2011年11月30日

新自由主義一択の時代

大阪のダブル選挙は橋下一派の圧勝でした。橋下さんをポピュリストと呼ぶ人もいますが、彼はポピュリズムとは対極に位置する信念の政治家だと思います。彼の信念とは、民間にできることは民間に任せ、政府はできるだけコンパクトにするという新自由主義です。

だから、国家による統制を好ましいと考える国家主義者や社会主義者は、彼のことを蛇蝎のごとく嫌います。新自由主義の誤謬は明白であり、アメリカでもヨーロッパでも、すでに時代遅れと見られているなどと主張して、彼のような考えを持つ人を貶めようとします。

しかしそうなのでしょうか?

なるほどリーマン・ショック後、アメリカでは社会主義風なオバマ政権が誕生しました。もともと社会主義的傾向の強いヨーロッパの各首脳は、競うように規制強化を叫びました。そして日本では、「市場原理主義をぶっとばせ!」を合言葉に民主党政権が誕生しました。あのとき、確かに世界は新自由主義を捨てたように見えました。

それで結局どうなったでしょうか?オバマ政権は、マネーゲーマーのカネを持たざる者に分配するという掛け声ももなしく、前任者顔負けでマネーゲーマーたちを保護しまくり、また国家主導でグリーン・エネルギー産業を育成するというニューディール政策は無残に失敗し、自由貿易で企業を強くするという新自由主義路線に希望を託すありさまです。ヨーロッパでは、各国とも債務危機で公共事業の拡大などできるはずもなく、逆に社会保障費をガリガリと削り、その挙句先日行われたスペインの総選挙のように、規制緩和を訴える保守政党が大躍進しています。

要するにこういうことです。金融危機の勃発後、新自由主義をよろしく思わない勢力は、時代の追い風を得て社会主義的な政策を実行しようとしましたが、いざ責任ある地位についてみると、それは危機をより悪化させる自殺行為でしかないことを認めざるを得ませんでした。そしてこの危機を脱するには、行き過ぎた市場主義を是正するどころか、市場主義を推進するしかないという現実の前に、膝を屈するに至ったのです。

ですから、我々が持つべき正しい認識は、「新自由主義は終わった」ではありません。「新自由主義しかない」ということなのです。勘違いしないでほしいのですが、これは新自由主義の勝利ということではありません。現況を見ればわかるように、新自由主義は問題だらけです。しかし、それに代わるオプションがないのです。そしてそれこそが現代の抱えた最大の問題のひとつなのです。

とんでもない額の大金をちょちょっと稼ぎ、失敗しても税金で助けてもらえる一部の特権層がいる反面、働きたいのに仕事がなく、自己責任の一言で捨て置かれる人がゴロゴロいるというのは、なにかがおかしい。おかしいけれど、それを解決する既存の手法もなければ、解決のヒントとなる思想もないので、ただおかしいと訴えるしかない。オキュパイ・ウォールストリートなどはその象徴で、建設的なアイディアを示せないから、ただ駄々をこねているようにしか見えず、というか実際駄々をこねているだけで、おかげで未来を変えるムーブメントになりようがありません。

この「なにかがおかしい」という感覚にぴったりと合った言葉が見つかったとき、21世紀にふさわしい新しい潮流はそこから始まるはずです。古めかしいサヨク思想や国家主義思想にしがみついて、新自由主義は周回遅れなどといくら叫んだところで、新自由主義は滅びません。新自由主義が憎ければ、新自由主義一択の現状を認めた上で、一刻も早く言葉を見つけることです。

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2011年11月27日

自我の世紀

Century of the Self(自我の世紀)というドキュメンタリーがあります。2002年にBBCで放送された作品なのですが、ネットにアップされた作品がじわじわと拡散し、リバイバルヒットの様相を呈しています。ぼくもつい最近この作品の存在を知り、4部作で計3時間を超える大作を一気に見てしまいました。おもしろいです。

作品のテーマは、「自我の世紀」というより、「『無意識』の世紀」と言い換えた方がピンとくるかもしれません。無意識という概念は、20世紀初頭に精神分析学の創始者フロイトにより「発見」されたのですが、これを広告の世界に応用し、大衆の無意識に働きかけることで世の中をコントロールしようとしてきた企業と政治の姿を、古い映像とインタビューで描き出した壮大な作品です。

