2012年02月27日

『歴史カード」は日本の弱みとは限らない

名古屋の河村市長の「南京虐殺はなかった」発言が波紋をよんでいます。南京事件論争については、あきれるほどたくさんの本が出版されているので、今さらブログで書くことなどありませんが、今回は発言のタイミングがなかなかおもしろく、今後の展開が気になります。

日本の愛国者たちを憤らせる「南京大虐殺」とは、1937年の暮れに起きた事件のことではありません。

たとえば終戦直前1945年8月6日のオーストラリアの新聞は、南京事件について記していますが、憎き敵の暴虐を描いているわりには、今とはだいぶ趣が違います。

南京の恐怖の復讐戦

ブーゲンビル8月6日ーーおよそ10年前におきた恐ろしいレイプ・オブ・ナンキンの復讐は、オーストラリア第3師団による、南部ブーゲンビルに陣どる日本第6師団の殲滅で果たされようとしている。

第6師団こそ、世界に衝撃を与えた暴虐を実行した部隊である。南京を占領した日本軍は数千人の男性を殺害し、多くの女性を陵辱した。この犯罪は長い中国人の苦しみの中でも最悪の出来事であり続けるだろう。だからこそ第3師団は、これはオーストラリアのみならず中国のための戦いだとしばしば口にする。レイプと残虐を働いた悪名高い日本の部隊は、さぞかしブーゲンビルの住民を苦しめたと思われるかもしれない。しかし襲われた現地女性はほんのわずかしかいない。

協力をえるため?

3年前に日本がブーゲンビル島を占領したときに逃げ遅れた中国人女性たちでさえ、陵辱されてはいないと証言している。その理由としては、切れ者の神田中将により厳しい軍規を課された第6師団は、南京の暴虐の償いをしているのではとの推測もなされている。だがより論理的な説明は、神田たちは人道的な理由ではなく、協力をえるために5万人の島民を懐柔しているというものだ。そのために神田は現地女性を尊重するように指導し、違反した者は軍法会議にかけて厳しく罰しているとされている。

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戦後に衝撃的な新事実が発覚したわけでもないのに、現代の南京事件はこうした当時の見方からあまりに大きくかけ離れています。

中国人民の頭にある「南京大虐殺」は、1985年に日本社会党の寄付で建てられた南京大虐殺記念館で語られる誇張と偏見に満ちた物語を拠り所としています。「南京が幻なら原爆も幻だな!」などと揶揄すアメリカ人に、ならば南京に関する情報をどこで仕入れたのかと聞けば、その出所はやはり誇張と偏見に満ちたアイリス・チャンの「レイプ・オブ・ナンキン」だと胸を張ります。

現代の「南京大虐殺」とは、1937年から綿々と検証されてきた歴史的出来事ではなく、1980年代以降に生じた政治トレンドの結晶なのです。

中国人民は、共産主義凋落のあとに国民統合の柱として南京虐殺を必要とし、アメリカ人は、世界を席巻した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」時代の日本への反感から、日本叩きのネタとして南京虐殺にとびつきました。彼らは信じたいから信じたのであり、客観的な事実だから信じたのではありません。

そういう人たちに、客観的な検証を呼びかけても無駄なことです。ならば日本人は汚名を着せられたまま永遠に我慢しなければならないのかといえば、そうではありません。信じたくて信じている人たちは、信じることによるカタルシスを得られなくなれば信じなくなります。

その日のために粛々と客観的事実を検証し、中国人民や海外の自称正義漢による「南京大虐殺」糾弾に対しては、道徳的問題として引き受けるのではなく、ゲームとして割り切り、冷徹に対処していけばいいのです。

その点河村市長の行動はナイーブ過ぎるように思います。しかし冒頭に述べたように、こと今回に限れば、発言のタイミングからして必ずしも日本の損にはならないような気がします。

かつてアメリカ人がアイリス・チャンにとびついたのは、日本を叩きたい空気が充満していたからでした。しかし今のアメリカにそんな空気はありません。アメリカ人が叩きたいのは、アメリカ人の仕事を奪い、太平洋の覇権に色目を見せる中国の方です。

さらに今は、いつ転ぶかわからないユーロに、核開発のイラン、内戦のシリアと、世界中で問題が山積みです。そんなときに、日本の一地方都市の市長の歴史発言などというのんきな問題に、あれこれ口を出す物好きなどいません(人民系住民は除く)。

従ってもし中国が本気で絡んでくるなら、日本とサシの勝負になる可能性が大です。そしてそうなると、必ずしも中国が有利とはいえません。へたに人民が反日で燃え上がると、ふとしたはずみで反政府運動に転化する危険があるからです。

中国は経済面で圧力をかけてくるに違いありませんが、日本と中国の経済関係が冷え込めば、両者ともに傷を負うことになります。そして景気が失速中の中国には、一昔前のようにその痛手を無視できる余裕はありません。

野次馬がおらず、失速中の中国に対しては、「歴史カード」は必ずしも日本に不利なばかりのカードではなく、攻めのカードになりえるのです。



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2012年02月25日

脱原発に愛想を尽かすドイツ人たち

ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙を見ていたら、ドイツの連邦ネットワーク庁所長のインタビューが出ていました。連邦ネットワーク庁というのはインターネット関連の官庁ではなく、電力全般を統括する官庁です。

„Es wird zu früh Hurra gerufen“

インタビューは、この冬のドイツの電力事情を総括する内容です。日本の新聞の中には、この冬のドイツは原発大国のフランスに電力を輸出して、脱原発/自然エネルギーの有効性を示したと伝えるものもありました。(→脱原発でも電力輸出超過 再生エネルギー増加で)

ではドイツの監督省庁の見解はどうなのか?マティアス・クルト所長は、次のように述べています。

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…エネルギーシフトにのぞむにあたり、ドイツはここまでとてもよく対処しています。しかし、だから大丈夫と考えるのは早計です。厳しい冬を乗り越えた今だからこそ油断大敵で、気を引き締めてかからなければなければなりません。

…エネルギーシフトの成功を喜ぶのは少し早すぎます。まだドイツの電力のおよそ6分の1は原発によるものです。エネルギーシフトの本当の試練は、これらの原発を稼働停止しはじめてから始まるのです。われわれは、今後10年かけて大変な問題に取り組んでいかなくてはなりません。

…自然エネルギー施設の拡充方針に反対する人はいません。しかし問題は建設地の確保で、特に南ドイツでは不足しています。現在建設中の発電所では不十分なのです。すべての関係者には、この冬の経験を通じて新規建設の必要性を認識して欲しいと思います。

…今多くの人は、ドイツが数週間フランスに電力を輸出したと喜んでいます。しかし2011年全体でみれば、ドイツはフランスに対してかつての電力輸出国から輸入国へと転落しています。都合のいい数字ばかりではなく、事実を見つめるべきです。

…極度の寒波とガス輸送の停滞により、予想を超えた困難に直面しました。…非常に逼迫した状況で、数日間は予備電力に頼らねばなりませんでした。万が一の場合もう後がないわけで、極めて異例な措置でした。

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すでにこのブログでも何度か伝えたように、ドイツは一時的にフランスに電力を輸出したものの、その後深刻な電力不足に見舞われていました。クルト氏は穏やかな口調で、日本では伏せられているその事実を認めています。

ではドイツの人たちは今回の電力危機をどう見ているのか?読者の支持が高いコメントをいくつか紹介します。

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◆エネルギーシフトの失敗は日毎に明らかになるばかりだ。ドイツの電力は限界で、電気代の値上がりもひどい。なにより雄弁に失敗を物語るのは、プロパガンディストがほんの小さな成功に大騒ぎして、プロジェクトの成功を声高に語るところだ。たまたま天気に恵まれて、ほんの少しフランスに輸出しただけだというのに。

◆私の知る限り、2011年にフランスから輸入した電力は約18000GWhで、輸出は140GWhだ。これは輸入超過なんてレベルではなく、130倍もの差だ。だがドイツの政治家とメディアは、エネルギーシフトに疑いを持たせる数字は語ろうとしない。

◆バイエルンではすでにエネルギーシフトは破綻している。原発の半分を停止したため、電力はチェコとオーストリアからの輸入頼み。州政府はガス発電所を建設しようとしているが、自然エネルギー優先政策のせいで採算が合わないとドイツ企業は撤退し、今はロシアのガスプロムと交渉中。外国頼りで不安だ。しかも新規発電所の稼働は残りの原発の稼働停止に間に合わないとくる。

◆エネルギーシフトなんていうのは、素人をその気にさせるためのコピーにすぎない。ドイツは輸出工業立国であり、安くて安定した電力はその命綱だ。ドイツの存亡に関わる重大な問題をエコロビーに任せるべきではない。プロの判断を仰ぐべきだ。

◆かつてのドイツは一流の電力産業と一流の原発を有し、安くて安全な電力を生み出していた。だが政治家のゲームに滅茶苦茶にされてしまった。本当の悪夢はこれからだ。

◆つい最近までエネルギーシフトを熱く語っていたやつらはどこに隠れたんだ?天候次第では停電してたんだから仕方ないか。巨額の税金をつぎこんだのに風力と太陽光発電は見込みの2割しか発電せず、そのくせ電気代は去年から2割増しだ。そろそろバカなことはやめるべき時だ。

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フランクフルター・アルゲマイネ紙はドイツを代表するセンターレフトの高級紙ですが、記事によれせられたコメントのほとんどは「反エネルギーシフト」でした。

