2012年01月09日

ステマと2.26事件と若者の反乱

ステマということについて考えていたら、あるいはこのステマという言葉、そしてそれが日常語になりつつある現在の状況は、日本社会に大きなパラダイム転換をもたらすのではないかと思うようになりました。

いうまでもなく、ステマという現象は、テレビや新聞が描くようなネット限定の闇ではありません。情報メディアに必ずつきまとう問題です。そして、ステマを意識するということは、ネットだろうとテレビだろうと新聞だろうと、あらゆる情報メディアに疑いの目を向けること、情報メディアを外部化して見つめることにつながります。

実はこれまでの日本の社会は、おそらく他のどの先進国にもまして、それができない社会でした。

どういうことかというと、たとえば、ある新聞が偏向報道をしたとすると、20世紀の日本人は、それを「異常なこと」と認識しました。あらゆる新聞報道が大小の偏向に満ちていて、今回はたまたまヘマしてバレたのだという風には考えられませんでした。悪いのは偏向や捏造であると考え、新聞報道とは常にそうであること、新聞というシステム自体が根源的な問題を孕んでいることには、思い至りませんでした。

いわば日本人は、テレビや新聞というマスメディアを、空気のような存在ととらえてきたのです。咳が止まらないのは、どこかの煙突から出ている煤煙のせいであり、空気そのものに原因を求めるのはバカげています。だから、社会のあり方に最も批判的な者でさえ、悪いマスメディアを批判することはあっても、マスメディアそのものを対象として批判することはありませんでした。

それは、日本の近現代史における2度の体制転覆の試みにもあらわれています。

1936年の2.26事件、陸軍の青年将校たちが、「昭和維新」を唱えて新政府樹立を謀ったこのクーデターは、あと一歩で成功したといわれています。しかし2つのミスにより失敗しました。ひとつは皇居を封鎖しなかったこと。そしてもうひとつが、ラジオ局を占拠しなかったことです。

皇居を封鎖しなかったのは、天皇を崇拝していた彼らからすれば仕方ない気がします。しかし、ラジオ局を抑えなかったのは解せません。1925年から放送が開始されたラジオは、当時破壊的な影響力を持っており、もし反乱軍がラジオ局を占拠して自分たちの主張を放送すれば、政府は万事休すでした。

ラジオと並ぶマスメディアである新聞の方は、一応反乱軍は襲撃しました。しかし、普段から反軍的な論調をしていた朝日新聞に乗り込んだ反乱軍は、自分たちの主張を記事にして配布させるわけでもなく、新聞社を徹底的に破壊するでもなく、ただ活字ケースをひっくり返しただけで、ほんの1時間で引き上げてしまいました。

こうした行動からわかるのは、あきれるほどのマスメディアの軽視です。青年将校たちは「体制」の転覆を目指していましたが、彼らの考える「体制」には、ラジオも新聞も含まれていなかったのです。

マスメディアの力を過小評価していたとは考えられません。当時のラジオアナウンサーは、軍人も最敬礼するほどの名士であり、新聞記者は政治家のアドバイザーで、すでに社会はマスメディア時代の渦中にありました。また、反乱軍に最終的に投降をうながしたのが、有名な「兵に告ぐ」のラジオ放送であったことも、彼らにとっていかにラジオの存在が大きかったかを示しています。



しかし彼らは、ラジオと新聞を放置しました。他でもないマスメディアにより、不穏な時代の空気が増幅される中、彼らこそ最も深くその空気を吸い込み、いわばステマに釣られた存在だったからです。マスメディアが設定したリングの上で戦う彼らに、ビッグブラザーの姿は見えなかったのです。

1960年代末に日本革命を夢見た極左の若者たちも同じでした。

極左の過激派は、数千、ときには数万の徒党を組み、鉄パイプや火炎瓶で武装して、さまざまな施設に襲撃を繰り返しました。当時は過激派に共感を寄せる市民も相当数いて、米軍の燃料輸送の拠点だった新宿駅では、一般人を交えて大暴動を繰り広げるなど、革命は夢物語とは言い切れない雰囲気がありました。

そんな、本気で革命を志向し、侮れない戦闘力を誇った彼らですが、なぜかテレビ局や新聞社を破壊/奪取しようとすることはありませんでした。

60年代末は、日本だけでなく、世界中で極左の若者たちが大騒ぎしたのですが、たとえばドイツでは、若者たちの最初のターゲットになったのは、メディア・コングロマリットでした。同志が襲撃されると、それを煽ったと目される新聞社前で大規模デモを行い、運動が過激化すると、まず爆弾を仕掛けたのは新聞社でした。マスメディアを華麗にスルーした日本の若者たちと好対照です。

日本の若者たちが、テレビや新聞に無関心だったわけではありません。「よど号ハイジャック事件」の犯行グループが、「われわれはあしたのジョーである」との声明を出したように、彼らはおうおうにしてマンガや映画のキャラに自分たちを重ねあわせ、流行歌を口ずさみながらテロに向かうなど、マスメディアが奏でる商品主義に浸りきっていました。また、テレビや雑誌で報道される過激派のカッコよさに憧れて運動に参加した若者たちもたくさんおり、示威行動の多くは、テレビ映りや写真写りを意識して行われました。

そんな彼らでしたが、やはりここでも、彼らの考える「体制」には、マスメディアは含まれていませんでした。高度成長の中で人間性を蔑ろにされ、大量生産される商品のように扱われていると感じ、そんな体制からの解放を叫んだ彼ら。実は彼らにそう感じさせた主犯は、システムとしていよいよ完成の域に近づき、彼らをステマ漬けにして操るマスメディアであったにもかかわらずです。

マスメディアの作り出した情報空間に完全に囚われ、その中で暴れていた彼らの革命が、テレビ史上に残る伝説的高視聴率をあげた「あさま山荘事件」で決定的に潰えたのは、これ以上ないふさわしいエンディングでした。

さて、そんな風に、命をかけるほどに思いつめても、情報メディアを外部化できなかった日本社会ですが、「ステマ」という言葉は、その呪文を口にする者に、いとも簡単に高い壁を超えさせてしまいます。ステルスマーケティングという仰々しい外来語から、ステマという子供にも扱える日本語への進化は、2.26事件よりも、60年代の若者の反乱よりも、根源的な破壊力を秘めた革命的なできごとなのかもしれません。



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