この作品を見て初めて知りましたが、そもそもパブリック・リレーションズ(PR)という言葉は、フロイトの甥であるエドワード・バーネイズという人物による造語なのだそうです。20世紀の広告術は大衆洗脳術としてスタートし、現代でもその本質は変わらないし、変わりようもないということをあらためて痛感させられるエピソードです。

この作品が作られたのは2002年で、まだまだインターネットの影響力は限定されていました。当時はぼくも、ネットによりマスメディアの存在が脅かされるなど絵空事と感じていました。しかし現在、20世紀型洗脳術を可能にしたマスメディアというシステムは音を立てて崩れつつあり、大衆の無意識をめぐる権力ゲームのあり方は根底から変化しつつあります。そんな今だからこそ、パブリック・リレーションズという思想と行為を外在化して見つめ直したこの作品は、より強い実感をともない人々にアピールするのかもしれません。

この作品は、いろいろな動画サイトに複数アップされていますが、個人的におすすめなのは、英語字幕入りのものです。ある程度英語ができる人なら、英語の教材として活用しつつ、有益な情報を得ることができます。



英語がダメという人は、日本語訳のバージョンもあります。こちらは現在のところ第3部までしか作られていませんが、第4部を見なくても尻切れトンボ感はないので、十分に見る価値はあります。



ぼくは、この作品の作者であるアダム・カーティスの世界観を全的に肯定する者ではありませんが、自分の頭の中にある何者かにより植えつけられた欲望を掃除し、また自分の頭の中に欲望の種を植えつけようとする何者かの行為に警戒するようになるという点で、とても効果のあるワクチンのような作品であると思います。

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2011年11月24日

Now They're Back

相変わらず世界は底の見えない不景気で、日本でもアメリカでもヨーロッパ各国でも、主要な時事問題は経済がらみです。しかしなぜかドイツでは、新聞も雑誌もテレビも、極右テロの話題でもちきりです。

男2人、女1人の「国家社会主義地下組織」を名乗るグループが、過去14年間に10人を殺害していたことが発覚したということで、「極右テロの新しい形」だと叫ばれ、メルケル首相は「ドイツの恥」としてテロ殲滅に全力をあげることを宣言しました。

でも、変だと思いませんか?なるほど事件は猟奇的です。しかし極右テロの新しい形などと言われると、首をかしげてしまいます。なにしろ犯人グループはわずか3人で、14年間に移民9人と警官1人を殺したとはいえ、殺人により何かのメッセージを発したわけではなく、犯行はいずれもコソコソと隠れて行われ、おかげで誰も極右の犯行だと気づきませんでした。犠牲者の画像を編集してビデオに残していましたが、それも4年前に作られたもので、誰に見せるわけでもなくただ保存していただけです。

確かにこれまでのテロとは一線を画す新しいテロの形ではあります。しかし別の言い方をすれば、異常者による連続殺人事件のようなテロ、要するにテロと呼ぶにふさわしい事件には見えません。

ドイツでは、トルコ移民の増大が社会不安を生んでいますが、それが暴力的排外主義と結びつく兆候は一切見られません。現代の反移民主義は非暴力主義と固く結びついていますし、国民は総じてサヨク的世界観に同情を示していますし、ネオナチなどは日本の街宣右翼の存在感に遠く及ばない絶滅危惧種です。にもかかわらず、「極右」と「暴力」のほんのわずかなニアミスにも過剰に反応するドイツを見ていると、ドイツ病は相変わらずだとため息がでます。

ぼくの見立てによるドイツ病とは、ただ闇雲に極右を叩くことではありません。ドイツは極右を嫌いますが、極右叩きには明確なパターンがあるのです。

前回の極右叩きブームは、1990年前後に起きました。東西ドイツ統一前後のことです。特に統一後の旧東独地域におけるネオナチの暴れぶりは、日本でもさかんにニュースで伝えられました。ドイツ人というのは、ストレスを加えると簡単にナチ化するのだなと驚いたものです。しかし今日では、旧東独地域の極右台頭は実際には大騒ぎするほどの問題ではなかったと言われていますし、極右的思想の支持者は、むしろ旧西独地域より少ないという調査結果も出ています。

