2012年02月07日

ネットをめぐる日本と海外の認識ギャップ

中国のネット規制を認めるような発言をしたドワンゴの川上会長が、自身のブログで反論を書いていました。

ネットが守るべき言論の自由とは何か?

もとの発言は、釣りかとも見ていたのですが、記事を読んでみたら、そうでもないようです。

ネットの言論が問題な部分はどこなのか、それについての自分の意見は持っている。

それは「他人の言論の自由を妨害する自由は言論の自由とは違う」という主張だ。このふたつを混同しているひとがネットに多くいるのだ。

そういう意味では、ぼくは言論の自由を守られるべきだと強く思っている。そしてネットの言論の自由を本当に守るためには、ネットで他人の言論の自由を妨害する自由を規制しなければならないと思っているということだ。

この記事をよんだ「はてなブックマーク」のコメントも、結構この意見に賛同していました。

この主張の是非はおいておきます。しかしこういう風景を見ていて強く感じるのは、日本と海外のネットをめぐる空気の差です。このような議論は、アメリカ、ヨーロッパではありえません。それどころか、たとえばアメリカでネット企業の会長が規制の必要性を唱えたとなれば、その主張のウラにどれほど深遠な理由があるにせよ、炎上どころか、ボイコットされかねません。

それほどまでに、欧米におけるネット規制への拒否感はハンパではありません。アメリカでは、知財権保護のために立案されたネット検閲法案(SOPA)にからんで行われた電話調査で、71パーセントの有権者が、違法コピーよりも政府のネット規制に大きな脅威を感じると答えていました。おじいちゃんもおばあちゃんも含めての数字です。知財権はアメリカの富を支える大きな柱ですが、それを差し出してでも、ネットを規制してはならないと考えているのです。

ヨーロッパはアメリカの上を行きます。各国に誕生した「海賊党」は、知財権を認めず、リアルワードのあり方をインターネットに合わせようと運動し、地方議会とヨーロッパ議会に議席を確保して勢力を伸ばしています。SOPAの国際版であるACTAへの反対では、零下数十度の中、超党派デモの嵐が吹き荒れ、ポーランドやブルガリアの議員は、ハッカー集団「アノニマス」に賛同するマスクをつけて抗議しました。

というように欧米では、ネットの自由を守れと訴えるにあたり、誰もその自由を疑いません。ネットの問題とは、著作権保護の問題をはじめとする古い社会システムとの軋轢に集約され、ネットのモブぶりをつつくのは、著作権で食べている企業か、それにぶら下がる人と相場は決まっています。

ところが日本では、ネットの顔を自認するような人たちまでが、ネットのダメっぷりを指摘します。まずはネットの醜悪さを認めてからでないと、議論にはならないという感じです。欧米では最も強硬なネット主義者の巣窟である匿名掲示板ですら、日本では「ネットは醜いところだから、規制も仕方ないよなー」という雰囲気を漂わせています。

なぜなのでしょうか?

欧米のインターネッターは実名主義で、ネット参加者のモラルが保たれている、なんてことはありません。あちらも匿名掲示板は大盛況ですし、炎上も日常茶飯事で、人々は憂いています。ただ、あちらには「炎上」という言葉はなく、「サイバーストーキング」、「サイバーボリイング(ネットいじめ)」などと呼ばれています。

この用語の違いは重要です。「炎上」という概念は、ネットに固有な現象を指しますが、「ストーカー行為」や「いじめ」は、ネットがなくても起きる現象で、それに「サイバー」をつけているにすぎません。ようするに、炎上などという現象は、どこにでも起きることがネットで起きているだけととらえているわけです。

川上会長が憂いる「言論の自由」の問題にしても同じです。言論の自由の侵害は、ネットが生まれる以前から、社会のあちこちで見られていた態度です。ネット以前の社会で、高度な言論の自由が達成されていたわけでもありません。だから欧米では、言論の自由の侵害を、ネットに内在する問題として議論することはないのです。しかし日本では、そうした根源的な問題が、ネットの責任として語られます。

こうした転倒した視点を生んだ背景は、ネット登場以前の日本社会では、人間社会の醜い部分が、他のどの国よりも巧妙に隠されていたからと考えられます。

ネットを手にした日本社会というのは、いわば突然眼が見えるようになった盲人の寓話のようなものです。それまでさぞかし美しい所と想像していた世界が、いざ自分の眼で見てみたらぜんぜん美しくない。それで、「この眼になにか問題があるに違いない」と思いこんでいるのです。

ネット以前に、日本社会に「編集済みの世界」を提供していたのはマスメディアです。言語の問題、地理的な問題、同質的な社会の問題、そしてマスコミ各社に有利な産業構造の問題と、いろいろ要因はありますが、日本は他のどの国にもまして、マスメディアの拘束力が強い社会だということは、意識しておくべきです。

マスメディアにより植えつけられた、編集済みの世界観を払拭できない日本のネット文化は、とても内省的で自虐的です。そしていつの間にか、世界との間に大きな認識の差を生むに至りました。世界は変革の渦中にあり、今ほど斬新な着想が求められるときはないのに、自ら足かせをつけて歩く日本のネット文化は、前途多難だなと思います。



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