ドイツでここまで反原発派が衰退している理由は、この冬の電力危機はもちろんですが、日本からのニュースの影響もあると感じます。

福島第一で事故が起きたとき、ドイツのマスコミは、チェルノブイリを凌駕する大事故としてセンセーショナルに伝え、それでエネルギーシフトを決めた経緯があります。ところがここまでのところ日本で犠牲者は出ていません。

もちろん放射能の最終的な影響は時間がたたないとわかりません。しかし、ドイツの国民に阿鼻叫喚の地獄絵図を描いて見せてしまった手前、今さら「影響はこれから」などと言説を変えてもオオカミ少年にしか見えないのです。

日本人に劣らず両極端に走りやすく、しかも一度決断するといやに迅速に行動するドイツ人のことですから、あるいは「ドイツ情勢は奇々怪々なり」ということもあるかもしれません。

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2012年02月24日

移民問題に対するドイツ人の本音

この木曜日、ドイツの首都ベルリンでネオナチの犠牲者を追悼する式典が行われました。式典にはメルケル首相をはじめ各界の有力者が顔を揃え、全国で黙祷が捧げられました。

独首相、ネオナチ殺人犠牲者を追悼 遺族には謝罪

2000年から2006年にかけて9人のトルコ人移民を殺害した犯人グループは3人。外から見ると、ネオナチというよりは異常者による連続殺人にしか見えませんが、去年の11月に事件が発覚すると、マスコミは連日事件を大きく伝え、警察は大がかりな捜査を行い、全ドイツを揺るがす大騒動になりました。

メルケル首相は式典で、事件を「ドイツの恥」と呼び、極右を糾弾し、国民に不寛容との戦いを呼びかけました。

過去に学び、外国人差別と真摯に向きあうドイツの図です。こういうのを見ると、エネルギー政策でも同様ですが、必ず「日本もドイツを見習わなければ」と言い出す人がでてきます。しかし、一見立派なファサードは、決してドイツ人の本音ではありません。

式典を伝えるフランクフルター・アルゲマイネ紙の記事によせられたコメントの中から、読者の支持が高いものを紹介します。

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◆どうして移民に殺されたドイツ人の追悼式はないんだ?ドイツ人は永遠に悪者でとにかく反省しろってか?

◆ドイツ人が移民に殺されると犯人はドイツ人扱いされて移民であることは隠されるのに、ドイツ人が移民を殺すと犠牲者は異民族扱い。あきれたダブルスタンダードだよ。

◆この事件は「ドイツの恥」なんかじゃない。責められるべきは犯人と捜査当局で、8千3百万人のドイツ人には何の罪もないよ。式典で善人面する捜査責任者たちは盗人猛々しいな。

◆ただの連続殺人を大げさにとらえすぎだろ。アフガンで死んだドイツ兵には黙祷なんか捧げないのに。

◆移民によるドイツ人犠牲者は無視して、極右の犯罪には大騒ぎ。長年の「右=悪」の刷り込みの効果だな。まるで宗教だよ。

◆右翼が犯罪を犯すと大騒ぎだが、左翼が犯罪を犯しても「若者の悪乗り」扱い。過激派は右も左も変わりなく社会の脅威なのに。

◆ドイツに表現の自由はない。みんなが本音で議論していれば、エリートの甘言に騙されて移民なんか受け入れなかったし、事件も起きなかったのに。こんな感傷的な式典開いたって、なにも解決しないよ。

◆極右の犯罪は許されないが、移民に正当な異議を唱えただけで極右扱いされる雰囲気がある。言論の自由が侵されないか心配だ。

◆この国は「東ドイツ2.0」だよ。家族の前でも本音を話すと告発されかねない。

◆オレの出身校はオレがいた頃はイスラム系の生徒は一人だけだったが、いまは3分の1がイスラム系だ。多元主義は美しい理想だとは思うが、この国は極左の団塊世代に壊されたと思わざるをえないな。

Merkel: Sie stehen nicht länger allein mit Ihrer Trauer
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実は先日おきた大統領の辞任騒動の裏にも、移民問題が見え隠れしていました。ヴルフ前大統領は、「イスラム教もドイツの一部である」と発言するなど、イスラム移民よりの存在と見られていました。トルコを訪問したときなどは、「アンカラに指令を受けに行く」と揶揄されたりしたものです。

もともとパッとしない人柄にくわえて、深刻な移民問題を教科書的にしか語れないところが、彼をより国民から遠ざけたことは間違いありません。

それに比べて次期大統領に内定しているヨアヒム・ガウク氏は、2年前に移民の脅威を告発する著作「ドイツは滅亡する」を出版したザラツィン元ドイツ連銀理事について、「勇気ある行為」として理解を示した過去を持ちます。

そんなガウク氏は、ドイツ国民から圧倒的に支持されています。

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2012年02月23日

傀儡として生きないために

体が痛いです
体が辛いです
気持ちが沈みます
速く動けません
どうか助けてください
誰か助けてください

職場の仕事がきつくて苦しくて、こんな日記を残して自殺してしまった女性。どうして彼女は逃げなかったのだろうと思います。

ワタミ社員の過労自殺を認定 入社2ヶ月の26歳女性

彼女を苦しめたのは、直接的には彼女を雇用していたワタミの職場です。しかし彼女を奴隷にしたのは彼女自身です。首輪にカギはついていませんでした。首輪を外して逃げても、誰も彼女を脱走奴隷のように追跡したりしません。それなのに彼女は「誰か助けて」と呟きながら毎日自ら首輪をつけて拷問部屋に戻り、最後は自ら自分にとどめを刺したのです。

こういう人に「ガンバレ」と助言するのは、内なる悪魔に餌を与えることでしかありません。その逆に、「首輪をすてろ」と助言するのも絶望を深めることにしかなりません。よほど強い人間でなければそんなことはできないからです。

人はみな、なにかに心を支配され、首輪をつけて生きています。内なる悪魔に体を支配されないためには、たえずその首輪を意識するしかないのだと思います。

首輪を意識しない人は傀儡(くぐつ)になります。顔のない「マス」の一部となり、自分の行動も言葉も、自分のものではなくなっていきます。

それは弱い立場の人間だけに起きることではありません。ワタミ会長の渡邉美樹氏がつい先月書いた次の言葉の、まるでコンピュータに自動で書かせたのではないかと思えるほどに気味の悪い軽薄さは、彼もまた、傀儡であることを示しています。

14年連続で毎年3万人以上自ら命を絶つ社会が真に豊かと言えるだろうか。我々はあまりに、無関心になってはいないか。その膨大な数に痲痺していないか。

政府のなかに内閣府自殺対策推進室がある。しかし、自殺はいっこうに減らない。3万人ひとりひとりの自殺の背景をどれだけ細かく把握しているのか。それがなければ対策も何もない。

自殺者は社会のカナリアだと思う。カナリアは坑道などでいち早く有毒ガスを検知する。「我々の社会はおかしいぞ」と自殺者の方々は、自らの命を絶って訴えているのかもしれない。

「自殺者ゼロの社会」。 都知事選で訴えさせてもらった。実現できたらどんなにすばらしいことだろう。

ーーー「14年連続自殺者3万人」の国、日本

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2012年02月21日

広告屋に踊らされる日本政府

シンガポールで撮影された、AKBを大々的にフィーチャーした「クールジャパン」バスの画像がネット上に投稿され、一部で批判されています。

AKB48が「税金を使って海外で宣伝している」と物議

「クールジャパン」は経産省の国家ブランド増進プロジェクトですが、バスの広告に表示されているURLに行くと、AKBのショップに導かれるようになっているそうで、これでは国が税金でAKBの海外プロモーションをしていると見られてもしかたありません。

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「クールジャパン」は、1990年代末に生まれた「国家ブランディング」という概念をもとにして行われています。国家ブランディング活動のパイオニアは、同時期にイギリスが行った「クール・ブリタニア」でした。

当時はオアシスやブラーのような「ブリット・ポップ」全盛の時代で、それを国がかりでバックアップし、イギリスはクールな国であるというイメージを世界に広めようとしたのでした。

ところが今「クール・ブリタニア」といえば、自嘲と皮肉の言葉でしかありません。多額の税金を注ぎ込んだのに目に見える結果は出ず、それどころかその軽薄な宣伝手法により、イギリスの対外イメージを傷つけたとさえ言われています。

最近最も活発に国家ブランディング活動をしているのは韓国ですが、一部の発展途上国は別にして、日本では嫌韓ムードを醸造し、台湾や中国でも同じ状況で、またアメリカやヨーロッパでは国家によるアイドルのセールスを嘲られています。

というように国家ブランディングには、成功例というものがありません。それなのに日本は、失敗例に学ばず今同じことをしているのです。

国家ブランディングという概念の創始者は、イギリスの政策アドバイザーで、毎年「国家ブランド指数」を発表しているサイモン・アンホルト氏です。2008年に行ったインタビューで、アンホルト氏は次のように述べています。アンホルト氏の言葉を読めば、いかに日本政府がトンチキなのかわかると思います。

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…国のイメージをマーケティングで変えようという試みは、まったくもって実りのない行為です。人々が持つイメージは、長い時間をかけて培われたもので、CNNで20秒の宣伝を流したからといって変わりません。ひと目でプロパガンダだと見破られてしまうので、本能的に拒否、あるいは無視されてしまうんです。