当時のドイツは、極右が台頭したから極右を叩いたのではなく、極右を叩く衝動に駆られたから極右を叩いたのです。東西ドイツが統一し、大ドイツの復活だと欧州各国が警戒する中、「ドイツは民族主義を許さないよ。ナチスの復活なんて絶対ありえないよ」というポーズを示したわけです。

それは計算してそうしたわけではなく、おそらく国家としての本能のようなものだと思います。第二次大戦後、連合軍に生殺与奪権を握られたドイツは「ナチスキライ、ナチスキライ」と唱えることでかろうじて生存を許可されました。そのトラウマから、ドイツという国家の存在感が増すたびに、まるで防衛本能のように「ナチスキライ」を唱え、そうすることで周辺国の了解をとろうとしてきたのです。

今回もそうです。EU各国の債務危機で、周辺国はもうドイツにすがるしかない状況です。ドイツの大国化を警戒する政治家たちの中には、「かつて血を流してドイツの覇権を阻止したのに、EUはドイツを抑えるためにできたはずなのに、今や欧州はドイツの天下。どうしてこうなった?」と公の場で嘆く者も現れ始めています。そんな中ドイツは「ナチスキライ」と魔法の呪文をブツブツ唱えているのです。

でももう呪文の賞味期限はいい加減切れました。今や本気でナチズムの復活を心配している者などいやしません。周囲を不安にするのは、ナチスの復活ではなくドイツの復活なのです。ドイツがドイツとして普通に振る舞うと、ヨーロッパ大陸は必然的にドイツの手に落ちます。地政学的にも、歴史的にも、これはどうしようもありません。そしてそれは大きな軋轢を生み、やがて災難を招くことになるのです。ドイツ人の悲しい運命です。

ベルリンの壁が崩壊したとき、強硬なドイツ警戒論者であるイギリスのサッチャー首相は、ECの強化でドイツは無力化できるとする楽観論を一蹴し、「我々はドイツを二度倒した。今彼らは帰ってきた」と各国首脳の前で警鐘を鳴らしたといいます。当時は一笑に付されたサッチャーの警句ですが、今はどうでしょうか?ECを強化したEUはドイツに力を集中するシステムへと変質し、ドイツはいよいよ目覚めようとしているのです。「ナチスキライ」とつぶやきながら。

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2011年11月22日

異世界としての昔の日本

昔の映画を見る楽しみには、時間という判定を乗り越えた名作を愛でるだけでなく、時間により色あせた作品を見て、その色あせた作品を普通に受容して楽しんでいた昔の社会に思いを馳せるというひねくれた楽しみ方もあります。

先日、「大空に乾杯」という1966年封切りの映画を見ました。吉永小百合主演で、当時の花形職業だったスチュワーデスの恋愛模様をコメディタッチで描いた、若者向けのトレンディ映画です。しかしこの作品には今から見ると実に不可解な筋の歪みがあり、そこに当時の日本社会のあり方が透けて見えるような気がしたので書き留めておこうと思います。

当時の超絶アイドルスターである吉永小百合演じる主役のユリコは、おっちょこちょいの新人スチュワーデス。お父さんは大きな病院の内科部長で、裕福な家庭のお嬢さんです。そんな彼女が、花を育てるのに情熱を燃やす貧乏学生に恋をします。ところがユリコはタチバナ財閥の御曹司にも求愛されて、どちらを取るか悩みます。古今東西ありふれたモチーフで、二股がけを選択肢から除外している点を除けば、現代人でも抵抗もなくついていけるストーリーです。しかし、悩むユリコに対する父親のアドバイスが、すごく変なのです。2人で川岸を散歩しながら、お父さんはこう告白します。

昔、貧しい医学生がいてね、その男には同じく貧しい看護婦の恋人がいたんだ。
だが、その男は出世のために恋人を捨てて、病院の一人娘と結婚した。その男がお父さんだよ。
私たち夫婦の悲劇はその時に始まったんだ。いくら愛しあおうとしても無駄だったよ。

若きお父さんは愛を捨てて出世を選び、その傷は今も癒えないといいます。なら娘はどうするべきか?普通なら「おまえは自分の気持ちに正直に生きなさい」と続きそうなものです。あるいはひとひねり入れて、「だが、あのとき愛を選んでいたら医学の道に専念できずに後悔しただろう」と、一時の恋愛感情に翻弄される愚を諌めるのもありかもしれません。しかし、お父さんのアドバイスはそのどちらでもなく、斜め上を行きます。

