2011年11月24日

Now They're Back

相変わらず世界は底の見えない不景気で、日本でもアメリカでもヨーロッパ各国でも、主要な時事問題は経済がらみです。しかしなぜかドイツでは、新聞も雑誌もテレビも、極右テロの話題でもちきりです。

男2人、女1人の「国家社会主義地下組織」を名乗るグループが、過去14年間に10人を殺害していたことが発覚したということで、「極右テロの新しい形」だと叫ばれ、メルケル首相は「ドイツの恥」としてテロ殲滅に全力をあげることを宣言しました。

でも、変だと思いませんか?なるほど事件は猟奇的です。しかし極右テロの新しい形などと言われると、首をかしげてしまいます。なにしろ犯人グループはわずか3人で、14年間に移民9人と警官1人を殺したとはいえ、殺人により何かのメッセージを発したわけではなく、犯行はいずれもコソコソと隠れて行われ、おかげで誰も極右の犯行だと気づきませんでした。犠牲者の画像を編集してビデオに残していましたが、それも4年前に作られたもので、誰に見せるわけでもなくただ保存していただけです。

確かにこれまでのテロとは一線を画す新しいテロの形ではあります。しかし別の言い方をすれば、異常者による連続殺人事件のようなテロ、要するにテロと呼ぶにふさわしい事件には見えません。

ドイツでは、トルコ移民の増大が社会不安を生んでいますが、それが暴力的排外主義と結びつく兆候は一切見られません。現代の反移民主義は非暴力主義と固く結びついていますし、国民は総じてサヨク的世界観に同情を示していますし、ネオナチなどは日本の街宣右翼の存在感に遠く及ばない絶滅危惧種です。にもかかわらず、「極右」と「暴力」のほんのわずかなニアミスにも過剰に反応するドイツを見ていると、ドイツ病は相変わらずだとため息がでます。

ぼくの見立てによるドイツ病とは、ただ闇雲に極右を叩くことではありません。ドイツは極右を嫌いますが、極右叩きには明確なパターンがあるのです。

前回の極右叩きブームは、1990年前後に起きました。東西ドイツ統一前後のことです。特に統一後の旧東独地域におけるネオナチの暴れぶりは、日本でもさかんにニュースで伝えられました。ドイツ人というのは、ストレスを加えると簡単にナチ化するのだなと驚いたものです。しかし今日では、旧東独地域の極右台頭は実際には大騒ぎするほどの問題ではなかったと言われていますし、極右的思想の支持者は、むしろ旧西独地域より少ないという調査結果も出ています。

当時のドイツは、極右が台頭したから極右を叩いたのではなく、極右を叩く衝動に駆られたから極右を叩いたのです。東西ドイツが統一し、大ドイツの復活だと欧州各国が警戒する中、「ドイツは民族主義を許さないよ。ナチスの復活なんて絶対ありえないよ」というポーズを示したわけです。

それは計算してそうしたわけではなく、おそらく国家としての本能のようなものだと思います。第二次大戦後、連合軍に生殺与奪権を握られたドイツは「ナチスキライ、ナチスキライ」と唱えることでかろうじて生存を許可されました。そのトラウマから、ドイツという国家の存在感が増すたびに、まるで防衛本能のように「ナチスキライ」を唱え、そうすることで周辺国の了解をとろうとしてきたのです。

今回もそうです。EU各国の債務危機で、周辺国はもうドイツにすがるしかない状況です。ドイツの大国化を警戒する政治家たちの中には、「かつて血を流してドイツの覇権を阻止したのに、EUはドイツを抑えるためにできたはずなのに、今や欧州はドイツの天下。どうしてこうなった?」と公の場で嘆く者も現れ始めています。そんな中ドイツは「ナチスキライ」と魔法の呪文をブツブツ唱えているのです。

でももう呪文の賞味期限はいい加減切れました。今や本気でナチズムの復活を心配している者などいやしません。周囲を不安にするのは、ナチスの復活ではなくドイツの復活なのです。ドイツがドイツとして普通に振る舞うと、ヨーロッパ大陸は必然的にドイツの手に落ちます。地政学的にも、歴史的にも、これはどうしようもありません。そしてそれは大きな軋轢を生み、やがて災難を招くことになるのです。ドイツ人の悲しい運命です。

ベルリンの壁が崩壊したとき、強硬なドイツ警戒論者であるイギリスのサッチャー首相は、ECの強化でドイツは無力化できるとする楽観論を一蹴し、「我々はドイツを二度倒した。今彼らは帰ってきた」と各国首脳の前で警鐘を鳴らしたといいます。当時は一笑に付されたサッチャーの警句ですが、今はどうでしょうか?ECを強化したEUはドイツに力を集中するシステムへと変質し、ドイツはいよいよ目覚めようとしているのです。「ナチスキライ」とつぶやきながら。

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