…国家ブランディングという用語を作ってしまったことを後悔しています。わたしはただ、国家にはイメージがあり、それは企業にとってのブランドイメージと同じくらい重要なのですよと言いたかっただけです。国家イメージを操作できるという含みはありませんでした。ですから国家ブランディングという言い方は間違った用語なんです。最近ではなるべく使わないようにしています。わたしの新刊は「Competitive Identity(競争力のある国家アイデンティティ)」というタイトルですが、これも国家ブランディングという言葉を置き換えたいという試みで、人々の幻想を覚ますために、わざと退屈な呼称にしたんです。

…国家ブランドをあげようという取り組みは、大きな危険をはらんでいます。わたしの経験によれば、政府高官や役人はとても知的レベルが高い人たちですが、民間の商売のやり方には疎いです。マーケティングとかマーケッターとか言われると、それだけですごいと思い込んでしまうんです。ナイキの宣伝に成功した人なら、政府の広報活動もまかせられると思い込んでいるフシがあります。だから政府は広告代理店のカモになりやすく、それらしいスローガンやロゴに大金を出してしまいます。そしてたいていの場合ほとんど効果がなく、それなのに効果を査定しようという試みがなされません。だからとても危険なのです。マーケティングで国家イメージを変えませんかと売り込んでくる人はたくさんいますからね。でもそんなのは出まかせです。

*以上のインタビューは全文が「フォーリン・アフェアーズ・リポート」で日本語訳が読めますが、該当箇所に致命的な誤訳があったため、原文「Anholt: Countries Must Earn Better Images through Smart Policy」から訳出しました。

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2012年02月20日

お粗末なプロパガンダ

大阪のMBSが放送した教育改革批判の報道に、橋下市長がツイッターで怒っているそうです。以下はユーチューブで見られる問題の報道ですが、そのうち消されるかもしれません。



2日にわたって放送されたという特集の骨子は以下のようなものです。

1:橋下氏が提唱する教育改革はアメリカの「落ちこぼれゼロ法」に酷似している。
2:「落ちこぼれゼロ法」は失敗したといわれている。
3:橋下氏の教育改革と「落ちこぼれゼロ法」はサッチャー改革を下敷きとしている。
4:市場主義的なサッチャーの教育改革は失敗したといわれている。

従って、市場主義的な大阪の教育基本条例は、世界ではすでに失敗とされている愚策というわけです。しかしこれは非常に党派的で、イメージ操作に満ちたレベルの低い報道と言わざるをえません。

VTRでは、「落ちこぼれゼロ法」を紹介するときに、意味もなく旅客機がツインタワーに突入する映像を見せたりして、ネオコンで新自由主義のブッシュ政権により作られた悪法であるというイメージを作ろうとしています。

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たしかに「落ちこぼれゼロ法(No Child Left Behind Act)」は、ブッシュ前大統領がサインした法律です。しかし同法はなにもブッシュの独断ではありません。911テロ以前から共和党と民主党が党派を超えて連携し、圧倒的多数で可決した法律でした。

「落ちこぼれゼロ法」は、番組が述べるようにサッチャー英元首相の市場主義的教育改革を参考にしました。番組ではそれを「イギリス国内で失敗したと言われている」の一言で片付けています。

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サッチャーの教育改革法は1988年に施行されました。保守党政権は1997年まで続き、その後労働党に政権交代しました。サッチャー改革が失敗であるなら、労働党政権はそれを元に戻したはずです。しかしそうはしませんでした。それどころか労働党政権は、サッチャーの市場主義的教育改革をより徹底して押し進めたのです。

サッチャーの教育改革が失敗ならば、なぜ労働党政権はさらにプッシュしたのでしょうか?なぜアメリカ民主党はそれをお手本とした教育改革に賛同したりしたのでしょうか?

「落ちこぼれゼロ法」に問題があることはたしかです。オバマ大統領は、つい先日法律を見なおしたばかりです。しかし、法律の市場主義的、競争主義的な側面を見なおしたわけではありません。それまで連邦政府が一律に決めていた達成基準を、州ごとに決められるようにしただけのことです。改正により、むしろこれまで以上に点取り競争が激化するのではないかと危惧する声さえ聞かれます。

番組に出てくる教育学者のダイアン・ラビッチ氏は、「落ちこぼれゼロ法」は効果が出ていないので元に戻すべきと主張し、オバマ大統領による法改正をお門違いと批判しています。しかし教員組合を除けば、彼女のような主張は少数派です。

ラビッチ教授の同僚であるチェスター・フィン氏は、ラビッチ氏の態度をノスタルジアだと批判し、教育改革は避けて通れないことであり、改革がうまく行かないのは、改革が中途半端だからだと述べています。

Eight questions for Chester Finn

アメリカは試行錯誤しているのです。そして今のところは、教育改革は必要であり、そのためには競争原理により教員の質をあげるしかない、という方向に動いているのです。

MBSの報道は、都合のよい事実ばかりを探して組み上げれば、どんな風にも伝えられるという見本です。こんなチープなプロパガンダをドヤ顔で流されたら、橋下氏が腹を立てるのも無理はありません。

橋下氏は、ラビッチ氏やフィン氏を招いてシンポジウムでも開いたらいいと思います。ラビッチ氏は競争主義的教育改革には反対していますが、教条的な左翼ではありません。よりよい教育改革のために、参考になる話が聞けるに違いありません。

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2012年02月19日

ドイツの大統領が辞任した理由

先日、ドイツのヴルフ大統領が辞職しました。理由は汚職疑惑です。とはいうものの、たいした汚職ではありません。政治家なら叩けば誰でも出てくるだろう程度の汚職です。

ドイツ人はどんな小さな汚職も許さないというわけではありません。日本に比べれば桁外れに厳しいことは確かですが、過去には汚職を大目に見られた大統領もいます。

ではなぜ地位を追われたのかというと、下の辞職会見の写真はその理由をよく表しています。目立つのは若くてきれいな妻のベッティナさんで、大統領は優等生官僚にしか見えません。言動もその見かけどおりの彼は、ようするに大統領の器ではないのです。

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汚職疑惑が浮上したとき、彼は「ビルト紙」の編集長や経営者に電話をかけ、大騒ぎしないように圧力をかけました。中道保守大衆紙のビルトと中道保守政治家である大統領は、本来分かり合えるはずでした。しかし新聞社に彼を庇おうという空気はありませんでした。ビルト紙は圧力を無視し、逆に反ヴルフキャンペーンを開始しました。

ビルト紙のキャンペーンは、ベッティナさんの元売春婦疑惑を伝えたりと、品性に欠けるものでした。しかし、ビルト紙を蔑んでいたはずの知識人たちは冷静な議論を呼びかけたりせず、「こうなるのも仕方ない」とリンチを放置しました。

ドイツの大統領は、ワイマール共和国時代に政治混乱を招いてナチスの台頭を許した経緯から、政治的に何の実権もない名誉職です。それだけに、大統領には「サムバディ」であることが求められます。

普通の政治家なら、人格はともかく仕事ぶりで勝負できます。しかしドイツの大統領は仕事で勝負できないので、人徳で勝負するしかありません。とにかく「何者か」であることで、国民から慕われるしかないのです。

そういう立場の人が徳を示せないとどうなるかを、ヴルフ大統領の転落は表しています。免疫機能の低下した人間が風邪をこじらせて命を落すように、ほんの小さな失点からダムは決壊し、あげくに大統領職そのもののステータスまで失墜させるに至りました。

ドイツの大統領と同じ立場である日本の皇室も同じです。今上天皇は徳の塊ですから何の問題もありません。さらに皇室には歴史と伝統もあります。しかし、徳を感じさせず、さらに自ら伝統を軽んじるような人物がその地位につけば、皇室といえどもどうなるかわかりません。

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2012年02月18日

「お仕事依頼サイト」に感じるやるせなさ

こういう話を読むとやるせなくなります。

P2Pの「お仕事依頼サイト」は働き方の概念を変えるか

Task Rabbitは引っ越しの手伝いから部屋の塗装、使い走りまで、ありとあらゆるタイプの仕事の依頼を掲載できるサイトで、誰かがコンピュータや出先からGPS対応のスマートフォンを使って投稿した仕事の依頼を希望者が入札できる仕組みになっている。

スマートフォンのGPS機能を使い、仕事の依頼者と受ける人の場所と時間をマッチさせるこのサービスは、ネットを介して不特定多数の群集(crowd)に仕事をアウトソーシングすることから、クラウドソーシングなどと呼ばれたりします。

仕事を依頼する方の利便性はもちろん、仕事を受ける人は、仕事をしたいときに「誰からも指図されず、引き受ける仕事を自分で選べるので素晴らしい気分」になれる、これからの時代にふさわしいサービスだと思います。

記事では、Task Rabbitを画期的な新サービスとして伝え、次のようにその大きな可能性を讃えています。

今後、仕事を入札するためだけでなく仕事の依頼を投稿するためにこうしたサイトに集まる人が増えていけば、われわれは仕事というものの概念の変化を目の当たりにすることになるかもしれない。「まだゲームは始まったばかりだが、われわれは働き方についての人々の概念を変えつつあるのではないかと思っている」とローズデール氏は語っている。

しかし、クラウドソーシングはアメリカで生まれたイノベティブなアイディアというわけではなく、もともと日本のほうが先んじていました。

というのも、GPSつきのiPhone3Gが登場したのは2008年で、Task Rabbitの設立も同年ですが、日本ではそれ以前からGPS対応のガラケーが広く普及し、GPS機能を活用したさまざまなサービスが考案されていたからです。クラウドソーシングはそのひとつでした。