身分違いということは、いつも私達の間に立ちふさがっていた。
ゆり子とマコト君の場合も同じだと思うよ。
ゆり子と結婚する相手は、ゆり子と同じ身分の中から選んで欲しいんだよ。マコト君は貧しすぎるし、タチバナさんは逆に豊かすぎる。
だからゆり子は同じ身分の相手を選んで欲しいんだ。お父さんの二の舞は困るからね。

貧乏学生も大金持ちもダメだというのです。しかし映画の中には、身分の釣り合う「第三の男」など出てきません。だからこのアドバイスは、それまでのストーリーをちゃぶ台返しするようにしか聞こえません。

じゃあなんでそんな余計なセリフを挟み込んだのかというと、観客が必要としたからではないかと推測されます。当時の人々には、愛かカネかの選択などはピンとこないテーマで、恋愛や結婚と言われてまず頭に浮かぶのは身分の問題であり、お父さんはそんな社会の空気を代弁したのではないかと思うのです。

愛をとるかカネをとるかという選択は、正解のない個人の選択ですが、当時の日本社会にはまだ、そんな「選択する個人」は存在していなかったのです。そう考えると、この映画のさらに妙なシーン、お父さんのアドバイスを聞いたユリコの驚くべき行動にも合点が行きます。お父さんのアドバイスを聞いたユリコは、なんと両親のために離婚届を書き、泣きながら両親にサインしろと迫るのです。

親の権威が失墜し、親子が同格にモノを言い合える現代人の目から見ても、これは異様な行動です。軽いコメディタッチの映画の枠をはみ出しています。親の権威がまだまだ強かったはずの当時、観客はさぞ衝撃を受けたのではと想像してしまいます。しかし当時の観客が「選択する個人」という概念を持ち合わせていないとするなら、彼らの目には、ユリコの行動はさほど驚くにあたらない、むしろ当然の帰結と映ったのかもしれません。

貧乏学生を選んだユリコは、個人として正解のない選択をしたのではなく、社会の一員として「正しい選択」をしたつもりなのですから、周囲の人たちを正しき道へ誘うのは当然のことです。貧乏学生と結ばれたユリコは、両親を手始めに、周囲の人々に恋愛至上主義を強制する、現代人から見るととてもウザい、お節介女として生きることになるのです。

懐かしいような、息苦しいような、とにかく今はもうない日本の話しです。

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2011年11月16日

オバマのギャンブル

アメリカの民主党というのは「リベラル」の看板をあげた政党ですから、リベラルという言葉の持つ開かれたイメージから誤解している人も多いかもしれませんが、実はきわめて内向きで保護主義的な政党です。自由貿易フェチの共和党が各国と自由貿易協定を結ぼうとするたびに、弱者保護や環境保護を表向きの理由として、その実労組の既得権を守るためにブロックしてきた実績を持ちます。

オバマさんという人はその中でも筋金入りの保護主義者で、自由貿易の意義なんて露ほども理解しちゃいません。彼が自由貿易を讃えるとき、それは単に「アメリカの労組に都合のいい自由貿易」であって、やはり民主党であるクリントン政権時にさかんに喧伝された「グローバリゼーション」と同様に、アメリカン・スタンダードの押し付けでしかありません。

TPPというのは、そんなオバマ民主党政権がプッシュする協定です。嫌な感じです。ジャイアニズムもいい加減にしろと言いたくなります。が、ことはそう単純ではありません。

TPPというのはブッシュ共和党政権のときに動き出したアイディアで、いかにも共和党らしい自由貿易バンザイ、「産業空洞化?何が悪いの?」的な構想です。もちろん米民主党は反対でした。オバマさんも、アメリカの製造業を殺す売国的協定と厳しく批判し、政権についてからは、TPPをアメリカン・スタンダード協定に魔改造して仕切りなおす気満々で、支持者からもそれを期待されていました。

ところが、現在進められているTPPはブッシュ時代となんら変わらないシロモノです。これがどれほど奇妙なことかというと、TPP批判で名をあげた中野剛志さんが、反対派をまとめて政党を立ち上げて政権をとり、その挙句TPPに参加してガッツポーズをするような、それくらい変なことなのです。

