2012年01月30日

「ハシズム」の本質

精神科医の香山リカさんが、1月27日に放送された「朝生」について書いています。

テレビの前で議論しても残る 橋下市政への違和感

文章だけ読むと、なるほどねーという感じですが、あの番組を見た人なら、呆れてしまうはずです。それほどまでにあの番組の、精神科医の香山リカさんを含む反橋下派の人たちは、ひどいものでした。ぼくはもともと、橋下氏にも維新の会にもあまり関心がなかったのですが、あの番組を見てよくわかりました。彼が推進する大阪都構想は、非常に説得力のある構想です。

「朝生」は、決して橋下氏をもちあげるような構成ではありませんでした。しかし結果として、ぼくのような「橋下しろうと」にも、彼の考えと行動を納得させてくれるほどに、橋下氏のワンマンショーでした。普通は政治家の話など、いかに説得力があろうと眠たくなるものです。でも、あの番組はとてもおもしろく、わかりやすく、彼の主張と魅力を伝えていました。

おもしろくてわかりやすい、などというと、反橋下派の人たちは、「だから彼は危険なのだ」と叫ぶに違いありません。でも、そうではないのです。生活からニュースワイドショーを極力排除しているぼくは、ネットで得られる記事を通じて、これまで橋下氏を、信念の政治家として好意的な印象を抱く一方で、キャッチーで甘い言葉を振りまくポピュリストのようにイメージしていました。しかし、あの番組を見てわかったのは、彼は特別おもしろくも、キャッチーでもないということでした。

確かに彼はプレゼン上手です。しかし彼のプレゼンは、たとえばかつての田中真紀子氏のように、ひたすら聴衆の感情に訴えて集団ヒステリーを煽る類のものではありませんし、スティーブ・ジョブスのような、カリスマで酔わせるタイプでもありません。ただひたすら理路整然としている、それに尽きるのです。

しかし彼のプレゼンは、スカっとします。その理由は、彼自身にあるのではありません。彼の敵、精神科医の香山リカさんのような人たちにあるのです。

いわば橋下劇場というのはプロレスのようなものです。反橋下派が「ヒャーッ!」とか「シャーッ!」とか雄叫びをあげながら、妙に仰々しい技で襲いかかるのを橋下氏に軽くいなされ、自爆して果てながらも、「フハハハハ!今日のところは見逃してやる。だが、第二、第三の反橋下派がお前の前に立ちふさがるだろう!」と捨て台詞をはくのが無性におもしろく、橋下氏のヒーローぶりを際だたせるのです。

だから、彼らが口にする「ハシズム」という現象の本質は、橋下氏のやり方でも、橋下氏を支持する世の中にあるのでもありません。「ハシズム」の本質は、理路整然として明晰なだけの橋下氏に震え上がり、そのくせドヤ顔で駄々をこねるしかできない反橋下軍団の歪みぶり、知的破産ぶりにあるのです。

冒頭にあげたエッセイで、精神科医の香山リカさんは、橋下氏が改革の末にどんな理想を描いているのか、それが示されないことに異議をとなえています。しかし彼女は、「朝生」でそのことを強く追及しませんでしたし、これまでもそれは、彼女の橋下批判の核心的な理由ではなかったはずです。ようするに彼女は、橋下氏への違和感、嫌悪感が先にあって、後付けでその理由をこねくりまわしているのです。

「朝生」を見ながら、ぼくは反橋下派の核心的動機を探ろうとしましたが、揚げ足取りばかりで結局最後までよくわかりませんでした。彼らは、橋下氏を嫌悪する理由を明確に述べることができず、むしろそれを避けているようにさえ見えました。なぜ彼らは橋下氏を嫌悪するのか?そしてその嫌悪の理由をうまく言語化できないのか?あるいは意図的にそれを避けているのか?心理学的にとても興味深いテーマだと思います。



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