しかしその後日本におけるクラウドソーシングは伸び悩み、後発のアメリカに大きく水を開けられてしまいました。

テレビの世界と手を切る直前の2007年に、NHKの某情報番組で働いていたぼくは、ネタを探していてクラウドソーシングについて知りました。そして「これは労働の概念を変えるかもしれない」と直感して企画にとりかかりました。しかし結局企画はボツになりました。

そのとき言われた上司の言葉は今でも忘れられません。クラウドソーシングの概念について説明するぼくを制して、彼は呆れたようにこう吐き捨てたのです。

「それ、日雇いだろ」

当時のNHKは、「ワープア」と反派遣労働キャンペーンの真っ最中で、局内は自由主義的な刷新を排撃する空気に満ちていました。そこでは、クラウドソーシングのようなサービスは、正規雇用の対極にある悪質なサービスでしかないのです。

NHKの奮闘により、正規雇用以外の労働を卑下する考え方は社会に深く根を張り、日本から生まれたかもしれない労働の革新はブレーキをかけられました。そして今、アメリカで生まれつつある「イノベーション」を見て、「アメリカは革新的だなー」と日本人はため息をつきます。切ない話です。

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2012年02月17日

マインドコントロールの恐怖

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マインドコントロールという言葉は、日本では非常に限定された意味を持たされています。有田芳生さんの次の記事のように、スピリチュアルな世界に特有な現象のようにとらえられています。

「オセロ」中島知子さんに寄生する悪質霊能者の過去

しかし海外では、マインドコントロールといえばその筆頭はマスメディアです。マスメディアが社会に定着した1920年代に、フロイトの甥エドワード・バーネイズが「PR」という造語を創りだして以来、マスメディアは広告屋のマス・マインドコントロール装置として発展してきました。



有田さんは、マインドコントロールの極悪さを次のように表現しています。

中島さんを強固に支配している悪質霊能者IRは、多額の金銭を吸い上げ、自分たち(母や伯母)の欲望(贅沢な衣食住など)を満たすために消費させている。悪質霊能者IRと母と伯母の3人は中島さんに出会う前は、都内のワンルームマンションに暮らしていた。服装もたいてい同じで、とても質素な生活だったという。やがて「神の計画」などの言葉を駆使し、マインドコントロールのテクニックを巧みに利用して中島さんの金銭、精神を支配するに至る。そこからは中島さんに全面的に寄生していく。

「悪質霊能者IR」を「マスメディア」に、「中島さん」を「大衆」に置き換えれば、これはそのままバーネイズ流の大衆操作術批判として読めます。バーネイズの提唱した広告術は、それ以前は「必要」を満たすために消費をしていた大衆の脳髄に「欲望」を植えつけることで消費を煽り、金銭を吸い上げることでした。それは今も変わりません。「悪質霊能者IR」の罪状が心を支配してカネを巻き上げることにあるなら、マスメディアもまた極悪と言わざるをえません。

しかしなぜか、マインドコントロールを攻撃する人はそこで立ち止まり、マスメディアの毒を指摘することはありません。

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それはたぶん、彼らがカルトのマインドコントロールを攻撃する本当の理由は、洗脳して搾取する行為にあるのではなく、「異端」であることにあるからです。彼らはただ、異端なマインドコントロールに囚われ、異端な搾取システムに奉仕する人たちを、正しいマインドコントロールに囚われ、正しい搾取システムに奉仕する人にしたいだけなのです。

だいたいマインドコントロールから完全に自由な人間などいません。内発的な意志のみで生きているつもりでも、人は必ずなにかに心を支配されています。ただ、自分の欲望を疑い、自分をコントロールしようとする力があることを意識することだけが、人を操り人形であることから救うのです。

しかし、カルトのマインドコントロールのみに問題を矮小化しようとする人たちは、マインドコントロールは「現代の病理」だなどと言い、目を開かせるのではなく、再洗脳することで問題を解決しようとします。目を開かせることは、20世紀の教会であるマスメディアの威信をも貶めることになるからです。

そして日本では、膨大な税金をつぎ込み、愚かな聖堂を建立することになりました。聖堂から流される説教を浴びた人々は、頭の中に自分のものではない欲望を植えつけられて人生を吸い取られ、そしていつのまにか、有田さんが所属するような詐欺団に権力を委ねたりするようになるのです。

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2012年02月16日

電力危機を嘆くエコの国の人々

ヨーロッパの大寒波に際し、ドイツからフランスに電力輸出が行われたことが、日本では一部で自然エネルギーの勝利のように伝えられましたが、やはりそんなことはないようです。

ドイツの「フォーカスオンライン」が、予備発電所をフル稼動して大停電の危機にありながら、フランスに電力を輸出していたドイツの電力事情についてあらためて解説していました。

Wis sicher ist die deutsche Stromversorgung wirklich?(ドイツの電力は本当に大丈夫なのか?)

記事によれば、フランスに電力が輸出された日は、たしかに北ドイツで自然エネルギー発電による余剰電力が生まれていたといいます。しかし同時に、南ドイツは深刻な電力不足に陥っていました。北から南へ送電しても、送電ロスが大きくなるばかりで不足分をカバーできません。そこで、南ドイツとオーストリアにある予備発電所を稼動して電力不足を補い、北ドイツの余剰分はロスの小さいフランスに輸出したのです。

というわけで、ドイツは余裕があって輸出したわけではぜんぜんありませんでした。だからその後天候が悪化すると、すぐにドイツは電力輸入国に転じてしまいました。今回は、最も寒波がひどいときに、たまたま好天に恵まれたために救われただけで、もし天気が悪ければ、ドイツはブラックアウトしていたのです。

脱原発を決めたドイツでは、2022年までに残された9箇所の原発をすべて停止する予定ですが、今回の電力不足で露わになったのは、お天気と予備発電所だよりの状態は今後も続くということで、これという解決策はないそうです。

記事によせられた「エコ先進国ドイツ」の中の人たちの声をいくつか紹介しておきます。

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原発廃止までまだ一山も超えてないないのにこんなことになるなんて、気が重くなるな。

停電してもいいじゃないか。それでエコ原理主義者の目が覚めるなら。

エコ原理主義者は停電したって目を覚ましたりしないよ。

ヒトラーでさえドイツを滅ぼせなかったが、エコイデオロギーはドイツを滅ぼすよ。世界を道連れにね。

エコはすっかり中傷語になっちゃったな。残念だよ。エネルギー転換を急ぎすぎたんじゃなくて、まじめに議論して来なかったツケなのに。

放射能汚染を避けて滅ぼうぜ!

ドイツの電力は、年金と同じくらい安心だな。

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2012年02月15日

Kポップのドイツ征服

マスコミの芸能記事というのは、通常プロモーターがネタを持ち込みます。ネタに共感できる場合、ライターは嬉々としてヨイショ記事を書きます。ネタに共感できず、しかもさまざまな理由でボツにもできない場合、たいていのライターは仕事と割り切り、プロモーターの宣伝文句そのままに、定型文を重ねてお茶を濁します。しかし骨のあるライターは、プロモーターを満足させるように表面を繕いつつ、自分の意見を編み込みます。

ドイツの新聞で、そういう記事を見つけました。記事は「BEAST」というボーイズグループのベルリン公演を前にして、Kポップの魅力を伝える内容です。一見するとただのプロモーション記事なのですが、よく読むとかなり辛辣な含みを持たせた文章です。

Schön frisiert und wohlerzogen

記事のタイトルは「きちんとしていて品行方正」。「Kポップの歌手はみんないい子で、不良に見えても好青年なの」というファンの声からタイトルをつけています。ポップ・グループの売り文句としては、これだけで嫌味な感じがしないでもないですが、行儀の悪いアイドルが多い欧米では、必ずしもマイナスポイントとはいえません。しかし記事を読み進めていくと、このタイトルが違う響きを持ち始めます。

記事では、Kポップファンは韓国人だけではないと語り、ベルリン在住のKポップファン、エスター・クルンクさんを紹介します。ところがこのクルンクさんの熱狂ぶりを伝える描写がへんです。

彼女はベルリンのKポップシーンの中心にいる。ファンクラブの会員約150人は、在ベルリンの韓国人が3000人であることからして少なくない数であり、メンバーは着実に増えていると彼女は語る。31歳のクルンクさんは韓国文化に魅せられている。彼女は韓国大使館の文化センターでボランティアとして働き、ファンクラブのミーティングを企画、主催している。さらに彼女はオンラインマガジンのwww.k-magazin.comを立ち上げ、韓国の文化、音楽、映画、文学について伝えている。去年の8月には、ドイツで初のKポップナイトを開催し、11月にはKポップコンテストを開催した。いずれもライプツィガープラッツの韓国文化センターで行われたものだ。「トリアーから来た23歳のコンテスト優勝者は、バックダンサーとして韓国に招待され、Kポップワールドフェスティバルに出演しました」とエスター・クランクさんは語る。

クルンクさんはドイツの外にも活動の網を広げている。スイスの友人とともにスイスでKポップフォーラムサイトを立ち上げ、去年から「最も愛されている賞」を発表している。ネット投票で最も人気のあるKポップバンドを決めるのだ。「毎月50万のビジターがいて、7万5千人が投票しました」とクルンクさん。