だからオバマ政権は、各国との自由貿易協定を、非常にひっそりと進めています。韓国とのFTA締結も、日本を筆頭にTPP協議参加申込国が殺到したハワイでの出来事も、これが共和党政権なら超絶アピールしたはずですが、ぜんぜんプロパガンダしないので、アメリカのメディアはほとんど伝えません。おかげでアメリカ人は「TPP?Tea Party Patriotsのこと?」なんて始末です。そろそろ大統領選も近いというのに、党の信条に反し、支持者を減らしかねない行為にコソコソと奔走しているわけです。

その理由は、繰り返すように中国対策です。1990年代の半ばまでは、アメリカ製造業衰退の元凶として、米民主党は日本を叩くのを仕事としてきました。ところが2000年代に入ると次第にターゲットを中国に移し、今や米民主党の外交政策は「人民元の為替操作をやめさせろ」に尽きます。彼らの眼中にもはや日本はありません。

民主党の中国叩きに対し、ブッシュ前大統領は「為替操作して損をするのは中国の方だから」などとフリートレーダーまるだしの態度で受け流してきたものですが、オバマさんはそうは考えていません。最初は紳士的に、徐々に語気を荒らげて、人民元の大幅な切り上げを要求してきました。

しかし中国は米民主党の要求に屈せず、それどころか固定相場のまま人民元の基軸通貨化に向けて動き出す始末。党の信条を実現するために、そして大統領選に向けて得点を稼ぐために、もうオバマさんに後はありません。TPPとは、そんなオバマさんの大勝負に向けた伏線のひとつ、より大きな勝利を得るためにしぶしぶ払う犠牲のようなものなのです。

ペンタゴンは、中国を主敵ととらえた「エア・シー・バトル」コンセプトの発表準備をしており(Battle Plans Tempt Chill in U.S.-China Relations)、またハワイでのAPECを終えたオバマさんはオーストラリアに飛び、米海兵隊のオーストラリア駐留を発表する予定です(Obama visit signals threat of China)。南シナ海における中国軍の動きを牽制するためです。

経済的、軍事的に中国に圧力を加えつつ、勝負の山場は為替操作国認定です。今行われているオバマ大統領のアジア遠征後、米財務省は定期報告書を出すのですが、そこで中国が為替操作国に認定されると、議会の承認を得たうえで、中国からの輸入をブロックできるようになります。

そんなことになれば、中国経済は終わりです。しかしiPhoneの出荷は止まるし、アメリカにも日本にも大打撃です。だから議会で多数派の共和党は反対の姿勢を明確にしていますし、中国もそれがわかっているから、これまで余裕で構えてきました。しかし最近では共和党の中にも、次期大統領選の有力候補であるロムニーさんのように「チート国からの輸入を許してはならない」と主張する人も増えてきていますし、あとひと押しーーー例えばアメリカの威嚇に憤怒した中国の愛国派がアメリカの世論を怒らせる行動をとるなどすれば、為替操作国認定はいよいよ現実味を帯びてきます。

そうなればオバマさんの大勝利で、中国の指導層がよほどのバカでない限り、人民元は変動相場制への移行を余儀なくされます。中国が大日本帝国なみのバカなら、世界を巻き込む勝ち目のない経済戦争に突入することにはなりますが。

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2011年11月11日

1923/201X

1900年代初頭から1920年代初頭は、日本という国家にとってすばらしく幸福な時代でした。日露戦争に勝利して列強に名を連ね、経済は大いに発展し、物質的豊かさと平和の中で民主主義は発展し、文化に花を咲かせました。

その繁栄を支えた日本外交の柱は、日英同盟でした。

イギリスの側面援護なくして日本の日露戦争勝利はありませんでしたし、その後朝鮮併合を経て中国大陸に国際社会の合意の下で権益を広げられたのは、当時のスーパーパワー、大英帝国の後ろ盾あればこそでした。

しかしこの幸せな結婚は1923年に終わりを迎えました。

その最大の理由は、アメリカの圧力です。第一次大戦で疲弊したイギリスにかわり、世界一の大国の座についたアメリカは、アジア・太平洋地域における主導権を握るうえで日英同盟を障害と認識し、その破棄を求めたのです。

