こちらの英語のエッセイによくまとめられているように、「懐かしい」にあたる英単語として「Nostalgic」をあげる人は多いですが、日本人が「懐かしいなー」と口にする調子で、「How nostalgic!」と感嘆したりすることはまずありません。「Nostalgic」という言葉は、現在を捨てて過去を取り戻したいという、マイナスかつ重い響きを持ち、「懐かしい」の持つ暖かみ、今日を生きつつ過去に思いを馳せる、前向きな軽やかさに欠けるのです。
英語人が「懐かしい」という感覚を持たないわけではありません。しかしそれに合う言葉がないので、「学生の頃を思い出すねー」とか「子供の頃よくここで遊んだっけなー」と、ケースバイケースでいちいち文章を組み立てなくてはならないのです。
だから日本語を勉強して、「懐かしい」という表現を覚えた英語人は、「Very Natsukasii」などと、日本語をそのまま使い始めたりします。「Natsukashii」はいい言葉なので、英語に根付かせようとしている人も結構見かけます。
さて、なんで「懐かしい」という言葉をとりあげたかというと、先日公開された映画「ALWAYS 三丁目の夕日」について考えていたからです。最新作はまだ見ていませんが、1作目と2作目は、たまらなく懐かしい気持ちにさせてくれる、いい映画でした。
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ところがぼくは、映画の舞台である昭和30年代にはまだ生まれておらず、あの時代を知りません。知りもしないのに、懐かしく思うなんてへんです。そう思ってウェブで調べてみたら、平成生まれの人までが、あの映画を見て「懐かしい」を連発しています。不思議なことです。
ひょっとして昭和30年代というのは、どの世代の人にとっても懐かしい、普遍的な懐かしさを秘めた時代なのでしょうか?いや、そうとは思えません。というのは、まさにあの時代を生きた、当の夕日町の住人にあたる人たちが、それほどあの時代を懐かしい時代としてとらえている気配がないからです。
たとえばぼくの両親は、あの時代にともに田舎から集団就職で上京し、下町で暮らしていました。父は町工場に就職して東京タワーの建設にもたずさわり、母はまさに「六ちゃん」のように、中卒で上京して住み込みで働きました。ところが2人とも、あの時代を懐かしく語ったことはありません。
うちの両親が特別なのではありません。両親の同世代の友人たちも、飲んだ席などであの時代を懐かしく語るのを、ほとんど聞いたことがありません。彼らが遠い目をして懐かしがるのは、きまって少年少女時代のことで、すいとんを食べたりすれば目を細め、「あの頃は貧乏だけどよかったなー。おまえも大人になればわかるだろうが、やっぱり子供のときが一番だ」などとさんざん言われたものです。
思うに、今でこそ昭和30年代の東京はほのぼのとした世界に見えますが、当時の社会を底辺で支えた大人たちからすれば、非人間的で、耐えるばかりの冷たい世界だったのかもしれません。田舎からよそ者が急激に押し寄せて激変する大都会は、人間関係もギスギスしていたでしょうし、とくにうちの両親のような田舎出身の若者からすれば、劣悪な住環境と、ろくな娯楽もない中ひたすら働く毎日で、腹ペコながらものびのびとした子供時代への想いをつのらせるばかりだったと想像されます。
ではなぜ平成生まれの人までがあの時代を懐かしく思うのでしょうか?おそらくは、あの時代を当然のこととして懐かしく思う世代、「三丁目の夕日」でいえば「淳之介」や「一平」に近い、当時子供だった世代の人々こそが、今の「日本」だからなのではないかと思います。
今の日本人の多くが漠然とイメージする日本は、時代を超えて存在するなにかではなく、昭和30年代の子供たちともに生まれ、成熟し、そして今衰えようとしている「日本」なのです。そういう感覚を多くの人が共有しているからこそ、あの時代はみなにとって懐かしく感じられるのではないでしょうか。
あの時代と関係ない人は、懐かしく感じるべきではないと言いたいのではありません。ぼくも「三丁目の夕日」は大好きです。建設中の東京タワーを見るだけで、そこで働く若い父を思い浮かべてウルウルきます。いかにそれが幻想であろうと、過去のある時代に懐かしさを感じて、あたたかい気持ちになれるのは、幸せな財産です。しかし、あの時代を神聖視し、「それと比べて今は…」と嘆いたり、過去への回帰を欲したりすれば、それはぜんぜん違います。
そういうのは、「懐かしい」という前向きな感情とは無縁な、後ろ向きな姿勢です。「あれは懐かしい時代だったなー。さーて今日もがんばるか!」という奇妙なまでの軽やかさこそが、昭和30年代はもちろん、何百年も前からずっとそうしてきた、懐かしいというすばらしい言葉を持つ日本人にふさわしい態度なのです。