ここまで書くと、彼女はただのファンではないと言っているようなものです。どう見ても彼女は、韓国文化センターのエージェントです。

この後記事は、ユーチューブで6000万回再生を記録したことなど、BEASTとKポップの偉業を滔々と語り、終盤にさらりとこう書きます。

Kポップファンはたいてい非常に若く、よく組織化されている。フェイスブックを通じて、ハンブルク、シュツットガルト、ベルリンでファンミーティングが行われ、去年の夏にはポツダマープラッツとアレクサンダープラッツ、ブランデンブルク門で、若い娘たちが踊るフラッシュモブが行われた。このブームは、韓国文化を世界市場に売り出したい韓国政府から支援されている。韓国政府は、ポップカルチャー産業のために専門の部署を創設した。歌手たちは早いうちからコンテストで発掘され、システマティックに育成される。

こうなるともう明白で、筆者はKポップを、国家により推進され、隠れエージェントを軸として組織的にステマされる胡散臭いブームであると告げているのです。そして歌手たちは、「schön frisiert=きれいにトリムされ」「wohlerzogen=念入りに育成された」お人形というわけです。

ただ筆者は、直接Kポップを批判するような言葉は一切使っていません。そしてその一方で、あたかもプロモーターからもらった資料をそのまま書き写したかのように、Kポップの躍進ぶりを書き重ねています。だからKポップのファンは、「ドイツの新聞にのったー!」と喜んでいるようです。

「何だかなー」と感じたときの各国の反応は違います。日本人はとりあえず笑顔を繕い、アメリカ人は無視し、イギリス人はお下劣な皮肉を、フランス人はお上品な皮肉をあびせます。それで行くと、ドイツ人は感情をそのまま口にせず、事実を組み上げることで皮肉を表現するというところでしょうか。

というわけで、Kポップのドイツ侵略は厳しいスタートを切りました。しかし見通しは暗くありません。すでに征服を終えた日本に無駄に投入し続けている宣伝リソースをドイツに振り向ければ、欧州制圧はもう目の前です。

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2012年02月14日

ドイツからフランスへの電力輸出について

こんな話が伝えられていました。

独の脱原発を笑ったフランス人がドイツから自然エネルギー輸入

グリーンなサイトの伝えることですから、こういう論調になるのは仕方ありません。だから注釈を入れておこうと思います。

たしかに今フランスはひどい電力危機で、ドイツをふくむ周辺国から電力をドカ買いしています。ドイツよりも温暖なフランスは、予期せぬ寒波の到来にパニック状態となり、電気暖房を主とするフランス家庭ががんがんエアコンをつけ、電気需要が予想を上回ってしまったのです。

日本でいえば、ドイツは北海道で、フランスは関東地方のようなものです。毎年零下10度を体験している地方が零下20度の寒波に襲われても想定内でしょうが、関東地方が零下15度にでもなれば、いろいろと問題が起きるのは当然です。原発とか自然エネルギーとかの問題ではないのです。

記事中にある「フランスの電力市場は1キロワット時あたり34セントと、ドイツ市場のほぼ3倍だ」というのは、電力のスポット価格のことで、電気料金のことではありません。電気使用量が過去最高を記録したフランスでスポット価格があがるのはあたり前で、ドイツの電気料金はフランスよりもずっと割高です。

さて、この記事で引用している「フォーカスオンライン」の元記事というのは、たぶん次の記事だと思います。

Trotz Eiseskälte exportiert Deutschland Strom(寒波にかかわらずドイツは電力を輸出)

このニュースは、ドイツでもかなり大きく伝えられたそうです。緑の党を中心とする左派のみならず、いまや政府の方針である脱原発はドイツの国是ですから、脱原発を肯定するようなニュースはファンファーレとともに伝えられる傾向があるのです。

ところがこの記事のコメント欄を見ると、下記のような書き込みがあることに気づきます。

本当?すでにオーストリアの2基の予備発電所を稼働し、さらにバーデン・ヴュルテンベルク州の予備発電所も稼働させたのに?

このコメントは嘘ではありません。脱原発を決めたドイツは、万が一の電力不足に備えて、いくつか予備発電所を持っているのですが、今回の寒波ではそれをすべて稼働させています。ドイツの電力が背水の陣であることは、いくつかの新聞が伝えています。

Deutschland vor Blackout(ドイツに停電の危機)

Deutschland muss Reservekraftwerke zuschalten(予備発電に頼るドイツ)

ところがこちらのニュースはあまり大きく伝えられず、とくにテレビはガン無視しているので、この報道に接したドイツ人たちは「フランスに輸出してるんじゃなかったの?どういうこと?」「フランスに輸出してると大騒ぎしといてこれとは、とんだギャグだな」と困惑し、あきれています。

今回の異常寒波では、フランスもドイツも電力が不足しており、独仏国境地帯で一時的にドイツからフランスに電力が輸出されたものの、ドイツはぜんぜん余裕ではないのです。

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2012年02月12日

韓流ゴリ押し告発と日本人の受信ベタ

最近はいいかげん鎮火の兆しを見せる韓流プッシュですが、去年、一昨年くらいはほんとうにひどいものでした。あれだけ強引にゴリ押しされたら、反動から嫌韓になるのも理解できます。嫌韓は美しくない態度ですが、それを誘引したゴリ押しはより醜悪です。ゴリ押しやめろ、韓流キモいという感覚を持つのは自然ですし、ネットでそれを主張するのは当然だと思います。

しかしそれは、日本社会の中においての話です。マスメディアの大衆拘束力が異様に強く、そのためにマスメディアのゴリ押しを看過できない日本社会の特殊性を知らない海外の人たちにそんな主張をしても、ゴリ押しは「嫌なら見なければいいのに」で終わりですし、嫌韓は偏狭な排外主義としか思われません。

エロアニメ画像満載なのでリンクは貼りませんが、アメリカの某有名オタクサイトで、アメリカの大学のアニメサークルに送付されたという書類が紹介されていました。送り主は2チャンネルのビッパーを名乗り、きれいな英語で書かれた書類の内容は、2チャンネルなどでよく見かける韓国の悪事と、テレビの韓流ゴリ押しをまとめたもので、情報の拡散を訴えています。

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この書類に対する、普通の外国人より100倍は日本に詳しいアニメマニアたちの反応を、いくつか書きだしてみます。

2チャンは自爆したな…もう何度目かだけど。こんなことしても、日本人は偏狭だというイメージを強くするだけなのに。

韓国が日本をコピーしてるというけど、日本が唐の文化を丸々コピーしたのはオーケーなのか?

時間を持て余した偏狭なパラノイアだな

こいつらも、韓国のやつらもそうだけど、そもそも普通のアメリカ人はぜんぜん興味ないってことわからないのかな。アメリカ人は韓国の宣伝にのせられたりしないから、日本人は何も恐れる必要なんてないのに。

くだらねー。パクリはむしろ日本のお家芸じゃないか。

きっとそのうち、手紙を送ったのは韓国人で、日本人を誇大妄想狂の人種差別主義者だと思わせるための陰謀だって言い出すぞ。

当然の反応です。いかにお隣のKさんが歪んだ性格の人で、Jさんに陰湿ないやがらせをしているとしても、怒ったJさんがKさんの異常性を執拗に糾弾するビラを町内に配布したらどうなるでしょう?Kさんの異常性は知れ渡るかもしれませんが、それとともにJさんの評判もひどく傷つきます。それどころか、よく事情を知らない人は、Jさんの偏執性、自意識過剰ぶりにより強い嫌悪感を抱くはずです。

1980年代くらいから、日本ではさかんに「日本人は情報を受けてばかりで自己主張しなさすぎ。情報は発信しなければ意味はない」などと喧伝されてきました。海外の人への韓流ゴリ押し告発の背景にも、主張しなければ誤解されるという焦りを感じます。

もちろん自己主張は大事です。そして日本人は自己主張が苦手です。しかしそれ以上に、日本人は情報の受信と消化を苦手とし、発信する以前に受信できていないということを、自覚しておくべきです。

かつて日本が戦争をするしかない状況に追い込まれたのは、日本の自己主張が足りなかったからではありません。世界の潮流を完全に読み間違えたからです。パールハーバーを先制攻撃したのは、大損害を受けたアメリカ人は戦意喪失するはずと、アメリカ人気質を読み間違えたからです。そして結果大敗を喫した背景には、物量差以上に、インテリジェンスの軽視がありました。




それは今も変わりません。アメリカの大学に書類を送りつけ、あるいはネットで海外向けに広報する人たちは、それを読んだ外国人が、日本人に共感するはずと信じているようです。世界を知らなすぎです。海外のほとんどの国では、日本ほどマスメディアの拘束力は強くないので、マスコミのゴリ押しなど「嫌なら見なければいいのに」で終わりですし、そもそも韓国にも日本にもたいして興味はありません。韓流ゴリ押しの告発など、気持ち悪いだけなのです。

別に何語で何を主張をしようと自由ですが、そうした行為が、日本と日本人を傷つけていることを理解したうえで行動して欲しいと思います。

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2012年02月11日

クラウドファンディングで100万ドル突破

アドベンチャーゲームの著名な開発者、ティム・シェーファー氏が、ネット上でゲーム制作費を募ったところ、すごいことになっています。

シェーファー氏が主宰するゲーム制作会社「ダブルファイン・プロダクションズ」は、アメリカのクラウド型出資募集サイト「キックスターター」で、次のように出資者を募りました。

