2012年01月14日

中国の求愛と日本の求愛

前回は、映画「フラワーズ・オブ・ウォー」について書きましたが、そこで見られた中国流の愛の表現について書き留めておきたいと思います。

前回も書きましたが、あの映画は、中国のアメリカに対する求愛のポーズだとぼくは解釈します。そしてそのポーズは、「ありのままの私を受け入れてください。そうすれば、あなたも幸せになります」というものでした。

これは日本人の目から見て、どこか変だと言わざるをえません。日本的な感覚に従えば、求愛というものは、まず自分の気持を表すものです。「わたしはあなたを愛しています。だからあなたもわたしを愛してください」というものです。

あの映画に見られる中国流の求愛表現は、決して特殊なものではありません。そして日本的な感覚と中国的な感覚の齟齬は、過去の日中関係にたびたび表出しています。

1920年代の日本は、中国と比較的良好な関係を結んでいました。当時の中国は内乱状態にありましたが、日本は国民党政府に肩入れし、国民党を信用していない列強各国とのパイプ役を務めていました。

その頂点は、1927年の第一次南京事件でした。南京の外国人を襲撃した国民党軍に対し、英米は武力による懲罰を訴えました。しかし日本は列強に忍耐を説いて説得しました。「わたしはあなたを愛しています。だからあなたもわたしを愛してください」です。

しかし、この中国に対する日本の求愛行為以降、なぜか中国人は日本人を襲撃するようになりました。漢口事件、済南事件と日本人居留民は甚大な被害を受け、裏切られたと感じた日本は、一転して「暴支膺懲」へと進んでいくことになります。

日本は、愛情を示すことで中国の歩み寄りを期待しましたが、中国の辞書には、そんな愛情の形はありません。中国を愛しているのなら、ありのままの中国を受け入れよというわけで、どんどんわがままの度を強くしたのです。

中国人からすれば、中国愛を口にしながら、ありのままの中国を受け入れてくれない日本は不実としか映らず、「愛してるなんて嘘じゃないか!人の心を惑わして、オレたちを奴隷にするつもりだな!」と抗日の思いを新たにしたに違いありません

なお、1920年代の対中宥和政策で日本が失ったのは、中国人の信用だけではありませんでした。中国の安定のために、共同戦線の構築を求めていた列強は、日本の中国ラブぶりに愛想を尽かし、日本は国際社会でも孤立の度合いを深めたのです。

同じような構図は、1990年代にも再現されました。天安門事件で国際的に孤立していた中国に対し、日本は天皇を訪中させ、中国の国際社会復帰を助けました。

「ありのままの私を受け入れてください」という中国のラブコールに、日本は「あなたも私を愛してください」というつもりで応えたのです。その後どうなったかは言わずもがなで、中国は歴史カードを軸に国内外で日本バッシングにいそしみ、日本の国際的地位を著しく損ねたのでした。

中国を愛するということは、愛の見返りを求めてはならず、中国のすべてを認め、すべてを抱きしめるということなのです。そして、愛を表明しておきながら中国のわがままを認めないことは、逆に恨みを買うことになるのです。

日本人から見れば、中国の愛情感覚はわがままでひとりよがりに見えます。しかし、一歩引いて見てみれば、「わたしはあなたを愛しています。だからあなたもわたしを愛して下さい」という日本的な求愛のポーズも、一歩間違えばストーカーで、ずいぶんとひとりよがりです。

国際的な見地に立てば、日本的な求愛表現は異質です。求愛の基本は、「私はあなたに愛して欲しい。だからあなた好みになります」です。愛は与えるもので、見返りを求めるものではないのです。

だから日本は、国際関係においておうおうにして、ラブコールをすることで却って疑念を招いたりします。愛していると口に出しながら、ぜんぜん「あなた好み」になろうとしないからです。

戦前の日米関係などはその好例です。大正期の日本は、ありとあらゆるアメリカ文化を受け入れ、アメリカにラブコールを送り続けていました。しかしアメリカからすれば、ただ好き好きと言うばかりで一向にアメリカ好みになろうとしない日本は、口先だけのずる賢いヤツとしか見えませんでした。

だから日本のラブコールをスルーして、日本人移民を規制したりしたのですが、これに対して日本は、「こんなに愛してるのに!ムキーッ!」と逆切れてしまいました。

中国の求愛は変ですが、日本の求愛も変で、まあ、すべてを捧げるつもりもなしに、情では動くなということです。



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