2011年12月08日

バブル世代という神話

最近、バブル期に関する書き込みをよく見かけます。今と比べ、いかにバブル期がパラダイスだったか、バブル気分が抜けないバブル世代は始末に終えないなどなど。

しかし、バブル崩壊からかれこれ20年くらいたつためか、記憶が風化し、変な形で神話化されている印象があります。後世に違う形で伝えられるといやなので、これは違うなーと思う点を、バブル世代の一人として、あくまで一個人の見地からではありますが、記しておきたいと思います。

まず違うと思うのは、バブル期に社会に出た世代が、とてもいい思いをしていたように伝えられていることです。そんなことはありません。当時の若者、とくに男性は、バブル最大の被害者とさえ言えると思います。

確かに就職は楽でした。文句なしに売り手市場でした。自分から何のアクションをおこさなくても、家には山のように就職資料が送りつけられ、人気のない企業は、新入社員に車をプレゼントしたりして、必死に学生を惹きつけようとしていました。

しかしいいことはそれくらいで、何しろ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代ですから、上の世代は思い上がりがひどく、今のように若者にイノベーティブな発想を期待するような社会の空気はほとんどありませんでした。就職資料は妙に個性的であることを奨励していましたが、所詮は学生を惹きつけるためのコピーで、ビジネスに夢を託し難い時代でした。

では私生活の方は夢に溢れていたかというと、とんでもありません。インターネットなんてSF映画にも出てこない時代ですから、テレビや雑誌を通じてマーケッターの思いのままに踊らされ、望みもしないことにカネをつぎ込むのを余儀なくされました。

いくら景気がよくても、20歳そこそこの若者に普通カネなどありません。それなのに、モノは高ければ高いほどセンスがいいという風潮で、肩身の狭い思いをしないために無理をしてバーゲンでブランド品を買い、女の子をデートに誘えば、安い居酒屋などジョークにもならず、ホテルのレストランからお洒落なカフェバーというコースはなかば義務化されていました。

いつの時代も若者は貧しいものです。貧しさのレベルで言えば、バブル期の若者は、それ以前の時代の若者とは比較にならないほど恵まれていました。しかしあの時代は、貧しい若者が貧しい若者らしく貧しい若者ライフを満喫する余地はありませんでした。カルト信者かオタクと見られたくなければ、嫌でも背伸びをしてテレビや雑誌の煽る成金趣味なトレンディライフについていかなくてはならない、残酷な時代でした。

バブル期に最も恩恵を受けた世代は、バブル期に社会に出た世代ではなく、それより少し上、25歳から35歳くらいでバブルを迎えた人たちだと思います。まだ若く、それでいて一人前の社会人としてバブルを迎えた彼らは、会社から支給されるタクシー券と、使い放題の経費を駆使して、バブルライフを満喫していました。

ぼくはテレビ業界しか知りませんが、彼らのバブル期に対する郷愁はハンパではなく、仕事の進め方から後輩へのアドバイスまで、すべてバブリーでした。限られたリソースの中で最善の結果を求めるという発想を彼らはできず、「あらゆる可能性を探って最高の結果を出せ」などと常にイケイケな姿勢で、「オレはそのやり方でウン千万稼いだ。稼ぎたければオレの言う通りにしろ」などと迫られさんざん困らされたものです。

バブル期に社会に出た世代はそうではありません。空前の好景気で人手不足のときに、ペーペーとして社会に出た彼らは、とにかく早朝から深夜まで奴隷のように働かされました。ぼくは、活き活きとした新社会人生活を送る同級生たちの姿を思い出せません。なれないスーツに身を包んだ彼らは、みな一様に疲れ果て、やつれていました。そしてようやく後輩もでき、バブルライフをエンジョイしようとした矢先にバブルははじけ、へたに好条件で大量に雇い入れられていた彼らは、リストラ候補の筆頭とされたのです。

最近のヤングの中には、スイスイ就職できたバブル世代をずるい世代と認識している人も多いようですが、一概にそうは言えないのです。というか、本来若者というのは、若さという財産を除けば社会的に最も弱い存在であるという古今東西変わらない人間社会の道理からすれば、バブル世代をずるいと認識する考え方もまた、アンチバブルのようでいて、極めてバブル的で浮かれた考え方と言えます。

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