「大作ゲームを作るには大金が必要です。Xbox ライブアーケードのようなシンプルなゲームでも、200から300万ドルかかります。ディスクで売られるようなゲームになるとその10倍です。こうした大規模なプロジェクトを制作、宣伝、販売するために、ダブルファインのような制作スタジオは、パブリッシャー、投資会社、ローンに頼らなければなりません。そうした出資者は、資金を提供するかわりにゲーム制作に口をはさみ、ゲームを違う方向に歪めたり、制作をキャンセルに至らしめることさえあります」

「クラウドソースで寄付を募れば、消費者は自分が求めるゲームをサポートでき、制作スタジオはより実験的に、リスクを恐れず、誰にも妥協することなくゲームを作ることができます」

というわけで、40万ドルを目標にして入札を開始したところ、開始8時間で目標額を突破。2日目には140万ドルを超えてしまいました。キックスターターで100万ドルを超えたのは初めてのことだといいます。

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入札締め切りまでまだ1ヶ月あるので、最終的にいくら集まるのか楽しみです。

さて、こうした「クラウドファンディング」サイトは、日本にもいくつかでき始めています。「CAMP FIRE」とか「READYFOR?」などがそれです。

こういうサービスはどうしても、「既存のやり方ではお金が集められないプロジェクトに可能性を提供する」という面が強調され、チャリティなどの社会貢献活動を助けるシステムというイメージをもたれがちです。しかし今回のような現象を見ていると、クラウドファンディングの本質はそこにはありません。

クラウドファンディングは、既存のやり方でも資金を集められるプロジェクトにこそ向いているのです。たとえば大きなファンベースを抱えるミュージシャンが、完成したアルバムの提供とコンサートの無料招待を引換にファンにアルバム制作資金を募れば、目もくらむ額が集まるのは確実です。

クラウドファンディングとは、「パブリッシャー、投資会社、ローン」というレガシー・ファンディングと競合する新しい資金調達方で、社会奉仕的性格はおまけにすぎないのです。

しかしそうなると、パイを食われることになるミドルマンたち、「パブリッシャー、投資会社、ローン」はおまんまの食い上げです。指をくわえて時代の変化を眺めるだけとはとても思えません。

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2012年02月10日

溺れるマスコミはAKBをつかむ

AKBのメンバーの母親が未成年者と淫行して逮捕されたという話題。テレビや新聞がほとんど伝えないので、事務所からの圧力がかかったのではないかなどと騒がれています。

テレビ・新聞が報じない“AKB高橋みなみ母逮捕”…「圧力か」とネットで話題に

あくまで母親のしたことであり、本人にはなんの関係もないので、そもそもこんな話題を報じる必要などないといえばそれまです。しかしテレビのワイドショーにしてもスポーツ新聞にしても、普段はこういうどうでもいいことに眼の色を変えて大騒ぎしているわけで、これをニュースでないとするなら、伝えるネタなどなにもなくなってしまいます。

熟女と少年の姦通事件は、ただそれだけでも下世話な興味をひく立派なゴシップニュースです。それに加えて、熟女の娘が「国民的アイドル」の一員ともなればニュースバリューは抜群です。飛びつかないのは不自然としか思えません。

ではどうして報じないのでしょうか?圧力があったかどうかはわかりません。ただ、これはマスコミに限らずどの世界でもそうですが、闇雲に圧力をかけたところで誰も従いません。それどころか、圧力をかけたことが反発を生み、一層ニュース性を高め、逆効果になる可能性すらあります。

圧力というのは、圧力がきく土壌が整えられていてはじめて効果を発揮します。マスコミの中に、「このネタは避けるべきかもしれない」と思わせる空気があるかどうかが大事なのです。その空気さえあれば、たいていの場合は圧力をかける必要さえなく、マスコミが勝手に自粛してくれます。万が一、空気の読めない跳ねっ返りが騒いだとしても、拡大することはありません。

思想家のジャック・エリュールは、古典的名著「プロパガンダ」(→日本語未訳、英語版)において、集団を操るときに最も肝心なのは、空気づくりであると述べています。時間をかけて入念に空気を作っておけば、あとは軽く煽るだけで、集団は思いのままに操れるのです。

だから、具体的な圧力の有無について詮索したところで意味はありません。圧力があったにせよなかったにせよ、マスコミに自粛ムードがあったのは確実で、その空気が何によってもたらされたのかに、事の本質はあるのです。

では、なぜマスコミはAKBを貶めたくないのでしょうか?利権が絡んでいるから?もちろんそれもあるでしょう。しかしより根源的な理由があります。AKBを貶めるのは、マスコミの存在意義を貶めることになるからです。

マスコミを無色透明な情報伝達屋と思っている人にはピンとこないかもしれませんが、実はマスコミというのは「ブーム製造機」と呼んだ方が、その性格を正確に表現しています。それがマスコミの力の根源であり、ブームの作れないマスコミは、マスコミではありません。

ところがここ数年、いくら手を尽くしても、一向にブームが作れません。そんな中「国民的アイドル」AKBは、韓流とならぶ数少ないブームなのです。

まだ動画サイトが一般化していなかった00年代中頃までなら、マスコミはいくらでも「作品」を作ることができました。いくら潰しても替えには困らないので、むしろ自在に作品を作り壊すことこそ、マスコミのパワーの証でした。

しかし、いよいよ韓流も限界が見えてきた今、もしAKBを失ったら、マスコミにはもう何も残りません。マスコミの力を示すランドマークが、ひとつもなくなってしまいます。だからAKBを傷つけるわけにはいかないのです。

とはいえAKBは、過去の国民的スターと同じように、マスコミの威光により作られたブームなのかと問うなら、少し違うような気がします。

AKBというのは、ファンを酔わせるタイプというよりも、マスコミを酔わせるタイプのアイドルに見えます。「秋葉原の劇場でファンとふれあい、インターネットで火がつき、テレビという表の舞台に上り詰めてきた」というAKBのストーリーは、いかにも20世紀的な文脈での「ネット時代のアイドル」です。

そこではネットはオマケであり、あいも変わらずマスコミが頂点に君臨しています。それはまさに、90年代の終わりごろにマスコミが描いていた未来、大衆とマスコミをより強固に結びつける手段としてのネットに期待した、ネットとマスコミの融合そのものなのです。

「ひとり電通」プロデューサー氏は、そんなマスコミの欲する幻想をそのまま形にして世に送り出し、それにマスコミはとびつき、大衆を踊らせるイコンに祭り上げました。しかし大衆は思うように踊りません。ドラマはコケ、映画はコケし、売れるのは握手券ばかり。ブームといえば確かにブームのようですが、過去のブームとは何かが違います。

大衆を踊らせられないブームは、走らない車と同じです。自らを元気にしてくれる幻想にしがみつくマスコミは、握手券をまとめ買いするファンとなんら変わらないのです。

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2012年02月08日

呪われた国ドイツ

デフォルトの危機に瀕するギリシャに、ドイツは最後通牒を出しました。厳しい緊縮策を呑まなければ、債務軽減と援助はしないという内容で、木曜日にも結論が出るということです。

破綻するにせよ援助するにせよ、浪費家のために損害を被ることになるドイツ人からすればたまりません。しかしどうしたわけか、ギリシャ人はドイツ人に憎悪をたぎらせています。

財務を監視する「総督」を置くことを条件とするドイツの要求を、第二次大戦のギリシャ侵略の再来ととらえ、ドイツ人観光客を冷たくあしらい、メルケル首相をヒトラーに模した風刺画を量産しているのです。

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ドイツ人は、男も女も軍服がよく似合うなーということはおいておいて、ドイツを侵略者と見るのはギリシャだけではありません。やはり破綻の危機に瀕するイタリアも同様です。

客を見殺しにして逃げた沈没船の船長にかけて、危機と向きあおうとしないイタリア人のヘタレぶりを匂わす記事を書いたドイツのシュピーゲル誌に対し、イタリアの新聞は、「なるほどオレたちゃダメ船長だ。だがオメーらはアウシュビッツをやったじゃねーか!オメーらの方がずっと問題なんだよ。昔も今もな!」とブチ切れました

遊び人たちの借金を肩代わりしてやろうというのに、感謝されるどころか逆ギレされるドイツ人の気持ちを思うと、不憫でなりません。しかし、実のところギリシャ人やイタリア人の主張にも一理あります。

ユーロというのは、これまでは月限度額20万円のクレジットカードしか持てなかった人に、限度額500万円の家族カードを与えてしまったような制度です。生まれついての遊び人である南欧諸国は、それでついつい使い込んでしまいました。ーードイツの製品を買うためにです。

ドイツは、浪費癖のある国々にカネを貸して、それでドイツ製品を買わせて、自国の経済をぐるぐるとまわしていたのです。おかげでドイツは、このご時世に失業率がとても低く、税収も史上最高レベルです。いわばユーロはドイツが他国を搾取するためのシステムなわけで、あげくに国家主権まで侵されたら、侵略者とも呼びたくなるというものです。

しかしユーロというシステムは、なにもドイツ人が望んでまわりに押し付けたものではありません。それどころか、強大なドイツの復活を防止するために作られたシステムです。それなのに、なぜかドイツは一人勝ちし、優等民族きどりの危険国呼ばわりされるはめとなってしまったのです。

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2012年02月07日

ネットをめぐる日本と海外の認識ギャップ

中国のネット規制を認めるような発言をしたドワンゴの川上会長が、自身のブログで反論を書いていました。

ネットが守るべき言論の自由とは何か?