以降、大日本帝国は国際社会の中で孤立し、破滅への坂を転がり落ちて行くことになります。しかしアメリカを恨むのはお門違いです。なぜなら、いかにアメリカの圧力を受けようと日英同盟の継続は十分に可能で、その可能性をつぶしたのは他ならぬ日本自身だったからです。

第一次大戦時の時事評論を見ると、次のような表現があちこちに見つかります。

英国の我が国に対するわがままは実に指を屈するにいとまあらず。これに反しわが外交家がほとんど英国の忠僕たるの感ありて、ほとんど手も足も出ざる感あるは情けなき次第なり。

加藤外相は英国の帰化人にしてしかして英国の外務次官なり

日本はドイツを敵としながら全然行動の範囲を限定せられたるものなり。これに反し英国は天涯地角、ドイツ領の存在する所にはことごとく攻略の手を伸べつつあり、彼には完全なる行動の自由あり、我には絶対的束縛あり。

こうしたことばから読み取れるのは、同盟国イギリスに対するルサンチマンです。当時の日本人は日英同盟をありがたがるどころか、イギリスばかりに都合の良い屈辱的関係とすら見なしていたのです。

それはある面事実でした。日露戦争後のアジアは日英を軸に回転していましたが、盟主はあくまでイギリスで、日本はイギリスの権益をガードする見返りとして褒美にあずかる構図でした。両国の圧倒的な国力差を鑑みれば、これは決して日本に損な関係とはいえません。しかし日本人は不公平と感じ、その思いは第一次大戦において表面化します。

第一次世界大戦(1914〜1918)で、日本は小艦隊を地中海に派遣し、輸送船の護衛任務についたことはよく知られています。しかしそれは、未曾有の総力戦を戦うイギリス人の目から見ればぜんぜん不十分でした。イギリスは再三陸戦部隊の派兵を要請しましたが、日本はこれを拒否。日本の言論界は、日本に不利益しかもたらさない欧州派兵は天下の愚論とこき下ろし、派兵の可能性を匂わせた大隈首相に売国の烙印を押しました。

それどころか日本は、同盟国の国難に乗じて中国での権益拡大に走りました。いわゆる対華21か条要求はこのとき出されたものです。中国人のナショナリズムに火をつけたその内容もさることながら、出したタイミングはまさに火事場泥棒で、卑劣と言う他ありません。

こうした様子を見たイギリスは、日本は自分の利益ばかり追求して国際社会の一員としての責任を負おうとしない、信用のおけないオポチュニストだという印象を強くしました。そして戦後、アメリカから同盟破棄の圧力を受けたとき、アメリカとの友好と日本との同盟継続を天秤にかけて、アメリカを選んだのです。

それはイギリスにとり簡単な選択ではありませんでした。同じアングロサクソンの国とはいえ、アメリカはイギリスの植民地帝国を白い目で見ていましたし、孤立主義でイギリスの国防に協力してくれるわけではありません。一方日本と組めば、アジア・太平洋地域に展開する戦力を減らして経済復興に専念できますし、アジアの植民地におけるナショナリズム抑制の効果も期待できます。同盟の解消は、大英帝国の没落を加速しかねない苦渋の選択でした。

では日本はどうか?傲慢なイギリスに屈辱を感じ、いかにイギリスに懇願されようと、「日本はイギリスの番犬ではない。国益に反することなどできるか!」と毅然とした態度を通した日本は、さぞかし不平等同盟の解消を歓迎したに違いありません。

しかしそうではありませんでした。戦争が終わり、日英同盟の解消を目の前につき付きられたとき、日本は「あ、孤立した」と気づき、困惑したのでした。

しかも、衰弱したイギリスにかわりアジアに乗り出してきた新進超大国アメリカは、イギリスよりも厄介な相手でした。大国とはいえ弱みを持ち、帝国の維持のために日本を必要としたイギリスに比べ、アメリカは日本を必要としません、というか中国に進出する上で日本は邪魔者でしかありませんでした。アメリカとの交渉に駆け引きの余地はなく、アメリカの温情にすがるしかありません。イギリスとの関係に屈辱と感じた日本人は、目先の利益に心奪われた挙げ句、自らをより屈辱的で危険な立場に追い込んだのです。

第一次世界大戦は、19世紀的価値観が劇的に倒壊し、文化、政治的にパラダイムの転換が起きた歴史的大事件でした。そういう時期に近視眼的に振る舞うとどうなるのか、100年前の日本は最高の教材を提供してくれます。

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2011年11月05日

米韓FTAは不平等条約か?

