2012年01月10日

尾崎豊はどこにもいなかった

成人の日の社説で、朝日新聞が尾崎豊を礼賛していました。朝日新聞は、尾崎豊逝去15周年にあたる2007年にも大々的に尾崎礼賛をしており、よほど尾崎豊に心酔しているようです。

成人の日にー尾崎豊を知っているか

社説では、大学の授業で学生に尾崎の歌を聴かせ、感想を問うてきたという、精神科医の香山リカ氏のエピソードを紹介してますが、5年前もやはりこのエピソードを紹介し、ここ数年批判的な意見が増えていると嘆かせていました。

5年前の記事では、尾崎の歌に対する若者の反応として、「まわりに迷惑をかけるのは間違い」「大人だって子供のことを思っているのに反発するのはおかしい」「ひとりよがりの詞で不愉快」などの意見を紹介し、今回の社説では、「自己中心的なだけじゃないのか」「何が不満かわからない」という声をあげています。

現在も5年前も、尾崎豊の歌に対する感想は同じなのですね。では10年前、20年前、そしてそれ以前の若者はどう見ていたのでしょうか?10年前の若者がどう見ていたかはぼくにはわかりません。でも、それより前の時代の若者がどう見ていたかはわかります。ぼくは尾崎豊と同世代ですから。で、どう見ていたかというと、今の若者と同じでした。

朝日新聞のように権威ある言論機関がさかんに尾崎豊を宣伝するので、最近の若い人の中には、1980年代の若者は尾崎豊ワールドに生きていたと思う人もいるかもしれません。そんなことはありません。サンプルとして、試しに妻に「おまえたしか、尾崎豊好きだったよな?」とカマをかけてみたら、「バカにするな」と怒られました。

80年代という時代は、尾崎豊をありがたがるには擦れすぎていました。ぼくの友人には、ビートたけしの信奉者が何人かいましたが、時代の空気としては、往時の彼のようなシニカルな態度の方がしっくりきます。また、年長者の顔をしかめさせる反抗的音楽としては、インモラルなパンクや、無機質なピコピコサウンドがありました。そんな中にあり、尾崎豊ワールドというのは、好きな人に歩絵夢を書いて贈ってしまうような、なんとも言えないきまりの悪さを漂わせていました。

だいたい、バイクを盗んで乗り回したり、校舎のガラスを割って歩くなどという、尾崎の詞にある自分探しの発露は、彼と同世代の者からすると、ひどく非現実的でした。「校内暴力」全盛の当時、たしかにそういう反社会的行為をマスコミは連日伝えました。しかし、それを自分探しと結びつけるのは「金八先生」の世界であり、現実世界でそういう行為をしていたのは、弱い者からカツアゲしてケロリとしている感性の鈍いヤンキー、DQNばかりでした。

要するに尾崎豊というのは、登場した時から若者の感覚とズレていたのです。

ぼくが20歳のころ、バイト先の上司だった30代後半の女性に、学生運動をしていたときの話を聞かされました。「冬の寒い夜、校舎をバリケードで塞いで、大きなかがり火をたいて気勢を上げていたら、まわりの桜の木が狂い咲きしたのよ…」と振り返る彼女の青春の風景は、尾崎豊ワールドそのものだと感じたものです。

思うに尾崎豊というのは、登場した当初から若者のイコンなどではありませんでした。彼は当時の年配者の郷愁をくすぐる、括弧つきの「若者」の象徴、年長者の玩具として生まれ、走り、死んだのです。

朝日新聞的な尾崎豊礼賛をする人は、総じて50歳以上の人たちです。彼らは、尾崎豊を理解できない現代の若者に対して、「成長のプロセスにおける仮想敵だったはずの親や先生の善意を屈託なく信じている」と驚いたり(香山リカ)、「彼の歌は、内面に深く食い込んできて、いまの若い人にとって触れて欲しくないところに及ぶ」と推測(吉岡忍)したりしています。しかし、尾崎豊ワールドを理解した若者世代など、最初からどこにも存在しませんでした。

現代の若者たちに、自分たちと同じように考え、行動して欲しいのであれば、率直にそう主張するべきです。デモ行進して打倒日帝米帝を叫び、みなで肩を組んで青春の歌を歌い、青臭い議論に花を咲かせて欲しいならそう訴えるべきです。妙なイコンを捏造して、そちらに誘導しようとするのは姑息なことこの上ありません。

また、80年代に思春期、青春期を過ごしたぼくにすれば、尾崎豊を神格化するのは、あの頃の記憶に土足で踏み入られて、勝手に書きかえられているような気分の悪さを覚えます。自分たちの青春を大事にするのは結構ですが、そのために他の世代の青春を踏みにじるのは、まさに青春の冒涜とは言えますまいか。



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