もとの発言は、釣りかとも見ていたのですが、記事を読んでみたら、そうでもないようです。

ネットの言論が問題な部分はどこなのか、それについての自分の意見は持っている。

それは「他人の言論の自由を妨害する自由は言論の自由とは違う」という主張だ。このふたつを混同しているひとがネットに多くいるのだ。

そういう意味では、ぼくは言論の自由を守られるべきだと強く思っている。そしてネットの言論の自由を本当に守るためには、ネットで他人の言論の自由を妨害する自由を規制しなければならないと思っているということだ。

この記事をよんだ「はてなブックマーク」のコメントも、結構この意見に賛同していました。

この主張の是非はおいておきます。しかしこういう風景を見ていて強く感じるのは、日本と海外のネットをめぐる空気の差です。このような議論は、アメリカ、ヨーロッパではありえません。それどころか、たとえばアメリカでネット企業の会長が規制の必要性を唱えたとなれば、その主張のウラにどれほど深遠な理由があるにせよ、炎上どころか、ボイコットされかねません。

それほどまでに、欧米におけるネット規制への拒否感はハンパではありません。アメリカでは、知財権保護のために立案されたネット検閲法案(SOPA)にからんで行われた電話調査で、71パーセントの有権者が、違法コピーよりも政府のネット規制に大きな脅威を感じると答えていました。おじいちゃんもおばあちゃんも含めての数字です。知財権はアメリカの富を支える大きな柱ですが、それを差し出してでも、ネットを規制してはならないと考えているのです。

ヨーロッパはアメリカの上を行きます。各国に誕生した「海賊党」は、知財権を認めず、リアルワードのあり方をインターネットに合わせようと運動し、地方議会とヨーロッパ議会に議席を確保して勢力を伸ばしています。SOPAの国際版であるACTAへの反対では、零下数十度の中、超党派デモの嵐が吹き荒れ、ポーランドやブルガリアの議員は、ハッカー集団「アノニマス」に賛同するマスクをつけて抗議しました。

というように欧米では、ネットの自由を守れと訴えるにあたり、誰もその自由を疑いません。ネットの問題とは、著作権保護の問題をはじめとする古い社会システムとの軋轢に集約され、ネットのモブぶりをつつくのは、著作権で食べている企業か、それにぶら下がる人と相場は決まっています。

ところが日本では、ネットの顔を自認するような人たちまでが、ネットのダメっぷりを指摘します。まずはネットの醜悪さを認めてからでないと、議論にはならないという感じです。欧米では最も強硬なネット主義者の巣窟である匿名掲示板ですら、日本では「ネットは醜いところだから、規制も仕方ないよなー」という雰囲気を漂わせています。

なぜなのでしょうか?

欧米のインターネッターは実名主義で、ネット参加者のモラルが保たれている、なんてことはありません。あちらも匿名掲示板は大盛況ですし、炎上も日常茶飯事で、人々は憂いています。ただ、あちらには「炎上」という言葉はなく、「サイバーストーキング」、「サイバーボリイング(ネットいじめ)」などと呼ばれています。

この用語の違いは重要です。「炎上」という概念は、ネットに固有な現象を指しますが、「ストーカー行為」や「いじめ」は、ネットがなくても起きる現象で、それに「サイバー」をつけているにすぎません。ようするに、炎上などという現象は、どこにでも起きることがネットで起きているだけととらえているわけです。

川上会長が憂いる「言論の自由」の問題にしても同じです。言論の自由の侵害は、ネットが生まれる以前から、社会のあちこちで見られていた態度です。ネット以前の社会で、高度な言論の自由が達成されていたわけでもありません。だから欧米では、言論の自由の侵害を、ネットに内在する問題として議論することはないのです。しかし日本では、そうした根源的な問題が、ネットの責任として語られます。

こうした転倒した視点を生んだ背景は、ネット登場以前の日本社会では、人間社会の醜い部分が、他のどの国よりも巧妙に隠されていたからと考えられます。

ネットを手にした日本社会というのは、いわば突然眼が見えるようになった盲人の寓話のようなものです。それまでさぞかし美しい所と想像していた世界が、いざ自分の眼で見てみたらぜんぜん美しくない。それで、「この眼になにか問題があるに違いない」と思いこんでいるのです。

ネット以前に、日本社会に「編集済みの世界」を提供していたのはマスメディアです。言語の問題、地理的な問題、同質的な社会の問題、そしてマスコミ各社に有利な産業構造の問題と、いろいろ要因はありますが、日本は他のどの国にもまして、マスメディアの拘束力が強い社会だということは、意識しておくべきです。

マスメディアにより植えつけられた、編集済みの世界観を払拭できない日本のネット文化は、とても内省的で自虐的です。そしていつの間にか、世界との間に大きな認識の差を生むに至りました。世界は変革の渦中にあり、今ほど斬新な着想が求められるときはないのに、自ら足かせをつけて歩く日本のネット文化は、前途多難だなと思います。

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2012年02月05日

ネットの暗部は、ネットにより作られたものではないということについて(2)

ネットで起きるたいていの炎上は、以前からマスメディアのバックステージで起きていた隠れ炎上や、リアルワールドで起きる摩擦の焼き直しでしかありません。しかしネットで起きる炎上には、「バブル化した情報つぶし」というユニークな傾向もあるように思います。

バブル化した情報とはなにかというと、実体としては10円の価値しかないのに、10万円の価値が与えられているような情報のことです。たとえば、「著名なコメンテーター」のコメントは、内容に関係なく、いきなり10万円の価値をもたされてネットの中に放たれます。それが「著名なコメンテーター」の名に恥じない内容なら問題はありません。しかし10円の価値しかないと判断されると、そのコメントは炎上のターゲットになります。

ネットというのは、情報を売り買いして価格を設定する、「情報の自由市場」という性格を持つので、不自然にバブル化した情報に敏感で、その膨らんだ価値をバーストさせようとするのです。もちろんそれは、「真の価値」などという高尚な概念とは何の関係もない、需要と供給の関係における価値のことです。

この範疇から外れるように見えるツイッターのおバカコメントによる炎上でさえ、よく考えてみれば、情報のバブルバーストという性格を帯びています。ツイッターの炎上はつねに、大学生にふさわしくない行為のツイート、A社の職員としてふさわしくない行為のツイートなど、社会的な期待値(表示価格)と言動(実体価格)が不一致なところに生じます。高校中退の無職がフリーダムな行為をツイートしても炎上は起きません。

現代社会において、最大のバブル情報供給組織は、テレビや新聞のマスメディアです。以前にも書いたように、マスメディアというのは、あまりに多くの人々にリーチしすぎるために、伝えるあらゆる情報がバブル化してしまい、適正な情報を伝えられないという欠陥を持ちます。

原発が危険だと伝えれば、1の危険は10の危険にふくらみ、安全だと伝えれば、1の安全は10の安全にふくらんでしまうので、ズバリものが言えない、言えばウソになるというジレンマを抱えているのです。

しかし、ズバリものを言わないと、刺激がないので視聴者/読者は離れてしまいます。だからマスメディアは、ときに世の中を狂わせる凶器となることも辞さずに、バブル化した情報を発信します。するとネットは牙を剥きます。

前回のエントリーで引用した津田氏は、炎上の例として、2006年頃に起きた亀田叩きを取り上げていました。あれなどはその典型的なケースです。テレビにより作られた人工的なハイプを、ネットは夢中で売り浴びせて暴落させようとし、上村愛子さんはそのコラテラル・ダメージを受けたのです。

マニフェスト詐欺団やKの国からの出稼ぎ、国民的ハンドシェーカーは、バブル化した情報の代表です。ここ数年のマスメディアは、バブル沈静化システムとしてのネットの反応をおりこんで情報発信しているようで、以前にもまして躊躇なくバブル化した情報をまき散らしているように見えます。

だからネットは年々とげとげしく、殺伐としていきます。「嫌韓」などは、マスメディアが燃料を注がなければ、遠に過去の遺物となっていたに違いありませんが、あいかわらず元気です。マスメディアが出した廃棄物の処理を負わされて、汚い、臭いと後ろ指をさされるネットは、ほんとうに都合のよいスケープゴートです。

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2012年02月04日

ネットの暗部は、ネットにより作られたものではないということについて(1)

新聞社やテレビ局の会長ならともかく、ネット企業の会長からこんなコメントが飛び出してくるとは驚きました。

ドワンゴ川上会長「中国のようにネット言論は国で規制すべし」

記事によれば、津田大介氏のメルマガで、津田氏とドワンゴの川上会長が、次のようなやり取りをしていたそうです。

津田:2006年頃、ボクシングの亀田興毅選手がネットなんかで嫌われていた時期ありましたよね。当時、モーグルの上村愛子選手がブログに「亀田興毅くんの世界タイトルマッチに興奮です(>_<) よかったねー! がんばったねー(T_T)」と書いたら、亀田を応援するのか、ということでブログに1500件以上もの批判コメントが寄せられ、大炎上するという事件がありました。別に個人がスポーツを見てどんな感情を持とうと自由じゃないですか。でも、「亀田は叩くものだ」という空気に支配されてブログのコメント欄で上村愛子を叩く。あの時「ネットも来るとこまで来たな」と恐ろしく思いました。川上さんはこういう問題を解決するアイデアを何かお持ちですか?