TPP反対の根拠として、10月に合意した米韓FTAの例をあげる人がいます。日経の記事によれば、

米韓FTAが発効してもすぐには関税率が下がらない。乗用車は韓国側が主張した「関税の即時撤廃」が「5年後撤廃」になり、商用車については「米側は10年目に撤廃。韓国側は現行10%の関税を即時撤廃」にまで押し戻された。

しかも、米側には「自動車に限定したセーフガード(緊急輸入制限)条項」が付いた。米国車に対し韓国国内で協定違反があった場合、「米側は韓国メーカーに関税を2億ドル課することができる」決まりもある。

http://www.nikkei.com/biz/editorial/

とのことで、これを読んだ人の多くは、「なんという不平等条約」「TPPもこれと同じだ」とあきれているようです。

たしかにこの部分だけ見ると、アメリカに都合のよい不平等条約です。しかしFTAで取り決めたのは自動車の輸出入についてだけではありません。

たとえばコメはFTAの除外項目ですし、牛肉の関税撤廃は発効から15年後です。また、ケブラーなどの繊維分野は明確に韓国有利で、アメリカは即時関税撤廃なのに対して、韓国は5年間関税を維持できます。ただでさえ衰弱しているアメリカの繊維業は壊滅的な打撃を受けるといわれています。

というように、全体として見れば、米韓FTAを一方的にアメリカ有利な不平等条約と呼ぶことはできません。だいたい自動車のアメリカ有利の条項にしても、現状として年間80万台の韓国車を買うアメリカに対して、韓国はアメ車を4千台しか買っておらず、そもそも韓国の年間新車販売台数は150万台にすぎないことを思えば、この程度の不平等条項はほとんどなんの効力も持ちません。

前回も書きましたが、米韓FTAはアメリカの民主党支持者の間でとても評判が悪く、十数万の職が失われるとも算出されています。オバマ大統領は、こういう条項を入れることで労組の気持ちをどうにかなだめ、まるで隠れるかのように協定にサインしたわけです(NAFTA以来16年ぶりの大型FTA締結にもかかわらず、ホワイトハウスは報道をトーンダウンさせたのです)。

オバマ大統領はもともと自由貿易協定には反対で、就任当初は米韓FTAもTPPも保留項目とし、NAFTAでさえ大幅見直しすると息巻いていました。ところが2009年の暮れから2010年にかけて大きくスタンスを変えて、なりふり構わず各国に自由貿易協定を提案し始めました。

不平等条約でアメリカを利するためではありません。そうすることを断念したからです。そんなことをしていたら、中国に交易パートナーをとられて、経済的、政治的にアメリカは大損害を被ると気づいたからです。

それはともかく、米韓FTAに話を戻すと、あれで一番大笑いしているのはアメリカ人ではなく、ヒュンダイとサムスンをはじめとする韓国企業であることは確かです。早急に経済ブロックを固めたいアメリカの弱みをついて、うまいタイミングで協定を結んだものだと感心します。

アメリカとの間に関税障壁をなくせば、競合する日本企業は早々に駆逐されてしまうに違いありません。日本政府が何もしなければ、ヒュンダイがトヨタを抜くのは時間の問題です。

韓国は小さな国ですが、普通の国ではありません。ヴォルテール風に言うなら、「ヒュンダイとサムスンは韓国の企業ではなく、国土を持つ企業なのだ」というところです。そんな国に暮らす韓国人を幸せだとは思いませんし、真似をすべきとも思いません。しかし日本の隣には現実としてヒュンダイ=サムスン二重帝国があり、日本の製造業と競合しているのです。

真にこの国の将来を憂うのであれば、米韓FTAは重箱の隅をつついて笑うネタではありません。競合する日本企業を駆逐して、世界に冠たる地位を確固たるものにしようとする韓国企業と、中国を叩き落とすために大きな一歩を踏み出したアメリカの、「肉を切らせて骨を切る」態度に衝撃を受けるべきテーマなのです。

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