以降だけで13件の暴動が起きています。だから今回の暴動も、ただ暴動というだけならそう驚くほどのことはありません。

しかし今回の暴動には、過去の暴動と明確な違いがあります。なぜ起きたのか、どう対処すればいいのか、見当もつかないということです。

過去にロンドンで起きた暴動というのは、いずれの場合もまず政治的なデモに端を発し、それが暴動に発展するというパターンに従うものでした。2010年の学生騒乱、今年3月の歳出削減反対騒乱などはその好例です。そこには明確な政治的アジェンダがあり、人々はその文脈で暴動を語ることができました。

しかし今回の暴動は違います。なるほど発端は、無職で移民の黒人男性(ギャングの一味と言われる)が警察に射殺された事件でした。しかしそれは文字通り発端にすぎず、その後に続いた暴動は一切の政治的メッセージを持ちません。

ある人は、貧困層の不満が爆発したのだと言います。保守党政権が福祉予算を削減したことが背景にあると言います。しかし、流行のストリートファッションに身を包み、携帯ツールを駆使しながら、エレクトリカルショップや高級ブティックでの無料ショッピングに夢中になり、貧しい個人商店を嬉々として破壊するガキどもの姿は、貧困層の反乱というイメージからはあまりに遠すぎます。

またある人は、ずばり甘やかされたガキの馬鹿騒ぎだと言います。ロンドンに根をおろし、間近で暴動に接した人であればあるほど、体感からそのように考えるようです。しかしそれでは「なぜ」に答えることはできません。甘えたバカガキなど先進国名物なのに、今この時期に一体何が彼らをロンドン史上に残る大暴動に駆り立てたのか、ぜんぜんわかりません。

このように今回のロンドン暴動は、どう語ってもうまく説明できません。言い方を変えれば、ぼくたちはこの暴動を語る言葉を持たないのです。そしておそらく問題の核心はここにあります。

今回の騒乱を伝えるイギリスのウェブサイトで、こんな書き込みを見つけました。「アラブで起きれば民主革命で、先進国で起きればならず者の騒乱か」。これはただの皮肉ではなく、事態の本質を突いています。ジャスミン革命で政府庁舎に放火した戦士も、イギリスで放火略奪を働くガキどもも、ネットによって目を開かされ、ネットによってつながって街頭に繰り出し、警官隊と衝突したという点において何一つ変わらないのです。

アラブ諸国の場合、ネットによって開いた目が見たものは、前近代的な独裁権力に縛られる自分たちの姿でした。古い価値体系を破壊しようとする人々の行動は、西側諸国の知識人たちから民主化への一歩と認識され、支援を受けています。しかし西側知識人の認識は誤解で、「アラブの春」が民主化、あるいは反独裁の形をとっているのは、たまたまその国が独裁国家だったからにすぎません。

「アラブの春」と同じ現象が民主国家で起きればどうなるか?それが今回イギリスで起きたことです。ネットによって開いた目は、やはりそこに古い価値体系を見出し、それを破壊したいと望むようになったのです。しかしイギリスのガキどもは、そしてより重要なことに大人たちさえも、不幸にもその衝動を定義付ける言葉を知りませんでした。

ガキどもが無意識のうちに望む変化は何なのか?それは、カビの生えたまま化石化した共産革命の再来でないことはもちろん、民主主義を進化させたものだとか、そんなだいそれたことではことではないはずです。ただ、ネットの普及によりもたらされた新しい価値観と、現実世界の古い価値観の間にある大きな乖離を解消したいという程度のことだと思います。今の社会のあり方は、ネットを体の一部とした人々が作るであろう社会のあり方とは、あまりにズレ過ぎているのです。

しかし残念ながらまだ、ネットを体の一部とした人々が暮らす社会への変革は、概念として確立されていません。だからフラストレーションばかりがたまり、ただただこのおかしな社会を破壊したいという衝動ばかりがつのり、ときにこうして爆発することになります。

21世紀のキリストだかマルクスだかが、向かうべき道をわかりやすい言葉として提示するまで、イギリスの暴動のようなことは、アメリカでも日本でも起きるはずです。今回の暴動を糧にぼくたちがすべきことは、古い言葉であれこれ解釈して古いやり方で社会をいじることではなく、とにかく新しい言葉を見つけることに尽きるのです。

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