川上:そういう意見が社会的に影響を及ぼすようになったら、規制すべきだと思います。中国って多分、そこらへんについてはネットの先進国だと思うんですよ。国として規制しているから。どこかに悪影響が出るかたちで規制するとなったら、それは良くないだろうけど、「国として規制する」という方針自体は正しいと思います。

ぼくはメルマガを読んでいないので全体のコンテキストはわかりません。しかし、元記事に揚げ足取りの側面があると仮定しても、ひどい冗談です。

たしかにネットには醜い面があります。ぼく自身、それでネットに絶望しかけたこともあります。しかし最近強く確信するようになりました。ネットの醜い面は、ネットにより生み出されているわけではありません。醜さはもとからそこにあり、ネットはそれを露見させているだけなのです。

「炎上」は、ネットの醜さの代表です。炎上が起きると、人々はネットの恐ろしさに顔をしかめます。しかし、炎上という現象は、はたしてネットが生み出したものなのでしょうか?そしてネットがなくなれば消える現象なのでしょうか?

そうとは思いません。炎上という現象は、ネットが登場するはるか以前から存在していました。ただそれはバックステージで行われ、大衆の眼から隠されていただけなのです。

テレビや新聞が情報メディアを独占していた20世紀、炎上という現象は、報道被害などと呼ばれていました。事件の関係者にあらぬ疑いをかけたり、政治家の言葉尻をとらえて罵倒したり、アスリートやタレントの私生活について妄想を撒き散らしたりと、マスメディアは多くの人々を血祭りにあげてきました。そしてマスメディアの情報シャワーをあびた一般ピープルは、無自覚のうちにイナゴと化し、マスメディアに押しつぶされる人々に冷たい視線を送り、人格圧殺に加担してきたのです。

ただ、そうした20世紀型炎上により人生をだいなしにされた人々の苦しみは、大衆から隠されてきました。世に知られる報道被害の被害者は、全体からすればほんの一握りにすぎません。ほとんどの被害者は、反論の場さえ与えられずに泣き寝入りしてきました。ネットは、そうした炎上のプロセスをむき出しにしただけなのです。

炎上と同じように、以前から存在していたのにもかかわらず、ネットによりむき出しにされたために、ネットの悪のように思われている現象に「ステマ」があります。

「今〜が人気!」というサクラ商法から、子会社の仕事を増やすために行われるNHKの報道まで、マスメディアはステマの別名と言えるほどにステマ天国です。しかし一般ピープルは、つい最近までそのことに無自覚でした。しかしネットをしていれば、ステマというものを意識せざるをえません。人々はネットを通じて、これまで関係者以外出入り禁止だったバックステージを覗き込んだのです。

マスメディア時代の炎上やステマに対し、人々はたいてい無自覚で、ときにその醜い姿を垣間見たとしても、他人ごとのように感じていました。マスメディアの中の人も同様で、誰も問題としない問題とわざわざ真摯に向き合うわけもなく、ケロリとした顔で犠牲者を踏みつぶし、大衆を騙し続けてきました。

しかしネットの炎上やステマは違います。それは否応なしにすべてのネットユーザーに、自分たちの問題としてつきつけられます。だから人々は、炎上について考え、ネットイナゴにならないように自らを律し、炎上が起こりにくいシステムを開発しようと努力するのです。ステマに警戒し、騙されないようにリテラシーを高めようと努力するのです。

そうした努力は、すぐに効果は出ないでしょう。しかし、失敗と逡巡を重ねつつも、着実に改善していくはずです。そして、ネットの炎上やステマを防止しようという姿勢は、ネットだけでなく、マスメディアに見られる炎上やステマという病気を、その根本から断つことにつながるのです。

ネットの暗部に規制でフタをするというのは、だから愚策中の愚策です。脅威が迫ると砂の中に頭を隠すダチョウと同じです。見えなくすれば問題がなくなるわけではないし、むしろ見えないことで問題は継続するのです。

そういうことに思いが及ばない人がネット企業のトップにいるというのは、ネタでなければ悲しむべきことです。

さて、ネット炎上の背景については、もうひとつ大きな理由があると見ています。それは、ネットというよりも、マスメディアの問題になります。しかし、それについて書き始めると長くなりますので、次回のエントリーで考察します。

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2012年02月02日

ステマに対する日米の認識の違い

今年の年明け早々、ステマが世間を騒がせたとき、「ステマはアメリカでは禁止されている。日本も規制しろ」という声をあちこちで眼にしました。

たしかにアメリカでは、「食べログ」事件で見られたような明確なやらせクチコミは、2009年以来規制されています。去年の春には、アマゾンでやらせ投稿をしていた企業が摘発されました。

Legacy Learning Settles With FTC Over Phony Online Reviewers

しかし、ステマというものを、文字通り「宣伝であることを隠して宣伝すること」とするなら、それはアメリカで普通に行われています。どうも日本では、このあたりが混同されている気がします。

アメリカはステマ天国です。たとえば映画の宣伝では、さかんにステマが用いられます。古くは1999年の「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」。にせのウェブページを立ち上げて、映画がドキュメンタリーであるかのように見せかけて大ヒットしました。

最近では、2009年に公開されたパニックアクション「2012」が手の込んだステマを活用しました。「IHC(人類維持研究所)」という架空の団体を作り、地球滅亡時に「箱舟」に乗る人を募るテレビコマーシャルを流し、それらしいサイトも立ち上げました。



コマーシャルは、注意深く見ていれば映画の宣伝とわかるのですが、CMを身構えて見る人などそうたくさんいるわけもなく、真に受ける人が続出し、映画は世間の注目を集めることに成功しました。

去年公開された「リミットレス」は、さらに巧妙でした。「リミットレス」という映画は、脳を100パーセント活性化する薬を飲んで超人化する男のストーリーです。その映画がどんなステマをしたのかというと、ユーチューブにウソの動画をアップしました。それがこれです。



あらゆる街頭モニタをハックできる送信機を開発したという内容で、開発者本人がNYのタイムズスクエアで、iPhone で撮影した動画を街頭モニタに転送するデモンストレーションをしています。

本当だとすればすごい発明なので、この動画は一気にアクセスを集め、「ありえない」「いやありえる」と、コメント欄で真剣に議論されました。ところがその後投稿された続編の動画で、発明の裏側が明かされます。「この薬を飲んで脳を活性化したら発明できたんだ!」というわけです。

こうしたステマにより、「リミットレス」は、ウソ動画により直接注目を集めただけでなく、ユニークな宣伝をしたということも話題となり、飛躍的に知名度を上げたのでした。

日本では、このようなステマはほとんど行われません。法律の問題もあるのかもしれませんが、こういうステマをしても、消費者の反感を買うばかりで、逆効果だというのが一番の理由ではないかと思います。「2012」のようなコマーシャルを流せば、注目を集めるどころかパニックになるかもしれませんし、「リミットレス」のようなウソ動画を作れば、コメント欄は罵倒で埋め尽くされるに違いありません。

一方アメリカでは、上記のようなステマに対し「うまいことするなー」という賞賛が大勢です。なぜ日米の反応が違うのかというと、情報の接し方に大きな違いがあるからです。アメリカでは、宣伝や情報メディアをプロパガンダととらえて警戒する傾向が、日本より強いように思います。いわば宣伝とはそもそも「騙しのテク」なのだというところからスタートしているので、騙そうとする行為自体には寛容で、クリエイティブな騙し、ウィットに富んだ騙しを賞賛する態度が生まれるわけです。

それに比べて日本は、宣伝や情報メディアを信用するところからスタートします。だから、へたな騙しだろうとうまい騙しだろうと騙しは騙し、許せない、となります。日本的な感覚に従えば、あらゆるステマは消費者を愚弄する悪の行為と見なされるのです。

アメリカでも、ステマを消費者への愚弄と受け取る場合があります。その代表は、2006年にソニーが行ったステマです。プレイステーション・ポータブルの宣伝のために、にせのファンサイトを立ち上げたのですが、ヤラセを暴かれたあげく、ソニーブランドを著しく貶めることになりました。

ヒップホップ好きな若者が立ち上げたサイトという設定で、「ダチが親にクリスマスプレゼントでPSP買ってくれっつってんだけどヨー、親がPSPの魅力をぜんぜんわかってねーわけ。つーこってみんなでヨー、PSPの良さをダチの親にわからせてやろーぜー」という調子で仲間を募り、次のようなPSPを賞賛する「自作ラップ」などをユーチューブにアップしました。


ニセのサイトや動画を使ってステマをする点においては、「2012」や「リミットレス」とそう変わりません。しかし消費者は激怒しました。なぜか?ずさんだからです。とってつけたような若者言葉に、若者というわりにはおっさんにしか見えないPSPラップの演者、そして曲のセンスのなさ。すべてが目も当てられぬほどにダサくて適当だったからです。

ステマという行為それ自体への怒りではありません。「これほどまでに低レベルなステマで人心をつかめると考えているなんて、ソニーが消費者をどう見ているかよくわかった。人を愚弄するにもほどがある!」というわけなのです。

アメリカで「やらせクチコミ」が規制されている理由もそこにあります。やらせクチコミは、ステマだから悪いのではなく、ステマとして外道中の外道と見られているから、そしてそういう共通認識を前提として法運用できるから、禁止されているのです。

だから日本では、やらせクチコミは法規制できません。「許されるステマ」と「許されないステマ」が区別されていない日本では、やらせクチコミを禁止すればあらゆるステマが禁止されることになり、ひいてはあらゆる宣伝を違法とすることにつながりかねないからです。

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